尾瀬紀行
残雪の尾瀬・燧ケ岳登行(18)

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 尾瀬紀行(35)裏燧林道 「上田代」   、



 上田代の標識



ここを過ぎると、また緩やかな登りが始まる。 
小鳥のさえずり音を聞きながらペースよく歩く。膝関節の痛みを忘れるくらい好調のようだ。

思えばこの辺りは「御池」という名前が付いている通り、大昔はあるいは広大な池、池塘だったのかも知れない。
樹林の中のゆったりとした登りから、更に一時して「上田代」の原っぱへ着いた。
そのほぼ中心に標識があって、こちらの標高は1620mを示している。
昨日登行を終えた「燧ケ岳」の標高が2356m(芝安クラ)であるから、ほぼ700mの標高差であった、  

こちらはさすが雄大な田代である。 
この田代も下山時の熊沢田代に似て見事な傾斜型の湿原になっている。



御池からは御池田代、姫田代、上田代、ノメリ田代、横田代、西田代、天神田代など裏燧は田代、湿原が多く目立つのが特徴であろう・・?。 

この季節(5月上旬)であるから当然、湿原は未だ白一色であるが、芽吹いて葉が落ちる、所謂、樹木の活動シーズンには多彩な景観を見せることであろう。



それにしても、普通に見わたすと田代(湿原)はただの原っぱの様にも思われる。 
周囲は樹林帯で囲まれていて、これら平坦地のみが木のない場所がある事は、やはり、不思議といえば不思議である。 
川の流れもあり草も生えているのに、何故木は生えないのか・・??。

前述したように、一般に「湿原」とは、主に浅い湖沼や潟などが次第に堆積物で埋まり、陸地化したものである。 

特に、平地にある浅い湖沼は、周囲からの土壌の流入、それに水中や水辺の植物の生長につれ、それの循環生産される植物遺体などの堆積によって、次第に浅くなり、次第に陸化するとされている。

このような湖沼→湿原→森林(陸地)と変化していくことを「湿性遷移」とも言うらしい。
長い年月の間に陸化していく途中の草原地域が湿原であるとも言える。


だが、寒冷高地では湖沼やあるいは排水の悪い平坦地に生えていた植物の遺骸があまり腐らずに堆積し、つまり、雨水が土壌に沈下しても栄養分の少ない植物遺体の堆積した湿原では樹木の種子が飛んできても育たず、長期にわたって湿地である場合がある。

湿原では土壌や表面の水分の栄養分が乏しいか、栄養分があったとしても地表にあまり染み出ないなどの特徴から大形の樹木などが生育せず、高地での植物は高山性の草やコケ類などがよく生育するのである。


次回、「裏燧林道




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 尾瀬紀行(36)裏燧林道 「裏燧の林道」  ,



 裏燧林道の上田代標識



上田代は、燧裏林道の中では最大のものであり、日の出から大分たっており湿原から燧ケ岳の様子が迫力を持って望める。 
昨日、この山を征服・・?したかと思うと感慨もひとしおである。

正面には樹林帯の上から朝日に照らされて赤く染まった平ケ岳や大津岐山などの山々が見えている。  
何とも美事な見晴らしである。


この日も、今のところ出会う人もなく、静かな静かなたった一人の山歩きとなっている。
尾瀬はシーズンともなると非常に混雑するが、裏燧林道はメインコースから外れているためか人影も少なくゆったりと尾瀬を満喫するには、この燧裏林道は最適かもしれない。 
別称、「隠れ尾瀬」とも言っておこうか・・!。


広―い上田代の中央部の歩道横に休憩スペースであろう、4つのベンチが行儀よく並んでいる。 
近くの茂みの前に立っている導標には上田代 標高1620m の表示がある。
『 国立公園・尾瀬 上田代標高1620m 尾瀬ヶ原 ⇔ 御池 』と記してある。

上田代を過ぎると、すぐにノメリ田代、横田代、西田代といった点在する湿原が現われる。




この裏燧を巡る山道は林道という名が付されている。
林道というのは車や軽トラックなどが通行できる、あるいはそれに準じた幅のある道路を想像していたが、この道は全くそうではなく、普通の人が通れる山道、周遊道であった。

林道(りんどう)とは、林の中に通じている道。 林産物を運搬するための道路。 森林の整備・保全を目的として森林地帯に設けられる道路の総称をいう。」

未だ自動車などが無い昔は、林道と呼ばれたものはせいぜい、人の通行が可能な程度の幅や規模のものが多かったらしく、それらの林道の一部は、現在でも登山道として使われたりハンターや釣り人、山菜取りの人に利用されていて、大多数は山林中にその痕跡のみをとどめているとしている。 
広義には、林の中に通る道はすべて「林道」と呼んでいたらしい。

即ち、尾瀬・「裏燧林道」は 所謂、昔の概念がそのまま林道として名前を残していたのだろう。


林道は、燧ケ岳の北側山麓を東西に巡っているが、山麓と言うには標高が1600以上もあり、山腹を逍遥しているといったほうが正しいかもしれない。

従って、全く水平な道がどこまでも伸びているわけではなく、全体的には起伏の激しい行程である。 
ただ、田代、湿原地帯はそれなりに平坦な道が付いていて、ホッとさせられるが、それでも田代全体を見渡すと傾斜しているのが判る。

こちら側の湿原は水平という常識を覆すヘンな形をしていて、別名、「傾斜湿原」とも言うらしい。

特に、横田代、ノメリ田代はややきつい傾斜地を横切る(トラバース)形で付いている。 
この地へ達するとまるで身体がノメル、ツンノメリそうになるため、「ノメリ」という名が付いたとか・・?。


次回、「裏燧のブナ林




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