尾瀬紀行
残雪の尾瀬・燧ケ岳登行(3)

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 尾瀬紀行(5)尾瀬 「尾瀬の環境保護」   、


一ノ瀬休憩所の直ぐ近くに片品川にコンクリートの真新しい橋が架かる。 
その真下に今にも朽ちそうな、崩れ落ちそうな古ぼけた吊橋が渡されている。

改めて気がついたが、大清水からこちらまでは立派な林道、大型車が楽に通れるほどの道路を歩んできた。 
この道は更に岩清水から三平峠の近くまで到っているらしい。
所謂、昨今開発された尾瀬にいたる観光用の道路である。

林道下部にある崩れ落ちそうな古ぼけた吊橋は、旧来の大清水から尾瀬へいたる山道に懸かっていたもので、新しい道路が開発されるに及んで、或いは、いずれ忘れられて廃道になりつつあるのかもしれない。


一方、尾瀬沼北側の会津口のルートは、現在、観尾瀬光用の道路が御池を経て、尾瀬間近の沼山峠にまで達していて、乗り合いバスも到達しているらしい。
いずれの道路も日本が誇る一大自然景観地へは一投足、目と鼻の先である。
やがて道路は、上州・片品村と会津地方とが尾瀬沼界隈で連絡され、繋がろうとしているのは必定である。


日本の自然宝物“ と言われる尾瀬に道路が開通すると、勿論、マイカー族やミーハー族(世の中の流行にかぶれやすく、敏感に反応する人々)が、わんさかと這入り込み、跳ね繰りまわって、この自然豊かな景観地や多種な高山植物群はたちまちにして踏み荒らされ、数年以内には消滅するともいわれる。

それは、片品川に架かる旧来の風情豊かな吊橋が、やがて古ぼけて朽ち、崩れ落ちてゆく様が、観光化の名の下に行われている自然破壊の縮図を見るようでもある。 


しかし、嬉しいことに、この両者の道路は結合することはなかった・・!! 。

特に、大清水よりから尾瀬沼へ抜ける車道は、一昨年の昭和46年頃から工事はストップしており、現在の状態を保持続けているらしい。
無論、これには確かな理由があり、種々エピソードもあり、幾多の人間の絡み合いが有ったことは確かである。

次回、「環境庁発足




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 尾瀬紀行(6)尾瀬 「環境庁発足」    、



昭和46年の初頭、日本の政治の中で特筆すべき事柄が起こった。 
即ち、政治をつかさどる中心の行政府・内閣の中に「環境庁」と言う新しい部署が設立されて、初代長官に大石武一氏が任命されたことであった。

その後の大石武一環境庁長官の“尾瀬に関する随想”の中から一部を抜粋してみる・・!。

『 就任から3ヶ月を過ぎた7月23日の夜のこと、友人である共同通信の記者が珍しくも見知らぬ青年を伴って尋ねてきた。 青年は尾瀬に在住する「平野長靖」と名乗った。 詳しく聞くまでもなく、平野長英君の御子息であることは直ぐに判った。 長靖君は、現在進行している群馬・新潟・福島三県に跨る観光開発道路の工事を、環境保全、尾瀬の景観を守るべきとして、中止するよう切々と訴えた。 「もし現在進行中のまま放置し、見過ごされたならば、道路は間もなく尾瀬沼の湖畔を通ることになり、それによって無数の自動車が押寄せ、入り込んできて、その結果排ガスで自然の草木は枯れてしまい、サンダルやハイヒールで湿原が踏み荒らされ、大きな自然破壊が起こることは目に見えている。 今の内何とかしなければ、天下の景勝“尾瀬”は死んでしまいます。 先ず、今の仕事をご覧ください、 大木が片っ端から切り倒され、山襞が削り取られのは、私らの身を削られる思いです。 三平峠を越えて尾瀬へ向う人々が先ず憩う、岩清水の木陰はどんなに素晴らしい想いの地であったか、 その地は既に全部伐り取られ、清冷な岩清水の水口は破壊される始末です。 自分としては最早、万策が尽きてしまったので、遂に、大臣にお願いし、期待するしかありません。 どうか尾瀬をご覧になって、そして、尾瀬を救ってください」 私は深い感銘を受けた。 そして、直ちに視察に出かけることを約束したのである。 そして私の観た尾瀬は極めて清楚に護られているということだった。 三平峠を越え、頂上を過ぎた辺りで、例の工事現場に立ったとき私の考えは決まった。 “どんなことがあってもこの工事は中止させる”、 “尾瀬は子々孫々にまで大切に残してゆかなければならない” “そのためには如何なる蛮勇を奮っても構わない” 私はこの道を下りながら、ひそかに長靖君に伝えた。 彼はただ黙って、快く頭を下げた。 東京へ戻ってから、私は直ちに三県の知事の上京を求め、そして、尾瀬を護るための相談をした。 経過中は色々な事が有り、起こったが、結局は三県知事の自発的な合意によって観光道路は根本的に計画の変更が了承され、工事は直ちに中止された。 尾瀬はこれで一応の危機はのがれ、今後は世論の支持を得て、更に積極的な保護の方向に進むことになったのである。 私は各県知事、特に群馬県の神田知事の自然への愛情と好意に深く敬意を表します。 
12月1日(昭和46年・  年)、会議中の私は秘書から一片の紙切れを受け取った。 それには「平野長靖さんが尾瀬の大雪で遭難されました」と記してあった。 「うそだ・・!!」と私は思わず叫んだ。 しかし、それは無念ながら事実であった。 自然保護に尽力した人物として平野氏の遭難を、各新聞は何れも大きく報道した。 自然を愛する全ての人々の嘆きは大きかった。 私の落胆も大きかった。 あれだけ気力に満ちた長靖君は、もう帰らぬ人となってしまった。 僕が数回の邂逅だけで、あとは心の友、思い出の友として大切にする以外、道は無くなったのである。 その後、東京の朝日講堂において友人たちの手による平野長靖君の追悼会が催された。 翌年の7月23日(一年前の昭和47年、平野氏が大石長官宅を初めて尋ねた日)、尾瀬の大江川湿原の入口にある小高い丘に、(通称・やなぎらんの丘と呼ばれている)遺骨を納めたのである。 その午後、私たちは小屋(長蔵小屋)を発って三平峠を越え、山を下りきった地点で、「ここで長靖君は亡くなったのです」と聞いて憮然とした。 ここから一の瀬小屋までは一足のところではないか、折角ここまで頑張って来たのに、何故、もう少し辛抱出来なかったのか、私はやりきれない気持ちになった。 
今年も、尾瀬は相変わらずの姿を見せ、水芭蕉の白い花が咲いていることだろう・・!。 何万人かの人々がその美景を求めて、峠を越えていることだろう。 私は尾瀬が長靖君の願い通りに、永久に清らかで、豊かな自然のままであることを祈るばかりである
。 』

次回、尾瀬は「環境保護の原点




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