尾瀬紀行
残雪の尾瀬・燧ケ岳登行(4)

  目次)          山行記録   旅と山旅   関東百名山   日本百名山 

【本文関連情報



(標題はブログにリンクします)


 尾瀬紀行(7)尾瀬 「尾瀬発・環境保護元年」  .



昭和40年代は日本の高度経済成長期にあり、天下の「尾瀬」は観光客増加によって自動車道路の建設が計画され、それが確実に、着実に実行されつつあった。

この時、尾瀬を護るべく長蔵小屋の平野長靖が初代環境庁長官に、工事中止の直訴をしている。

大石長官は平野氏の直訴を快く受け入れ、早速、尾瀬と工事現場を視察し、建設促進派の田中角栄通産相、福島、新潟、群馬の三県知事等と談判し、一時は強硬な反論を受けたが更に説得を続け、遂に建設の中止を決定させた。


この時期、「昭和46年」は、日本が高度経済する中、環境汚染や自然破壊が問題として取り上げられるようになり、行政府の中に新に「環境庁」(2001年<平成13年>庁から省に昇格)が設置された。 

更に、日本自然の特質される地域の「尾瀬」で、自然保護活動が成就した年でも有った。
この年を、「環境保護元年」とも称し、全国で環境保護活動が目覚めた年でもあった。


この年、尾瀬を護った人物として平野長靖氏が尾瀬・一の瀬近辺で遭難死したこと。 
更に、尾瀬・長蔵小屋の近くの追悼集会では尾瀬愛好者が全国から500人が押寄せたとなど、各社新聞は大きく報じていた。 

その中で、大阪から来たというある女性・・、
「 大阪の近くにはこんなところあらへん、自然を守るとはどうゆうことか、尾瀬を歩いて判ったような気いします 」

次回、「尾瀬(道路)の環境経過




【本文関連情報





 尾瀬紀行(8) 「尾瀬(道路)の環境経過」



年代 尾瀬の環境保護経過
1934年12月(昭和9年) 日光国立公園指定
1938年5月 特別地域決定
1940年1月 公園利用の一環として旧沼田街道(沼田から片品村)を福島県側へ伸長させ、県道沼田・田島線の名で車道化することを予定する
1949年10月 一部計画の追加決定。 道路は主要地方道大清水−七入線として確認される。(大清水〜三平峠〜尾瀬沼〜沼山峠〜七入区間)
1953年12月 特別保護地区に指定
1960年 3月 特別天然記念物に指定
1966年 大清水から奥の拡張工事始まる
1967年12月 厚生省は日光国立公園尾瀬地域の公園計画「尾瀬を守る計画」を決定。1949年の計画路線(大清水〜尾瀬沼畔〜七入の公園計画車道)を、特別保護地区外のルートに迂回すること指示
1970年3月 厚生省は三平峠工事(大清水〜七入線の、柳沢〜三平峠間6.1km)認可
1970年12月 柳沢〜一の瀬間、ほぼ完成。 この直後から一の瀬〜岩清水間着工
1971年6月 三平峠入口の岩清水がブルドーザーによって無惨につぶされる(小生、三平峠より尾瀬入山 好天、水芭蕉真盛り)
同 7月1日 環境庁(自然保護局を含む)発足
同 7月21日 平野長靖氏、大石環境庁長官に直訴
同 7月30日 大石環境庁長官、尾瀬視察。中止又は路線変更の意向表明
同 8月20日 神田群馬県知事、「工事中止と路線変更を検討する」と語る。
三県知事、現ルートでの車道建設断念
同 8月21日 尾瀬の自然を守る会発足。全国に自然保護運動広がる。「趣味の運動」が「レジスタンスの運動」に市民運動が転換する
同 12月1日 平野長靖氏、豪雪の三平峠で遭難死(享年36歳)。


次回、「点線国道




【本文関連情報






  目次)          山行記録   旅と山旅   関東百名山   日本百名山 
【旅のリンク集】
旅の紀行・記録集
山の紀行・記録集 山のエッセイ
「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
日本周遊紀行 (別URLです)

【日本の世界遺産紀行】 
北海道・知床  
白神山地 
紀伊山地の霊場と参詣道 
安芸の宮島・厳島神社  
石見銀山遺跡とその文化的景観 

ハワイ旅行2007
九州旅行2008
東北紀行2010
沖縄旅行2008
北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

古都鎌倉紀行
「山行リスト」 

立山、剣(天の記)(1971年)
白馬連峰登頂記(2004・8月)
北ア・槍−穂高(1968年)
上高地・明神(2008年)
南ア・北岳(1969年)
八ヶ岳(1966年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
谷川岳(1967年)
尾瀬紀行(1973年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
奥秩父・金峰山(1972年)
「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
「丹沢山塊」
「大菩薩峠」
 


スキーの記録  
「スキー履歴」