尾瀬紀行
残雪の尾瀬・燧ケ岳登行(8)

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 尾瀬紀行(15)尾瀬 「尾瀬は山か高原か・・?」  ,


数年前、はじめて初めて尾瀬に入るとき会社の先輩から、「 山家のお前が尾瀬なんかに行くのは珍しいな 」と言われたことがある。
どうも一般に“尾瀬は山のイメージではない”らしい・・?。

尾瀬の標高は1400m〜1700mあり、神奈川県に住む小生がよく行く丹沢山塊の主稜部と同等の高さがある。 
しかも、深い山域の中にあって、緯度も高くかなりの北部に属する。

尾瀬は、アウトドアブームの追い風に乗って、一般観光客(ツアー客など)も入山するようになり、この尾瀬の素晴らしい自然や風景を多くの人たちに味わってもらうことは誠に結構である。 
その反面、思わぬ遭難事故や疾病、怪我なども多発しているようである。
尾瀬に行かれたことのある人にとってみれば、“ 何で遭難なんかするの ”、“どこで遭難なんかするの・・?”というくらい木道など登山道は整備されていて、“ 安全なところ ”というイメージが強い。


水芭蕉の季節(5月下旬〜6月上旬)ともなると、旅行会社による“尾瀬ツアー旅行”なるものが大繁盛で、そんな中、情報伝達が不十分でスニーカーやハイキングシューズ、装備は軽装で雨具は無しと、尾瀬の関係者を悩ましている場合もあるらしい。

又、ハイヒールやスカート姿、はたまた木道の上を裸足で歩いている若い女の人も見受けられる。 
これは、尾瀬ツアーのパンフレットやポスターそしてガイドブック(すべてではないが)などの写真は、爽やかな晴れた日の尾瀬ヶ原の木道を歩いているものばかりであり、完全な観光地と錯覚している場合も多々あるようだ。

もし天候が不順だった場合、このような場合は観光客はとても入山不可能であり、途中で天気が急変したときなどは遭難、突発性の病が起こるのは必然とも思える。



尾瀬は完全な「」なのである。 
しかも、尾瀬は気候的にも“ 厳しい山域 ”なのである。

尾瀬は、山域的には中部山岳の同等のエリアに入り、気候もほぼ同域であり、年間を通しては太平洋側と日本海側の両方の特質を備えている。 
そのため冬は日本海側の気候の影響を強く受け、雪が多く降る。 
初雪は早い年では10月初旬に観測され、それから約半年ものあいだ雪に閉ざされる。
降雪期間中は例年2メートル以上の積雪があり、最も深い積雪量は多い年で4メートルに達することもある。


沼の氷が溶け湿原の雪が消えるのは5月中旬頃、ようやく遅い春を迎えると、植物が芽吹きはじめ、尾瀬名物の水芭蕉の季節が到来する。 

6月に入ると一月ほど梅雨の時期にさしかかり、梅雨が明け夏が訪れても、雷雨や夕立になる日が多く、換算すると半月以上も雨が降っていることになるともいう。

そして短い夏が過ぎると、しだいに気温が低くなってゆき、10月のはじめには最低気温が氷点下を記録するときもある。

こうしてみると、尾瀬は雪と雨の影響で年間の降雨量がたいへん多いことがわかる。
このように、目まぐるしく季節が移り変わる尾瀬は、特質的な気候と合わせて変化に富んだ環境にもなっているのである。


このような気候条件を加味して、再び “ 尾瀬は山か・・? ”という質問に対してだが。
よく考えてみると、 一般にわれわれの概念で言う“”とは、汗水たらして必死なって登り、登りながらも高度の変化を敏感に感じ取り、そして頂上を極めたときの満足感、周囲の大展望の充実感を得るのである。

これに対して尾瀬は高度感を感じる頂ではなく、結構、楽をして目的地に達し、ほぼ水平路を歩きながら帰路に到る。
つまり、尾瀬は“ 山らしくない山です・・! ”と答えるのも一つの見方かもしれない。


尾瀬からは至仏山、燧ケ岳という名峰が望める。
 尾瀬に山はいらない。高山植物だけでいい 」という人もいるらしい。 

しかし、これだけはそうはいくまい。 
燧ケ岳の勇姿でどれだけ尾瀬沼界隈が引き立っているか、はたまた、遮るもののない尾瀬ヶ原の西側正面に鎮座している優雅な至仏山は、その名も仏さんのように佇んでいて見る者に安らぎを与えている。

尾瀬は二つの名山を抱く名山域なのであり、この山をなくしたら平凡な湿原池塘と山間の沼になってしまうのである。

次回、「長蔵小屋




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 尾瀬紀行(16)尾瀬 「長蔵小屋」  ,



 
 残雪時の「尾瀬長蔵小屋」



長蔵小屋へ向かう湖畔から眺める燧ケ岳は、裾野を広げてどっしり聳えていて、その山様は未だ純白の世界である。

この山域に頂上目指して、一路進むことになるのだが・・!。
湖畔に沿って燧ケ岳を眺めながら長蔵小屋へ向かった。
小屋の周辺は何となく騒々しかった。

時折、物資輸送用のヘリコプターが舞い降りてきて、食料や日用品を下ろしていく。
小屋に入って朝の挨拶をしながら、尾瀬周辺の詳細MAPを求めた。 

一見、長蔵小屋の若き主人・平野長靖氏に似ている青年が応対に出て、「地図は正面で取り扱っております」と聞かされた。
長靖氏に関しては、一昨年6月この地を訪れたとき、尾瀬の自然保護に関する講話を聞かせていただいたので記憶に残っているのである。
だが、前述したようにその半年後、平野長靖氏は豪雪の三平峠で遭難死しているのである。(享年36歳)


長蔵小屋は古民家を2,3軒連結したような、古色豊かにドッシリした姿で構えていた。
尾瀬の山小屋の中では一番古い歴史ある山小屋である。

玄関が土間、内部は重厚な造りになっていて、小屋の骨組みは頑丈そのものである。
尾瀬といえば長蔵小屋という響きがあるように、尾瀬の開祖でもある平野長蔵氏が最初に山小屋を建てたのがこの山小屋であった。
尤も、現在の長蔵小屋は尾瀬沼東畔に建っているが、当初の場所は北西岸の沼尻辺りだったとも言われる。

大正年間より岳人、自然愛好者に親しまれてきた山小屋で、現在の本館は昭和9年に築造されたものらしく、板葺きの屋根や木製の建具や廊下など、黒光りして落ち着いた雰囲気が漂っている。

又、尾瀬のほぼ中央部、尾瀬ヶ原下田代十字路に「第二長蔵小屋」が建っている。
小屋は尾瀬ヶ原一帯の中心地に在り、ここを基点に尾瀬ヶ原や燧ヶ岳、至仏山に登れるほか、平滑ノ滝・三条ノ滝などの見所も近くにあり、便利な場所である。


尚、平野長靖氏の書簡や遺稿集ともいえる著書・『尾瀬に死す』(著者・平野長靖)が緻密な内容で、遭難死した翌年(1972年、昭和47年)に知人、友人達の手によって出版されている。
又、若き三代目・長靖氏の突然の訃報をはじめ、初代・平野長蔵氏からはじまる代々の歴史がドラマにもなっている。
1986年5月のNHKドラマ 『尾瀬に生き、尾瀬に死す』 出演に北大路欣也ほか・・、



宿舎の裏のほうに大きな無料休憩所が有り、そこで朝食をとることにした。
朝の7時を回った時間帯なので、さすがに小屋の中はガランとして一人のハイカーの姿も無かった。

朝食を摂りながらあらためて登山地図を眺めると、燧ケ岳への登山ルートは二箇所あり、
小屋からすぐに「長英新道」、それと尾瀬沼正面に位置する沼尻からナデッ窪のルートがあった。
どちらのルートにしようか思案したが、急登ではあろうが見通しの良さそうな・・?「ナデッ窪」ルートを選択することにした。

次回、燧ケ岳「長英新道




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