八ヶ岳:越年登山(2)
(主峰赤岳・2899m)


主峰赤岳の頂上と頂上小屋
 

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年月日 ; 昭和44年(1969年)12月29日〜昭和45年1月2日
同行者 ; 鈴木信夫氏
宿  泊 ; 赤岳鉱泉、赤岳石室小屋



山の積雪は、今年は例年並と聞いていたが、麓の様子はどうであろうか、

登山口周辺では薄っすらと積もっている程度である。 
だが、山間に入るに従って、雪の量も次第に多くのが判る。 
暫くは、林道を進むようになる。 
自動車のタイヤの跡を辿りながら、ダラダラの斜面を登っているようだ。 
足下の雪が、キュッキュッとなって、いかのも雪山、
冬山に来ているんだなーと、実感が足下から伝わってくる。 

先ずは、快適な徒歩である。


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殆ど快晴に恵まれた今度の年末年始で、山屋の各所の正月登山も好天に恵まれたようだ。

だが、正月明け1月4日付の新聞やニュースは相変わらず、冬山登山の遭難記事が載っていて、4人死亡、7人が滑落などで怪我を負った・・と。
そして、新聞の寸評は「装備は最新だが、心の装備が足らない」ともあった。

我々にも思い当たる節はなかったか・・?、
冬山装備は一応整えたものの、何せ未経験のため多少の不安があったのは事実である。
初めての冬山経験を終えて、新聞の遭難記事を見るにつけ改めて感慨を深くしたのであった。


山の経験が未だ浅い我々が、冬山を決行しようとしたのは11月の半ばであった。
何しろ何もかもが全くの未知で、装備、技術上の問題、心構えなど不安だらけであったが、どうしても何処かの雪山へ泊りがけで行きたい気持ちは相棒共に一致していた。
そんな訳で一応、「八ヶ岳」に目標をおき、それ相当の準備を進めることにした。

ウインドオーバー、防寒スパッツ、目出し帽、肝心なアイゼン、輪かんじき(橇・雪の中に足を踏み込まぬため靴の下に付けるもの)、ピッケル等々、夏山には必要ないと思われる物が、冬山には絶対的なのである。 

又、冬山に関する書物を読んで出来るだけの知識を得、「八ヶ岳」に関する多くの文献に目を通して、冬山の状況や最も効率の良いルートなどを選択しなければならない。

そんなこんなで、取あえずの準備が整い、あとは出発するのみにまで至った。 尚、登行予定についての詳細は、会社及び家のほうには知らせておいた。



12月29日・19時40分頃、25kg前後のキスリングを背負って我が家を出た。


相棒の鈴木氏と新宿駅で落ち合い、西口駅裏のお馴染みの薄汚れた食堂街で軽く一杯と夕食を摂った。

因みに、駅裏の食堂街というのは、新宿西口駅裏のバラックのような小さなカウンターバー形式の飲食街・・?で、破れた赤提灯が並ぶ「のんべ横丁」である。 
別名を、「ゴキブリ横丁」だの「ションベン横丁」だのと、いろいろ異名のあるところであるが、「思い出横丁」というのが、取り敢えずの本名らしい。 

とにかく財布の軽い呑み助の溜まり場である。


新宿というと歌舞伎町、四・二丁目、ゴールデン街と遊び所は多々あるが、ポケットが軽い身分の小生などは新宿へ遊びに行って用を済ました後は、概ね、こちらの西口駅裏あたりで一杯やるのが気兼ねが無くて気分が楽なのである。


「ちあきなおみ」の唄に・・、

♪♪・・・新宿駅裏 「紅とんぼ」想いだしてね 時々は・・♪♪、・・というのがあったが、まるでその歌そのままのような世界が、新宿西口の駅裏にはありましたね。 


今はどうなっているのだろうか・・?。





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おっと・・!、飲み屋の話じゃありませんね、山の話でしたっけ。

0時20分の岡谷行き臨時列車は、定刻、新宿を後にした。 

我等は、八ヶ岳の基点である「茅野」をめざしたが、臨時列車であり、しかもターミナルが岡谷ということもあって車内が大分空いていたのには助かった。 

乗客の殆どは正月を山で迎える登山者で、どうやらこの臨時列車もそのための手配らしい。
天気予報も、暮れから正月にかけては比較的安定しているようで、何よりも安心して列車の振動に任せて眠りに着いた。



午前5時30分、未だ明け切らぬ暗い茅野駅へ着いた。
殆どの登山者――とは言っても乗客の大部分が登山者であるが――は、ここで降りるようである。

季節柄で、当然と言えば当然なのだが、高原都市でもあり、さすがに冷気が身に滲みる。
バスターミナルは駅舎より右手にあった。 
情報だと、八ヶ岳方面への路線バスは、通常の冬季間だと「八ヶ岳農場」までしか運航してない予定であったが、幸運なことに年末年始は特別便として「美濃戸口」まで入っているらしい。 
お蔭で、1時間少々の節約が出来た。



ほぼ定員の登山客を乗せたバスは定刻の6時20分、一路、八ヶ岳の登山口へ我々を運んだ。予定よりやや早い7時少々には到着した。

ピーんと張りつめたような山の空気を胸一杯吸い込む、清清しい気分が身体に漲る。 
体調は充分のようだ・・!。 

気がつくと「八ヶ岳山荘」の瀟洒な建物が印象的である。
フンドシ・・否、靴紐を充分に締め直して、イザ・・!出発である。


山の積雪は、今年は例年並と聞いていたが、麓の様子はどうであろうか、登山口周辺では薄っすらと積もっている程度である。 
だが、山間に入るに従って、雪の量も次第に多くのが判る。 

暫くは、林道を進むようになる。 
自動車のタイヤの跡を辿りながら、ダラダラの斜面を登っているようだ。 足下の雪が、キュッキュッとなって、いかのも雪山、冬山に来ているんだなーと、実感が足下から伝わってくる。 

快適な徒歩である。


背中は大型の「キスリング」(※)である。
家を出るときは、ザックの重さと大きさに、さすがに少々の不安というか、前途多難を感じないわけではなかったが、今こうして一歩一歩前進していると不思議に思えるくらい快調なのである。

ただ、相棒の鈴木氏は、昨夜の新宿での深酒が残っているのか、やや身体が重そうなのが気がかりである。
しかし、タフで、我慢強さには定評のある彼のことである、やがて調子を取り戻すだろう。



(※)因みに、装備用のザックといえば、現在は西洋型というか、縦長の軽量合成繊繊のものが主流のようであるが、当時は綿作りの黄色いゴワゴワした、両サイドに大きなポケットを備えた幅広の物であった。
これは「キスリング」といってキャンバス製の大型ザックで、発案者であるスイスの登山用具製造業者「キスリング」氏の名前に由来しているという。

厚い木綿のキャンバス地はそれ自体に防水性があるが、さらに防水性を高めるために熱したワックスを溶かして塗布することも時には行われたという。

駅の改札を通るときなど横幅が広すぎて引っかかるので、体を横にしながら改札を通り抜けていたことから、かつてはキスリングを背負って山に出かける我等若者たちは「カニ族」とも呼ばれた。

今ではめったに使っている人を見ることがない。


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