東京薄暮地帯

Tokyo Twilight Zone

                 戸澤洋二

 

日本の人口の十分の一がひしめき合う大東京は今日も人波で溢れている。

朝夕のラッシュ時に新宿駅のコンコースを埋め尽くす人々の群れは、いったいどこからやってきてどこへ帰るのだろうか。

何が起きても不思議ではないのが大都会の特性である。人々には夫々の日常があり、夫々の人生とドラマがあるが、時には自分の常識の範疇では理解が出来ないことも平気で起きるのが大都会である。

でも、そういった不思議な現象は主観的な事象であり、第三者からみればどうということでもないことも多々ある。

つまり、自分に起きていることは全て自身の脳の中で繰り広げられているドラマであって、客観的ではないのかもしれない。

日常の中にあって、偶然という事象が織り成すドラマは自分自身で理解するのに厄介であることも多い。

これは大都会東京で起きたけっして不可思議ではないドラマのオムニバスである。

 

 

 


その一 「ギター」

 

蒸し暑い夏の夕方、松枝はめずらしく一人で立川で飲んだ。 

松枝孝雄、五十七歳、大手電機メーカーに勤務して三五年になる。

都内の大学の工学部を卒業してこの会社に入社して以来ずっと技術畑についてきたが、近年では中途半端な管理職の席に座らされて、仕事への情熱もすっかり失いかけていた。

定年まで残り二年余であり、長年勤めた会社での野望も技術開発の意欲も色あせていた。 だから、惰性で会社へ行く毎日ははっきり言って苦痛のなにものでしかなかった。

 

その日はJR南武線沿いのプライム会社のN電気に打ち合わせに行ったが、仕事は早々終わってしまい、八王子の自宅に帰るか、中野の職場に戻るか、乗り換えの立川駅のホームの端にある喫煙所でぼんやりと今時誰も吸わないハイライトを吸っていた。

昔の松枝なら当然職場に引き返して仕事を続けただろうが、今ではそんな気力もない。

とにかく蒸し暑い日だった。

 

JR立川駅のコンコースは帰宅途中の高校生や買い物帰りの主婦で溢れていた。

サラリーマンが帰路を急ぐ時間ではない。

こんな時間に家に帰っても妻に「どうしたの?」と言われることは分かっていた。

 

立川という街はJR東日本の中央線、南武線、青梅線そして多摩都市モノレールが乗り入れるハブステーションであり、かつてはぱっとしない街であったが、モノレールが乗り入れたころから駅前の開発が進み、随分と雰囲気の違った街並みになっている。

松枝は毎日自宅のある八王子駅から中央線の電車で職場のある中野駅まで通勤していたが、通過点である立川駅に降りることも、ましてや駅の外に出ることなど全く必要性がなかった。

久しぶりに降り立った立川駅周辺の変貌振りには目を見張った。気が付いたら改札を出て、夕方の人ごみの流れに乗ったまま、立川駅の南口に出たのである。

目の前には新宿アルタにあるような大型スクリーンがあり、きらびやかな映像が光っていた。歩道橋を左側に下りてゆくと、飲食店の看板が立ち並ぶビル群が出現して、まるで都心のような光景が飛び込んできた。

二〇年以上前の立川駅南口商店街しかイメージしかない松枝はまるで見知らぬ街に迷い込んだ野良猫のようだった。

「確か、市役所への通りには殆ど飲み屋の一軒も無かったはずだが」

暫らく細長い雑居ビルが立ち並ぶ通りを行ったりきたりしているうちに方向が怪しくなってきたが、やがてチェーン店の居酒屋の呼び込みに引き込まれるまま地下の階段を降りて行った。

そんなに酒は得意ではない松枝は、一杯目の生ビールは旨かったが、時間つぶしに飲み始めた冷酒の二合瓶はさすがに飲みきれなかった。

一人で飲む酒は酔いが回るのは早いの当たり前である。

 

「お客さん、お客さん、すみませんねえ」

身体を揺すぶられて、はっと目が覚めた。

気が付くと、入ったときは殆ど空席ばかりだったその店は既に満席状態で、がやがやと騒がしい居酒屋のいつもの光景がそこにあった。

隅っこのテーブルに席を取ったが、冷酒が効いて、いつの間にか居眠りをしてしまったようだ。

「お客さん、できればあっちのカウンターのほうへ移っていただけないでしょうかね? 随分混んできちゃたんでねえ」

年配の店主のような男がそういった。

「一人で四人掛けのテーブルを占領して寝ているんじゃないよ・・・」という台詞がその男の顔にしっかり書いてあったような気がした。

腕時計を見ると、もう八時近かった。

「随分寝ていたんだ」と一人ごとがでた。

ふらついた足取りで外に出ると、まだ熱気がむっとした街は人いきれで一杯だった。

駅の方角が分からない。 もう昔の立川駅南口の面影は全く無かった。

暗くなって益々街並みのネオンが輝くと、「新宿で飲んでいたんだ」と錯覚させるほどであった。

 

背広のポケットからハイライトを取り出し、火をつけて立ち止まると、目の前に小さな楽器店があった。

賑やかな居酒屋雑居ビルやカラオケビルに押し潰されるように、その小さな平屋の楽器店はまったくの場違いのような雰囲気でそこにあった。

松枝が田舎から上京してきたのは四十年も前で、学生時代からずっと中央線沿線に住んできたから、立川の大昔のことは良く知っている。

この楽器店はなんだかとっても懐かしい感覚があった。

この店は確か昔からここにあったような気がした。

もう閉店時間なのだろう、店の入り口は鉄のシャッターが半分下ろされているが、小さなガラスのショーウインドウには明かりが付いていた。

なんとなく目をやると、ブラウンの色合いも渋いエレクトリックフルアコーステイックギターがショウウインドウの中に立てかけてある。 

「え、こんな値段で買えるの?」と言うような値札が付いていた。

 

松枝が中学生のとき、ギターは欲しくてたまらないアイテムであった。

ビートルズが初めて日本に来て、武道館で来日公演をやったのは、松枝が中学一年生のときだった。

中三のときに初めて買ったギターは、六千円の川合楽器のナイロン弦がついたクラシックギターだった。千円ずつの六回払いだった。

当時、ビートルズにベンチャーズ、ビーチボーイズ・・・あげたらきりがないほど次から次へと日本へ上陸してきていた時代であった。

同級生ではエレキギターのバンドを組んでいるのもいて、松枝も憧れたが、とてもドラムセットやアンプなど、いわゆるエレキバンドを結成するための多額の費用を、決して裕福ではなかった松枝の親が出してくれるわけがなかった。

おまけに「エレキ」は不良がやる遊びと決め付けられてもいた。

当時の流行はソリッドのエレキギターで、つまりは共鳴箱のない「板」に弦とマイクがつた物だったが、結構いい値段がした。

松枝は当時でもこのソリッドのエレキはあまり欲しいとは思っていなかった。むしろ、ジャズミュージシャンのジムホールとかウエスモンゴメリーらがもつエレクトリックアコーステイックギターに憧れたが、そんなギターは田舎の楽器店では見たことがなかった。

高校生になって、アルバイトで小遣いをためて買ったフォークギターは、モーリスという国産メーカーの安物だったが、結構気に入っていた。

 

高校二年の春に同級生の正文と綾子の三人で当時流行っていたピー-ターポールアンドマリーをコピーしたフォークバンドを結成した。毎日のように三人は、放課後になると松枝の実家の離れにある部屋に集まり、レコードが磨り減るほどPPMを聴いては練習を繰り返した。

当時時折開催された市内のフォークソングのコンサートにも何度も出演したし、ローカルラジオ放送のゲストにも呼ばれて出たこともあった。

受験勉強などそっちのけで夢中になって音楽をやったときだった。でも、高校卒業と同時に、三人の人生は夫々の道へと続いて行き、バンドは自然消滅的に解散になった。

松枝は東京の私立大学へ進み、正文は東北の国立大学へ入学した。綾子は地元の女子短大へ進学したので郷里にいたから、夏休みにはまた三人で集まったこともあったが、やがて綾子は父親の転勤に伴い、短大卒業と同時に関西方面に引っ越して行ってしまい、所在がわからなくなってしまった。

 

松枝も正文も綾子が好きだった。

二人にとって綾子は初恋の女だった。

二人は互いの綾子に対する気持ちを知っていたから、彼女に手を出せなかった。綾子に対する気持ちを表すことは二人の間では暗黙のタブーだった。

でも、高校を卒業すると、松枝も正文も新しい土地での学生生活に夢中になる日々が続き、やがて高校時代の淡い初恋は時とともに過去へと流れていってしまっていた。

正文とは四十年も経った今でも一年に一回程度は銀座で飲むこともあり、また、家族ぐるみの付き合いもしていたが、綾子のその後の消息は二人とも掴めなかった。

二人は何十年も経ってから、そんな話を互いにするようになり、いつも銀座で会って飲んでも話題は常に綾子のことだった。

 

松枝はギターを随分買ったが、結局エレクトリックなギターは持ったことがなかった。

そんなギターに夢中になったのも、彼にとっては大昔の話で、あれから四十年の歳月が経って、沢山あったギターも殆ど手放してしまっていた。

気に入っていたモーリスだけは大事にいつも磨いて持っていたが、あるとき会社の後輩に呉れてしまってからもう二十年もの年月が経っていた。

 

不思議な力で引き込まれるように、明かりが道路に漏れる半分閉まったシャッターをくぐって、松枝は何十年ぶりかで「楽器店」という店の中に入っていった。

その店は楽器店ではなくて「ギター屋」だった。

つまり、ギターしか置いていない楽器店なのである。

 

一九六〇年代後半にヤマハ楽器から発売されたフォークギターは大中小三種類ぐらいあって、二万円台だったが、当時はこれが高くて松枝には高嶺の花だった。

なんと驚いたことに、そのFG-180、FG-230などのモデルが、当時のそのままの形で、その店にはずらりと置いてあった。

これだけ時代が変わって、物価が変わったのに、四十年以上前と全く同じ2万3000円の値札が付いているのは信じられなかった。

どう見ても中古品ではない、新品であるようだ。

酔っ払っているんだろうか・・・・と松枝は思った。

狭い店内には所狭しとありとあらゆるギターがラックに置いてあり、「エレキコーナー」と書かれたエリアには、フェンダーのシックなソリッドエレキが天井からたくさんぶら下がっている。

「まてよ、今のミュージシャンは『エレキ』なんて言葉は使わないんだろうなあ」「でも、じゃあ、なんていうんだろうか・・」などと頭の中で考えていた。

壁には信じられないことにビートルズやローリングストーンズ、アニマルズ、ビーチボーイズといった1960年代のグループのポスターがずらりと貼られている。それらのポスターはまるで昨日貼られたかのように色あせもせず、壁に無造作にピンで留められていた。

高級なギターは触られないように、壁際に設置された鍵の掛かったガラスケースの中に納まっている。 マーチンのDシリーズのフォークもあって、D-28は55万円の値札が付いて飾ってある。 

「昔マイク真木が持っていたのは確かD-25だったなあ」

ボブデイランも使っていたギブソンの大型フォークギターで、鳩の飾りの付いた、とても懐かしい「Dove」があり、釘付けになった。

当時夢のような憧れのギターだった。65万円の値札が付いていた。

松枝が高校生だったときのこのギターの値がいくらだったかなんて知るはずもない。おそらくもっと安かったんだろうが、当時の松枝にとっては天文学的な金額であっただろう。

65万円と言うギターの価格は現在でも高額には違いないが、既に二人の娘を嫁に出して、家のローンも払い終わった今の松枝には出しても生計が狂う金額ではない。

 

ガラスケースに立ち止まってマーチンとギブソンに見入っていると、ふと背後に人の気配を感じた。

振り返ると、人の良さそうな初老の男が立っていた。

「どうですか、マーチン、やっぱりいいですよねえ・・・・」

ここのご主人であった。歳は松枝よりは少しばかり上のようだが、白い口髭が似合う、いかにもミュージシャンらしき風貌の人である。

「すみません、遅い時間に・・・もう店じまいですよね。 ちょっとおもてにフルアコがあったんで、中にいれさせてもらいました」

「いやいや、ごゆっくり、いつまででもどうぞ。 マーチン弾いてみますか?」

「え!、と、とんでもない、それより、表にあるフルアコ見せてくれませんかね」

「いいですけど、あんなのギターじゃあないですよ・・・」

「ギターなんて、今も昔も値段はあんまり変わっていないんですよ」

「そうみたいですねえ・・・ヤマハの昔のフォークがおんなじ値段ですねえ」

「ええ、まあそうですねえ・・・」

「マーチンは触ったことがないから知らないけれど、あのヤマハが出て、最初にローコードを鳴らしたときの中低音の広がりにはぼくも唸りましたよ」

ステラデイバリウスじゃあないけれど、ギターもバイオリンも同じ木で出来た弦楽器である。百年経っても、保存がよければ、音色は変わらないのである。

「へえ、フォークやっていたんですか?」

「いやあ、グループサウンズの成れの果てですよ」

実際にはそうではないんだけれど、酔っ払っている上に、そのほうが気がきいているような気がして、松枝は場の雰囲気で口からでまかせを言った。

「ときどきね、お客さんみたいな背広姿の人が来て、話を聞くと、昔有名なバンドのメンバーだったりしますね」

「で、懐かしくてギターを買って帰られる方がいますよ」

「アコーステックは持っているんで、エレクトリックのジャズギターなんか欲しいなあとは思っていたんですよ」

「時々週刊誌とかの裏表紙に、『アンプ付きセット』とかで安い値段で載っていますよねえ」

「ああ、表においてあるやつは全くその手のやつですよ」

「お客さんなんかが買う代物じゃあないですよ」

「ちょっと、こっちへいらっしゃいな」

と言って、店の奥のほうに案内される。

 

途中の数段ほどの階段を降りて、半地下になった奥に通されると、そこにも沢山のギターが並んでいて、フルアコがずらりとおいてある。

とても懐かしい弦楽器特有の塗料と木の香りが狭い地下室に満ちていた。

「このあたりのものなら、どれも結構いい音しますよ」

さりとて、どれも結構な値が付いているではないか。

ざっとみると、ブラウンのぼかし塗装を施したものが多い中で、一本だけ明るい色の少し小ぶりのがあった。

取り出してみると、エピフォーンのもので、メイプルのボデイ色がまぶしくて、ネックの貝殻細工がとても美しい。

エピフォーンといえば、ビートルズがこよなく愛した歴史あるブランドではないか。

大昔はギブソンと肩を並べていたけれど、その後外国で粗悪品を生産して評判は落ちているらしい。でも、松枝にとってはエピフォーンといえば、ビートルズがオーバーラップする憧れのブランドでしかない。

「お客さん、さすがに眼の付け所がいいね、これはエピの16インチのクイーンと言うやつで、特にこれはジョーパスのレプリカモデルで限定版なんですよ、ほら、ピックガードにサインが入っているでしょう、シリアル番号が付いていて、日本にはそうは沢山ないと思うよ。 これはね、先週ぼくが一本だけアメリカから取り寄せたやつですよ」

見れば、確かに、メイプルのボデイに似合ったべっ甲模様のこげ茶のピックガードとネックのボルトカバー部分にも、かのジャズギターの大御所、「Joe Pass」のサインが白文字で入っている。

16インチというのは確かにちょっとだけ小ぶりで、なんだか持った感じが凄くよい。

「はい、どうぞ」と言って、主人が椅子を持ってくる。

弦を確かめると、なんと殆どチューニングしてあるではないか。

ざらーんとハイコードを鳴らすと懐かしい音が狭い地下室一杯に広がった。

フルアコのボデイだから、一応十分な音が出る。

「ちょっと待って、お客さん」と言って、主人は黒いアンプケーブルを持ってきて、松枝が抱えたエピフォーンのボデイに銀色したジャックを挿した。

後方に置いた大きなアンプから「わわーーーん・・・・」と余韻が響いてきた。

 

街角でばったり出逢った昔の恋人を抱いているような気持ちになり、松枝の胸は高鳴った。

ピックを借りて、一番弦の高音から始まる「黒いオルフェ」のイントロを弾いてみる。

一部分だけを指が覚えていた。

なんとも酔った脳みそが溶けてしまいそうな音がスピーカーから流れ出てきた。

「なかなかいいじゃないの」主人がおだてる。

 

結局、散々ギターを見せてもらって、その店には小一時間いたが、「また来ますね」と言い残して松枝はその店を去った。

その晩、松枝は家に帰ってからも店で触ったギターの感触と匂いと、そして音色の余韻に浸っていた。

もう、心はまたギターを一本買うことに決まっていた。

でも、あのエピフォーンのフルアコか、はたまた一生に一度の買い物としてギブソンを買うか、それだけを迷っていたのである。

PCを開けて、インターネットで「ギター」を検索してみた。

確かにダーブやD-28は今でも特殊な市場で売り買いされていることが見てとれたが、大手楽器店に置いてある代物ではないようだった。

不思議なことに、店で音を出してみたエピフォーンの「クイーン」というモデルがエピフォーンのカタログの中には見当たらない。

ずっと奥のほうページに1960年代のモデルが参考に並んでいて、その中の製造中止の製品群のなかに出ている。

「店の主人は、先週取り寄せたばっかり、と言っていたのになあ・・・俺が鳴らしたのは四〇年以上も前のギターか」

なにかとても不可解な気持ちになった。

「又来週行って見よう」と、PCを閉じた。

 

翌週突然の出張になって、ニューヨークに飛んだ松枝は、仕事帰りにマンハッタンの49番街の古い街並みに佇む楽器店にいた。

ああいったギターが本国の米国ではどういった価格なのか知りたかった。

その店は、外側からのクラシックな印象と店内の印象は全く違っていた。

店内はパンクなミュージックで溢れていた。ここにも沢山のギターが置いてあった。

店内には見たこともない胴体がスケルトンのエレクトリッククラシックギターとか、極彩色のソリッドギター、ネックに弦巻きのないギターとか、松枝の見知らぬ世界が展開されていて驚いた。

立川の店に入ったときは何も違和感がなかったが、ここは異次元の世界であった。

「いや、待てよ」

松枝はようやく認識した。

「この店が普通の店で、あの立川の店はなにかおかしい・・・」と。

自分があの店で全く違和感を感じなかったのは、四十年前となにも変わらなかっただからだ。

 

「ギブソンのダーブはないのか?」

けばけばしい格好の金髪で長身の店員に尋ねてみた。

「え、ダーブ? ギブソンのフォークか?」

「そういや、大昔そんなのあったかもしれんなあ」

「どこに行けば見つかるかな?」

両耳からギターの形をした金色の大きなピアスをぶら下げたその若い男は、にたっと笑うと、

「今夜シャベルを持って、セントラル墓地の地面を掘ってみろ、そうすればお前の探しているものはきっと見つかるだろう」と言った。

こういう答えが日本で返ってきたら、殴ってやろうかという気になるが、英語でさらっと言われると、にっと笑うしかない。

OKI’ll do that. (よし、やってみよう)」

You’ll join me tonight ? (お前も今夜付き合うか?)」

と突っ込んでみる。

No thanks, Sir.

I’m gonna Yankee Stadium to meet Matsui together  with my girl friend this evening. (今夜は彼女と松井を見に行くんで、すみません、だんな)」

という丁寧な返事で切り返されてしまった。いかにもアメリカ人的である。

とにかく、ここにもそんなギターは売っていないことがわかった。

 

松枝は結局二ヶ月余りも米国に滞在した。当初二-三週間の予定で出発したのだが、カンザス州の協力会社の新規事業立ち上げは思ったより難航し、支社のあるニューヨークとカンザスを毎週のように往復し、日本との調整をしながら現地での技術支援に奔走した。

ようやく帰国したのはすっかり秋風が吹き始めた十月も終わりであった。

久しぶりに中野の本社に出社した初日の夕方、松枝はまた立川駅南口の雑踏の中にいた。

「おかしいなあ・・・確かにここら辺だったがなあ・・」

松枝は戸惑っていた。

もうかれこれ四十分以上は歩き回っただろうか。いくら賑やかになったとはいえども、たかだか駅前だけの開発である。四、五分も歩けば何もない昔の立川の街が現れる。

そんなに複雑な場所でもなく、通りが何本もあるわけでもないのに、あのギター屋が見つからないのであった。

小さな空き地が二つほどはあったが、「こんなところじゃあないしな」と否定した。

空き地というのは毎日通っているところでも、空き地になったとたん、そこに以前は何があったのか思い出せないものである。

「このあたりに楽器屋があったんだが、知らないか?」

ビラを配っている男達に聞いてみたが、誰に聞いても「知らない」という。

 

どうにも不思議だ。 あのギター屋はこの立川の街から忽然と消えてなくなってしまっていたのである。

松枝は考え込んでいた。 

「あれは、幻覚だったんだろうか? タイムスリップというやつだったんだろうか・・・・」

確かにあの八月の蒸し暑い晩、半分閉まったシャッターをくぐって入った空間には、どう考えても理解できないものばかりが並んでいた。

やはりあそこは異次元の空間だったのだろうか。

松枝は鉛色に沈んだ空を見上げて、困惑するしかなかった。

 

帰宅してから、またまたインターネットで立川南口商店街や楽器店関連のサイトをチェックしてみたが、どこにもあのギター屋の存在は、気配すらも感じられなかった。

電話帳で調べようともしたが、そういえばあの店の名前を確認してきていなかったことに気がついた。

電話局の番号案内に電話してみた。

「立川駅南口の柴崎町か錦町あたりの楽器店を探しているんですが・・・すみません、その店の名前はわからないんです」

「少々お待ちください、『楽器店』でお調べしますので・・・」

女性のオペレータが対応してくれた。ややあって、

「お待たせしました、駅ビルのグランディオの五階には『山際楽器店』がありますが・・・」

「いや、街中の小さい店なんですが・・」

「立川市柴崎町、錦町、曙町にはお届けになっている楽器店はありませんねえ・・・」

「そうですか」

どうにも理解が出来なかった。

確かに酔っていたから、あの店は立川じゃなくて、別の街だったんだろうか。

あるいはあの居酒屋で居眠りしていたときに夢を見ていたのだろうか・・。

いや、そんなはずはない、今夜の街並みはあのギター屋以外はしっかり記憶がある。

すっかりあのギブソンのダーブを買う決心をして、久しぶりの職場の同僚の誘いも断って立川に飛んできたのに。

あのギターが売れてしまったというならいざ知らず、店が忽然と消えてなくなってしまったのには参った。 

でも、「消えてしまった」というより、「最初からあそこにはなかった」と考えたほうが自然な気もした。

「一体あの店はなんだったんだろうか?」 松枝は途方にくれた。

 

「ギブソンダーブ」でまたインターネットを検索してみる。

特殊なビンテージ品を扱うバーチャルショップが販売していたが、あの店で見た六〇年代のものは百万円を超えた金額が付いていた。安い物もあったが、それらは比較的新しい年代の製品のようだった。

 

ヤフーのオークションをチェックしてみた。

「ギター」で検索をかけると、沢山のギターが個人や業者から出展されている。

ギターのオークションだけでも相当なページ数を占めていたが、何ページかを閲覧してゆくと、一本のギターが松枝の手を止めた。

「MORRIS W-160 1965年製 程度上」とのタイトルで売りに出ていた。

マウスで小さな写真部分をクリックすると、とても懐かしい大型フォークギターの写真が画面いっぱいに出てきた。

それは忘れもしない昔大事に使っていたあのモーリスと同じモデルだった。

社会人になって、所帯を持って、仕事が忙しくて、娘達も小さくて、住まいも手狭で、あの大型ギターは置き場もなく邪魔な存在だった時代に、たまたま飲んだ帰りに自宅のアパートにつれてきた新人の部下が「欲しい」というので、簡単に呉れてしまったギターだった。

呉れてしまったことに当時は特に後悔も何もなかった。

 

突然のように、四十年前のあの光景が松枝の脳裏に蘇ってきた。

正文と綾子と三人で、毎日毎日離れで練習をした。

正文が弾くウッドベースが離れの小さな部屋の窓ガラスを振動させた。

スリーフィンガーピッキングで弾くスチール弦のモーリスの音が軽やかだった。

左指がフレットをスライドするときの「キュキュ」という音、綾子が流れるような英語で歌うピー-ターポールアンドマリーの「In the Early Morning Rain」のアンサンブルが松枝の耳の奥底から流れ出てきた。

 

季節のよいときには小高い丘にある公園の東屋に集まって真っ暗になるまで練習をした。

秋には公園の森は真っ赤に染まった。

丘の頂上に一本だけそびえ立つ銀杏の樹は黄色に染まり、あたり一面を黄色の絨毯で敷き詰めた。

暗くなって自転車の後ろに綾子を乗せて家まで送っていった。

錦絵に染まったトンネルの中を、落ち葉を巻き、風を切りながら坂道を下っていった。

夏にはヒグラシの合唱が後から追いかけてきた。

春に海沿いの堤防を走ると沖合いの漁火が綺麗だった。

幼いときから毎年見ている光景なのに、綾子はいつも「綺麗ね」と言った。

後ろに乗った綾子が腰に両腕を絡めると彼女の体温が伝わってきた。

 

高価なギブソンよりもこの65年製のW-160をなんとしても手に入れたいという衝動が松枝を今突き上げていた。

その出品は明らかに個人のものであり、「5千円」の価格が付いていて、締切日は明後日の午前零時だった。

当時でもたかだか一万六千円のギターであり、特にブランド品でもなく、こんなものを落札する物好きは自分ぐらいだろう、と松枝は考えていた。 とりあえず六千円の応札金額を「タカ」というハンドルネームを使ってパソコンから打ち込んだ。

翌日、帰宅してまたPCをあけて、昨夜のギターの価格の状況を見てみた。すると、ハンドルネームが「マッキー」という人が六千五百円の値段を付けて落札権利を握っている。さすがに全国規模のインターネットだから欲しい人は他にもいるもんだと、感心した。

即座に七千円の金額を入力した。

松枝はその晩も寝る直前に競りの価格チェックしたが、やはりライバルは一人だけで、またまた彼が八千円に値を吊り上げている。とりあえず九千円の金額を入れて、高値を自分で更新しておいた。

最終日の明日の競争価格の状況次第と思っていた。

 

翌晩また見てみると、やはり「マッキー」さんが九千五百円で高値を更新している。

締切時間が深夜十二時なので、ぎりぎりの時間に五百円差で落としてやろうと、十二時五分前に目覚まし時計をセットして、一杯飲みながらいつものように好きなモダンジャズを聴いていた。

大体こういったオークションは締め切りぎりぎりの攻防がスリリングなのである。

 

二人の娘が嫁いでこの家を出て行ってしまってからは、妻の洋子と二人きりになってしまい、帰宅してからも家の中は静まり返っていた。

夕食が終わって夜も九時を過ぎる頃になると、夫婦には夫々の時間がはじまる。

洋子は以前長女が使っていた部屋を占領してアトリエにして、昔やっていた油絵を最近また始めて夢中になっていた。松枝は次女の部屋をリスニングルームにして、毎晩クラッシックやモダンジャズを聴くのが楽しみだった。

松枝は高校時代に夢中になったバンドは大学に入ってからは止めてしまっていたが、ジャズを聞くのは好きだったから、レコードは沢山買った。最近ではクラッシックも時折聴くようになったのでCDも増えてはきたが、基本的にはアナログレコードにこだわっていた。

やはり、ターンテーブルで回るレコードにそっと針を落とし、「さー」という針がレコードの音のない溝を滑って行き、そして音が出てくるプロセスが好きなのだ。

CDの嫌いなところはいきなり音が出るところである。

 

オンザロックのグラスの氷が溶けて「カシャ」と音がした。

目覚まし時計が「ピピピ・・・」と鳴った。

入札価格を確かめようとPCの机に向かい、そのオークション画面を開いてみると、「このオークションは締め切られました」というメッセージが出ていて、「マッキー」さんが九千五百円で落札している。

「え、なんで?」

と、松枝は驚いたが、セットした目覚まし時計が十分ほど遅れていたことにやがて気がついた。

 

PCの画面にはW-160の写真が残っていた。

どうしても欲しかった。

うっかりミスをした自分に腹が立った。

暫く、どうしようかと考えていた。

ギターのオークションのページを隅から隅までくまなく見たが、モーリスのギターは今でも販売している普及型のW-130は何台も出品されてはいたが、四十年前にわずか千台ほど生産して製造中止になったW-160はどこを探しても見つからなかった。

また、オークションが終了した画面に戻ってよく見てみると、落札者の「マッキー」さんのメールアドレスを見ることが出来た。

どうせ、こんな古いギターなんかたいした価値があるとは思えないし、「私に譲ってくれませんか?」という交渉のメールを出してみよう、と松枝は考えた。

駄目もとである。

そう思うと早速その場でこんなメールを書いた。

 

マッキー様

突然のメールで失礼します。

東京の八王子市に住む「タカ」と申します。

今夜ヤフーのインターネットオークションで貴方様が落札されたギター、モーリスW-160 についてのお願いです。しばらく私の話に付き合ってくださいませんか。

 

私は新潟の海辺の田舎町で生まれ、高校までそこに住んでいました。新潟市に近い小さな町ですが今は過疎化して当時よりも更に田舎になってしまった町です。

あ、すみません、当時というのは、もう四十年も昔の話です。

その当時高校生だった私はアルバイトでお金をためてフォークギターを買いました。モーリスW-160というギターでした。

そうなんです、今夜貴方様が落札されたそのギターと同じモデルでした。

一昨日、オークションで偶然発見して、懐かしくて涙が出そうにさえなりました。

三日間貴方様と競いましたね。どうしても欲しかったのですが、ちょっと貴方様に遅れを取ってしまい、そちらに権利が行ってしまいました。

当時、私は高校二年から三年生の二年間、同級生の仲間の二人と組んで当時流行っていたフォークバンドを結成していました。

結構夢中でやっていたんです。今では頭も白くなってしまいましたが、ぼくにも青春があったのです、いやはや、死語ですね・・・でも他に言葉が見つかりません。

今では連絡先もわからなくなってしまいましたが、当時一緒に毎日練習した同級生の女の子は初恋の人でした。 好きでたまらない娘でした。

すみません、この歳になると懐古趣味です・・お恥ずかしい・・お笑いになってくださいね。

そのギターもいつしか手放してしまい、何十年もギターも音楽もやっていませんでしたが、ひょんなことからギターが欲しくてネットを見ていたら、この懐かしいモーリスが売りに出されていたんです。だから、どうしても欲しくて、落札できなったことがとても悔やまれます。

今夜、他のサイトも含めてW-160がないかどうか必死で調べましたが、ありませんでした。

あのギターは高級品ではありませんが、あまり生産されなかった製品のようです。それにあのギターはぼくにとってはとても大事な人生の一ページなのです。

自分のは二十年ほど前に手放してしまいましたが、こうして目の前に現物が現れてみると、どうしても欲しいのです。

乱暴な話で大変恐縮ですが、出来るならば、私に譲っていただけないでしょうか?

金額は貴方様のご希望の金額で構いません。

何卒どうかご検討よろしくお願い申しあげます。

ご連絡をお待ちしております。長々とすみませんでした。

草々

八王子市 松枝孝雄

 

開け放した玄関のドアから気持ちの良い風が秋の気配を運んできていた。

「こんちわー、宅急便です!」

玄関先から元気な男の声がした。

牧野綾子は洗濯物のカゴを床に下ろすと、急いで玄関に行き、届いた大きな荷物を受け取った。

居間に運び、急いで荷を解いてみると、きれいに梱包されたダンボールの箱の中から一台のべっ甲色の大型ギターが出てきた。

先週偶然インターネットオークションで見つけて、綾子が落札したギターだった。 

ボデイ中央の丸穴から内部を覗くと、ギターの内部に貼られたラベルには『MORRIS W160 1965』と印刷した文字が見えた。

もう四十年以上も前に発売されたフォークギターだったが、不思議なくらい程度が良くて、ボデイに殆ど傷もなく、随分と大事にされていたギターのようだった。

「へえ、なつかしいなあ」

と言いながら、ギターの裏面をひっくり返して見て、綾子は一瞬息を止めた。

茶色の木目も美しい裏面に貼られた「VAN」ジャケットの丸いステッカーには明らかに見覚えがあった。 

そしてそのステッカーの横に「Takao Matsueda」の文字が小さく、そして丁寧に刻んであった。

信じられなかった。

 

綾子の亭主の牧野雄二は、テナント店の看板を業者が来て取り付け作業をやっているのを通路から腕組みして見上げていたところだった。

看板には「Mackey’s Vintage Guitars」の飾り文字が見えた。

市内に電車の駅がなくて、東京の「陸の孤島」とまで言われた東京都武蔵村山市の日産自動車村山工場の跡地に突如として出現した巨大なショッピングモール「ダイアモンドシテイ」は4000台の駐車場を擁してもうじきオープンの予定だった。

各階を吹き抜けにする回廊方式で、最近流行りの造りのショッピングモールには、沢山のテナント店が開店準備中で業者が走り回り、活気に溢れていた。

 

「いいお店ね、ゆうちゃん」

「素敵な看板じゃない」

「私の言うとおりにして良かったでしょう? あんな立川のぼろ店捨ててきてさ」

「第一、あそこはもう酔っ払いしか来ない場所になっちゃたのよ」

雄二は黙って、綾子の言う事に頷いてはいたが、四〇年余りも共に生きてきた店がクレーンで潰されてゆく様がいまだに瞼に焼き付いていて、複雑な気持ちであった。

すっかり片付けられ整地された空き地は、車がようやく一台駐車できる程度の空間でしかなかった。

綾子は持ってきたモーリスW-160を装い新しい店内の端に陳列した。

雄二は目ざとく見つけて、意地悪そうな目で笑って、綾子に言った。

「おや、ご執心のモーリスですな」

「なあに、ご執心ってさ?」

「知ってるよ、これって、君が高校生のときに、PPMのバンドやってた時の君の彼氏が持ってたやつと同じモデルだろ?」

「え、何でそんなこと知ってるのよ」

「ずっと昔に君が大事に持っていた写真に写っていたよね」

「大昔のことよ・・」

綾子はそういって、大事なものを扱うようにモーリスの肩に優しく触れた。

 

同じモデルどころか、綾子が好きで好きでたまらなかった孝雄の愛用のギターそのものであることを雄二には言いたくなかった。

「はいはい、そうでしたね、じゃあ、特等席に置かなくっちゃあね」

「いいわよ、ちょっと、触らないでよ・・・これはわたしのよ」

 

翌日綾子が店に出てみると、高級ギターが並ぶガラスケースで閉じられたビンテージコーナーの隅っこにそのモーリスは置かれていた。

「非売品」という張り紙の横に、茶色の枠の小さなフォトケースが白木の三脚に載せられて立てられていた。

中にはセピア色に変色した白黒写真が一枚入っていた。

ギターを抱えた長身でアイビー刈りの二人の少年とその間に挟まって、まだ幼さが残る小柄で長い髪の少女が写っていた。

新しい店のなかにもギターのどこか懐かしい匂いが満ち溢れていた。

 

その日綾子は久しぶりに自分のパソコンのスイッチを入れた。 殆ど必要のないとき以外はパソコンを開くことはなかった。

メールをチェックすると、「W-160」というタイトルのメールが一通着信していた。

日付を見ると先週送られたものだった。

長々としたメールだったが、最初の五行を読んで「もしかして・・」という予感は最後に付けられていた署名で現実であることが確認できた。

昨日のW-160が孝雄のメールも一緒に綾子のところへ運んできてくれた。

信じられないことが二日連続で起きた。

 

松枝は先週の夜半に「マッキー」さんに送ったメールの返事が届いていないかと、毎晩帰宅してからパソコンのメールをチェックしたが、一週間経っても返事は来なかった。

「やっぱり、書いた内容がくだらなかったかなあ・・・」

「多分、譲ってくれる気がないんだろうなあ・・・」

と諦めていた。

インターネットの相手というのは、年齢も性別もわからないことが多いが、なんとなく自分勝手にイメージを作り上げてしまうことがある。

松枝もこの「マッキー」さんはきっと自分と同年代を生きてきた男だと思いこんでいた。

その晩もまた、PCを開けてメールをチェックすると、「Re W-160」というタイトルの先週のメールの返信が入っていた。

 

松枝孝雄様

 

マッキーこと牧野綾子と申します。

メールのお返事が遅れましてごめんなさい。

 

孝雄の告白は遅すぎましたね。

四十年もの時空間を飛んで貴方のラブレターが今夜届きましたよ。とっても嬉しかった、ありがとう。

あのころこんな風に気持ちを言いあっていたら私たちはどうなっていたのでしょうね。

人生は面白いものです。

きっとあなたもそうでしょうが、私は十代も二十代も三十代も四十代も夢中で生きてきましたし、夫々の時代の自分が好きでしたよ。そして今の五十代もゆったりと時間が流れていって素敵な毎日です。

現在も将来もそして大昔のことも私達の大切な人生ですね。

だから、偶然インターネットであのモーリスを見つけたとき、私も女子高校生にタイムスリップしたのでした。

あなたと一緒の青春がありましたよね。

「青春」っていい響きの言葉です、私は好きですよ。きっと娘は馬鹿にするでしょうけれどもね。

そうそう、先月長女が出産して、私も正真正銘のおばあちゃんになってしまいました。

あなたのほうはどうなのかしら?

昨日あなたのモーリスが私のところに届きました。

オークションで見つけたとき、孝雄が持っていたのと同じモデルだとすぐ気がつきました。

結構珍しいギターですもの。

実は私はギター屋さんやっているんですよ、プロです。

いえ、ギター弾きじゃなくって、ギターを売っているお店をやっているんです。 

立川で四十年も主人がやっていたギター屋さんでしたが、先月たたんで、来月オープンする武蔵村山市のダイアモンドシテイの四階に新装開店の予定です。

でも、これが昨日届いてみて、貴方のギターだと知ったときは本当に驚きましたよ。

ちゃんと「VAN」のステッカーも四十年前とおなじで、変色もなく貼られていたのは信じられませんでした。

孝雄の名前もあのときのまんま刻んでありますよ。

そして、今夜は貴方からラブレターも届くなんて、本当にびっくりです。

多分このメールを読んで、今度は貴方が驚いている姿を想像するとわくわくします。どんなおじ様になったのかしら?

 

高森山の丘はどうなっているのでしょうか? 

新潟にはもう三十年近くも行ったことがありません。

毎日三人で練習しましたね。

私もあなたのことが好きでした。

毎晩自転車で家まで送ってくれましたね。

あの時間が嬉しくて練習に参加していたんですよ、知らなかったでしょう?

でも、もう、大昔の話ですね・・。

ところで、もう一つお知らせがあります。

これも偶然なんですが、実は来週の十一月の三連休に本当に久しぶりに新潟に行く予定です。

智子達と同級会をやることになっているんです。

正文と一緒に参加できませんか? 絶対来ますよね。

じゃあ、来週の十一月三日の正午に高森山公園の四十年前のあの場所で、あなたのギターを持って待っています。

あの頃のように公園の丘は真っ赤に染まっているのでしょうか?

あの丘の上の銀杏の木は今でもあるのでしょうか?

とても楽しみです。

またあの銀杏の木の下で、サンフランシスコベイブルースを三人で歌ってみましょうか?

私はまだちゃんと歌詞を全部覚えていますよ。

あのときのように貴方もギターを弾いてくださいね。

綾子

 

松枝は、何度も何度も綾子からのメールを読み返していた。

届いたメールは自分にとってあまりにも唐突過ぎた。

人生には予測していなかったことが突然現れると、人は理性を失うのかもしれない。目の前に出現した現実が簡単には理解が出来なかった。

 

古いジャズレコードがぎっしりと並んだラックの端っこを探ると、ジャケットが剥がれて朽ち果てたピーターポールアンドマリーの古いバーブレーベルのLPアルバムが出てきた。

中には結構手入れが良さそうに見えるレコードが入っていた。

ターンテーブルに乗せて、A面の三番目の曲にそっと針を置いた。

四十年も前の事なのに、この曲がそこにある事を忘れていなかった。

「じじー」と傷んだ溝をレコード針が走ると、やがて4ビートのウッドベースのソロのリズムをJBLのスピーカーが繰り出した。

San Francisco Bay Blues のハーモニーがアップテンポで流れ出てきた。

 

「ギター 完」


その二 「煙草」

 

梅川は今夜も駅からいつもとは違う道を帰ってきた。

このアパートに引っ越してきてようやく一週間が経ったばかりだから、駅から帰る道順は毎日のように変わる。まだ理想的な道順が見つかっていないのだ。

職場のある渋谷からJR山手線で五反田駅に出て、東急池上線に乗り換え、十分ほどでたどり着く御嶽山(おんたけさん)という小さなが駅が梅川の新しいアパートのアクセス駅である。

東西に長い東京都の南側は、東京湾に注ぐ多摩川の流れが東京都と神奈川県を分離していて、世田谷区、目黒区、品川区、大田区といった区が東京湾に向かって広がっている。

この地区にはJR渋谷駅を始点とする東急東横線、東急田園都市線をはじめ多くの東急電鉄の路線が走っている。

東横線、田園都市線が神奈川県のベッドタウンから都心へと、勤め人を大量輸送する主要幹線とすると、渋谷駅と同じJR山手線の駅である目黒駅から出る東急目黒線、五反田駅からの東急池上線、そしてこの二路線を横断する東急大井町線は、多摩川を渡って神奈川県まで越境しない路線であり、東京都大田区内で路線が帰結する東京のローカル線とも言える。

東急池上線は、JR五反田駅を起点として一四の駅を通過してJR京浜東北線の蒲田駅までの全長わずか十キロの電車路線であり、四両編成で走る電車も朝晩のラッシュ時でさえそうは混雑しない。

「御嶽山」という大都会にはなんだか馴染まない名前の駅は大田区の中央部にあって、都心にも近いが、随分と下町である。

 

梅川哲也は、業界中堅のソフトウエア作成会社のエンジニアである。

地方の工業高校を卒業して上京し、一年間は川崎にある家電メーカーの製品組み立てラインで働いていたが、元来コンピューターが好きで、ソフトもハード得意だったから、思い切ってその会社を退社し、神田にある「東京コンピューター学園」という専門学校に通いながら請け負いソフトのプログラマーをやっていた。

昨年この専門学校を卒業したのを契機に、以前から誘いのあった今のソフト会社に入社したのであった。

今日は一ヵ月かけて作った自動機用の大型制御ソフトを客先に納入して、動作も十二分に確認し、先方の社長からもお褒めとねぎらいの言葉を戴き、高揚した気分で早々帰ってきた。

このところ連日徹夜状況で、二、三日ろくに寝ていない。

ソフトウエアの設計開発は個人能力によるところが大きく、出来高勝負で請負的な契約になっていることが多い。

梅川の場合も毎日決まった時間で拘束される社員ではなく、給与は最低限だけが保証されているだけで、基本的には「歩合制」になっている。

つまりは「結果」だけが勝負の「必殺請負仕事人」である。 結果を出さなければ、会社側が解雇しなくても本人の収入が無くなるので、辞めざるを得ない契約であるが、逆に評判がよければ、引っ張りだこになって、仕事は次から次から舞い込むのである。

そういったことから、決まった時間に出社するわけでもなく、また、休みも不定期、つまりは本人次第ということである。

一見気楽なように見えるけれども、非常に不規則な日常であり、若いときにしか出来ない業ともいえる。

梅川はこういった業界の中でも新人ではあるが、立て続けに「いい仕事」を完成させたことからも社内外の評判はすこぶるよかった。

 

「今夜はビールでも呑んで早く寝よう、明日は遅出だし、ゆっくりしよう」

そんな事を思いながら、商店街を抜けて路地を左折する。

「こっちのほうが多分近道のはず・・」などと思いながら、ジーンズのポケットから煙草の箱を取り出し、マイルドセブンを一本引き抜いて火をつける。

ふーっと煙を吐き出すと、このところの疲れが思い出したかのようにやってきた。

迷路のような細い路地を進むと、突き当たりはちょっと広くなっていて、二町目の公民館があった。

板壁の白いペンキがあちこち剥がれ落ちた二階建ての木造で、緑色に錆びた青銅板葺きの屋根が大昔の小学校を思わせる随分古びた公民館だが、この街にはもっともだといった感じの建物である。

手前の舗装もしていない砂利敷きの駐車場にキャンバステントが張ってあり、テントの両脇に大きな提灯が二つ柱に支えられている。テントの中のテーブルに向かってたくさんの人が行列をしている。

どうやら、通夜のようだ。 町内のどなたかがお亡くなりになったのだろう。

「この土地の人間じゃあないから関係ないし、正直言って嫌なところを通っちゃったなあ・」と梅川は思った。

下を向いて通り過ぎ、公民館の角の路地を右折しようとすると、角に誰か立っていた。

白っぽい浴衣のようなものを着た老人で、うつろな目をして公民館の方向を呆然として見ている。

ささっと通り抜けようとしたときだった。

「もしもし、すみません」

その老人が梅川に声をかけた。

「は? なんでしょうか?」

「あのう・・・大変恐縮なんですが・・・・あのう・・・」

「はあ? なんですか?」

「あのう・・・ちょと火を貸していただけないでしょうかねえ・・・」

「ああ、いいですよ」

と言って、梅川はくわえ煙草のまま、ジーンズのポケットからシルバーのジッポを出して、差し出す。

「あのう・・・」

「は? なんですか?」

「いや・・・良く考えたら、私ね、煙草もっていなかった・・・・・・・」

全く、ぼけ老人じゃねえか・・・・めんどうくさくなって、梅川は

「これでよかったらどうぞ」

と言って、マイルドセブンの箱から一本を少し引き出して、老人に薦めた。

老人は、とてもうれしそうな表情になり、

「いやあ、ありがたい、すみませんねえ」と言う。

マイルドセブンをくわえた唇になぜか色がない。

ジッポをこすってやって火を近づけると、老人の顔は随分と蒼白である。

あんまり具合が良くなさそうだった。

「煙草なんか吸って、大丈夫なんですか?」

哲也は心配になって、思わず尋ねた。

老人は一気に吸い込んで、ふーっと紫色した煙を吐き出した。

「いやあ、美味い・・・」蒼白な顔面の目が細くなった。

「いやあ、ひさしぶりだあ・・・」

なんだか、誰に対して喋っているのかわからない目線なので、ま、とにかく早々に引き上げたい。

「じゃあ、おやすみなさい」

といって、梅川はその場を去った。

 

翌日は昼前まで現場に行けばよい手はずだったから、梅川はゆっくり起きだして、正午前にアパートを出て、駅へ向かった。

また、道順がわからなくなって、適当な方向に歩いていった。

駅前の商店街の路地はまるで迷路で、昼と夜の顔は全く違う。むしろ夜のほうが飲食店の明かりが道しるべになるが、昼間は方向感覚を失う。

角を曲がると、夕べの公民館前の広場に出てしまった。

「いけね・・・」と梅川は思った。

ちょうど葬儀が終わって、出棺の場所に出くわしてしまったからだ。

広場には喪服の人が一杯いて、更に公民館の中からも人がどんどん出てくる。前へ進むことも出来ない。

先頭の喪主と思われる男性が故人の遺影を持ってこちらに進んできた。

皆が合掌する。知らん振りも出来ないので、梅川も他人にまぎれて合掌する。

 

男が抱えた写真の顔を見て、梅川は全身が凍りついた。

こけた頬、八の字に下がった眉毛、くの字に折れた鼻すじ、そして特徴ある白髪の頭・・・

黒いリボンで包まれた遺影の顔は、間違いなく、昨夜の煙草の老人の顔だった。

「昨日の老人は、自分の通夜を陰から見ていたんだ・・・」

梅川はミステリー小説が好きで、こんな話の小説は何度も読んだから、あまり驚くでもなく、その写真に見入っていた。

「そういうことって、やっぱりあるんだ・・・」

梅川は思った。

霊能力を持っている人はそういった体験をすることが多いという。 梅川は過去にもそんな不思議な体験をしたことが二度ほどあった。 一度目は、梅川が東京のアパートで徹夜で作業していたときに祖父が郷里で他界したときだった。 気のせいかと思っていたが、その晩、窓の外から自分の名前を呼ばれたような気がした。

翌朝祖父が深夜に亡くなったとの知らせが郷里から届いたのだった。

二度目は高校の友人がオートバイ事故で亡くなったときだった。 このときもなんだかその友人のことが気になって胸騒ぎがした事を覚えている。

「俺は霊能力が高いのかもしれない」

「煙草をあげて嬉しそうだったから、俺を恨んで出てくることもないだろう・・・」

などと、妙に呑気な事を頭がよぎった。

 

あの日あったことを梅川は誰にも言わなかった。恋人の文江にも黙っていた。こんな話をしたところで、面白くもないし、不気味がられるだけだ。

でも、あの晩、公民館の角に立っていたあの煙草の老人と亡くなった人物は、間違いなく同一人物であることに梅川は確信を持っていた。

そう思っているだけに、誰にも話すことが出来なかった。

 

それから一ヶ月が経ち、梅川は新しい仕事を抱え込んで、また不規則で寝不足な日々が続いていた。もうすっかりあの晩あったことなど忘れていた。

梅川の仕事は、ノートパソコン一台あれば作業の場所を選ばない。

極端な話、電車の中でもアイデアがひらめいたらノートパソコンをすかさず開いて、思いついた内容をプログラムに書き込むことはしばしばだった。

基本的に会社で作業をすることにはなっていたが、なんだか職場はがやがやと落ち着かなく、職場で作業することは殆どない。でも、週のうち最低でも2日は出社しなければならないルールがあったし、他のソフトウエアとの連結を検証しなければならないときが多々あるから、そのときは職場で作業をした。

自宅のアパートで作業をするのは追い込みのときだけだ。通常はやっぱり帰宅してしまうと気持ちが緩んで、さっぱり仕事が手に付かないのが普通だった。

一日のうちで一番長くいて作業をするのは、職場でも自宅でもなく、ファミリーレストランか喫茶店だった。

この池上線沿いにある下町に越してきてから、居心地のよい場所を探していろいろ店を覗いたが、梅川が気に入ったところはなかなか見つからなかった。

駅前のスターバックスコーヒーは、慌しいサラリーマンやOLが入れ替わり立ち代りやってきた。唯一長時間座れる席は窓際のカウンター席で、止まり木の木製の椅子だから、一時間も座っていると尻が痛くなってくる。 

一応二階席は喫煙席だが、ここも慌しい人たちが立て続けに煙草を吸いたいだけ吸って、ばたばたと帰って行くから、常に煙が充満して、まるで「ナチスのガス室」のようであると梅川は思っていた。とてもゆっくり煙草をくゆらせながら仕事が出来るようなところではなかった。

自分はヘビースモーカーなのに、他人が吐き出す煙はとことん嫌いなのである。

最近はどこにいっても禁煙、禁煙で、「煙草吸い」は嫌われる。

都心の路上でくわえ煙草なんかをしようものなら、すかさず「罰金隊」が飛んでくる。

この下町の駅近くに越してきたのは、都心のような喧騒がなく、くわえ煙草で駅前通りを歩いても違和感がないところが気に入ったからだった。

 

その日の夕方は御嶽山駅を降りてアパートに帰ろうとはしたものの、梅川は相変わらず違った路地に踏み込んだ。

自分自身の方向音痴さ加減につくづく感心した。

まだ、家路を急ぐ勤め人達が駅から吐き出されて来る時間ではなかった。

歩く人もいないし、陽も当たらないようなビルの北側に埋まった路地だった。

でも、路地の両脇にはぽつんぽつんと小さな店がある。

誰も買わないような草履やサンダルが並んだ履物屋、埃が被ったアルマイトのやかんが置いてある金物屋、小さな豆腐屋・・

共通していえることは、どの店も老人が店番していることだった。

ふと梅川の目に留まったのは、まるで明治時代にタイムスリップしたような佇まいの喫茶店だった。

古びたランプシェードが軒からぶら下がっており、木枠の窓は小さく仕切られているが、良く見ると凹凸がはっきりした高級型ガラスが使われている。

入り口のドアは重厚な木製で、「ショパン」という店名が書かれたボードがそのドアの真ん中にぶら下がっている。

真鍮の飾りドアノブを押して重たいマホガニーのドアを開けると、中はこれまたロンドンのはずれの街角にあるような古めかしい飴色の家具で埋まったアールデコの世界だった。

その室内にはなにか梅川の気持ちをほっとさせるようなものが充満していた。

梅川は窓側の席に座わった。

良く磨きこまれた黒光りする木の床からはオイルの匂いがかすかにして、ショパンかどうか知らないが、クラッシックのピアノ曲が低い音で流れているのに気がついた。

「いらっしゃいませ」

蝶ネクタイにベージュのツイードの上着を着て、丸いお盆に水のグラスを乗せて、老いたマスターが奥のカウンターから出てきた。

天井から床まで届く大型の振り子時計、黒いラッパをもった蓄音機、バカラのランプスタンド、こげ茶色のスタンドピアノ・・・梅川はあまりにも店内に興味を引くものが置いてあるので、見回すばかりで、マスターがコツコツと小さな靴音をさせながらゆっくりとやってきたことに気がつかなかった。

 

「おや、お久しぶりでございますね」

「先月通夜のときに煙草を下さったかたですね」

年老いたマスターは、そういった。

「え!」

梅川は視線をマスターに合わせた。

忘れもしない、特徴ある鼻と眉毛と白髪の頭が目の前にあった。

「え!」

「あ、あなたは・・・」

梅川が驚いた顔をするのを気にせず、マスターは言葉を続けた。

「あの時はありがとうございました」

「兄貴が突然亡くなって、わたしもかなりショックだったんですよ」

「ほんとだったら、わたしの方が先に逝ってるところだったんですがねえ・・・」

「ちょうどあのとき、ぼくは兄貴の葬式をやった公民館の向かい側にある区立病院に入院してましてねえ、いえねえ、腎臓がひどく悪くて絶対安静というか、外出禁止で・・」

「だから、兄貴の通夜にも出られなかったんですがねえ・・・やっぱり、お別れをしたくてねえ・・病院からこっそり抜け出て、あそこの角で手を合わせてたんですよ」

「兄貴とぼくは大正十三年生まれの双子でしてねえ、ずっとこの町に住んで、戦争も二人で乗り切ってきたんですがねえ、兄貴に先に逝かれてしまってねえ・・・・」

「あ、煙草はお吸いになられますよね」

といって、隣のテーブルからクラシカルな切子細工のガラスの灰皿を取り上げ、梅川の前に差し出した。

「もう昨今は煙草を吸う人間は嫌われ者ですからねえ」

「わたしも入院中は禁煙させられましたが、煙草止める位なら早く死んだほうがいいですよ」

「煙草をやる人は肺がんになる確率が三倍とか四倍とか世間様では言っていますけれどもね、私なんか七十年も吸い続けてまあだ生きておりますしね、悪くなったのは腎臓でね、肺なんかどっこも悪くはないんですよ」

「兄貴だって、ぼくとおんなじヘビースモーカーでしたけれどもね、心臓で死にましたからね」

「大体、統計だかなんだか知りませんけれどもね、煙草吸いで肺がんになられる人というのは、何度も禁煙をしてはまた始めるような人なんじゃないでしょうかねえ」

「結局ストレスじゃあないでしょうか」

「だから、わたしみたいにずっと吸い続けてきていると癌にもならないんじゃないかとつくづく思っているんですよ」

「禁煙で苦しむなんて、最悪のストレスですからね、癌にもなってしまいますですよ」

「お医者様なんかたいそうな事をおっしゃいますけれどもね、わかってらっしゃらないんですよ」

「まあ、お好きなだけお吸いになってらしてくださいね」

 

梅川は、一気に喋りまくる随分と血色の良くなったその老人の顔をあっけにとられてみているだけだった。

いまだに目の前の状況がつかめないでいた。

うす暗い室内には西日が差し込んで、床に窓ガラスの格子模様の影を落としていた。

「ボーンボーン」という柱時計の音が室内に響き渡った。

 

 煙草  「完」

 その三 「エレベーター」

 

部屋の電話が鳴った。

御用納めが終わり、明日から年末年始の休みにはいるので、早木 努は郷里の福岡に帰省する支度をすませてそろそろ寝ようかというときだった。

こんな時間に電話をかけてくるのは恋人の慶子ぐらいだが、彼女は決まって努の携帯にかけてくるから、電話の相手は慶子じゃないことは確かだった。

努は電話機のナンバーデイスプレイシステムが検索した名前表示を確かめるまでもなく、相手が誰であるかは見当が付いていた。

こんな時間にうちに電話をかけてくるやつ・・・・

オレンジ色に光る電話機のパネルを見るとやっぱり「社長自宅」の文字が点滅していた。

今夜だけは避けたい相手だったが、仕方なく受話器を上げた。

「はい、早木です」

ぶすっと、ぶっきらぼうに答える。

「おう、つとむ、俺だ、悪いな、こんな時間に」

「おやっさん、もう今年は店じまいだって、さっき言ったばっかりじゃあないすか。明日は出られませんよ」

「ああ、明日福岡に帰るんだったな、何時の飛行機だ?」

「朝一ですよ、だから明日はダメ」

「いやあ、明日じゃねんだ、今からなんだよ」

「え! 冗談じゃないすよ、なに言ってんですか・・・それに俺、飲んじゃっているしさ」

「うそつけ、何年付き合っていると思ってんだ。 飲み会だってウーロン茶飲んでるやつがよお・・」

「今何時だと思っているんすか?」

「そうなんだけどさ、俺も佐々木も、哲の野郎もみんな酔っ払いでさ、お前しかいねえんだよ・・」

「現場はお前のうちからだったら二十分だからさ、頼むよ、年明けたら福寿司で特上おごるからさ、なあ、頼むって」

「まったく・・・そんで、状況はどうなんですか?」

「いつものやつよ、スポルケット抜けと基板焼けよ」

「またすか? 基板って、EM-154Dですか?」

「そうよ、お前、車に積んでんだろ?」

「ありますけど、あれって完全に設計ミスって言うか、リコール対象じゃないすか? 社長から本部に報告しなくていいんですか?」

「そりゃあさ、そうだろうさ、今月でもう十件目だもんなあ・・・でもよ、俺がよお、ご注進って、申告したらどうなると思う? 明日っから仕事なんかこねえよ、わかんだろ、そんなこと」

「まあ、そうだけどもさ、事故ってからじゃあ遅いと思ってさ」

「ま、俺にはどうにも出来ねえってことさ・・・ま、とにかく行ってくれよな」

「じゃあ、正月明けに慶子も連れてゆくから、特上二人前ですよ」

「ああ、わかった、わかった」

がちゃんと一方的に電話は切れた。

 

幼いときから父親を知らない努にとってこの社長は父親以上の存在だった。

高校時代にぐれて少年院に入り、誰も相手してくれなかった努をここまで育ててくれた。

どんなことがあっても、一生ついてゆくと決めた相手であった。

電話が鳴ったときから仕事の依頼であることは容易に察しが付いたし、断ることはできないこともわかっていた。

 

内山澄子はこの2LDKの住まいがとても気に入っていた。

地下鉄東西線南砂町駅から歩いて五分とかからない荒川の河口沿いにあり、ちょっと行けばもうそこは東京ベイである。

この高層と言えるかどうかは微妙な十階建ての住宅に澄子が越してきたのは昨年の夏であった。

住まいに関してはなんだかツイていないことが多く、点々とこの十年間は引越しを繰り返してきたが、ここは通勤も至便であり、とってもお気に入りだった。

「東京都住宅供給公社」という、言葉に出して言えば舌を噛んでしまうような団体は、基本的には東京都が経営する公団住宅であり、直轄の都営団地とはまた違う位置づけになっている。かつては低賃貸料金で人気があり、抽選も高倍率であった。でも、もう、それは大昔の話である。

 

澄子はそんな過去のことなど知るはずもない三十二歳のOLと言うよりも、男も一目置くキャリアウーマンである。

この物件は、たまたま、職場がある錦糸町駅前の不動産屋に紹介されただけである。賃貸料金はその建物の古さの割には高かった。

その江東区南砂にある東京都住宅供給公社の集合住宅は、十階建てが四棟からなっていた。もう今では周辺に二十階以上の超高層住宅がジャングルのように建っている場所であるから、この住宅はそんな超高層のマンションに見下ろされるように建っており、ジャングルの中に埋没してしまっているようにさえ見える。 

昭和四十年代後半に供給公社が鳴り物入りで建築した公社で最初のエレベータが付いた高層住宅であった。

当時は、おそらく東京湾を埋め立てた更地にこれ以上高い建造物はなかったであろうから、とても眺めが良かったに違いない。

既に三十数年の歳月がこの住宅の存在感さえを押しつぶそうとしていた。

新築当時は東京都供給公社にしては結構な家賃だったから、そのとき一斉に入居してきた人たちは、あまり若い夫婦も老人夫婦もいなくて、どっちかと言うとまだ小学生ぐらいの子供を持つ、働き盛りの三十代から四十代の住人が多かった。

そんな住人達もとっくにリタイアの年齢になり、大半はここを出て行ったが、いまだに当時の住人達が随分残っていた。だから、住人の年齢構成は把握が出来ないほどばらばらであり、棟と棟の間にある小さな公園にはかつてのような子供達の歓声はなく、どちらかと言うと老人の姿が多かった。

いくら新居者のために内装をリフォームしたところで、風呂は追い炊きが出来ないタイプであるとか、あらゆる機能面ではいまどきのマンションとは比べにならない古い住居である。

 

澄子が入居した部屋は、たまたまであったが、十階最上階の東南の角部屋で、林立する超高層マンションの間隙を縫って、東京湾の夜景が美しかった。

独身の女が一人で生活するには十分でかつ快適な空間がそこにあった。

彼女にとっては一日の疲れを癒す部屋であり、帰宅してバルコニーから東京湾の夜景を見下ろして一杯のワインを飲むのが何よりの楽しみであった。

 

春野朝子は澄子よりもひと回りも年上の同業者仲間であり、ひょんなことから知り合った間柄だが、二人は偶然同郷で気心が合った。

独身の二人は、互いに休日は一緒に出かけたり定期的に旅行にいったりした。

 

その土曜日は、澄子がこの住宅に引っ越してきてから、初めて朝子を招待した日であった。なかなか忙しくて、話ばかりで、呼べずにいたが、今日は互いに都合が付いたので、午前十一時に南砂町駅の改札で待ち合わせた。

「あら、すみこちゃん、随分とこじゃれたところに住んでいるんじゃあないの」

「そんなことないわよ、この辺の高層マンションは格好いいけど、うちはオンボロなのよ、行けば判るけど」

「ま、眺めがいいのだけが取り柄なのよ」

「今日は久しぶりに私が腕を振るって美味しいランチをご馳走するわ」

五分もおしゃべりしながら歩けば、もうその一角に着く。

「あら、あら、なんだかここだけは随分とタイムスリップしているわね」

「だから言ったでしょ、もう、築三五年ってとこだからさあ・・・ここだけが取り残されたって感じなのよお」

 

エントランス周りには、今では使わない共同ごみ収集箱やら、赤錆びて屋根が崩れている自転車置き場など、やっぱり、最近建ったマンションとは違う風景があった。

両開きで、重たい鉄枠の付いたガラスのクラッシックな玄関戸を押してなかに入ると、そこはこれまた殺風景なコンクリート打ちっぱなしの、何もない玄関ホールだった。

玄関ホールを入ってすぐ左脇に小窓が付いた管理人室がある。管理人はいるにはいるが、月曜から金曜の日中のみシルバー人材センターから代わる代わる老人が派遣されてきているだけで、何の役にもたたないから、住民も何の期待もしていない。

玄関ホールは結構広くて、五〇畳敷きぐらいはあろうかと思うが、その正面に並んで二台のエレベータがある。

二枚スライドドア式のドアに、内部が見えるガラス窓がはまった、ごく一般的な住居型エレベータだが、最近換装工事したばかりの新型で、建物と随分ミスマッチした真っ赤なドアが付いている。

降りてきた右側のエレベータに二人で乗り込むと、朝子がすぐに言い出したことは澄子にとっては意外なことだった。

 

「あら、やだ、あそこ隙間があいているわね、いやーだこと」

「え、なに?」

「ほら、そこの壁のところよ」

みれば、六人も入れば一杯になってしまう小型エレベータ室の突き当たりの壁の下のほうに横幅90センチぐらいの隙間が5センチほど口をあけている。

澄子はこの隙間には以前から気がついていた。

隙間は時には閉まっていたり、10センチぐらい開いていたりして、何だろう・・・としか思っていなかった。

「いやあねえ・・・おかん穴が開いているなんて・・・」

「え? なあに、おかん穴って?」

「え、知らないの? そこの奥に四角い切れ目があるでしょう。おかん穴って言って、棺おけを運ぶときに入れる穴よ」

「え? 棺おけ?」

「そうよ、この狭いエレベータじゃあ、お棺が横のまま入らないでしょう? 立てるって言うわけには行かないし、非常階段なんか多分小さい螺旋階段だろうから、そこも運べないから、こういう古いマンションなんかのエレベータには必ず「お棺穴」がついているのよ」

「ええー!いやあだ! そうなの? 知らなかった・・・・」

 

良く良く見れば、幅90センチぐらいで高さが50センチぐらいのスライド板のような蓋でその穴は塞がれているが、通常は留めてあるビスが落ちているか、或いは止め忘れていったのか、脱落しているから、蓋がずれ落ちているのだ。

確かに老人が多い住宅だから、ご不幸は多いかもしれない。

それからというもの、澄子はエレベータに乗るとその穴が気になって仕方なくなり、蓋がずれ落ちている右側のエレベータには絶対乗らないようにしていた。

右が先に来ていても、左側が来るまでボタンを押して待った。

 

暮れも押し詰まった師走の二九日、職場での打ち上げをやった後も、錦糸町のカラオケで同僚達と大騒ぎして、澄子が南砂に帰ってきたのはもう深夜二時を回っていた。

騒ぎすぎてすっかり酔いもさめてしまっていた。

明日からのんびりと年末年始の休日が始まる。

重たい玄関ドアを押して開けると、同時にひゅーっと冷たい風が玄関ホールに吹き込んできた。

 

「こまめに電気は切りましょう運動もいいけれど、こんな夜中に暗い玄関はいやあね・・・」などとわざと大声でいいながら、澄子は玄関ホールを進む。

正面二台のエレベータのくだんの右側は、なぜかドアが開いたままになっていた。

とにかく右側は嫌なのである。UPマークのボタンを押して左側が降りてくるのを待つ。

ところが、いつもならすぐに降りてくる左側のエレベータは四階で停止したままで、いくらボタンを押しても四階を動こうとしない。

おトイレを我慢してきたので、早く部屋に帰りたい。

「もういいや」とばかりに右側に入り、十階のボタンを押すと、エレベータのドアはつーーと閉じて、こくっと箱が揺れたかと思ったら、すーーと上り始めた。 後ろは見ない。

二階、三階と上がっていったと思ったら、突然四階付近で「ガタ!!」と大きな揺れと共にエレベータが停止してしまった。

「やだ、なに?」

と同時に照明がばっと消える。

真っ暗闇がやってきた。

「えーー、やだー! どうなってんの?」

と、天井の隅の非常用のランプが点灯したようで、赤いぼんやりとした光がエレベータ内を包んだ。

「えーー、やだ、やだ、なに!え!」

澄子は慌てて壁際のボタンをあちこち押すが、ボタンパネルのランプは全部消えていて、全く反応を示さない。

「えーー、どうなってんの! これーー、動いて、はやく動いて!!」

どうやらエレベータは四階で停止しているようだった。

 

なにやらエレベータ室の中には線香の香が漂っている。

そういえば、昨日四階で誰か亡くなったって、今朝管理人が言っていたのを澄子は思い出した。

「うそー!いやあ・・・」

 

澄子が必死でドア脇のボタンパネルを叩いている、そのときだった・・・

背後で何か気配があった。

「ガタ!」と音がした。

背後の穴の蓋が「ぎーっ」と開いた。

真っ暗な穴の底から、冷たい風に吹かれて長い髪の毛が澄子の足元に流れ込んできた。

穴の左のほうから、赤黒い血に染まった腕がすーと出てきて、澄子が立っている足元の床に、「べたっ」と音を立てて、開いた手のひらが張り付いた。

「え、え、え、い、い、いや、ーーー」

澄子は谷底に落ちてゆくように意識が遠くなっていった。

 

シンデレラエレベータのメンテナンス契約会社の技術員、早木 努は、油がべっとり付いた作業用手袋を外してエレベータの床に放り投げると、自慢の長髪を両手でかきあげながら、失神した女を膝に抱えて、さっきから「まいったなあ」を連発していた。

 

「まいったなあ・・・・なんだよお・・・『調整中』って、札が見えなかったのかよお・・・」

「いきなり登ってくんだものなあ・・・電源切んなきゃ、こっちがやばいところだったぜ・・・」

「夜中に呼び出された上に、これだもんなあ・・・・まいったなあ・・・やってらんないよお」

「しっかし、まいったなあ・・・やっぱ救急車呼ぶっきゃねえかなあ・・・・・」

「社長に又怒鳴られんなあ・・・・・」

「まいったなあ・・」

   エレベーター 「完」


その四「吊橋」

 

大都市東京を西から東に横断する多摩川はアメリカニューヨーク州を流れるCatskil riverと似た条件を備えている。

Catkilも上流にリザーバーがあり、一年中冷たい水がダム底から流れ出している。 でもCatskilは緩やかな草原を蛇行しながら流れてくるのに対して、多摩川の上流帯は完全な山岳渓流である。

小郷地ダムのダムからおよそ三十キロ下ると、ようやく青梅市内の緩やかな流れになる。

 

小郷地ダム直下の流域はV字谷が深く、人を寄せ付けない感じがする。

V字谷の崖っぷちにはあまり知られていない旧道が走っていて、旧落もすこしある。

ダムを建造したときの旧道とかトンネルが延々とV字谷の斜面に沿って走っていることはあまり知られていないし、現在の青梅街道側からは樹木に隠れて見えないのである。

小郷地ダムを抱える奥多摩湖まで行くと、もう東京都とはとても思えない景色である。春夏秋冬季節の遷り変わりを楽しむ観光客の車が青梅街道を渋滞にする。

多摩川は奥多摩湖を境に上流は多波川と小菅川に二分され、渓流魚を扱う漁協も管轄が違ってくる。ダムから下、羽村の堰までは奥多摩漁業組合が管理する流域である。

この渓流の上流帯では漁協が放流したヤマメの稚魚がきちんと育って、小郷地ダム下から鳩ノ巣辺りまではなかなかの渓流釣り場である。

観光客も沢山いるけれど、良く見ると、水中には綺麗なパーマークを身体に持ったヤマメが並んで泳いでいるのを見ることも出来る。

 

渓流釣り師はどんな崖だろうが谷底だろうが、ずんずん川に下りていってしまう習性がある。

須藤良夫も昔はそうだった。 わらじを履いて滝だろうが崖だろうが岩魚をがいそうだとなればどんなところでもとことん上流へ登って行ってしまった。

ところが、二〇数年前に滝登りの途中に、滝上から二〇メートルも滑落して、全身打撲の大怪我をして病院に担ぎ込まれてから、そういう釣りはやらなくなった。

あのとき、相棒の三田雅夫がいたからよかったものの、単独釣行だったら、須藤は岩魚の餌になっていたところだった。

そして、須藤は中流帯の格好ばかりのフライ釣り師に成り下がった。

 路上に停めた車のそばにビールの自販機があり、そこから二分以内に降りれるようなところしか行かなくなった。

 

「ダム下」のポイントは須藤が偶然川で知り合った餌釣り師に案内されたところだった。

見上げるような小郷地ダムのダム壁が眼前に見えるような場所で、旧道から見下ろして覗くと川筋が細く光って見えるだけのところで、川面までの落差は五十メートル以上ありそうだった。

車を駐車した場所からちょっと先にワサビ畑作業の人のための華奢な釣り橋が架かっているが、この吊り橋を渡ることはあの事故以来の高所恐怖症の須藤には耐え難い。

しかし、どうやって開拓したのか知らないが、旧道から藪を分け入ると獣道のような踏み跡の降り道があった。

その餌釣り師の案内に従って、九十九折に下って行くといつのまにか河原に出る。

河原は直径五メートルもあるような大岩が点在する凄い場所で、川幅は三メートルもなく、枝状に分流している。

 

須藤が最初にその人といったのは五月の新緑の季節で、日中なのに六寸位の綺麗な天然と思われるヤマメがドライフライに飛びつき、堪能した。

自宅から近いこともあり、以来須藤はたまに一人でここに来た。 

一番いいことは、釣り人がいないので、手付かずなのである。あの降り道はさすがに自分で探すことは出来ない。

 

その夏の昼下がりは同じくフライフィシングに転向した相棒の三田と連れ立って、青梅市内を流れる多摩川中流域を攻めたが、暑いだけで、全く面白くない状況だった。

イブニングライズはあのとっておきのダム下ポイントに行ってみようと須藤は相棒を誘った。 

何しろ、道路までのアクセスが厳しいし、真っ暗になって上り口を見失ったら帰れなくなるから、夕まずめの時間にあそこに一人で行ったことはなかった。 

ま、今日は相棒がいるからいいだろうと考えた。

 

現場の旧道に、駐車した車はなかった。

もし、車があれば、あの狭い釣り場は先行者にやられているので、引き返そうと思っていたのであった。

二人は教えられた秘密の獣道を歩いて崖を降りた。

まだ、明るいときはなぜかアブラハヤしかフライに食いつかなかった。

「ヤマメはどこに行ったんだ?」

さすがに八月で季節が良くないのだろう。

でも、日没時になればハッチが始まって、ヤマメさんも登場するに違いない。

河原への降り口を見失わないように、目印をつけて、須藤は川下へ、三田は上流へと分かれた。

この場所は、降り口から上流に百メートルほど行くと、行く手をふさぐ大岩地帯なので、そこが行き止まり。また、下流も同じく、百メートル行くと両岸を高い崖で囲まれた深い淵になっているから、ここで行き止まり。 つまり、旧道からの降り口を挟んで上下百メートルの袋小路の釣り場なのだ。でも、荒らされていない場所で、ヤマメが沢山いることは確認済みなのである。

須藤は大岩の上に胡坐をかいて陣取って、どんずまりのプールを見下ろし、ヤマメが出てくるのを待った。

 

背中の方向の遥か上空を見上げると、吊り橋が揺れているのが見えた。

V字谷の日没は早い。

夕陽がダム壁の向こうに沈みきると、谷底にはあっという間に暗闇がやってくる。

とたんに正面のプールが賑やかになった。

ライズリングがあっちこっちで出来ている。

明らかに、さっきの小さいアブヤハヤの波紋ではない。真打が登場してきたのである。

河原に立って、#14のエルクヘアカディスのドライフライを、7Xの極細ティペットの先に結び、ほんの三メートル先のライズリングのちょっと上流側にキャストすると、フライの着水と同時にバシャっと魚が食いついた。

三番のバンブーのフライロッドをしならせて二十センチぐらいの美しいヤマメが岸に寄って来た。

続けさまに同サイズを二つ釣る。

やっぱり昼間は小型しか釣れなかったが、「イブニングのこのプールにはいい型のいいのがいるわい」と須藤はほくそえみ、持ってきたビニール袋に水を入れて、三匹をキープした。

 

気がつけば、既に真っ暗になり、漆黒の闇が辺りを包んでいた。V字の谷底には月明かりも星明りも届かない世界で、全くなにも見えない。

胸に着けたペンライトと強力マグライトを点けて上流方向に戻る。

集合地点付近に明かりがちらちらしている。相棒のライトであろう。

相棒は、降り口の目印の大岩の上に、いつものように後ろ手にロッドを持ったスタイルで、じっと立ちすくんでいた。

フライベストに留めたペンライトだけが上方を向いて顔だけを照らしているので、不気味な感じがするではないか。

 

「おーい、どうだった? こっちは三つ、三つ、なかなかいいヤマメ!」

と須藤は大声で相棒の三田を呼ぶ。

三田は、はっと我に返ったような風で、須藤に気がつき、岩を降りてきた。

「ほり、ほり、三つ」と言って、須藤はビニール袋の中で暴れるヤマメを三田に見せる。

須藤はいつものように、相棒の「おーおー、なになに、どれどれ」という反応が返ってくることを期待したが、なんだか興味を示さない。

 

「そっちに、人が行ったろう?」

三田が真剣な顔つきで須藤に聞く。

「え!なに? 人?」

「うん、下流のほうへ行ったんだけど、会わなかった?」

「え、なに言ってんだよお、俺らの他に誰もいないじゃんか」

「車だって俺らのだけだったしさ、ここはあっちもこっちも行き止まりだから、どっからも入ってこれないしさ、なに言ってんだよ」

「だろう?・・だから不思議なんだよ」

「五分ほど前に白っぽい服の男が上のほうから降りてきて、ささーーって、下のほうへ行ったんだよ」と三田がいう。

「えーー、釣り屋さんか?」

「いやあ、釣り竿持ってなかったし、そういう格好じゃあなかった。それに変なんだよお」

「なにがよ」

「上から来たんだけれど、あっという間に目の前を通過していったんだよ、こんな岩場なのに」

「えーー! それで、どんなやつだったの?」

「だから、白っぽいTシャツのような格好で、顔はよく見えなかったけど、俺に気がつかない様子で、真っ直ぐ下流のほうの正面を向いていて、そっちのほうへ降りていったんだよお」

「えーー、そんなの・・・・誰も来なかったよお・・・」

「それって、コレ・・じゃあねえの」

「やっぱり、そうかなあ・・・そんな感じのやつだったから・・・」

 

とにかく旧道に上り切ると、やっぱり車は須藤達の一台だけだった。車なしで、こんな場所に来ようがない。

「やっぱ、あんたが見たってのは、やばいやつだったのね!」

といって、須藤が茶化す。自分は見ていないので、恐怖感がない。でも、三田はすっかり怯えてしまっている。

「まあまあ、そういうこともありますよ」

といって、須藤は三田を励まし、青梅街道を下って、川崎まで帰る三田を青梅駅まで送りつけた。

彼は幽霊を見てしまったのだろう。確かにそんな感じのする場所であることは間違いない。

 

三田を駅で送ってから、須藤はいつもの釣り仲間が集まる橋のたもとにある釣具店に顔を出した。

仲間がいつものように奥の部屋に集まって釣り談義をしていた。

「ヨー、皆さん、お集まりでーー、今夜はやりましたぜ!」

といって、須藤はビニール袋のヤマメを見せびらかす。

「おんやあ、めんずらしいこともあるもんだ・・・」

「どこでやったのさあ?」

「うん、今夜はダム下の第二吊り橋の下よ」

「えーー!」

その場にいた全員がいやな顔をして、顔を見合す。

「え! なんだよお、あそこひょっとして禁猟区とか・・・・?」

「いやあ、禁猟区じゃあねえけどさあ・・・俺はあそこだけはいかねえ・・・」

「まして、イブニングになんかとんでもねえ・・・」

「ええ・・・!なんでえ・・・?」

「知らねえの? あそこはゴーストポイントって有名な場所だぜ」

「ご、ゴーストポイント!?」

「あそこの第一、第二の吊橋から毎年三十人は飛び降りているんだぜえ」

「あそこのヤマメはそいつらの霊だって言うしさあ・・・・」

「そのヤマメ、そこから放してやったほうがいいぞ!」

と後ろからも声がかかる。

「えー! そうなの・・?」須藤は焦った。

さっきあった出来事を面白おかしく話しようと思って、ここに入ったのに、いきなりストレートパンチが来てしまった。

相棒が見た幽霊の話なんかしたものなら,なおさら話には拍車がかかってしまう。

「やっぱり、相棒が見たものは本物だったんだ」

思わず全身に鳥肌が立った。

須藤はあわてて、店を飛び出し、橋の下まで降りて、三匹のヤマメを多摩川に放してやった。

 

W工業大学天文観測同好会に所属する恭平と敦は、奥多摩の第二吊橋を渡りきった広場にキャンプを張って三日目だった。

「今夜は良さそうだね」敦が言った。

「うん、雲が切れてきたし、天気予報も晴れと言っているしね」恭平が答える。

広場には口径25センチ、長さ1メートルのニュートン反射望遠鏡と口径12センチの屈折望遠鏡が並んで大型の自動赤道儀の架台に据え付けられていた。

「ちちち」と音がして、追尾用の赤道儀の二つのモーターが既に回り始めていた。

敦はさかんにノートパソコンのモニターに映し出された映像をチェックしている。

主鏡である反射望遠鏡のアイピースが装着する部位には高感度冷却CCDカメラが取り付けられていた。

サブ鏡の12センチで全体像をチェックする。

あたり一面に配線が張り巡らされ、機材が一杯でそこいらじゅう足の踏み場も無い。

広場の隅には「るるる・・・」と、小型の発電機が静かな音を立てていた。

 

「あつし、まあ、飯を食ってからにしようぜ、今夜はじっくりやれば系外銀河の三つや四つは撮れるとおもうよ」恭平が言った。

「もうレトルトしかないんだよな・・・もっと肉を買っとけば良かったなあ」

「そんなこといったって、ここに一週間頑張ろうって言ったのはおまえじゃねえか」

「氷も無いんだから、そんなこと言ったって無理じゃんかよお」

「まあ、そりゃあ、そうだ」

「まあ、カレーでも食うか、飯は炊けたかな?」

といって、恭平はコールマンのツーバーナーコンロにかけてある三合飯盒の様子を見に行った。

「ちょっと風が出てきたな」

「これじゃあガイドスコープを出さなくちゃ駄目だね」

 

通常天体写真を撮るには赤道儀を地球の自転に合わせてトラッキングするが、追尾システムのギアの誤差や地面の不安定さ、そして風で鏡筒が揺れると長時間露出する系外銀河のような淡い天体写真の場合は画像が滲んでしまう。

だから、ガイドスコープというサブ望遠鏡を使って誤差を修正する。

サブ望遠鏡にもCCDカメラを装着して、常に目標天体が主鏡の中心にあるように自動制御させるのである。

一昔前は、この「ガイド撮影」という作業はガイドスコープを常に覗いて、手動で追尾をしたものだったが、今ではコンピュータシステムが全てをやってくれる。

なかなか大掛かりで高価なシステムだが、二人はクラブのメインシステムをそっくり借り出してきたのであった。 

夏休みに何とか良い写真を撮って、秋の学園祭に写真展示をしなくてはならない。

同好会仲間のプレッシャーを受けながら、任務を受けてきた二人であった。

二人でぼそぼそと芯のあるご飯にインスタントカレーをかけて食べていると、突風が吹いてきた。

「あ、洗濯物が飛んじゃうね」敦が言った。

木立にロープを張って干しておいた洗濯物が、あっという間に突風に吹き上げられて宙に舞った。タオルや下着は一瞬飛んで地面に舞い降りたが、一枚の半そでシャツは高く舞い上がって飛んでいる。

二人は立ち上がってシャツを追いかけていった。

白いTシャツはまるで紙飛行機のように水平に飛び、吊橋の橋桁の上で一旦高く舞い上がったと思ったら、谷底の暗闇へひらひらと吸い込まれていってしまった。

「あーあ、川に落ちちゃったよ」

二人で吊橋から下を見下ろすも真っ暗闇があるだけだった。

そのときだった。恭平が言った。

「あ、あれなに?」

「ほら下だよ」

「え? なんだ?」敦も言った。

二人が飛んでいったTシャツを追いかけて吊橋の下を覗き込むと、真っ暗な谷底にはオレンジ色した光が二つ、三つ揺れ動いているではないか。

ぽーっと、小さな丸いオレンジ色の光が吊橋の真下に一つと、そして下流のほうにも二つ、暗闇の谷底をうごめいていた。

「おい、なんだあれ、やばいんじゃねえか・・・」

「だから、言ったじゃねえか、こんな場所はやばいって」敦が言い出した。

「タカシが言ってたよ、あそこはやめたほうがいいってさ」

「なんでもこのあたりは飛び込み自殺が多いから、やばいって・・・さ」

二人は顔を見合わせて、一目散にテントに飛び込んだ。

「おい、やっぱ、やばいよ、明日帰ろうよ」

「うん、そうだね、今夜も外に出るのはやめよう」

 

漆黒の闇が二人のテントをすっぽりと包んでいた。

南の空には雄大な夏の銀河が昇って来ていた。

大型の望遠鏡だけが夜空を仰いでひたすらにM86星雲を追っかけていた。

ちかちかと無数の蛍が魂の光を放って、二人のテントの周りを飛び始めた。

時折聞こえる「ひゅうひゅう」という吊橋の手すりを渡る風の音は、何者かが泣き叫んでいるようだった。

 

吊橋「完」

その五「帰り道」

 

 席から顔をあげてオフィスの柱にある時計を見ると、八時を回ったところだった。

 もう、この時間になるとオフィスは静まり返って、芝山の机の上の天井の明かりがついているだけだった。

 

 芝山 稔は都心にあるこの会社の課長職について残業手当が剥奪されてからもう二年になる。

同僚の管理職がとっくに帰ってしまっても相変わらず一円にもならない残業を一人残ってこつこつする毎日だった。

きっと性格なのだろう、決して仕事が好きなわけでも愛社精神が旺盛なわけでもない。 なんとなく全てが惰性で流れてきた人生だった。

やっと腰を上げると、持病の腰痛が痛んだ。

「いててて・・・」といつものように独り言をつぶやいて立ち上がり、机の上を片付け始める。

 

会社の玄関を出ると、都会のむっと湿った熱風のようなビル風が芝山を襲ってきた。

都会の雑踏に埋まりながら駅の方向に歩いてゆく。

東京と言う街はなんでこんなに孤独なんだろうと、芝山はいつも思っていた。これだけ大勢の人が歩いていても誰一人として顔見知りはいない。いや、顔見知りに出会うということは宝くじに当たるほどの確率なのかもしれない。

昔、芝山の田舎の母が上京して、渋谷の雑踏を一緒に歩いたとき、「今日はどこのお祭りがあるんだい?」と尋ねられたことをふっと思い出した。

村の鎮守様の祭礼なら、顔なじみの皆がそろって坂道を降りてくるのだが、渋谷の道玄坂の駅へ向かう坂道は互いに見知らぬ人々が黙々と駅へ向かっているのであった。

 

芝山は代々木上原の駅前で一瞬躊躇したが、やっぱりいつものように毎日入る立ち飲み屋の暖簾をくぐった。

いつものように枝豆を注文して、生ビールの中ジョッキを飲み干してから、氷の沢山入ったチュウハイを一杯だけ飲む。 柴山も自分自身で、なんて変化のない男なんだと自問自答した。 

こんなに毎日決まった時間に同じ店に通っても、誰も顔なじみがいなかった。

店の店員は毎日決まった時間にやってくるこのサラリーマンを勿論認識していたが、なんどか声をかけてもほとんど返事がない男だったから、きっと考え事をしながら邪魔されないでひとりで飲むのが好きなのだろうと、以来声をかける事をしなかった。

 

決まったコースを飲み終えると店を出た。

代々木上原の駅から小田急線に乗る。

ちょっとは酔っていたのかも知れないが、もともと酒は強いほうだし、長距離通勤の電車に乗っている間に大体覚めてしまっているから、酔っ払いで帰宅ということはまずない。

相模大野から小田急江ノ島線に乗り換えて、自宅のある鶴間の駅まで着くのになんだかんだと都心からは一時間はかかってしまう。朝はまだ直通があるのでいいが、帰りは時間がかかる上、車内は酔っ払いで溢れているから、自分も一杯やらないととても帰れない。

まあ、どっちかと言うと帰宅拒否症候群なのかもしれないと、芝山は、マンネリ化などという言葉をとっくに通り越した二十五年間の夫婦生活を振り返っていた。

 

 小田急線の鶴間駅に着いたのは十時半時を回っていた。

まあ、芝山にとってはそんなに遅い時間でもない。

都心に比べれば遥かに快適な環境で、いつもなら、鶴間の駅を降り立ったときにはさわやかな涼風が舞い込んでくるのであるが、今夜はなんだか蒸し暑いというより、熱い風が吹き付けているような夜だった。

いつもの坂道を登ってゆく。

「全く、こんな時間にこの真っ暗な坂道を歩いて上って行くやつなんかいりゃあしない」

芝山は毎晩同じ事を言いながら坂道を登って行く。

理由は簡単だ。この坂の上には斜面にへばりつくように芝山の家を含めた十軒の家しかないからだ。 登りきったところには綺麗な花の公園があるので、日中はなかなかの観光スポットで賑わうところだが、夜ともなれば訪れる人はいない。

車だって、わざわざこの道を迂回しながら通る必要性は全くない。

 たまに公園前の広場に止まっている車なんかは大体カップルが車内で抱き合っているだけだ。ましてや、この時間になると人も車もいやしない。

山に住む狸が道の中央でうずくまっているのを芝山は何度か見たことはある。やつらは夜行性だ。狐はいないが、テンとかリスとか、狸の家族とかは結構この近所には生息している。

 

 鶴間駅から線路沿いの路地を、隣駅の大和駅方向に百メートルほど行き、小さな花屋の角を左に曲がり、小田急線をまたぐ車一台がやっと通れるぐらいのブリッジを渡ると、道は右に直角に曲がるが、その正面にははやらない居酒屋があり、そこから急な登り坂になる。

 左側に市営の体育館とテニスコートがあり、夜も八時頃までは練習する人で煌々と明かりがついて賑わっているが、九時を過ぎるととたんに真っ暗になってしまうところである。

 

この坂道の嫌なところは、最初のカーブを左に曲がった右側の谷底は墓地だからだ。

本当にすり鉢の底のような百メートル四方ぐらいの場所に古いお墓がぎっしりとある。

道路からは急斜面で落差が五十メートルもあるような谷底なので、夜はよくは見えない。 というより、見ないようにしている。

もともと一昔前まではこんなところに人家もなかった場所だ。

芝山の成人した二人の娘も帰宅が遅いが、夜は絶対にこの道は通らないと言っている。

彼女達は一つ先の大和駅から商店街の道を通って山の反対側から帰ってくる。でも、距離はこの坂を通るのに比べると二倍はある。

芝山は毎晩、最短であるこの道を帰る。

気にしなければどうということはないが、気にすると「怖ーい」道なのである。

柴山の住む家はこの左カーブを回りきってから、さらに右カーブを登らなければならない。通称「鶴間のイロハ坂」を上りきらないと家にたどり着かないのである。

昔からこの辺に住んでいる人の話だと、この谷の底に「ぽーぽー」と青白い光が見えるときがあるとか。

所謂「ひとだま」ってやつだろうか・・・・

 

今夜も体育館もテニスコートもすっかり明かりが消えてしまっていて、辺りは真っ暗になっていた。

「いつもより更に暗いなあ」、と思ったら、登りきった辺りの街灯が点いていない。球が切れたのだろうか。

生暖かい風が頬をなぜてきていた。

最初の直線登り坂を途中まで歩いてきたとき、芝山は息を切らせた。歳を感じた。腰も足も痛かった。

立ち止まり、前かがみになり、両手を両膝について下を向いて「ふー」とため息をついた。

そして、身体を「よいしょ」と起こして、前方をふと見たそのときだった。

 

墓地の谷底が右手にある、最初の坂道の頂上付近の道路の中央に、そいつはいた。

芝山が立っているところから五十メートルと離れていない。

イロハ坂は道幅が六メートルはある広い道路だが、その道の真ん中の中央分離線あたりに、そいつはつっ立って動かず、こちらを凝視しているではないか。

真っ暗闇の中に白装束がくっきりと認識できる。

白い着物の裾がひらひらと風に舞っている。

頭の辺りが「ぼー」と球状に青白く光っている。

一瞬、芝山の息が止まった。心臓も止まりそうだった。

「こ、これは、本物だ」

「幻覚でも夢でもない、間違いなく本物だ」

芝山は狼狽した。

毎晩、ここは何物かが出るのではないか、という強迫観念に襲われながら歩いてきた道だったが、今夜はとうとう出てしまった、と芝山は焦った。

五十メートル先の行く手を亡霊がとうせんぼしているのだ。

右手の谷底の墓場から這い上がって来たに違いない。

 

よく見てみる。 

そいつは30センチぐらい宙を浮いている。

「あ、足がない」

地面近くをなにか小さく光るものが10センチの間隔で二つ飛び回っている。

と、そいつは突然「かくっ」と小さくなった。 道の真ん中にしゃがみこんだようだ。

と、道に両手を付いて、四つん這いになって、辺りを這いずり回り始めた。

一体何をしているんだろうか?

芝山の頭の中は真っ白になり、何が今、目の前で起きているのか全く理解できない。ただただ恐ろしいほどの恐怖感のみが全身を包み、半そでシャツの両腕に鳥肌が立った。

やがて、そいつは呆然と立ちすくむ芝山を睨み付け、そして向かってくるではないか。

芝山は腰が砕けて、その場にへたり込んでしまった

 

 

秋川よしこは、そろそろお風呂に入って休もうかと支度をしていると、亭主の秋川和也がふすまを開けて、隣の和室から浴衣姿で起きだして来た。

和也、よしこの夫婦は共に七十も半ばの老夫婦で、二人の子供達はとっくに自宅を出て独立してしまい、今は二人だけの年金生活である。

夫婦は毎日早々五時にはきまって夕食を済ませるが、和也は晩酌の一合の酒を飲んだだけで、食事が終わるとすぐに寝てしまう。

でも、いつもその後よしこがテレビを消して寝ようとする十一時ごろになると、起き出してくるのであった。

 

「あら、おとうさん、今夜も行くんですか? いい加減にしないとまたご近所さんから言われますよ」

「いや、デイックがほら、うるさいんだよ、連れてゆかないと納得しないよ、こいつは」

「だったら、もっと早い時間に連れてゆけばいいでしょうに・・・まったく、こんな時間に行かなくったって」

「いや、今頃の時間だとようやく涼しくなって、デイックも喜んでいるんだよ、なあ、デイック!」

「んっじゃ、ちょっといってくるわ」

「ちょっと、ちょっと、おとうさん、寝巻きだけは着替えていってくださいよ!」

「それから、ゴム長もやめてくださいよ!」

「まったく、うるせえばあさんだねえ・・・ねえ、デイック!」

と、和也は目を細めて、黒ラブラドールの愛犬「デイック」に話しかけ、頭をなぜる。

大型だけれども優しい顔をしたデイックは、二人にはかけがえのない家族である。 

「行こうか?」と和也が言うと、ぱたぱたと尾っぽを振って喜びを全身で現す。

 

和也は見事なほどにぴかぴか光った禿頭を両手で「ぱっし」と叩いて眠気を覚ますと、いつものように、乾電池の入ったカンテラをその光り輝くおでこにベルトでしっかりと括りつけ、真っ黒なゴム長に足を突っ込んで、玄関戸をあけて、外に出ようとする。

「ちょっと、ちょっと、おとうさん! うんち袋は持ったの?」

「デイックは必ず道の真ん中でウンチするから、ちゃんと取ってきてくださいよ!」

「ねえ、おとうさん、聞いてるの!」

「デイックは真っ黒だから、夜は向こうからは見えないからね、車に気をつけてくださいよ」

「この前だって、ほら、デイックのガールフレンドの、黒ラブちゃんの、なんてたっけ、そうそう、ピーチちゃんのとこの斉藤さんのご主人だって言ってましたよ」

「ねえ、聞いてるの? ちょっと、おとうさんってば・・」

 

よしこの声が後ろから追いかけてきたが、和也は全く聞き流して、夜風がひんやりと心地よくなった山の公園のほうにデイックと歩いていった。

 

帰り道「完」