[GUITAR] 完結編

 

蒸し暑い夏の夕方、松枝はめずらしく一人で立川で飲んだ。 

松枝孝雄、五十七歳、大手電機メーカーに勤務して三五年になる。

都内の大学の工学部を卒業してこの会社に入社して以来ずっと技術畑についてきたが、近年では中途半端な管理職の席に座らされて、仕事への情熱もすっかり失いかけていた。

定年まで残り二年余であり、長年勤めた会社での野望も技術開発の意欲も色あせていた。 だから、惰性で会社へ行く毎日ははっきり言って苦痛のなにものでしかなかった。

 

その日はJR南武線沿いのプライム会社のN電気に打ち合わせに行ったが、仕事は早々終わってしまい、八王子の自宅に帰るか、中野の職場に戻るか、乗り換えの立川駅のホームの端にある喫煙所でぼんやりと今時誰も吸わないハイライトを吸っていた。

昔の松枝なら当然職場に引き返して仕事を続けただろうが、今ではそんな気力もない。

とにかく蒸し暑い日だった。

 

JR立川駅のコンコースは帰宅途中の高校生や買い物帰りの主婦で溢れていた。

サラリーマンが帰路を急ぐ時間ではない。

こんな時間に家に帰っても妻に「どうしたの?」と言われることは分かっていた。

 

立川という街はJR東日本の中央線、南武線、青梅線そして多摩都市モノレールが乗り入れるハブステーションであり、かつてはぱっとしない街であったが、モノレールが乗り入れたころから駅前の開発が進み、随分と雰囲気の違った街並みになっている。

松枝は毎日自宅のある八王子駅から中央線の電車で職場のある中野駅まで通勤していたが、通過点である立川駅に降りることも、ましてや駅の外に出ることなど全く必要性がなかった。

久しぶりに降り立った立川駅周辺の変貌振りには目を見張った。気が付いたら改札を出て、夕方の人ごみの流れに乗ったまま、立川駅の南口に出たのである。

目の前には新宿アルタにあるような大型スクリーンがあり、きらびやかな映像が光っていた。歩道橋を左側に下りてゆくと、飲食店の看板が立ち並ぶビル群が出現して、まるで都心のような光景が飛び込んできた。

二〇年以上前の立川駅南口商店街しかイメージしかない松枝はまるで見知らぬ街に迷い込んだ野良猫のようだった。

「確か、市役所への通りには殆ど飲み屋の一軒も無かったはずだが」

暫らく細長い雑居ビルが立ち並ぶ通りを行ったりきたりしているうちに方向が怪しくなってきたが、やがてチェーン店の居酒屋の呼び込みに引き込まれるまま地下の階段を降りて行った。

そんなに酒は得意ではない松枝は、一杯目の生ビールは旨かったが、時間つぶしに飲み始めた冷酒の二合瓶はさすがに飲みきれなかった。

一人で飲む酒は酔いが回るのは早いの当たり前である。

 

「お客さん、お客さん、すみませんねえ」

身体を揺すぶられて、はっと目が覚めた。

気が付くと、入ったときは殆ど空席ばかりだったその店は既に満席状態で、がやがやと騒がしい居酒屋のいつもの光景がそこにあった。

隅っこのテーブルに席を取ったが、冷酒が効いて、いつの間にか居眠りをしてしまったようだ。

「お客さん、できればあっちのカウンターのほうへ移っていただけないでしょうかね? 随分混んできちゃたんでねえ」

年配の店主のような男がそういった。

「一人で四人掛けのテーブルを占領して寝ているんじゃないよ・・・」という台詞がその男の顔にしっかり書いてあったような気がした。

腕時計を見ると、もう八時近かった。

「随分寝ていたんだ」と一人ごとがでた。

ふらついた足取りで外に出ると、まだ熱気がむっとした街は人いきれで一杯だった。

駅の方角が分からない。 もう昔の立川駅南口の面影は全く無かった。

暗くなって益々街並みのネオンが輝くと、「新宿で飲んでいたんだ」と錯覚させるほどであった。

 

背広のポケットからハイライトを取り出し、火をつけて立ち止まると、目の前に小さな楽器店があった。

賑やかな居酒屋雑居ビルやカラオケビルに押し潰されるように、その小さな平屋の楽器店はまったくの場違いのような雰囲気でそこにあった。

松枝が田舎から上京してきたのは四十年も前で、学生時代からずっと中央線沿線に住んできたから、立川の大昔のことは良く知っている。

この楽器店はなんだかとっても懐かしい感覚があった。

この店は確か昔からここにあったような気がした。

もう閉店時間なのだろう、店の入り口は鉄のシャッターが半分下ろされているが、小さなガラスのショーウインドウには明かりが付いていた。

なんとなく目をやると、ブラウンの色合いも渋いエレクトリックフルアコーステイックギターがショウウインドウの中に立てかけてある。 

「え、こんな値段で買えるの?」と言うような値札が付いていた。

 

松枝が中学生のとき、ギターは欲しくてたまらないアイテムであった。

ビートルズが初めて日本に来て、武道館で来日公演をやったのは、松枝が中学一年生のときだった。

中三のときに初めて買ったギターは、六千円の川合楽器のナイロン弦がついたクラシックギターだった。千円ずつの六回払いだった。

当時、ビートルズにベンチャーズ、ビーチボーイズ・・・あげたらきりがないほど次から次へと日本へ上陸してきていた時代であった。

同級生ではエレキギターのバンドを組んでいるのもいて、松枝も憧れたが、とてもドラムセットやアンプなど、いわゆるエレキバンドを結成するための多額の費用を、決して裕福ではなかった松枝の親が出してくれるわけがなかった。

おまけに「エレキ」は不良がやる遊びと決め付けられてもいた。

当時の流行はソリッドのエレキギターで、つまりは共鳴箱のない「板」に弦とマイクがつた物だったが、結構いい値段がした。

松枝は当時でもこのソリッドのエレキはあまり欲しいとは思っていなかった。むしろ、ジャズミュージシャンのジムホールとかウエスモンゴメリーらがもつエレクトリックアコーステイックギターに憧れたが、そんなギターは田舎の楽器店では見たことがなかった。

高校生になって、アルバイトで小遣いをためて買ったフォークギターは、モーリスという国産メーカーの安物だったが、結構気に入っていた。

 

高校二年の春に同級生の正文と綾子の三人で当時流行っていたピー-ターポールアンドマリーをコピーしたフォークバンドを結成した。毎日のように三人は、放課後になると松枝の実家の離れにある部屋に集まり、レコードが磨り減るほどPPMを聴いては練習を繰り返した。

当時時折開催された市内のフォークソングのコンサートにも何度も出演したし、ローカルラジオ放送のゲストにも呼ばれて出たこともあった。

受験勉強などそっちのけで夢中になって音楽をやったときだった。でも、高校卒業と同時に、三人の人生は夫々の道へと続いて行き、バンドは自然消滅的に解散になった。

松枝は東京の私立大学へ進み、正文は東北の国立大学へ入学した。綾子は地元の女子短大へ進学したので郷里にいたから、夏休みにはまた三人で集まったこともあったが、やがて綾子は父親の転勤に伴い、短大卒業と同時に関西方面に引っ越して行ってしまい、所在がわからなくなってしまった。

 

松枝も正文も綾子が好きだった。

二人にとって綾子は初恋の女だった。

二人は互いの綾子に対する気持ちを知っていたから、彼女に手を出せなかった。綾子に対する気持ちを表すことは二人の間では暗黙のタブーだった。

でも、高校を卒業すると、松枝も正文も新しい土地での学生生活に夢中になる日々が続き、やがて高校時代の淡い初恋は時とともに過去へと流れていってしまっていた。

正文とは四十年も経った今でも一年に一回程度は銀座で飲むこともあり、また、家族ぐるみの付き合いもしていたが、綾子のその後の消息は二人とも掴めなかった。

二人は何十年も経ってから、そんな話を互いにするようになり、いつも銀座で会って飲んでも話題は常に綾子のことだった。

 

松枝はギターを随分買ったが、結局エレクトリックなギターは持ったことがなかった。

そんなギターに夢中になったのも、彼にとっては大昔の話で、あれから四十年の歳月が経って、沢山あったギターも殆ど手放してしまっていた。

気に入っていたモーリスだけは大事にいつも磨いて持っていたが、あるとき会社の後輩に呉れてしまってからもう二十年もの年月が経っていた。

 

不思議な力で引き込まれるように、明かりが道路に漏れる半分閉まったシャッターをくぐって、松枝は何十年ぶりかで「楽器店」という店の中に入っていった。

その店は楽器店ではなくて「ギター屋」だった。

つまり、ギターしか置いていない楽器店なのである。

 

一九六〇年代後半にヤマハ楽器から発売されたフォークギターは大中小三種類ぐらいあって、二万円台だったが、当時はこれが高くて松枝には高嶺の花だった。

なんと驚いたことに、そのFG-180、FG-230などのモデルが、当時のそのままの形で、その店にはずらりと置いてあった。

これだけ時代が変わって、物価が変わったのに、四十年以上前と全く同じ2万3000円の値札が付いているのは信じられなかった。

どう見ても中古品ではない、新品であるようだ。

酔っ払っているんだろうか・・・・と松枝は思った。

狭い店内には所狭しとありとあらゆるギターがラックに置いてあり、「エレキコーナー」と書かれたエリアには、フェンダーのシックなソリッドエレキが天井からたくさんぶら下がっている。

「まてよ、今のミュージシャンは『エレキ』なんて言葉は使わないんだろうなあ」「でも、じゃあ、なんていうんだろうか・・」などと頭の中で考えていた。

壁には信じられないことにビートルズやローリングストーンズ、アニマルズ、ビーチボーイズといった1960年代のグループのポスターがずらりと貼られている。それらのポスターはまるで昨日貼られたかのように色あせもせず、壁に無造作にピンで留められていた。

高級なギターは触られないように、壁際に設置された鍵の掛かったガラスケースの中に納まっている。 マーチンのDシリーズのフォークもあって、D-28は55万円の値札が付いて飾ってある。 

「昔マイク真木が持っていたのは確かD-25だったなあ」

ボブデイランも使っていたギブソンの大型フォークギターで、鳩の飾りの付いた、とても懐かしい「Dove」があり、釘付けになった。

当時夢のような憧れのギターだった。65万円の値札が付いていた。

松枝が高校生だったときのこのギターの値がいくらだったかなんて知るはずもない。おそらくもっと安かったんだろうが、当時の松枝にとっては天文学的な金額であっただろう。

65万円と言うギターの価格は現在でも高額には違いないが、既に二人の娘を嫁に出して、家のローンも払い終わった今の松枝には出しても生計が狂う金額ではない。

 

ガラスケースに立ち止まってマーチンとギブソンに見入っていると、ふと背後に人の気配を感じた。

振り返ると、人の良さそうな初老の男が立っていた。

「どうですか、マーチン、やっぱりいいですよねえ・・・・」

ここのご主人であった。歳は松枝よりは少しばかり上のようだが、白い口髭が似合う、いかにもミュージシャンらしき風貌の人である。

「すみません、遅い時間に・・・もう店じまいですよね。 ちょっとおもてにフルアコがあったんで、中にいれさせてもらいました」

「いやいや、ごゆっくり、いつまででもどうぞ。 マーチン弾いてみますか?」

「え!、と、とんでもない、それより、表にあるフルアコ見せてくれませんかね」

「いいですけど、あんなのギターじゃあないですよ・・・」

「ギターなんて、今も昔も値段はあんまり変わっていないんですよ」

「そうみたいですねえ・・・ヤマハの昔のフォークがおんなじ値段ですねえ」

「ええ、まあそうですねえ・・・」

「マーチンは触ったことがないから知らないけれど、あのヤマハが出て、最初にローコードを鳴らしたときの中低音の広がりにはぼくも唸りましたよ」

ステラデイバリウスじゃあないけれど、ギターもバイオリンも同じ木で出来た弦楽器である。百年経っても、保存がよければ、音色は変わらないのである。

「へえ、フォークやっていたんですか?」

「いやあ、グループサウンズの成れの果てですよ」

実際にはそうではないんだけれど、酔っ払っている上に、そのほうが気がきいているような気がして、松枝は場の雰囲気で口からでまかせを言った。

「ときどきね、お客さんみたいな背広姿の人が来て、話を聞くと、昔有名なバンドのメンバーだったりしますね」

「で、懐かしくてギターを買って帰られる方がいますよ」

「アコーステックは持っているんで、エレクトリックのジャズギターなんか欲しいなあとは思っていたんですよ」

「時々週刊誌とかの裏表紙に、『アンプ付きセット』とかで安い値段で載っていますよねえ」

「ああ、表においてあるやつは全くその手のやつですよ」

「お客さんなんかが買う代物じゃあないですよ」

「ちょっと、こっちへいらっしゃいな」

と言って、店の奥のほうに案内される。

 

途中の数段ほどの階段を降りて、半地下になった奥に通されると、そこにも沢山のギターが並んでいて、フルアコがずらりとおいてある。

とても懐かしい弦楽器特有の塗料と木の香りが狭い地下室に満ちていた。

「このあたりのものなら、どれも結構いい音しますよ」

さりとて、どれも結構な値が付いているではないか。

ざっとみると、ブラウンのぼかし塗装を施したものが多い中で、一本だけ明るい色の少し小ぶりのがあった。

取り出してみると、エピフォーンのもので、メイプルのボデイ色がまぶしくて、ネックの貝殻細工がとても美しい。

エピフォーンといえば、ビートルズがこよなく愛した歴史あるブランドではないか。

大昔はギブソンと肩を並べていたけれど、その後外国で粗悪品を生産して評判は落ちているらしい。でも、松枝にとってはエピフォーンといえば、ビートルズがオーバーラップする憧れのブランドでしかない。

「お客さん、さすがに眼の付け所がいいね、これはエピの16インチのクイーンと言うやつで、特にこれはジョーパスのレプリカモデルで限定版なんですよ、ほら、ピックガードにサインが入っているでしょう、シリアル番号が付いていて、日本にはそうは沢山ないと思うよ。 これはね、先週ぼくが一本だけアメリカから取り寄せたやつですよ」

見れば、確かに、メイプルのボデイに似合ったべっ甲模様のこげ茶のピックガードとネックのボルトカバー部分にも、かのジャズギターの大御所、「Joe Pass」のサインが白文字で入っている。

16インチというのは確かにちょっとだけ小ぶりで、なんだか持った感じが凄くよい。

「はい、どうぞ」と言って、主人が椅子を持ってくる。

弦を確かめると、なんと殆どチューニングしてあるではないか。

ざらーんとハイコードを鳴らすと懐かしい音が狭い地下室一杯に広がった。

フルアコのボデイだから、一応十分な音が出る。

「ちょっと待って、お客さん」と言って、主人は黒いアンプケーブルを持ってきて、松枝が抱えたエピフォーンのボデイに銀色したジャックを挿した。

後方に置いた大きなアンプから「わわーーーん・・・・」と余韻が響いてきた。

 

街角でばったり出逢った昔の恋人を抱いているような気持ちになり、松枝の胸は高鳴った。

ピックを借りて、一番弦の高音から始まる「黒いオルフェ」のイントロを弾いてみる。

一部分だけを指が覚えていた。

なんとも酔った脳みそが溶けてしまいそうな音がスピーカーから流れ出てきた。

「なかなかいいじゃないの」主人がおだてる。

 

結局、散々ギターを見せてもらって、その店には小一時間いたが、「また来ますね」と言い残して松枝はその店を去った。

その晩、松枝は家に帰ってからも店で触ったギターの感触と匂いと、そして音色の余韻に浸っていた。

もう、心はまたギターを一本買うことに決まっていた。

でも、あのエピフォーンのフルアコか、はたまた一生に一度の買い物としてギブソンを買うか、それだけを迷っていたのである。

PCを開けて、インターネットで「ギター」を検索してみた。

確かにダーブやD-28は今でも特殊な市場で売り買いされていることが見てとれたが、大手楽器店に置いてある代物ではないようだった。

不思議なことに、店で音を出してみたエピフォーンの「クイーン」というモデルがエピフォーンのカタログの中には見当たらない。

ずっと奥のほうページに1960年代のモデルが参考に並んでいて、その中の製造中止の製品群のなかに出ている。

「店の主人は、先週取り寄せたばっかり、と言っていたのになあ・・・俺が鳴らしたのは四〇年以上も前のギターか」

なにかとても不可解な気持ちになった。

「又来週行って見よう」と、PCを閉じた。

 

翌週突然の出張になって、ニューヨークに飛んだ松枝は、仕事帰りにマンハッタンの49番街の古い街並みに佇む楽器店にいた。

ああいったギターが本国の米国ではどういった価格なのか知りたかった。

その店は、外側からのクラシックな印象と店内の印象は全く違っていた。

店内はパンクなミュージックで溢れていた。ここにも沢山のギターが置いてあった。

店内には見たこともない胴体がスケルトンのエレクトリッククラシックギターとか、極彩色のソリッドギター、ネックに弦巻きのないギターとか、松枝の見知らぬ世界が展開されていて驚いた。

立川の店に入ったときは何も違和感がなかったが、ここは異次元の世界であった。

「いや、待てよ」

松枝はようやく認識した。

「この店が普通の店で、あの立川の店はなにかおかしい・・・」と。

自分があの店で全く違和感を感じなかったのは、四十年前となにも変わらなかっただからだ。

 

「ギブソンのダーブはないのか?」

けばけばしい格好の金髪で長身の店員に尋ねてみた。

「え、ダーブ? ギブソンのフォークか?」

「そういや、大昔そんなのあったかもしれんなあ」

「どこに行けば見つかるかな?」

両耳からギターの形をした金色の大きなピアスをぶら下げたその若い男は、にたっと笑うと、

「今夜シャベルを持って、セントラル墓地の地面を掘ってみろ、そうすればお前の探しているものはきっと見つかるだろう」と言った。

こういう答えが日本で返ってきたら、殴ってやろうかという気になるが、英語でさらっと言われると、にっと笑うしかない。

OKI’ll do that. (よし、やってみよう)」

You’ll join me tonight ? (お前も今夜付き合うか?)」

と突っ込んでみる。

No thanks, Sir.

I’m gonna Yankee Stadium to meet Matsui together  with my girl friend this evening. (今夜は彼女と松井を見に行くんで、すみません、だんな)」

という丁寧な返事で切り返されてしまった。いかにもアメリカ人的である。

とにかく、ここにもそんなギターは売っていないことがわかった。

 

松枝は結局二ヶ月余りも米国に滞在した。当初二-三週間の予定で出発したのだが、カンザス州の協力会社の新規事業立ち上げは思ったより難航し、支社のあるニューヨークとカンザスを毎週のように往復し、日本との調整をしながら現地での技術支援に奔走した。

ようやく帰国したのはすっかり秋風が吹き始めた十月も終わりであった。

久しぶりに中野の本社に出社した初日の夕方、松枝はまた立川駅南口の雑踏の中にいた。

「おかしいなあ・・・確かにここら辺だったがなあ・・」

松枝は戸惑っていた。

もうかれこれ四十分以上は歩き回っただろうか。いくら賑やかになったとはいえども、たかだか駅前だけの開発である。四、五分も歩けば何もない昔の立川の街が現れる。

そんなに複雑な場所でもなく、通りが何本もあるわけでもないのに、あのギター屋が見つからないのであった。

小さな空き地が二つほどはあったが、「こんなところじゃあないしな」と否定した。

空き地というのは毎日通っているところでも、空き地になったとたん、そこに以前は何があったのか思い出せないものである。

「このあたりに楽器屋があったんだが、知らないか?」

ビラを配っている男達に聞いてみたが、誰に聞いても「知らない」という。

 

どうにも不思議だ。 あのギター屋はこの立川の街から忽然と消えてなくなってしまっていたのである。

松枝は考え込んでいた。 

「あれは、幻覚だったんだろうか? タイムスリップというやつだったんだろうか・・・・」

確かにあの八月の蒸し暑い晩、半分閉まったシャッターをくぐって入った空間には、どう考えても理解できないものばかりが並んでいた。

やはりあそこは異次元の空間だったのだろうか。

松枝は鉛色に沈んだ空を見上げて、困惑するしかなかった。

 

帰宅してから、またまたインターネットで立川南口商店街や楽器店関連のサイトをチェックしてみたが、どこにもあのギター屋の存在は、気配すらも感じられなかった。

電話帳で調べようともしたが、そういえばあの店の名前を確認してきていなかったことに気がついた。

電話局の番号案内に電話してみた。

「立川駅南口の柴崎町か錦町あたりの楽器店を探しているんですが・・・すみません、その店の名前はわからないんです」

「少々お待ちください、『楽器店』でお調べしますので・・・」

女性のオペレータが対応してくれた。ややあって、

「お待たせしました、駅ビルのグランディオの五階には『山際楽器店』がありますが・・・」

「いや、街中の小さい店なんですが・・」

「立川市柴崎町、錦町、曙町にはお届けになっている楽器店はありませんねえ・・・」

「そうですか」

どうにも理解が出来なかった。

確かに酔っていたから、あの店は立川じゃなくて、別の街だったんだろうか。

あるいはあの居酒屋で居眠りしていたときに夢を見ていたのだろうか・・。

いや、そんなはずはない、今夜の街並みはあのギター屋以外はしっかり記憶がある。

すっかりあのギブソンのダーブを買う決心をして、久しぶりの職場の同僚の誘いも断って立川に飛んできたのに。

あのギターが売れてしまったというならいざ知らず、店が忽然と消えてなくなってしまったのには参った。 

でも、「消えてしまった」というより、「最初からあそこにはなかった」と考えたほうが自然な気もした。

「一体あの店はなんだったんだろうか?」 松枝は途方にくれた。

 

「ギブソンダーブ」でまたインターネットを検索してみる。

特殊なビンテージ品を扱うバーチャルショップが販売していたが、あの店で見た六〇年代のものは百万円を超えた金額が付いていた。安い物もあったが、それらは比較的新しい年代の製品のようだった。

 

ヤフーのオークションをチェックしてみた。

「ギター」で検索をかけると、沢山のギターが個人や業者から出展されている。

ギターのオークションだけでも相当なページ数を占めていたが、何ページかを閲覧してゆくと、一本のギターが松枝の手を止めた。

「MORRIS W-160 1965年製 程度上」とのタイトルで売りに出ていた。

マウスで小さな写真部分をクリックすると、とても懐かしい大型フォークギターの写真が画面いっぱいに出てきた。

それは忘れもしない昔大事に使っていたあのモーリスと同じモデルだった。

社会人になって、所帯を持って、仕事が忙しくて、娘達も小さくて、住まいも手狭で、あの大型ギターは置き場もなく邪魔な存在だった時代に、たまたま飲んだ帰りに自宅のアパートにつれてきた新人の部下が「欲しい」というので、簡単に呉れてしまったギターだった。

呉れてしまったことに当時は特に後悔も何もなかった。

 

突然のように、四十年前のあの光景が松枝の脳裏に蘇ってきた。

正文と綾子と三人で、毎日毎日離れで練習をした。

正文が弾くウッドベースが離れの小さな部屋の窓ガラスを振動させた。

スリーフィンガーピッキングで弾くスチール弦のモーリスの音が軽やかだった。

左指がフレットをスライドするときの「キュキュ」という音、綾子が流れるような英語で歌うピー-ターポールアンドマリーの「In the Early Morning Rain」のアンサンブルが松枝の耳の奥底から流れ出てきた。

 

季節のよいときには小高い丘にある公園の東屋に集まって真っ暗になるまで練習をした。

秋には公園の森は真っ赤に染まった。

丘の頂上に一本だけそびえ立つ銀杏の樹は黄色に染まり、あたり一面を黄色の絨毯で敷き詰めた。

暗くなって自転車の後ろに綾子を乗せて家まで送っていった。

錦絵に染まったトンネルの中を、落ち葉を巻き、風を切りながら坂道を下っていった。

夏にはヒグラシの合唱が後から追いかけてきた。

春に海沿いの堤防を走ると沖合いの漁火が綺麗だった。

幼いときから毎年見ている光景なのに、綾子はいつも「綺麗ね」と言った。

後ろに乗った綾子が腰に両腕を絡めると彼女の体温が伝わってきた。

 

高価なギブソンよりもこの65年製のW-160をなんとしても手に入れたいという衝動が松枝を今突き上げていた。

その出品は明らかに個人のものであり、「5千円」の価格が付いていて、締切日は明後日の午前零時だった。

当時でもたかだか一万六千円のギターであり、特にブランド品でもなく、こんなものを落札する物好きは自分ぐらいだろう、と松枝は考えていた。 とりあえず六千円の応札金額を「タカ」というハンドルネームを使ってパソコンから打ち込んだ。

翌日、帰宅してまたPCをあけて、昨夜のギターの価格の状況を見てみた。すると、ハンドルネームが「マッキー」という人が六千五百円の値段を付けて落札権利を握っている。さすがに全国規模のインターネットだから欲しい人は他にもいるもんだと、感心した。

即座に七千円の金額を入力した。

松枝はその晩も寝る直前に競りの価格チェックしたが、やはりライバルは一人だけで、またまた彼が八千円に値を吊り上げている。とりあえず九千円の金額を入れて、高値を自分で更新しておいた。

最終日の明日の競争価格の状況次第と思っていた。

 

翌晩また見てみると、やはり「マッキー」さんが九千五百円で高値を更新している。

締切時間が深夜十二時なので、ぎりぎりの時間に五百円差で落としてやろうと、十二時五分前に目覚まし時計をセットして、一杯飲みながらいつものように好きなモダンジャズを聴いていた。

大体こういったオークションは締め切りぎりぎりの攻防がスリリングなのである。

 

二人の娘が嫁いでこの家を出て行ってしまってからは、妻の洋子と二人きりになってしまい、帰宅してからも家の中は静まり返っていた。

夕食が終わって夜も九時を過ぎる頃になると、夫婦には夫々の時間がはじまる。

洋子は以前長女が使っていた部屋を占領してアトリエにして、昔やっていた油絵を最近また始めて夢中になっていた。松枝は次女の部屋をリスニングルームにして、毎晩クラッシックやモダンジャズを聴くのが楽しみだった。

松枝は高校時代に夢中になったバンドは大学に入ってからは止めてしまっていたが、ジャズを聞くのは好きだったから、レコードは沢山買った。最近ではクラッシックも時折聴くようになったのでCDも増えてはきたが、基本的にはアナログレコードにこだわっていた。

やはり、ターンテーブルで回るレコードにそっと針を落とし、「さー」という針がレコードの音のない溝を滑って行き、そして音が出てくるプロセスが好きなのだ。

CDの嫌いなところはいきなり音が出るところである。

 

オンザロックのグラスの氷が溶けて「カシャ」と音がした。

目覚まし時計が「ピピピ・・・」と鳴った。

入札価格を確かめようとPCの机に向かい、そのオークション画面を開いてみると、「このオークションは締め切られました」というメッセージが出ていて、「マッキー」さんが九千五百円で落札している。

「え、なんで?」

と、松枝は驚いたが、セットした目覚まし時計が十分ほど遅れていたことにやがて気がついた。

 

PCの画面にはW-160の写真が残っていた。

どうしても欲しかった。

うっかりミスをした自分に腹が立った。

暫く、どうしようかと考えていた。

ギターのオークションのページを隅から隅までくまなく見たが、モーリスのギターは今でも販売している普及型のW-130は何台も出品されてはいたが、四十年前にわずか千台ほど生産して製造中止になったW-160はどこを探しても見つからなかった。

また、オークションが終了した画面に戻ってよく見てみると、落札者の「マッキー」さんのメールアドレスを見ることが出来た。

どうせ、こんな古いギターなんかたいした価値があるとは思えないし、「私に譲ってくれませんか?」という交渉のメールを出してみよう、と松枝は考えた。

駄目もとである。

そう思うと早速その場でこんなメールを書いた。

 

マッキー様

突然のメールで失礼します。

東京の八王子市に住む「タカ」と申します。

今夜ヤフーのインターネットオークションで貴方様が落札されたギター、モーリスW-160 についてのお願いです。しばらく私の話に付き合ってくださいませんか。

 

私は新潟の海辺の田舎町で生まれ、高校までそこに住んでいました。新潟市に近い小さな町ですが今は過疎化して当時よりも更に田舎になってしまった町です。

あ、すみません、当時というのは、もう四十年も昔の話です。

その当時高校生だった私はアルバイトでお金をためてフォークギターを買いました。モーリスW-160というギターでした。

そうなんです、今夜貴方様が落札されたそのギターと同じモデルでした。

一昨日、オークションで偶然発見して、懐かしくて涙が出そうにさえなりました。

三日間貴方様と競いましたね。どうしても欲しかったのですが、ちょっと貴方様に遅れを取ってしまい、そちらに権利が行ってしまいました。

当時、私は高校二年から三年生の二年間、同級生の仲間の二人と組んで当時流行っていたフォークバンドを結成していました。

結構夢中でやっていたんです。今では頭も白くなってしまいましたが、ぼくにも青春があったのです、いやはや、死語ですね・・・でも他に言葉が見つかりません。

今では連絡先もわからなくなってしまいましたが、当時一緒に毎日練習した同級生の女の子は初恋の人でした。 好きでたまらない娘でした。

すみません、この歳になると懐古趣味です・・お恥ずかしい・・お笑いになってくださいね。

そのギターもいつしか手放してしまい、何十年もギターも音楽もやっていませんでしたが、ひょんなことからギターが欲しくてネットを見ていたら、この懐かしいモーリスが売りに出されていたんです。だから、どうしても欲しくて、落札できなったことがとても悔やまれます。

今夜、他のサイトも含めてW-160がないかどうか必死で調べましたが、ありませんでした。

あのギターは高級品ではありませんが、あまり生産されなかった製品のようです。それにあのギターはぼくにとってはとても大事な人生の一ページなのです。

自分のは二十年ほど前に手放してしまいましたが、こうして目の前に現物が現れてみると、どうしても欲しいのです。

乱暴な話で大変恐縮ですが、出来るならば、私に譲っていただけないでしょうか?

金額は貴方様のご希望の金額で構いません。

何卒どうかご検討よろしくお願い申しあげます。

ご連絡をお待ちしております。長々とすみませんでした。

草々

八王子市 松枝孝雄

 

開け放した玄関のドアから気持ちの良い風が秋の気配を運んできていた。

「こんちわー、宅急便です!」

玄関先から元気な男の声がした。

牧野綾子は洗濯物のカゴを床に下ろすと、急いで玄関に行き、届いた大きな荷物を受け取った。

居間に運び、急いで荷を解いてみると、きれいに梱包されたダンボールの箱の中から一台のべっ甲色の大型ギターが出てきた。

先週偶然インターネットオークションで見つけて、綾子が落札したギターだった。 

ボデイ中央の丸穴から内部を覗くと、ギターの内部に貼られたラベルには『MORRIS W160 1965』と印刷した文字が見えた。

もう四十年以上も前に発売されたフォークギターだったが、不思議なくらい程度が良くて、ボデイに殆ど傷もなく、随分と大事にされていたギターのようだった。

「へえ、なつかしいなあ」

と言いながら、ギターの裏面をひっくり返して見て、綾子は一瞬息を止めた。

茶色の木目も美しい裏面に貼られた「VAN」ジャケットの丸いステッカーには明らかに見覚えがあった。 

そしてそのステッカーの横に「Takao Matsueda」の文字が小さく、そして丁寧に刻んであった。

信じられなかった。

 

綾子の亭主の牧野雄二は、テナント店の看板を業者が来て取り付け作業をやっているのを通路から腕組みして見上げていたところだった。

看板には「Mackey’s Vintage Guitars」の飾り文字が見えた。

市内に電車の駅がなくて、東京の「陸の孤島」とまで言われた東京都武蔵村山市の日産自動車村山工場の跡地に突如として出現した巨大なショッピングモール「ダイアモンドシテイ」は4000台の駐車場を擁してもうじきオープンの予定だった。

各階を吹き抜けにする回廊方式で、最近流行りの造りのショッピングモールには、沢山のテナント店が開店準備中で業者が走り回り、活気に溢れていた。

 

「いいお店ね、ゆうちゃん」

「素敵な看板じゃない」

「私の言うとおりにして良かったでしょう? あんな立川のぼろ店捨ててきてさ」

「第一、あそこはもう酔っ払いしか来ない場所になっちゃたのよ」

雄二は黙って、綾子の言う事に頷いてはいたが、四〇年余りも共に生きてきた店がクレーンで潰されてゆく様がいまだに瞼に焼き付いていて、複雑な気持ちであった。

すっかり片付けられ整地された空き地は、車がようやく一台駐車できる程度の空間でしかなかった。

綾子は持ってきたモーリスW-160を装い新しい店内の端に陳列した。

雄二は目ざとく見つけて、意地悪そうな目で笑って、綾子に言った。

「おや、ご執心のモーリスですな」

「なあに、ご執心ってさ?」

「知ってるよ、これって、君が高校生のときに、PPMのバンドやってた時の君の彼氏が持ってたやつと同じモデルだろ?」

「え、何でそんなこと知ってるのよ」

「ずっと昔に君が大事に持っていた写真に写っていたよね」

「大昔のことよ・・」

綾子はそういって、大事なものを扱うようにモーリスの肩に優しく触れた。

 

同じモデルどころか、綾子が好きで好きでたまらなかった孝雄の愛用のギターそのものであることを雄二には言いたくなかった。

「はいはい、そうでしたね、じゃあ、特等席に置かなくっちゃあね」

「いいわよ、ちょっと、触らないでよ・・・これはわたしのよ」

 

翌日綾子が店に出てみると、高級ギターが並ぶガラスケースで閉じられたビンテージコーナーの隅っこにそのモーリスは置かれていた。

「非売品」という張り紙の横に、茶色の枠の小さなフォトケースが白木の三脚に載せられて立てられていた。

中にはセピア色に変色した白黒写真が一枚入っていた。

ギターを抱えた長身でアイビー刈りの二人の少年とその間に挟まって、まだ幼さが残る小柄で長い髪の少女が写っていた。

新しい店のなかにもギターのどこか懐かしい匂いが満ち溢れていた。

 

その日綾子は久しぶりに自分のパソコンのスイッチを入れた。 殆ど必要のないとき以外はパソコンを開くことはなかった。

メールをチェックすると、「W-160」というタイトルのメールが一通着信していた。

日付を見ると先週送られたものだった。

長々としたメールだったが、最初の五行を読んで「もしかして・・」という予感は最後に付けられていた署名で現実であることが確認できた。

昨日のW-160が孝雄のメールも一緒に綾子のところへ運んできてくれた。

信じられないことが二日連続で起きた。

 

松枝は先週の夜半に「マッキー」さんに送ったメールの返事が届いていないかと、毎晩帰宅してからパソコンのメールをチェックしたが、一週間経っても返事は来なかった。

「やっぱり、書いた内容がくだらなかったかなあ・・・」

「多分、譲ってくれる気がないんだろうなあ・・・」

と諦めていた。

インターネットの相手というのは、年齢も性別もわからないことが多いが、なんとなく自分勝手にイメージを作り上げてしまうことがある。

松枝もこの「マッキー」さんはきっと自分と同年代を生きてきた男だと思いこんでいた。

その晩もまた、PCを開けてメールをチェックすると、「Re W-160」というタイトルの先週のメールの返信が入っていた。

 

松枝孝雄様

 

マッキーこと牧野綾子と申します。

メールのお返事が遅れましてごめんなさい。

 

孝雄の告白は遅すぎましたね。

四十年もの時空間を飛んで貴方のラブレターが今夜届きましたよ。とっても嬉しかった、ありがとう。

あのころこんな風に気持ちを言いあっていたら私たちはどうなっていたのでしょうね。

人生は面白いものです。

きっとあなたもそうでしょうが、私は十代も二十代も三十代も四十代も夢中で生きてきましたし、夫々の時代の自分が好きでしたよ。そして今の五十代もゆったりと時間が流れていって素敵な毎日です。

現在も将来もそして大昔のことも私達の大切な人生ですね。

だから、偶然インターネットであのモーリスを見つけたとき、私も女子高校生にタイムスリップしたのでした。

あなたと一緒の青春がありましたよね。

「青春」っていい響きの言葉です、私は好きですよ。きっと娘は馬鹿にするでしょうけれどもね。

そうそう、先月長女が出産して、私も正真正銘のおばあちゃんになってしまいました。

あなたのほうはどうなのかしら?

昨日あなたのモーリスが私のところに届きました。

オークションで見つけたとき、孝雄が持っていたのと同じモデルだとすぐ気がつきました。

結構珍しいギターですもの。

実は私はギター屋さんやっているんですよ、プロです。

いえ、ギター弾きじゃなくって、ギターを売っているお店をやっているんです。 

立川で四十年も主人がやっていたギター屋さんでしたが、先月たたんで、来月オープンする武蔵村山市のダイアモンドシテイの四階に新装開店の予定です。

でも、これが昨日届いてみて、貴方のギターだと知ったときは本当に驚きましたよ。

ちゃんと「VAN」のステッカーも四十年前とおなじで、変色もなく貼られていたのは信じられませんでした。

孝雄の名前もあのときのまんま刻んでありますよ。

そして、今夜は貴方からラブレターも届くなんて、本当にびっくりです。

多分このメールを読んで、今度は貴方が驚いている姿を想像するとわくわくします。どんなおじ様になったのかしら?

 

高森山の丘はどうなっているのでしょうか? 

新潟にはもう三十年近くも行ったことがありません。

毎日三人で練習しましたね。

私もあなたのことが好きでした。

毎晩自転車で家まで送ってくれましたね。

あの時間が嬉しくて練習に参加していたんですよ、知らなかったでしょう?

でも、もう、大昔の話ですね・・。

ところで、もう一つお知らせがあります。

これも偶然なんですが、実は来週の十一月の三連休に本当に久しぶりに新潟に行く予定です。

智子達と同級会をやることになっているんです。

正文と一緒に参加できませんか? 絶対来ますよね。

じゃあ、来週の十一月三日の正午に高森山公園の四十年前のあの場所で、あなたのギターを持って待っています。

あの頃のように公園の丘は真っ赤に染まっているのでしょうか?

あの丘の上の銀杏の木は今でもあるのでしょうか?

とても楽しみです。

またあの銀杏の木の下で、サンフランシスコベイブルースを三人で歌ってみましょうか?

私はまだちゃんと歌詞を全部覚えていますよ。

あのときのように貴方もギターを弾いてくださいね。

綾子

 

松枝は、何度も何度も綾子からのメールを読み返していた。

届いたメールは自分にとってあまりにも唐突過ぎた。

人生には予測していなかったことが突然現れると、人は理性を失うのかもしれない。目の前に出現した現実が簡単には理解が出来なかった。

 

古いジャズレコードがぎっしりと並んだラックの端っこを探ると、ジャケットが剥がれて朽ち果てたピーターポールアンドマリーの古いバーブレーベルのLPアルバムが出てきた。

中には結構手入れが良さそうに見えるレコードが入っていた。

ターンテーブルに乗せて、A面の三番目の曲にそっと針を置いた。

四十年も前の事なのに、この曲がそこにある事を忘れていなかった。

「じじー」と傷んだ溝をレコード針が走ると、やがて4ビートのウッドベースのソロのリズムをJBLのスピーカーが繰り出した。

San Francisco Bay Blues のハーモニーがアップテンポで流れ出てきた。

 

「ギター 完」