青木繁 わだつみのいろこの宮

 きらめくような画才を発揮しながら、中央画壇からはまともに評価されないまま29歳で客死した天才画家・青木繁(あおきしげる)。

 名前は知らなくても、勇壮な裸の男たちがモリで捕らえた大魚を担いで海辺を歩く『海の幸』や、豊玉姫と侍女が二人で水甕をささげるように持って裸体の青年(山幸彦)を見上げている『わだつみのいろこの宮』は、多くの人が目にしているはず。

 青木 繁は1882年(明治15)福岡の久留米で生まれた。14歳のころ、久留米在住の洋画家・森三美について洋画の手ほどきを受ける。17歳で上京し、小山正太郎の不同舎に入門。翌年東京美術学校西洋画科選科(教授・黒田清輝)に入学。

 その3年後の1903年21歳のとき第八回白馬会展で第一回白馬賞を受賞した『黄泉比良坂』『闍威弥尼』など一連の作品は水彩ながら、着想のイメージがズバ抜けていて天才の独壇場だ。なかでも古事記から想起した『黄泉比良坂』(よもつひらさか)は、黄泉の国へ降りたイザナミの命を訪ねたイザナギの命のおののきと、それに怒ったイザナミの命の女の妄念を一瞬に描いていて圧巻。

 同様に古事記から構想を得た『大穴牟知命』(おおなむちのみこと)や『日本武尊』(やまとたける)も、青木繁のイメージの豊かさ確かさを存分に発揮している。

 1907年青木は中央画壇における飛躍を期して『わだつみのいろこの宮』を東京勧業博覧会に出品するが、三等賞の最末席という惨憺たる結果に終わる。まさにここから、青木繁の人生はまっさかさまへ転落してゆく。折りしも実父が多額の負債を残してこの世を去り、妻福田たねと一子幸彦(福田蘭童)とも離れて暮らさざるを得ず、ひとり九州へ戻り放浪画家として晩年を過ごし、1911年3月福岡の病院で息をひきとる。享年29歳。

 洋画家・坂本繁二郎は文字通り同郷・同年の竹馬の友。夭折した 抽象画家・古賀春江(こがはるえ)は2人の後輩にあたる。 

 ※ 「わだつみのいろこの宮」は、散策中ぶらっと会場に入った夏目漱石が“目についた作品”として、その随筆に感想を書き記している。

(参考web-site)
TORAY
石橋美術館

東京国立近代美術館

2001.12.02







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