生誕100年記念 ダリ回顧展

 春さきの「新・日曜美術館」でダリを取りあげたさい、ゲスト出演されていた女優の岸 恵子さんが、まだ新婚のころ、映画監督だったフランス人のダンナさんと2人でスペインのダリの自宅を訪ねたときの興味ぶかいエピソードをお話しになっていました。
  「実際にお会いしたダリは、ごくふつうのおじさまでしたよ。でもね、メディア関係の方が訪ねてくると、突然、あの“芸術家ダリ”にパッと変身するんです」
 そんなダリの生誕100年を記念する回顧展が、今秋から開催されます。

 会 場  上野の森美術館
 会 期  2006年9月23日〜2007年1月4日
 主 催  Fuji-tv:生誕100年記念 ダリ回顧展

    >>> 生誕100年記念 ダリ回顧展 公式サイト

【ブック紹介】

『 BUNUEL LORCA DALI ブニュエル ロルカ ダリ … 果てしなき謎 』

(サンチェス・ビダル著/野谷文昭・網野真木子 訳
    /白水社 1998-08-10出版)
 この厚手の本は、首都マドリードにあった「学生館」という学生寮でともに過ごした青年期から、終生因縁の深かったスペイン出身の3人の芸術家― ルイス・ブニュエル(映画監督) ガルシア・ロルカ(詩人) サルバドール・ダリ(画家) ―の「シンクロした細胞的絡み」を最晩年まで記した希少な一冊。3人3様の深い謎がすこし解けていきます。

 たとえば、ダリとブニュエルが共同で制作した記念碑的な実験映画「アンダルシアの犬」のシークエンス(脚本)が、テーブルにカードを出し合うように、口頭で、交互にイメージを出し合いながら、昂奮とともに出来上がってゆく過程や、撮影のため先にパリで待機していたブニュエルが再三にわたる手紙でダリに、

「 劇中で使用する蟻(あり)がこちらでは見つからないので、そちら(スペイン)を発つ前に、できるだけたくさん集めてきてくれ!」

 と念を押していたにもかかわらず、ダリが手ぶらでやってきたのでブニュエルが激怒し、すったもんだのすえ、スタッフ・キャスト総出で汗だくになって「パリ中の蟻をさがしまわる」ことになってしまった話など、読ませるくだりも随所にあって、たいへん興味ぶかい1冊です。

 晩年ダリは「アンダルシアの犬」の続篇を撮ろうとブニュエルに持ちかけていましたが、ほどなくしてブニュエルが亡くなり、その企画は幻となりました。



(補 記)

 冒頭の新日曜美術館の前半では、ダリの画才に誰よりも早く、そして深く理解を示した母が、ヒステリーの発作を起こすほどのいちじるしい神経質さを持つ息子のために、専用のアトリエとして風呂場(兼用の物干場)を与えたことを、映像を交えて紹介していました。ダリ自身これでずいぶん心が癒され、また満たされたということです。

 後半ではもっぱらガラの奔放な男遍歴にスポットをあて、大成功を収めたアメリカ時代だけでなく、ふるさとスペインに戻ってからもそれはつづき、見かねたダリの旧友たちが「あんな女のどこがいいんだ。さっさとおんだしちまえよ」と助言するありさまだったと。それでもガラを愛するダリは、苦悩しながらじっと待ち続ける。ガラがダリのもとへ戻ってきたのは、病に冒され、体の自由がきかなくなった最晩年。

 番組では触れませんでしたが、見終わったあと「ダリはガラの姿に愛情ふかい母の姿を重ね合わせていたのだろうか?」 ……と、そんな思いを抱きました。

 それから、ご紹介した本の中には、妹さんの証言なども交えつつ青年時代のダリの様子が出てくるのですが、それは主にガルシア・ロルカとの仲むつまじい蜜月ぶりを記したくだりで、たんねんに読むと、ガラ以前、のちに詩人・劇作家として国際的にも名を馳せることになるこのロルカとの出会いによってダリが、少なからぬインスピレーションを得たことが分かります。

 ガルシア・ロルカ(1898−1936)は 、韻を踏んだ平易な言葉使いでシュールな世界を次々に創出した詩人で、“ 午後の5時/きっかり午後の5時だった ” で始まる「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌」はつとに有名。また音楽を奏でる劇の紡ぎ手でもあり、シュ−ルタッチのデッサンや水彩画を描く画家でもありました。 スペイン内戦勃発直後、ふるさとグラナダでフランコ将軍側に捕縛され銃殺。詩集「ジプシー歌集」 悲劇「血の婚礼」(3部作)など多彩。
 アンディ・ガルシアがロルカに扮した映画「ロルカ 暗殺の丘」は、ロルカの死の謎を追ったものです。
 (但し映画の出来は……★★★+1/2

初稿 2006.07.09


[ダリにかんするエピソード]

●天才の自覚
 7歳の時。麦の穂を描くのに、二刀流よろしく両手に絵筆を持ち、それぞれ別の絵の具をつけて交互に描いてゆくダリ。彩色を終えたところで、今度は麦の葉をちぎって貼りつけていく。それを後ろから見ていた地元の弁護士が叫んだ「この子は天才だ!」

― その言葉で自分は天才なのだと覚った。生涯に大きな影響を与えた一言だった」 (S・ダリ)

●天才の腕前
 天才だと叫んだ弁護士の甥で、ダリの師でもあるノリアス・フェルナンデスに学んだ、ダリ美術館館長のアントニ・ピショット氏によると、ダリはフェルナンデスを通じて「フェルメールやベラスケスの技法を完全にマスターしていた」という。 「筆の使い方は絶妙だし、絵の具など画材についても実にくわしかった」と。 
(注 : このエピソードは14歳〜15歳ころ同様の画才を示した同郷の天才P・ピカソを想起させます)

●いたずら心
 劇場をダリ美術館に改修する作業中、突然、「そうだ、なかにキャデラックを置こう」といいだすダリ。 これは、ガラに贈った世界に6台しかないうちの1台。入り口からしか入らないので「不可能だ」といってもダリは譲らない。クレーンを使ってようやくなかに入れると、今度は、柱の上にボートをのせようと。 
 (注 : 関係者の苦労がしのばれます)

●電話魔ダリ
 初代館長のルイス・トマスさんによると、ダリは入場者の数が気になり、しょっちゅう電話で問い合わせてきて困ったという。「私がどこにいようと電話で追いかけてきました。一日も欠かさず、日曜日でさえ」
 (注 : このへんはむしろほほ笑ましい)

●復活を信じたダリ
― 幼くして死んだ兄の生まれ変わりである私は、兄を死なせたことで不死身を得たのである」 そう語っていたダリ。 「日本の科学者たちが、十日間冬眠状態にあった猫の脳髄をよみがえらせた。当然私は楽観しているわけだ。私はちょうどぎりぎり最後の発見にしがみついて、生きながらえる可能性を利用するだろう」 と。
 ルイス・トマスさんによると、彼はもし死んだら防腐処理をしてもらいたい、いつかは生き返るから、といっていたという。実際、遺体は、200年以上生前のままの状態を保つ処置を施され、当時のフィゲラス市長の主張によってダリ美術館内の地下に埋葬された。

(注 : 才能が∞無限大の天才の魂は、貪欲に、死後も時代の変遷をチェックしながらインスピレーションを研ぎ澄まし、後世の人間たちを驚かせるべく、これまで誰ひとり見いだしたことのない超新世界のイメージを描くための構想を練っているのでしょう。 そして、復活したとき戸惑わないように、今どんな時代なのか、世界中からどんな人間たちがやってきているのか、どんなものが求められているのか、入場者の会話に耳を傾け、目を皿にしてその動きに見入っているのかもしれません)


 ダリ美術館−スペイン・フィゲラス


※ 注の箇所をのぞいた本文は、スペインで関係者に取材したカラー刷り「Weekend Nikkei(1992年3月14日)・美の回廊・カタルーニャの天才たち /文・今泉恂之介編集委員」 をもとに作成。

2006.10.12


ダリのいる風景

記憶の向こうにある
天才のイメージは …

神の降臨にも似た
ゆるぎない抽象性を

果たして
どこで獲得するのだろうか


2006.10.21


序破急の展示〜ダリ回顧展観賞記〜

 上の野森美術館。いってきました。展示作品は87点(油彩60点+グアッシュ・素描など27点)。 写真・書籍などの参考資料もところどころ添付されています。
 作品は、母国スペインで過ごした10代〜学生時代を皮切りに、シュールレアリズムの洗礼を受けるパリ時代、ガラ(詩人ポール・エルアールの元妻)とともに活動の新天地を求めて渡ったアメリカ時代、そして母国スペインに帰国してから晩年にいたる後期と、「序・破・急」的に本格化してゆくダリの創作活動を、おおむね時系列に添って展示している感じでした。

 学生時代には早くもキュビスムふうの風景画を描いていて、画想を先取りする尖鋭な気質が垣間見えます。いっぽう、媒体としている印刷物や映像において作品をたいへん大きく見せるので、そのイメージで足を運ぶと、「すこし小さいな」という印象を抱くかもしれませんね。しかし、「世界教会会議」(299.7cm×254.0cm 油彩・キャンバス)のような見事な大作もあるので、観賞するさいは「遠目から全体を俯瞰する眼」と「間近で細部を凝視する眼」の2つの眼を持ってご覧になるといいと思います。

 それから、絵画作品のほかに、最終フロアに入る前の奥まったスペースでは、ルイス・ブニュエルと共同制作した記念碑的実験映画「アンダルシアの犬」(約15分)が上映されています。上記ブック紹介でも触れた“話題の蟻”も何度か登場します。 この映画は案外笑えるんですよ。チャップリンの映画で使われるような「おとぼけな音楽」に気がつくと、それほど深刻なものでもないことが分かります。終盤、男の口元に自分の右の腋毛が盗み取られていることに気づく瞬間の、女性の「まあ!」というリアクションなんか、その一例でしょう。

 直線的な雲が満月にすーっと差しかかる映像とダブルイメージで映しだされる冒頭の女性の左目を剃刀で切るシーンは、実際には動物(仔牛…)を使って切る場面を撮影したものが合成されているのですが、それを知っていてもやはりギョッとさせます。

2006.11.13


 補 記 ― 展示されている著名な作品

 器官と手(1927年)
 カタルーニャのパン(1932年)
 ミレーの<<晩鐘>>の考古学的記憶の増大(1933-35年)
 家具栄養物の離乳(1934年) *
 夜のメクラグモ……希望!(1940年) *
 焼いたベーコンのある自画像(1941年) *
 新人類の誕生を見つめる地政学の子供(1943年) *
 奇妙な廃墟の中で(中略)妊婦に形を変えるナポレオンの鼻(1945年)
 ポルト・リガトの風景(1950年)
 記憶の固執の崩壊(1952-54年) *
 世界教会会議(1960年) *
 クニドスのアフロディーテの出現(1981年)
 無題 燕の尾とチェロ(1983年)

 * 印の作品は 「Fuji-tv ART NET:生誕100年記念 ダリ回顧展」 でも紹介されています。

 このうち「世界教会会議」という大作は実際に見るとたいへん明るい作品で、画面の建築学的構成とともにダリの画力の確かさを示す集大成的な作品の1つです。この絵は最後のフロアに展示されています。

2006.11.15


ダリの功績


サルバドール・ダリ 科学する天才



 アートの世界だけでなく、映像の世界も含めて、現代人にとってのシュールなイメージというものは、もはや存分に見慣れてしまっているので特別なものではなくなってしまっていますが、もしかりに、ダリとダリの絵画がいっさい存在しない状況下で、無意識の世界に潜む、多様で複雑な風景を、われわれは果たしてどれだけ明確に、あるいは鮮明に、イメージできるでしょうか?
 
 「記憶の固執」で描きだしてみせたぐにゃりと溶けた時計は、物理的にはありえない時空のゆがみが、われわれの日常的な精神世界の中では平然とイメージされていることを、衝撃的に教えてくれます。

 ブニュエルとの共作映画「アンダルシアの犬」が同時に物語るように、ダリの果たした役割は、アートにおいても映像においても、われわれの記憶の世界や無意識の世界で瞬間々々にイメージされる光景を “さまざまな見せ方でカタチにしてみせた” という点にあり、つかまえにくい精神世界を独自のイメージで照射し意識改革を促進させたという意味で、その功績には途轍もなく大きなものがあります。

 それからもう1つ明記しておきたいのは、きわめてシュールな抽象絵画であるにもかかわらず、ダリの絵は、そのほとんどすべてが「具象的なパーツ」によって構成されているので、子どもでも分かりやすい、という点です。 作品に対して詳細な解析や解釈を試みようとすれば、かなり難解な様相を呈するわけですが、しかし、絵そのものに描かれているもの1つ1つはけして難解ではなく、誰が見ても容易に察しがつくものがほとんどです。そこにもダリの作品が世界中でひろく喝采を浴びてきた要素があり、あわせて「ダリの素朴な童心」というものも垣間見える気がします。

2006.11.21







 アート file

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 文 学 file

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