
| 版画家:池田満寿夫の世界展 |
![]() | ひさしぶりに画展へ行ってきました。表題どおり「版画家 池田満寿夫の世界展」。場所は上野の東京都美術館。上野動物公園のそばで、東京芸大と隣接したところにあります。今回の作品展は、郷里長野の両親の主治医でもあった医師・黒田惣一郎氏が約30年かけて蒐集した全版画[黒田コレクション]から約400展を展示。あらためて池田満寿夫の創作活動がいかにエネルギッシュで劇的な展開をみせたかを再認識した感じです。 |
作品は1950年代の最初期から1990年代の最晩年までずらり。活動開始当初の「われらのマーチA」「われらのマーチB」といったクレー風?の油彩は抽象世界の出発点を感じさせるもので、ゆるやかなカーブと色彩のコンポジションにはホホ笑ましいものがありました。その直後からは瑛九(えいきゅう)のすすめで始めた版画の世界へ、ほとんど躊躇なく入っていったようです。納得して移行したような心理のありようは、ピカソの世界と棟方志功の世界がやわらかく溶け合った木版画の小品を見るとすぐに分かります。作品の持ついかにも満足げな表情。木版ではまだモノクロームですが、その後幅広く展開される世界の萌芽をみずみずしくはらんでいて、観ているだけで思わずユーモラスな笑いがこみあげてくるようでした。
木版をすぐに通過すると色刷りのエッチング(銅版画)の世界へ。「原始の太陽」「太陽と女」といった作品にもクレーやカンディンスキー、ピカソやミロなどの世界を想起させる画風がみられ、ホォーッと溜息がでそうでした。あいだに豆本の詩画集作りをはさんでニューヨークへ移り住むまでエッチングの制作が続き、ニューヨーク時代に入るとコラージュを多用したポップ・アートの世界へ思い切りシフトしていきます。素材は雑誌などに載っている写真(ほとんど女)をよく使っていたようです。意図した俗っぽさが全面に……。 1960年代後半からは、晩年まで続くリトグラフ(石版画)の制作が本格的にスタート。ジャン・コクトーや瀧口修造の詩から着想を得た作品もあり、自在性・柔軟性を秘める貪欲な池田満寿夫の面目躍如といった印象です。また1970年代後半ファッションモデルの山口小夜子をモデルに取り組んだ<SAYOKO>シリーズ(ドローイング)も全面的に展示されていました。(陶芸品も少々 総じて池田満寿夫の作品はやわらかくて闊達な線と、抑制の利いた中間色との快楽的なハーモニーが特徴で、観る者を飽きさせない不思議な広がりを持っています。ピカソありクレーありミロありウォホールありロートレックありブラックありマチスありカンディンスキーありコクトーありベルレーヌありで、陰部をまさぐるエロスの万華鏡はまったく色褪せることなく、今も豊潤で妖しく健在でありました。 2002.02.10
■版画家 池田満寿夫の世界展 ■池田満寿夫美術館 |
| 写楽は役者だった! 〜池田満寿夫推理ドキュメント |
写楽の謎解き番組でユニークだったのが、昨年(2006年)12月3日PM11:45〜翌AM1:05(80分)に再放映された、 NHKアーカイブス〜NHK特集「池田満寿夫推理ドキュメント・謎の絵師=写楽」(1984年)〜という番組。書籍化もされている “池田満寿夫の写楽考” にそって、池田満寿夫本人が写楽の謎解きをしてゆくプロセスを映像におさめたドキュメンタリー番組で、ナレーションにも参加している実験的意欲作。 冒頭、数人の写楽説(石の森章太郎=歌麿説、福富太郎=司馬江漢説など)が紹介されたあと、浮世絵師たちと同様、版画家として国際的にも名の通っている池田満寿夫が、同じ“絵師の立場”から1点突破で着目したのは「描き手の深層心理」。 ― 写楽は作品の中にかならず自画像を描いている。 絵描きとはそういうものだ」 すべてはこの直感的推理からはじまり、自画像さがし(=写楽さがし)へとすすんでゆきます。最初のふるいは、きわめてインパクトの強いアンバランスなデフォルメをみせる1期と、バランスのとれた作品が多く登場するようになる2期以降の「作風の違い」。ここで池田満寿夫は「1期と2期では作者が違うのではないか」と推察。 ― たぶんそうだ。 ……まちがいない」 そうにらんだ彼は、「おそらく写楽は素人で、本人が描いたのは1期の28点だけ」という回答をみちびきだすことに。 その後さまざまな文献をひもとき、現役の歌舞伎役者に取材したり、写楽の墓とされる阿渡徳島を訪れたりと、さまざまな写楽捜索活動を展開。 そのいっぽうで、的を絞った1期の全作品を精査するため、目・鼻・口・輪郭など、パーツごとに接写したオリジナルのスライドを作り、それを自宅の映写機で壁に大きく映しだして、1枚1枚たんねんに凝視してゆく作業をくりかえします。このとき、かたわらにいた陽子夫人にも、他と異なる印象を受けるパーツがないか意見を求めるシーンがでてくるのですが、結果的にこれが、池田満寿夫による写楽特定の決め手につながってゆきました。 ひとりだけ特徴の異なる人物として陽子さんが指摘したのは、目立って団子鼻の 中村此蔵。 しかしこの時点ではまだ、池田満寿夫もその指摘に耳を傾けるにとどまり、ふたたび中村此蔵がど〜んと存在感を増すのが、その後の文献検索で、フルネーム東洲斎写楽の「東洲」の文字を歌舞伎役者の名鑑である『明和伎鑑』のなかに発見したとき。 ここに記された末席の役者のひとりだったのが、その中村此蔵。池田満寿夫の推理はこう。中村此蔵は一級の歌舞伎役者になりたいと思ってはいたものの、夢を果たすことができす、縁あって役者絵の仕事がころがりこんできたとき、わが身を投影するかのように、花形役者の陰にかくれている無名の役者たちの姿にスポットを当ようという心理が働き、役者の世界の “もうひとつの真実” を描かんとして、あの「1期の写楽絵」が生れたのではないだろうか、というものでした。 そして最後に、写楽の楽は「楽屋の楽」で、「楽屋を写す」ところから写楽という雅号につながったにちがいない、と ……。 ■NHK特集「池田満寿夫推理ドキュメント 謎の絵師・写楽」(49分) 1984年7月1日放送 2007.01.20
池田満寿夫 展 「寄贈されたM&Yコレクション 池田満寿夫の版画」展 □ 会 期 11月20日〜12月24日 ■ 会 場 京都国立近代美術館 「池田満寿夫 知られざる全貌」展 □ 会 期 2008年1月26日〜3月23日 ■ 会 場 東京オペラシティアートギャラリー ■ 主 催 毎日新聞社 2007.12.10
■ 新日曜美術館「池田満寿夫 エロスと般若心経の間」 放映日 2008.05.11(日) 2008.04.29
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