詩人・金子光晴 「洗面器」



      洗 面 器

                              金子光晴


( 僕は長いあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが爪硅(ジャワ)人たちはそれに羊(カンピン) や魚(イカン)や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたえて、花咲く合歓木の木陰でお客を待ってゐるし、その同じ洗面器にまたがって広東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ しゃぼりしゃぼりとさびしい音をたてて尿をする。 )




洗面器のなかの
さびしい音よ。

くれてゆくタンジョン
雨の碇泊とまり

ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。

人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。

洗面器のなかの
音のさびしさを。



( 『女たちへのエレジー』 から)





詩人・金子光晴 「ニッパ椰子の唄」



    ニッパ椰子の唄

                              金子光晴




赤錆あかさびの水のおもてに
ニッパ椰子が茂る

満々と漲る水は
天とおなじくらい
高い

むしむしした白雲の映る
ゆるい水襞みなひだから出て
ニッパはかるく
爪弾つまはじきしあう
こころのまっすぐな
ニッパよ
漂白の友よ
なみだにぬれた
新鮮な睫毛まつげ

なげやりなニッパを かい
おしわけてすすむ
まる木舟のふなばたと並んで
川蛇がおよぐ

バンジャル・マシンをのぼり
バトパハ河をくだる

両岸のニッパ椰子よ
ながれる水のうえの
静思よ
はてない伴侶よ

文明のない さびしい明るさが
文明の一漂流物 私をながめる
胡椒こしょうや ゴムの
プランター達をながめたように

「かえらないことが
最善だよ」
それは放浪の哲学

ニッパは
女たちよりやさしい
たばこをふかしてねそべっている
どんな女たちよりも

ニッパはみな疲れたような姿態で
だが 精悍なほど
いききとして
聡明で
すこしの淫らさもなく
すさまじいほど清らかな
青い襟足をそろえて


( 『女たちへのエレジー』 から)

句読点・送り仮名を一部現代版に改めてあります。
−作成者注





詩人・金子光晴 「ねむれ巴里」

 【パリの尋ね人】

 くらい駅をいくつか素通りして、アヴィニヨンに着いた。眠るか、眠らないかも曖昧なあいだに、フランス中部の田野や、小都市をすぎ、しらじらと夜のあける頃には、フォンテンブロオのしろっぽけた冬ざれの森を、車は走っていた。
 ―― ヨーロッパに来たな。
 という実感が、初めて惻々と胸に迫って感動となった。しかし、そのフォンテンブロオへ、一週間後にふたりで来ることになろうとは、予想もしなかったことであった。うすい霧もやのなかへ、消えてゆきそうな枯林のなかを走りぬけると、パリは、もうそれほど遠くはなかった。ガール・ドゥ・レスト(東停車場)に着くと、煤烟で煤けた停車場のガラス張天井のがらんとした構内を、いつのまにか、四人の中国人とも別々になって僕は歩いていた。<中略>さて、これから、どうしたものか。彼女がパリのどのへんにいるのかもわからない。もし、彼女を僕がたずねるのを必要とするなら、大使館に住所を知らせてあるにちがいない。そこで、僕は、キャフェに備えつけの電話帳を繰って、大使館のありどころをさがし出し、駅前のタクシーをひろって、そこに乗りつけることにした。東のはずれの東停車場から西の方にある日本大使館まではかなりの路のりであった。…
 …大使館は、ブーローニュの森の方向の、パリでの一流の場所にあった。郵便受けには、大使館気付けでまだ受取りに来ない手紙があふれていた。受付できくと、在留日本人名簿のあとの方に、彼女のいる住所が書き込んであった。
「地下鉄(メトロ)でゆけば、十分位でゆけますよ」
受付係の人に言われたが、地下鉄に不案内だったので、また、タクシーを拾って、宛名の町と番地をさがしてもらった。セーヌを渡って、向う側であった。そこは、モンパルナスのある区内で、ルクサンブルク公園をうしろにしたフランスの議院(セナ)の前通りのリュー・ドゥ・トゥルノンという住宅街の小さな部屋貸しホテルであった。階下がバーになっていて、そこから出てきた家主の老女が、
「その人なら、四階の二番にいるからあがりなさい」
 と言った。狭い階段をあがってゆくと、ドアが二つあったが、くらいので部屋の番号がよめない。構わず、一つのドアをノックすると、「誰ですか」と答えたのは、まちがいなく彼女であった。
「僕だよ。金子……」
 と答えると、
「来たの?」
 おどろいて立ちあがるような気配だった。
――誰かいっしょにいるのかもしれない、とおもったので、僕は、早速に手を掛けたドアの手を離して彼女が誰かと一緒にでもいたときのばつの悪さを考えて、一度念を押して、
「入っても、大丈夫なの?」
 と訊ねた。その扉は、内から開かれた。見廻した部屋のなかは、彼女ひとりだった。それでも猶僕はためらって、
「いいのかね。誰かが帰ってくるのではないか?」
 とためらい、もしそうならば、入らないでそのまま立ち去って、どこかの部屋をじぶんでさがそうと思案がついていた。賽の目のようにどっちへころぶかわからないあぶない運命のうえでぐらぐらしながら僕は、それがどっちへころげても、足をすくわれることのないように、心の訓練ができているのだという自負が、あいてに対してよりもじぶんのために是非とも必要なのであった。それでいて、僕の感覚は、そのうすぐらい部屋のなかから、ごまかしきれない証拠をさがして、棘の立ったように立ったまま、部屋のなかを見廻していた。彼女の方でも、言訳らしいことは言わないで、いっしょに立っていながら、口早に、現在の彼女の情況を説明した。

(自伝エッセイ『ねむれ巴里』/「冬の森」 抜粋)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 【リアルの問題】

 人間は、自分の立っている地点から遠ざかるにしたがって、まったくぼやけてしまって、感覚のとどかないところでは、どんなことが起こったって関与できないのだ。実世間の足場を、かなり上手にわたり、決して、底をのぞかないようにするのでなければ、一人前の世渡りの達人とはいえないだろう。一ぺん奈落をのぞいた人間は、怖気がついて足がすくみ、もうどんな使い分けもできなくなる。虚弱児童、疾患者、表面はまともでも、特別感じやすい神経や特殊な事情をもった人間、ゆがんだ過去をもっている人間といっしょに、芸術家は、かくれ家とひとりで反省する時間がなければ生きてゆきにくい。彼らは、そこでリアルの深さにふれる。


(「金子光晴評論集・供‘本の芸術について」抜粋)
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■ 金子光晴(1895〜1975)
 かねこみつはる。 詩人。
■ 代表的な詩集
 『こがね蟲』 『水の流浪』 『鮫』 『落下傘』 『蛾』 『女たちへのエレジー』
 『鬼の兒の唄』 『人間の悲劇』 『非情』 『若葉のうた』 『愛情69』 …
■ 代表的な詩
 「鮫」 「おっとせい」 「ニッパ椰子の唄」 「洗面器」 「落下傘」 「灯台」 「鬼の児誕生」
 「くらげの唄」 「泡」 「蛾」 「愛情69」 …
■ 自伝的エッセイ
 『どくろ杯』 『ねむれ巴里』 『にしひがし』 『マレー蘭印紀行』 『詩人』 『人非人伝』…
■ 翻 訳
 『ランボオ詩集』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
★ 『下駄履き対談』
  金子光晴晩年の対談集。野坂昭如、寺山修司、佐藤愛子、岸恵子、吉行淳之介、桜井滋人、稲垣足穂、田中小実昌、西脇順三郎など多彩なゲストが登場する、文字どおり下駄履きのように風通しのいい放談集。(でも女性には……あまりお見せできません……な)

2003.05.10



詩人・金子光晴 「どくろ杯」

 【愛の酸蝕】

 ろくに金も残さないで、女一人を一ヶ月あまり放っておいた落度が私にあったし、その上、彼女とのあいだに、互いに恋人ができたら、未練らしく二人の生活を追うことはよそうという二人のあいだのとりきめがあったので、彼女に新しい恋人ができたとすれば、私が引きさがるより他はないわけだった。しかし、仮定と実際とでは、情況がまったくちがっていた。母親に会えるというので、いさんでついてきた子供がそばにいる。
  (中略)
 ……それほどの苦労もなく、彼女の居どころがわかった。草野心平としたしいアナルシストの学生とくらしているというのが判明したので、草野に会ってその居所に案内してもらうことにした。
  (中略)
 ……こころのゆるみを覗(うかが)っていたように、彼女一人が家からこぼれ出て、日傘を肩にかついでくるくる廻しながら近付いてきた。彼女と並んで私があるき出すと、「来なければいいのに。待っていてくれれば、もう帰ろうとおもっていたのに。坊やは、大丈夫?」と、私の折角はりつめていた気合をそらすように言った。「坊やはつれてきた。君に会いたがっているんでな。しかし、君はどうする気なんだ。いまの男がいいのか。それとも帰ってくれるのか。俺の気持ちとしてはかえってほしいんだが、そうでなくてもしかたがない」「坊やをつれて来たんじゃかえるよりしかたがないけど、あんたは狡い」

【雲煙万里】

 師走にちかいというのに、長崎のそらのいろはおだやかで、鯖(さば)の背のようなはだはだな青さをしていた。
  (中略)
 ……わがこと、他人ごとに限らず、過去になされたことはおしなべてむごたらしく、いきものである人間は所詮、傷(いた)めつけあい、殺しあってしか、互いに生きのびるすべがないようにおもえた。 (中略) 彼女と、あいての男を私は、あいてが部屋住みということをいいことにして、ずいぶん苦しめたらしいが、私の受けた被害もたいていなことではなかった。
  (中略)
 ……私が、この陽だまりから、どこへもうごきたくないとおもっているのに比べて、彼女は、約定通り、おもっても気の重いこの旅を本気で遂行するつもりでいた。なる程、出発するより他なかった。この旅の計画をはじめた私がもし放棄することになれば、結局、彼女を恋人に送り届ける結果になる。
  (中略)
 なんの計画も、希望もなく、日本を離れるためにだけ出てきた私たちの外地第一歩で、いままでのような旅行者ではなく、生死をあずける別の心組で飛び込んでゆく私たちに、上海は、疥癬で、かさぶたになった大きな胸をひろげている。
「とうとう、来てしまったのね」
 わたしの横にすりよってきて彼女は、のどのつぶれたような低い声でいった。こんなところまで私をつれてきてしまったのね、という批難がその底にこもっているようにきこえた。
「賽(さい)は振られたのさ」
 私のことばのうらには、もうここまで来ては、手も足も出まいという意地わるさと得意さが、じぶんでもひやりとするような調子をひびかせた。

(自伝エッセイ『どくろ杯』 から)
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 最初のヨーロッパ渡航から帰国後に出版した詩集『こがね蟲』で絢爛たる世界を築きあげ、前途洋々のパルナシアンとして出発したはずの詩人金子光晴。しかし、直後に起こった関東大震災がいっさいを御破算にし、その後も、妻の色恋、金、詩、人間関係、そして自分自身まで、どれもこれもがどん詰まりになってゆく。

 やがて詩人は、妻・森三千代とともに、いつ果てるとも知れない、ながい放浪の旅にでる。東京をあとにし、名古屋、大阪、神戸と西下しながら旅費を工面し、妻の実父・森幹三郎の赴任先である長崎にひとり息子・乾(けん)を預け、そこから上海〜香港〜シンガポール〜ジャワ〜マレイ〜パリ〜ブリュッセル〜ふたたびシンガポール〜ジャワ、……というふうに、足かけ7年におよぶ放浪のすえ、ようやく帰国。

 『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』は、その放浪の発端から、往路・復路のありようを、詳細につづった自伝3部作。 また、これに『マレー蘭印紀行』を加えて自伝4部作といわれることもあります。

2006.08.25



続・ねむれ巴里 金子光晴

 学生時代は文庫本が華やかなりしころで、表紙画の楽しさもあって、よく購入して読んだものでしたが、1980年代後半から'90年代前半にかけて、パッタリと再版が行なわれなくなり、親しんだ作家本のほとんどが事実上の絶版状態のようになっていました。

 それが、90年代後半あたりから、また、息を吹きかえしたように、ポツポツと再版されるようになり、当時ほどの充実感は望めないにしても、かつてそのほとんどを所有していた寺山修司・坂口安吾・金子光晴など、なつかしく親しみ深いラインナップが復刻されたことは、まことにめでたいがぎりであります。

 とはいえ、あらためて購入するほどの酔狂も失せている今日このごろであってみれば、そうそう大きな顔もできないわけですけれども、先月、新宿へ足を運んださい、ふと思い立って、ひさしぶりに紀伊国屋へゆき、数冊の文庫本を買ってきました。

 中公文庫から復刻した金子光晴の本が3冊。 『ねむれ巴里』『西ひがし』、そして、2003年8月、全集を底本に編纂された初版『人よ、寛かなれ』。 放浪序曲の『どくろ杯』と、パリの行き帰りに長居した東南アジア放浪を詩情でつづった『マレー蘭印紀行』は、残念ながら売り切れ。またの機会にでも……。(注: 『どくろ杯』 『ねむれ巴里』 『西ひがし』 は 放浪自伝3部作 「マレー蘭印紀行」を加えて4部作

 このうち、すでに載せた詩人・金子光晴「ねむれ巴里」につづく『ねむれ巴里』のくだりを、少し紹介してみましょう。まず洋画家・藤田嗣治との付き合いあたりから……。

 フランス人の芸術家は変わり者が多いらしく、そのうえ、東洋人と共通した厭人癖(えんじんへき)や、所謂孤高の精神までもっていた。…(中略)…藤田嗣治がモンスリーにいたので、訪ねていって、机の袖の曳出しにいっぱいつまった、今でいうポルノ写真を勝手にみて、僕は戻ってきた。…(中略)

 …… 彼が市内の家に転居してからも、僕らはときどき訪ねていった。ぼくの妻がまだ詩を書いていて、中国、南方で書きためたものをフランス語にして、パリで一山あてようという不届きな計画があったので、藤田に相談にのってもらっていたからである。…(中略)…それにはまず、彼女の詩をフランス語に直さなければならないのだが、……藤田は自信がないというので、遊びにきていた新鋭詩人*デスノスに直してもらうことにした。彼は藤田の家でごろごろねころがって、お雪さんと名づけた藤田の女から、シチュウのようなものをつくってもらって、食っては寝てくらしていた。お雪さんは、大柄で、色の白い、ちょっと小山のような女で、デスノスとは交情こまやかなあいだ柄であった。藤田は、そのことを百も承知しながら、机の下に大きな電球をつけて、ガラス越しのあかりで、せっせと自分の絵の複写をつくっていた。  (「処女の夢」)


 金子光晴が2度目のパリ(1度目は20代独身のころ)を放浪で過ごした昭和5年前後(1930年代)には、日本からきた芸術家もわりあい多く、男衆をしたがえて渡欧した岡本かの子もそのひとり。

 岡本かの子も、川むこうの立派なアパートにいた。肥満児のような彼女がまっ赤なドレスを着て、なにかの催しの舞台でしゃべっている姿が、僕の記憶にのこっている。パリへ来てから、三千代が訪ねていって、そのときのことを語っていたが、応接室に通されて、みると机のうえに立派なくだもの入れのガラス台があり、りんご、葡萄、西洋梨、いろいろなくだものがうれて、あたりに芳ばしい香を発散していた。支度に手間がかかってなかなか出てこないかの子を待つあいだに、いつも腹のへっている彼女は、手をのばして、一つずつ、そのくだものを平らげていった。おおかたグラスがからになった時分に、やっとかの子があらわれたが、多分かざりのつもりのくだものがなくなっているのにびっくりした顔つきで、それでも、彼女の立場を察して、女中を呼んでナイフや皿を持ってこさせ、もっと食べろとすすめたそうだ。かの子の他にも、女詩人の深尾須磨子がいた。  (「枯 葉」)

 このくだりに記された、どの地へ行っても変わらない岡本かの子の“情にあつい”横顔が、ぼくはとても好きです。

 さて、入れ替わりの激しいパリでは、なじみの顔ぶれも刻々と変化する。

 あい変らずいろいろな人たちが出没したがその顔ぶれは、まったくちがってしまった。…(中略)…岡本かの子も岡田八千代も帰ってしまって、長谷川春子だけがいたが、それもみえなくなって、川向こうの女連中はおおかた日本へ引きあげてしまったものらしい。  (「ねむれ巴里」)

 そこに一抹の寂しさを感じながらも、容赦のない非情な現実が、すっぽんの背のように日々繰りかえされてゆくことになるわけです。

 東洋ではともかく、西洋での身の詰まりかたは、さすがに個人主義国だけに凄まじいものがあった。破産者は遠慮なく自殺した。生残れる公算がないからである。その点しょぼくれて生き延びることに馴れている日本人のほうが辛抱づよかった。  (「うしろに眼のない譚」)

 あとにも先にも、自殺を考えたのは、生まれてからそのときがはじめてであった。…(中略)…そのときも僕は、僕のねているベッドの下で地球がうごいているのを感じた。  (「リオンの宿」)



*デスノス、ロベール(Robert Desnos, 1900-1945)
フランスの詩人。シュルレアリスム運動に参加。のちにジャーナリストに転じ、第2次世界大戦中にはレジスタンス活動に身を投じる。ゲシュタポに連行され収容所にて没。

*デスノス、ユキ("Youki" Desnos, nee Lucie Badoud, 1903-)
藤田嗣治のモデルをつとめた女性で、「ユキ」とは藤田がつけた綽名。藤田夫人として来日したこともあるが、のちにロベール・デスノスと結婚。夫の死後は画商になった。



 金子光晴の本名は「保和」(やすかず/戸籍簿上は「安和」となっているものの、これは改帳による誤記:本人談=『人よ、寛やかなれ』−「姓名のこと」)。旧姓「大鹿(おおじか)」。幼少期に、髪結いにきていた愛知県の資産家金子氏の幼な妻に見そめられ、金子家に養子にいっています。

 当主の死後、大きな遺産を母(幼な妻)と折半。鉱山で一山あてようと、受け継いだ資産をつぎ込み、またたくまに破産。その後、画商だった叔父(伯父?)に誘われて渡欧。たしかパリ経由でロンドンへ渡ったあと、叔父に、

― おまえは商売には向かない。ヨーロッパに残って、芸術家にでもなりなさい」

 そういわれ、アメリカへ向かう叔父と別れてひとり、紹介してもらったベルギーのルパージュ氏のもとにゆき、ときにはパリにも出かけたりしながら、そこで2〜3年ほど詩の勉強をすることになります。ルパージュ氏は素姓の良い起業家で、日本の芸術にも造詣のふかい日本画などのコレクターでもありました。(※ 後年、フランス文学者となったひとり息子の乾さんが、ルパージュ家を訪ねています)

 これが最初の渡欧で、年齢が24歳〜25歳ころのことです。

 行き帰りに東南アジア放浪をはさむことになる2度目の渡欧は30代のことで、妻の森三千代さんと連れ立った「超極貧」の足かけ6年にわたる「賽の目しだいな行程」でありました。


2004.05.06



ETV特集 〜詩人・金子光晴〜 2008.01.20 blog もぐらの季節


 中学生のとき出会っていらい、この詩人とのお付き合いはかれこれ35年あまりになります。詩人は、死んだあとで掘りだされ騒がれるのは恥だから、そんなヘマだけはするな(「」)と書いていますが、戦中の詩がそうであるように、言葉がかなりの含みを持っていたり、時にはまったく正反対の意味であったりもするので、「表現を吟味する用心」というものも必要かもしれません。

 死後に掘りだされ騒がれるというのは、平たくいうと、うわっつらなミーハーどもに「ちやほやされる」ということを意味していて、いずれ流行期が過ぎればポイと捨てられる。所詮はその程度の理解にすぎない。人をバカにした話だけれども、ついいい気になった自分はもっとバカだ。そんなことは恥だから、ヘマなことにならないよう、生きているうちから、何事にも油断するな、とまあそういう意味なんでしょう。

 この「偈」(げ)という詩の末尾に脚注みたいに小さい字で付記している「中原中也とか、宮沢賢治とかいう奴はかあいそうな奴の標本だ」というのも、犠牲者として捉えている面もあるかもしれません。


じじいを木から振り落として 食った時代がなつかしい。    (「無題」金子光晴)


2008.01.21




  「偈」「無題」(六月の文士−金子光晴)


 金子光晴 - ウラ・アオゾラブンコ



詩人・金子光晴 「おっとせい」



    おっとせい

                              金子光晴




     一

そのいきの臭えこと。
口からむんと蒸れる、

そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしていること。
虚無ニヒルをおぼえるほどいやらしい、 おお、憂愁よ。

そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かったるさ。

いん気な弾力。
かなしいゴム。

そのこころのおもひあがっていること。
凡庸なこと。

菊面あばた
おほきな陰嚢ふぐり

鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、いつも、
おいらは、反対の方角をおもってゐた。

やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画フィルムでみる
アラスカのやうに淋しかった。


     二

そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを国外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。
バダビアから、リスボンまで、地球を、芥垢ほこりと、饒舌おしゃべり
かきまはしているのもやつらなのだ。

 くさめをするやつ。髭のあひだから歯くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった
 身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人きちがい
 とさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦めおとだ。権妻ごんさい
 だ。やつらの根性まで相続うけつぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋
 党だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとか
 らだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

おしながされた海に、 みぞれのやうな陽がふり そそいだ。
やつらのみあげる空の無限にそうていつも、金網があった。

…………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、 砕氷船さいひょうせんが氷をたたくのをきいた。

のべつにおじぎをしたり、ひれとひれをすりあはせ、どうたいを樽のやうにこ
 ろがしたり、 そのいやしさ、 空虚むなしさばっかりで 雑閙ざっとうしながらやつらは、みる
 まに放尿の あぶくで、海水をにごしていった。

たがひの体温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとうて、やつらはい
 たはりあふめつきをもとめ、 かぼそい声でよびかはした。


     三

おお。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせ
 たこの氷塊が 、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかにすべりはじ
 めるのを、すこしも気づかずにゐた。


みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは氷上を ひまわり、
……………文学などを語りあった。
うらがなしい暮色よ。
凍傷しもやけにただれた落日の掛軸よ!

だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴ら
 の群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、 反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「 むかうむきになってる
おっとせい。 」



( 『鮫』 から)












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