「夏の花」 原 民喜


 私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度、休電日ではあつたが、朝から花をもつて街を歩いてゐる男は、私のほかに見あたらなかつた。その花は何といふ名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかつた。
 静かに始まる書き出しは、抑制の利いた文体として、作品全体をつつむ特異な文学性の礎(いしずえ)となり、ほどなくはじまる凄惨な出来事を浮き彫りにしてゆきます。
 …… みんな、はじめ自分の家だけ爆撃されたものと思ひ込んで、外に出てみると、何処も一様にやられてゐるのに唖然とした。それに、地上の家屋は崩壊してゐながら、爆弾らしい穴があいてゐないのも不思議であつた。あれは、警戒警報が解除になつて間もなくのことであつた。ピカツと光つたものがあり、マグネシユームを燃すやうなシユーツといふ軽い音とともに一瞬さつと足もとが回転し、……それはまるで魔術のやうであつた、と妹は戦きながら語るのであつた。
 人類がはじめて経験する未曾有の光景。作家はその只中にいました。
 このあと、何気ない日常の光景のように綴られていく阿鼻叫喚の地獄絵。

 一瞬にして剥ぎ取られた世界の終焉は ……。
原 民喜 (はら たみき) / 作家 詩人
1905年 広島生れ。慶応義塾大学英文科卒
1933年 評論家・佐々木基一の姉・永井貞恵と結婚。
      〜 英語教師などのかたわら創作活動をつづける。
1944年 妻・貞恵、肺結核と糖尿病で死去。
1945年 帰郷中、被爆。
1947年 『夏の花』を「三田文学」に発表。生原稿タイトルは「原子爆弾」。
1951年 中央線吉祥寺・ 西荻窪間の鉄路に身を横たえ自殺。享年 46歳 。

主な作品)
* 『夏の花』 『心願の国』 『壊滅の序曲』 『美しき死の岸に』 …
* 他に『ガリヴァ旅行記』等の童話作品・詩・短歌など幅ひろい
* 『夏の花』は第1回水上滝太郎賞(1948年)を受賞

■エピソード
* 1950年、三田文学の後輩にあたる遠藤周作氏が、戦後初の国費留学生として船でフランスへ出発するさい、ただひとり港まで見送りにきた友人が原民喜氏。

■原民喜(日本ペンクラブ/反戦反核ページで「廃墟から」「夏の花」が読めます。PDF版)
■原民喜詩碑

2002.07.22



■原民喜「夏の花」(全文) 青空文庫
■原民喜「鎮魂歌」(全文) 青空文庫
■原民喜「廃墟から」(全文) 青空文庫

■原民喜 - ウラ・アオゾラブンコ

2008.03.26







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