競馬無料予想で副業♪>史上最強馬決定戦!BEST20
         史上最強馬決定戦!BEST20
  • 競馬歴30年のマイソンが選ぶ史上最強馬達!真の最強馬は、着差やタイムで決まらない・・本物を倒してこそ、最強の称号を手にするのだ!
  • 一昔前(昭和)では、ハンデ戦が多く(トップハンデ60キロ以上)、軽ハンデからの差が10キロというのはざらにあった。タケシバオーやエリモジョージは65キロを背負うなど現在では考えられないハンデをつけられていた。
                     評価の基準
  • 全ての名馬達が同じ時代にいたと仮定する(調教技術、騎手の斤量、頭数などに違いがありすぎるため)。
  • 馬の好き嫌いで判断しない
  • ピーク時の強さも評価する(戦績対象外)。
  • 対象馬は、2010年までとする。
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20位
キタノカチドキ

キタノカチドキ

戦績:15戦11勝
性別・色:牡・鹿毛
父:テスコボーイ
母:ライトフレーム
騎手:武邦彦
主な勝ち鞍:皐月賞・菊花賞・阪神3歳S

  デビュー前から超エリートで、皐月賞まで負けなしの7連勝、ダービー(今と違いフルゲートは28頭)では直線の不利に泣き3着に敗れるものの、菊花賞を制し2冠馬に輝く。有馬記念8着後、骨折が判明 し引退した。

 

 


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19位
タマモクロス

タマモクロス

戦績:18戦9勝
性別・色:牡・芦毛
父:シービークロス
母:グリーンシャトー
騎手:南井克己
主な勝ち鞍:天皇賞(春・秋)・宝塚記念

 3歳春にデビューするという完全な遅咲きで、芦毛史上最強馬。

 3歳秋に頭角を現し、8連勝(G毅穫⊂ヾ泙)、同じ芦毛の一歳年下の怪物オグリキャップとの3度にわたる対決は(タマモの2対1)、芦毛最強決定戦として今もなお語り継がれている。

 


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18位
ナリタブライアン

ナリタブライアン

戦績:21戦12勝
性別・色:牡・黒鹿毛
父:ブライアンズタイム
母:パシフィカス
騎手:南井克己
主な勝ち鞍:皐月賞・ダービー・菊花賞・有馬記念・朝日杯3歳S

 

  中央競馬史上5頭目のクラシック三冠馬。愛称は「ブライアン」「シャドーロールの怪物」。
 1995年春に故障(股関節炎)を発症した後はその後遺症から低迷し、6戦して重賞を1勝するにとどまった(GI は5戦して未勝利)が、第44回阪神大賞典におけるマヤノトップガンとのマッチレースや短距離戦である第26回高松宮杯への出走(4着)によってファンの話題を集めた。
 第26回高松宮杯出走後に発症した屈腱炎が原因となって1996年10月に競走馬を引退した。


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17位
トウカイテイオー

トウカイテイオー

戦績:12戦9勝
性別・色:牡・鹿毛
父:シンボリルドルフ
母:トウカイナチュラル
騎手:田原成貴
主な勝ち鞍:皐月賞・ダービー・ジャパンカップ・有馬記念

  ご存知『皇帝』シンボリルドルフの最高傑作。デビュー7連勝(2冠含む)、2度の骨折により、一年ぶりとなった有馬記念で、菊花賞馬ビワハヤヒデを交わしての実力を見せつけ『奇跡の復活』劇を演じた。
その後3度目の骨折で引退。

 

 


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16位
カブラヤオー

カブラヤオー 戦績:13戦11勝
性別・色:牡・黒鹿毛
父:ファラモンド
母:カブラヤ
騎手:菅原泰夫
主な勝ち鞍:皐月賞・ダービー

 春のクラシック戦線の本番でもその強さは発揮され(計9連勝:現在でも中央競馬記録)、皐月賞では前半1000mを58秒9という短距離戦に匹敵するラップタイムで走破、逃げ切り勝ちを収めた。
 迎えたダービーでは、皐月賞を超える前半1000m58秒6、1200mを1分11秒8という驚異的なハイペースで逃げきり優勝した。
 競馬評論家の井崎脩五郎は「このレースは不滅だ」と賞賛。 その後二度の屈腱炎により引退した。


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15位
ミホシンザン

ミホシンザン

戦績:16戦9勝
性別・色:牡・黒鹿毛
父:シンザン
母:ナポリジョオー
騎手:柴田政人
主な勝ち鞍:皐月賞・菊花賞・天皇賞(春)

  史上最強の5冠馬シンザンの最高傑作。デビュー4連勝で皐月賞制覇。

 その後2度の骨折により苦しんだが菊花賞(2冠達成)、天皇賞(春)をも制し引退した。

 幻の3冠馬と言われた。

 


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14位
スピードシンボリ

スピシン

戦績:43戦17勝
性別・色:牡・黒鹿毛
父:ロイヤルチャレンジャー
母:スイートイン
騎手:野平祐二
主な勝ち鞍:天皇賞(春)・宝塚記念・有馬記念(2回)

 

  2歳から7歳(当時としては異例)まで一線級で活躍し、天皇賞(春)、宝塚記念、有馬記念(2回)に優勝したほか、当時としては珍しいアメリカ、イギリス、フランスへの長期遠征も行った。
 1967年・1970年度 啓衆社賞年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬。1990年、顕彰馬に選出。
 七冠馬シンボリルドルフの母の父でもある。 


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13位
ミスターシービー

ミスターシービー

戦績:15戦8勝
性別・色:牡・黒鹿毛
父:トウショウボーイ
母:シービークイン
騎手:吉永正人
主な勝ち鞍:皐月賞・ダービー・菊花賞・天皇賞(秋)

 

  シンザン以来19年ぶりの4冠馬。いつも最後方から行くレース振りでファンを魅了した。
 一つ下の7冠馬シンボリルドルフにより、全ての記録を塗り替えられ、4冠馬対決となった天皇賞(春)でルドルフの5着に敗れ引退(対戦成績:ルドルフの3対0)。
 ルドルフがいなければ、史上最強馬になっていたかもしれない。
 同期のレベルも高く、史上最強のマイラーと言われたニホンピロウイナー、ジャパンカップ逃げ切りのカツラギエース、有馬記念を制したリードホーユーなどがいる。


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12位
ディープインパクト

ディープインパクト

戦績:中央13戦12勝 海外1戦0勝
性別・色:牡・鹿毛
父:サンデーサイレンス
母:ウインドインハーヘア
騎手:武豊
主な勝ち鞍:皐月賞・ダービー・菊花賞・天皇賞(春)・宝塚記念・ジャパンカップ・有馬記念

 

 

 

  デビューから連戦連勝(7連勝)、史上二頭目無敗の3冠馬となる。その圧倒的な勝ち方からファンを魅了した。
 主戦の武豊は、「ディープは飛んだ!」とよく口にしていた。
 ディープはあまりにも瞬発力が強く、蹄鉄(爪のカバー)が均等に減るそうだ。普通の馬は、まばらに減るらしい。
 古馬になってからも充実し、近年では『史上最強馬』の呼び声が高い。
 ただ、「史上最弱世代」ともいわれ、古馬初対戦となった、3歳時の有馬記念では、ジャパンカップを回避し万全で挑んだにも関わらず、ハーツクライを捉えきれず、「ディープは相手に恵まれていた」という声も上がっている。


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11位
サイレンススズカ

サイレンススズカ

戦績:16戦9勝
性別・色:牡・栗毛
父:サンデーサイレンス
母:ワキア
騎手:武豊
主な勝ち鞍:宝塚記念

 

 

 

 

 

 

  主な勝ち鞍は宝塚記念のみだが、4歳から頭角を現し、同年6連勝で臨んだ天皇賞(秋)において故障を発生し、予後不良となった。
 「逃げて差す」と言われたレーススタイルで注目された馬で、この馬を史上最強馬に押す声も上がっている。
 天皇賞の前哨戦では、エルコンドルパサー、グラスワンダーという2頭の無敗の外国産4歳馬が出走するというハイレベルなメンバー構成となったが、直線で一気に引き離すという、圧倒的強さを見せつけたのは伝説となっている。
 天皇賞では、「もし骨折しなければ何馬身突き放して勝っていたのか?」と、いまだに話題になっている。


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10位
エリモジョージ

エリモジョージ

戦績:44戦10勝
性別・色:牡・鹿毛
父:セントクレスピン
母:パッシングミドリ
騎手:福永洋一
主な勝ち鞍:天皇賞(春)、宝塚記念

 

  同期にはカブラヤオー・テスコガビーがいる。勝ち負けの極端な成績から『気まぐれジョージ』と呼ばれた。]
 不良馬場の天皇賞(春)を逃げ切るも、不振に陥り連戦連敗。そんな中、京都記念(秋)で、61キロの斤量で大逃げを打ち、レコードタイムの圧勝、さらに翌年65キロで京都記念(春)を制するなど、強い時のその圧倒的な強さにファンは魅了された。
 宝塚記念では、グリーングラスとホクトボーイという天皇賞馬3頭での決着も制し、主戦の天才と言われた福永洋一騎手は、「この馬が一番強い」と言っていた。
 その言葉が聞こえたのか、続く高松宮杯でしんがり負けを喫するとまた不振に陥り、ラストランとなった8歳時の宝塚記念まで1勝もできずに引退した。


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9位
カツラギエース

カツラギエース

戦績:22戦10勝
性別・色:牡・黒鹿毛
父:ボイズィボーイ
母:タニノベンチャ
騎手:西浦勝一
主な勝ち鞍:宝塚記念・ジャパンカップ

 

 

  当時のジャパンカップは今と違い外国馬が強かった時代、
 日本競馬初のジャパンカップ制覇(三冠馬対決となるミスターシービーとシンボリルドルフに注目が集まり、カツラギエースは10番人気だった)をなし遂げたのは有名。
 ファンから「前哨戦では勝つが本番ではシービーに負ける(1983年京都新聞杯と菊花賞、1984年毎日王冠と天皇賞(秋))」、「宝塚記念もシービー不在だから勝てた」と揶揄されていた。
 ジャパンカップ後に有馬記念での引退が発表されシンボリルドルフ、カツラギエース、ミスターシービーによる三強対決と大きく報道された。
 この競走でも逃げるが、シンボリルドルフの執拗なマークに屈し2着に終わったものの、3着のミスターシービーには先着した。このレースを最後に引退となった。


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8位
マルゼンスキー

マルゼンスキー

戦績:8戦8勝
性別・色:牡・鹿毛
父:ニジンスキー
母:シル
騎手:中野渡清一
主な勝ち鞍:朝日杯3歳S

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2着につけた差の合計が61馬身、ずば抜けた能力等から「超特急」や持込馬と言う事から「スーパーカー」との愛称で競馬ファンから呼ばれた。
 持込馬であるマルゼンスキーには当時の外国産馬と同様に日本ダービーを初めとするクラシックへの出走資格がなかったのである。
 主戦騎手の中野渡清一は、『28頭立ての大外枠でもいい。マルゼンスキーに日本ダービーを走らせてくれ』と語った有名な逸話がある。しかし、日本ダービーへの出走は叶わなかった。
 マルゼンスキーの出走予定レースは登録が少なく(タイムオーバーを恐れたためと言われている)、常に成立が危ぶまれていた 。
 札幌で10馬身差のレコードで優勝。この当時、1歳上の『天馬』トウショウボーイとの対戦が噂されるようになったが、実現はしなかった。
 有馬記念へ向けての調教中に、屈腱炎を発症し引退した。


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7位
クリフジ

クリフジ

戦績:11戦11勝
性別・色:牝・栗毛
父:トウルヌソル
母:賢藤
騎手:前田長吉
主な勝ち鞍:オークス・日本ダービー・菊花賞

 

 

 

 

 

 

 

 

  史上最強牝馬。日本ダービー(6馬身)、オークス(10馬身)、菊花賞(大差・本レース及び、後の菊花賞における唯一の大差勝利記録)を勝ち変則クラシック三冠を達成した。
 ほかに横浜記念(10馬身)の勝鞍もあり、出走した11戦全勝でしかもそのうち7戦が着差10馬身以上という、圧倒的な強さを誇った。
 特に、日本ダービーではスタートで大きく出遅れの勝利で、このとき鞍上の前田は、ゴール前で他馬の脚音が全く聞こえなくなったので何かあったのではないかと気になり、何度も後ろを振り返ったという。
 ある雑誌の企画で「日本競馬史上最強馬は?」というアンケートが競馬関係者に対して行われた。関係者からはシンザンやシンボリルドルフなど錚々たる名馬が挙げられる中で、当のシンボリルドルフを管理していた野平祐二調教師は迷わずクリフジの名を挙げていた。
 また、年配の競馬ファンの中にも史上最強馬にクリフジの名を上げるものも多い。


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6位
トウショウボーイ

トウショウボーイ

戦績:15戦10勝
性別・色:牡・鹿毛
父:テスコボーイ
母:ソシアルバターフライ
騎手:武邦彦
主な勝ち鞍:皐月賞・有馬記念・宝塚記念

 

 

 

 

 

 

  1970年代半ばにテンポイント、グリーングラスと共に「TTG時代」を作り、「天馬」と称された。
 デビュー当初から期待されており、無敗対決となった皐月賞は、5連勝中のテンポイントを破り(5馬身差をつけ)優勝した。
 同期に歴史的名馬が2頭現れるという宿命、トウショウボーイ、テンポイントの対戦成績はトウショウボーイの4勝2敗、有馬記念では2年連続テンポイントとマッチレースを繰り広げた(1勝1敗)。
 歴史的マッチレースといわれた昭和52年の有馬記念は、(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの三強対決)日本競馬史上屈指の名勝負として高く評価された。


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5位
テンポイント

テンポイント

戦績:18戦11勝
性別・色:牡・栗毛
父:コントライト
母:ワカクモ
騎手:鹿戸明
主な勝ち鞍:阪神3歳S・天皇賞(春)・有馬記念

 

 

 

 

 

 

  トウショウボーイ・グリーングラスとともにTTGと称される。
 1975年8月に競走馬としてデビュー。関西のクラシック候補として注目を集め、額の流星と栗毛の馬体の美しさから「流星の貴公子」と呼ばれた。

 クラシックでは無冠に終わったが、5歳時に天皇賞(春)を制覇。
 4歳の秋から馬体も大きくなりさらに本格化した彼は、夏期休養後の京都大賞典で63kgの斤量を背負いながら2着に8馬身の差をつけて逃げきり、オープンでも61キロを背負い逃げ切る。
 有馬記念では、トウショウボーイをねじ伏せるが、この時主戦の鹿戸騎手は、「トウショウボーイと一緒に沈んでも、トウショウボーイにだけは勝ちたかった」と言っている。

 この男の意地が歴史的名レースを作り出したといえよう(トウショウボーイ、グリーングラスと繰り広げた三強対決)。
 1978年1月に海外遠征に向けての壮行レース(第25回日本経済新春杯)中に骨折し、43日間におよぶ延命治療の末に死亡した。
 この時斤量は66.5キロ(この悲劇から負担重量が軽くなった)、首を低く下げ、馬なりで先行するこの時のテンポイントが、一番全盛期だったという声もある。


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4位
タニノチカラ

タニノチカラ

戦績:24戦13勝
性別・色:牡・栗毛
父:ブランブルー
母:タニノチェリ
騎手:田島日出雄
主な勝ち鞍:天皇賞(秋)・有馬記念

 

 

 

 

 

  「最強世代」と称される1972年、ランドプリンス・ロングエース・イシノヒカル・タイテエム・ハクホオショウ・ハマノパレード・ストロングエイト・ナオキと同世代。
 頭を低く下げ、先行するタニノチカラに他の馬はついて行けなかった。
 常に足元に不安があり、典型的な遅咲きで『遅れてきた英雄』と呼ぶ声もあった。
 本格化したのは5歳秋からで、有馬記念では、ハイセイコー、タケホープに5馬身差をつけて優勝した。
 翌6歳京都記念では、63キロでの一人旅(2秒以上の差をつける大差)は今もなお語り継がれている。
 しかし再び脚部不安から出走したマイラーズCでは、61キロの斤量を背負い、2冠馬キタノカチドキの3着に敗れ引退した(屈腱炎を発症)。
 杉本清は史上最強馬にタニノチカラを挙げている。


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3位
タケシバオー

タケシバオー

戦績:中央27戦16勝 海外2戦0勝
性別・色:牡・黒鹿毛
父:チャイナロック
母:タカツナミ
騎手:古山良司
主な勝ち鞍:朝日杯3歳S・天皇賞(春)

 

 

 

 

 

  1969年・年度代表馬であり、天皇賞(春)、朝日杯3歳ステークスなどに優勝した。中央競馬史上初の一億円獲得馬でもある。2004年に顕彰馬に選出された。
 中央競馬(JRA)記録のレコードタイム5回とその勝ちっぷりから怪物とよばれた。その反面、2着が多い(計10回)側面も持っている。
 3歳時代は、アサカオー、マーチスと3強時代を築き、古馬になってからは、天皇賞(春)を制する。
 4歳春の東京新聞杯から8連勝をマーク、その中には、京都記念、毎日王冠を62キロで制し、天皇賞(春)(3200M)優勝後のジュライSでは、65キロを背負い1800M不良馬場で、出遅れての勝利という脅威の強さを見せつけた。(このジュライCは伝説となっている)
 さらに第3回スプリンターズステークスに該当する「英国フェア開催記念」(芝1200m)をも制し、短距離、長距離、芝、ダート、不良馬場、良馬場全てこなし、レース条件も斤量も問わないタフさは多くの競馬ファンに強烈な印象を残した。
 国内生涯成績も、27戦して、着外なしである。 


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2位
シンザン

シンザン

戦績:19戦15勝
性別・色:牡・鹿毛
父:ヒンドスタン
母:ハヤノボリ
騎手:栗田勝
主な勝ち鞍:皐月賞・日本ダービー・菊花賞・宝塚記念・天皇賞(秋)・有馬記念

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  史上2頭目、戦後初のクラシック3冠馬。史上初5冠馬。1964年・1965年啓衆社賞年度代表馬。その走りは『鉈の切れ味』と形容された。
 生涯成績19戦して3着以下なし(連帯率10割)常に無理をせず『勝つべくレースを知っている馬』と言われ、G気任楼貪戮稜埓錣發覆った。
 シンザンは、走る時あまりの瞬発力により、前足と後ろ足がぶつかる癖があった。 ぶつかる衝撃から前脚の蹄鉄を守るため、「シンザン鉄」と呼ばれる蹄鉄を履いていた。

▼シンザン鉄▼

シンザン鉄


 最後の5冠目となった有馬記念で、ミハルカスに乗っていた加賀騎手が直線でシンザンの進路を防ぐため、大外へ回ったため、一瞬大外に振られたシンザンの姿が画面から見えなくなった(以前中山競馬場は、スタンドが高かった)、
 しかしシンザンはミハルカスをゴール前交わし5冠を獲得した(この有馬記念は今もなお名勝負として語り継がれている)。このレースを最後に引退した。

シンザン  シンザン世代はレベルが高く、シンザン引退翌年の春の天皇賞では、天皇賞、有馬記念で死闘を繰り広げた1番人気のハクズイコウが1着、シンザンのいつも2着だったウメノチカラが2着に入り、1歳年下のキーストン、ダイコーター、カブトシローを退けたので証明されている。

 


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1位
シンボリルドルフ

シンボリルドルフ

戦績:中央15戦13勝 海外1戦0勝
性別・色:牡・鹿毛
父:パーソロン
母:スイートルナ
騎手:岡部幸雄
主な勝ち鞍:皐月賞・日本ダービー・菊花賞・天皇賞(春)・ジャパンカップ・有馬記念(2回)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本競馬史上4頭目のクラシック三冠馬であり、また初めて無敗でクラシック三冠を達成した。三冠を含め、GI競走で通算7勝(7冠馬)。
 そのあまりにも完璧な走りから、『皇帝』、または「七冠馬」「サイボーグ」と称される。
 ルドルフのハードトレーニングに翌年のダービー馬シリウスシンボリは付いていけなかったという。普通の馬がルドルフと同じ調教をこなせば、心臓発作で死に至るとまで言われている。
 デビュー前から超エリートで、ダービーまでのローテーションが既に組まれていたという。
 主戦の岡部騎手は、初めてルドルフにまたがった時(2歳時)は、4歳5歳馬にまたがっているようだったと発言している。
 ダービーでは、3,4コーナーの仕掛けどころで、手ごたえが悪くなり、あせっていると直線で一気にエンジン全開で抜き去って見せた。後に岡部騎手は「ルドルフに競馬を教えてもらった」と語っている。
 一つ上に史上2頭目の4冠馬ミスターシービーがおり、日本競馬史上初の3冠馬対決は計3回行われた(ルドルフの3勝)。
 宝塚記念出走取り消し後(怪我による引退がささやかれる深刻なものだった)、ぶっつけ本番で出走した秋の天皇賞はギャロップダイナの強襲にあい2着に敗れた。このレース後、馬房の中でシンボリルドルフが悔し涙にくれたという話が報道された。
 引退レースとなった2度目の有馬記念では、レースを前に調教師の野平が、岡部騎手に『たまには何馬身か離してこい!』と言ったと岡部が語っている。
 シンザンの最高傑作で、その年8戦7勝の2冠馬ミホシンザンに4馬身もぶっちぎって見せた。これは日本で最後のレースであったからと言われている。今までいかに温存して走っていたかが良く分かる。

シンボリルドルフ有馬記念2
 翌年米国遠征でのサンルイレイS(G)で、レース中に左足を痛め(芝からダートを横切る所で)6着に敗れ、これを最後に引退した。

 ルドルフ世代のレベルの高さは、ルドルフ世代が7歳になった時の宝塚記念で、当時全盛期の4歳馬ニッポーテイオーとスズパレード、ニシノライデンが3強対決を繰り広げスズパレードが優勝した事で証明されている。
 ルドルフのお陰で弱いと思われていた彼らは実は強かったのだ。

 

 

 


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