・旅するということ
・価格ってなに?






・旅するということ


このコーナーを作ったときから、最初のトピックはこれにしようと決めていた、「旅をするということとは?」。世界一周旅行に出るくらいならこんなことは簡単に書けると思っていた。もちろん答えをいくつか挙げることは簡単。「いろんな国の空気を感じたい」「自分とは違った価値観に触れてみたい」「綺麗な景色を見てみたい」ナドナド。日本を出る前にはこんなことを実際に周りの人に言っていた。でも正直しっくりしない。

「なんで旅をするのか、旅をする意味って??」。そんなことを悶々と考えながら中国、チベット、ネパール、インドと旅を進めるが、なかなかしっかりとした答えは出てこない。そんな中、インドのダラムサラでダライ・ラマ14世の説法を聞く機会があった。説法の内容は仏教概論のような話で正直難しかったが、その話の中で、どれだけ自分が成長したかを測る方法としてこんな逸話を持ち出した。

「もし長年会っていない友に久々に会ったならば、その人がどれだけ精進したかを言ってあげなさい。そして自分がどれだけ精進したかを言ってもらいなさい。そうすることで日々の中では見えない自分の成長や欠点が見えてくるでしょう」。

もちろんこれは修行者での話であるけれど、旅人にも通じることだと思う。旅を出ることは日常空間から離れること。知人に会うことは皆無に等しい。そんな中でいろいろな人やモノや空気に触れて、見て、感じることでなにかしら自分が変わっていっているはず。それは必ず起こっていることだけれど、自分では気づかない。

たぶん旅とは、なにか自分の中に変化をつけたいからするものなんだと思う。日々の決まりきった行動から離れて、日常生活では得られない刺激を受けて自分を変えていく。それはもちろん良いほうにも、悪いほうにも傾くかもしれないけれど、その変化は自分の人生の糧になっていくものだと信じたい。

どれだけ変化が起こるか。日本に戻るときが楽しみだ。

2007年10月7日 インド、ダラムサラにて



・価格ってなに?

旅をしているときに良く聞く話が「○○でぼられた」。つまり高い対価を払いすぎたということ。実際に僕も旅をしていて、「しまった!高く払い過ぎたかな」と思うことは日常茶飯事。

アジアのモノ、サービスはほとんどが交渉制。市場に行っても値札がついていることはまれだし、タクシーもメーターがあるにも関わらず、行き先を告げて値段を交渉する。そしてよく起こるのが、向こうの言い値を聞いて、こちらがNOと言うと「How much??」と聞いてくる。つまりいくらなら買うのかということを売り手から買い手へ聞いてくる。これは日本人の普通の感覚だとすごく違和感を感じる。だって買い手がモノやサービスの値段を決めるなんてことはありえない状況だから。

こんなことだから、アジアでの買い物は大変とか、前述のように「ぼられた」といった話が出てくるのだと思う。でもよく考えてみると、モノやサービスっていうのは自分が欲しいものだから、それに代わる対価、つまり通貨を払って得るもの。だからそれがいくらなのかということを自分で判断、調整できるというのは健全な状態なのかもしれないと思えてくる。本当に欲しいものであればそれなりの交渉もするだろうし、欲しくなければあきらめも早い。旅をする中で、そのものにどれだけの価値があるのか、それを考える力がつくのかもしれない。

2007年10月30日 パキスタン、フンザにて

旅に出ると、いろんなことを感じて、考える時間が格段に増える。
それは未舗装路でガタガタなバスの中であったり、
市街地で現地の子供たちと遊んでいるときであったり、
安宿の天井のファンをぼんやり見上げているときであったり。
その想いは、浮かんでは消えていくものばかり。
でも消える前に少しだけそれらを文字にして表してみました。