
中内敏夫(『教室をひらく』目標づくりの組織論)ではまず、青森県下北地方で新全総の巨大開発に対峙する地域住民運動に参加していた教師たちの言葉が紹介されます。
「下北の私たち教師のかかえている問題は、公害の予防であり、地域の生活と自然を守ることであり、それを教育の中でどう扱うかということである」、「社会・理科の分野で住民運動の中で学んだことを教材化」、「子どもたちが自分の生活の場を深く見つめ、現実を直視し、将来に向かっての世界観を自己形成することを願っている」、「地域の抱えている問題・課題を普遍的な科学の問題とつなげて考え」る。
〔実践記録集『やませ』(青森国民教育研究会編)〕
「自然を大切にしましょう」という心がまえの教育ではなく、その基礎となる科学的な自然像と環境概念を築きあげることを彼らはめざすのです。そして、「住民運動から学んだこと」をヒントに「人間社会では(とりわけ高度成長期においては)、生産と消費だけが重視され、還元(分解)は軽視され環境が破壊されている」ことに注目。生産者である植物、消費者である動物に対して菌類は還元者(分解者)として生態系の中でそれぞれの役割を果たしていることを教材化していく。
つまり、「生態系における還元の概念」を目標に位置づけ、地球の危機が問題となる時代の(グローバルな展望を持つ)学力保障の運動を展開していくのである。
そして、「人権と生活を防衛するために展開されていた各地の住民運動」を背景に、新しい動きが日本教職員組合の教育研究活動の中でも生み出されていく。
「自然との共存をめざす教育・・・人間は長い歴史のあゆみのなかで自然環境に働きかけ、環境をかえることで・・・その適応能力を拡大、発展させてきた。しかしながら、この能力の行使は、地球上の生態系の秩序を際限なく破壊するようなものであることは許されない。(・・・)人間と自然との新しい共存共栄をめざして自然を理解し、・・・自然を愛し、・・・次の世代に豊かな自然を伝えていくことがいま切実に求められている。」
日本教職員組合が委嘱した教育制度検討委員会の報告書 『現代日本の教育改革』(1983)
そして、「公害学習」を実践していた教師たちは「総合学習」を提唱する。
「公害学習が、自然科学認識と社会科学のそれとの統一の上になりたつことは、分科会設営当初から自明のことであった。(公害学習のもつ総合的性格)」
(教育研究全国集会報告集)
「総合学習はそれぞれの教科で習得した分析的学力を総合し、これを応用して実生活上の課題や問題にとりくみ、またこのとりくみによって教科による基礎的な学習を一層必要と感じ取れるようになるものとして、一応他の教科とは独立の領域として設定する」
(日教組が委嘱した教育制度検討委員会の第三次報告書)
注目すべきは、当時の文部省も、そのような動きや実践を積極的に学習して、「新しい総合科目」を設ける意向を表明したことである。(教育課程審議会 中間報告 1975年)
「答申」を受けて指導要領は改定され、『現代社会』と『理科T』が誕生した。
現代社会冒頭「現代と人間」の学習内容の柱は「公害学習」運動が取り組んできた環境問題である。〔同時に、国連の人間環境会議(72年)の各国政府への大きな要請も「環境教育」だった〕。新学習指導要領が「住民運動と教育課程編成運動」に学ぶことによって、「既成の教科と学校知の枠組みに入りきらない新しい知の体系・総合科目を求めた」というのだ。
〔1975年教育課程審議会中間報告を受け取った当時の永井道雄文相は、哲学・教育社会学の教師、ジャーナリストを経た学者文相で、それに先立つ71年1月の「公害と教育」分科会(教育研究全国集会)に彼は朝日新聞の論説委員として出席していた。彼は、朝日家庭便利帳という小冊子に「環境教育は、人間にとって身近な問題から、人類の資源や食糧など大きな問題をふくむものであり、これまでの教育の根幹に迫る問をなげかけている」と書いた。〕このような形で「目標の再編成」が行われたことは素晴らしいことではないだろうか。