
現実に向き合う思想に関心のある方 よろしければ…
私は、教育学部の出身なのですが、研究室は社会科の倫理社会(懐かしい呼称…)です。在学中から47歳の今にかけて、愛読した思想家はサルトル、マルクス、ルソー、ヘーゲル、竹内芳郎、竹田青嗣、西研、長谷川宏などです。
私がサルトル、そして竹内芳郎氏の著作と「出会った」のは大学の一回生の時です。二人の思想には私なりに本気で向き合い「サルトルや竹内芳郎の思想を現実の中で生きる」ということが、その後の大きな関心事となりました。「一冊の本や一人の思想家との出会いが人生を変えることもある」ということを実感しています。竹内芳郎氏についてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は、「常に現実が突きつけてくる課題に真摯に対応する思想を提示し、現代世界におけるアクチュアルな問題に対して発言し続けている数少ない哲学者である。」と紹介してありますが、まったく同感です。氏の問題提起をどう受け止め実践するか、ということは私にとって重要な問題であり続けました。
また、その二人だけでなく上記の思想家の著書は繰り返して読み、多くの学びを得ることができたと思います。現実に向き合い実践していく上でたくさんの示唆をえられる豊かな思想をその中に見出すことができました。よろしければ以下の論考や手紙などお読みください。
○竹内芳郎氏への手紙 (2006年1月)
私自身が、サルトル、竹内芳郎の思想をどのように受け止め生きようとしたか。愛読者になって20数年たっていましたが、竹内芳郎氏自身に手紙を書かせていただいたものです。
(現在の竹内芳郎氏について『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「1989年以降は、思想界、言論界からは身を引き、<討論>による思想形成を通じて民主主義を学習していく場として「討論塾」[1]を開設し、現在に至るまで、討論塾における活動を通じて、民主主義、人権論、マルクス主義、天皇制などにかかわる多彩な理論形成を行っている。」ということです。2006年2月、私もこの「討論塾」に入会させていただきました。)
『国家と文明』はマルクス主義の理論を徹底的に再検討・再構成していった竹内芳郎氏の労作です。「大切なことはマルクス主義を乗り越えることであって、断じてマルクス以前に舞い戻ることではない」という信念のもと、著者は史的唯物論の徹底的な再構成、独自の国家論の展開をもとに、「文明転換と支配の廃絶」への展望を明らかにしています。
時代と格闘しつつ人類の未来を打開すべく展開された「歴史の全体化理論」。著者の透徹した考察は、貧困や環境問題がクローズアップされる現代において、ますます重要なものとなっています。ぜひ、ご一読いただきたいと思います。
〔資料〕
ブログに掲載した「マルクス主義」に関する私のコメントです。
Q マルクス主義の核心は?(適切に理解・構成されたマルクス主義とは?)
〔なお私見ですが、マルクスの初心をかなりの程度において実現している国は「既成社会主義国」ではなく「北欧諸国」(例えば社会民主労働党政権のもと福祉社会を建設したスウェーデン)であるように感じています。本来の歴史理論は、既成社会主義国の崩壊と 高福祉・高負担の北欧諸国の躍進 を同時に説明できるような理論でしょう。すでに30年以上前に書かれた『国家と文明』はそのような理論であると考えています。〕
『文化の理論のために』、『意味への乾き』(宗教表象の記号学的考察)は、文化や宗教、あるいは人権思想に関して深く考察した竹内芳郎の力作です。「人権思想」や万人平等思想も明らかに人間固有の「文化」であるわけですが、一体これらは、いついかにして人間社会の中に登場したのでしょうか。一般的には西洋近代の「自然権」思想から、といわれますが、上記著作において竹内芳郎はその根源に迫っています。
湯浅誠の発言とも絡めながら、紹介記事をまとめてみました。
○「討論塾」への投書(2007年度)
「討論塾」の中でマルクス主義に関する問題提起・論議が行われたのを受けて、投稿した文章です。竹内芳郎氏の力作『国家と文明』(歴史の全体化理論序説)の内容にも触れています。
・「いじめ問題」の背景にあるものは? (広がるネットいじめについて)
「メールによる脅しや学校裏サイトでのいじめ」による高校生の自殺がこの9月を中心に、マスコミでも大きく取り上げられました。子どもに買い与えている携帯電話(「先進国」で唯一インターネット機能が搭載されている)の恐ろしさに私たち大人はもっと目を開く必要があるでしょう。
小泉元首相の「靖国神社参拝」を多くの若者が支持し、また、自らが靖国神社への参拝を行いました。「戦後民主主義の欺瞞を若者は敏感に感じ取っているためではないか」という竹内芳郎氏の質問に対して私自身の考えをまとめてみました。
J.P.サルトルにおける自由と状況
学生時代の私の卒業論文は「J.P.サルトルにおける自由と状況」です。かなりの長文になってしまいましたが、サルトルという思想家にほれ込んで、その時点では最善を尽くして書いたものです。ただし、くどい部分を省略したり、多少の表現の修正、(注)の付加などは行っています。
J.P.サルトルの『想像力の問題』(想像力の現象学的心理学)の要約・解説です。「想像は知覚の再生ではない」と述べ、「人間が想像するのは人間が自由だからだ」と結論づけています。
サルトル思想の一貫したテーマである「自由と状況」の問題がこの著書においてもすでに展開されています。
J.P.サルトルの哲学的主著『存在と無』に関する卒業論文のうち、第3節「行動の問題」だけを抜粋してまとめました。『想像力の問題』で解明した「自由と状況」の問題をより具体化しつつ人間存在の一般論の構築を目指した労作です。
J.P.サルトルが戦後提唱したアンガジュマン(社会参加)の思想と実践について、哲学的主著である『存在と無』、『弁証法的理性批判』とも関連させながら、その歩みと発展をあとづけてみました。
『弁証法的理性批判』にかかわる部分をすべて掲載しました。一気に読むには長すぎる量ですが、『批判』は現代においても充分意義のある著書だと考えています。
「自由と状況」を軸にサルトルの思想的・実践的歩みを総括しておきました。
○「総合学習とサルトル思想」(私の「小論文」)
1999年のことですが、意味のある「総合的学習の時間」をどう創り上げていこうか、という強い実践的な関心を持ちつつも、その意義について(私の好きなサルトル思想と結びつけながら)理論的に追求してみました。
○竹田青嗣氏への手紙(2006年1月)
竹田青嗣氏の著作の中で『人間的自由の条件』(講談社)をやや批判的に論じたものです。現代の代表的な思想家の一人である竹田氏の理論とサルトル、竹内芳郎の思想を私なりにつきあわせてみました。
○西研 氏への手紙(2006年1月)
竹田青嗣氏に送った手紙(メール)と同趣旨のものを西研氏にも送付しました。
ヘーゲル思想(『精神現象学』の内容)と長野県U高校の実践とを結びつけて考えてみました。
200年前にヘーゲルが洞察したことと、現代の教育実践に深く通じ合う点があるというのは興味深いことです。
U高校の「夢の駅前公園づくり」の実践と、「民主主義」の原理を明確化していったルソーの『社会契約論』の内容とを結びつけて述べてみたいと思います。
JSミルの『自由論』は現代の我々にとって、「討論」の貴重さやモラルについての極めて鋭い問題提起となっています。私たちは「インターネット」や「ブログ」という空間を越えて討論する「武器」を持っているわけですが、それを使いこなすための「討論モラル」「異論に向き合う姿勢」はどうなのでしょうか。考察してみました。
○コミュニケーション考(小論文)
柄谷行人の『探究T』で展開されていたコミュニケーション論と、竹内芳郎の『言語、その解体と創造』、『文化の理論のために』における言語理論とをつき合わせながら、「コミュニケーション考」をまとめてみました。
これは1990年代のことですが、吉本隆明が井上ひさしの「コメの話」をたたいて「コメの話とは何か」を書きました。これを評価する M くんと評価できない私とのあいだで口論に・・・。そのあと、冷静に考えを深めて書き送った手紙です。
○吉本隆明の思想(「生活者」と「マスコミや“評論家”」)をめぐって
吉本隆明は「生活者」の健全さと「マスコミや“評論家”」のいかがわしさを強調する論者でもありました。彼の論理をそのまま肯定しようとする M くんと批判的に論じようとする私との口論が、同じようにまきおこりました。そのあと、またまた頭を冷やして論点を手紙に整理してみたものです。
○上野千鶴子さんにひとこと(投稿文)
「西部ブロック通信」(民間教育研究団体である「高生研」=高校生活指導研究協議会の埼玉県西部ブロックで発行されている通信)に掲載されていた、上野千鶴子さんと「黄色いお兄さん」との論争についてのコメントです。「論理・概念を形成する力に関して読み違えがあったのでは」という指摘もありましたが、実は「正解だったのではないか」とあとで考えました。
書評・劇評等
○欲望という名の電車(T.ウィリアムズ)
上記の作品についての「書評」です。砂漠で水を求めるように“ぬくもり”を求める主人公。 しかし・・・
鳥取市の鹿野町を中心に活動している演劇集団「鳥の劇場」。2007年春の三部作は「『わたしたちをもてあそぶ見えない力』をめぐって」というテーマで上演されました。
「暴力的な状況」とその中に生きる人間を鋭く描いた舞台でしたが、「そこで描かれていた人間の本質と描ききれない(と思えた)本質は何だったのか」考察してみました。劇評とあわせて生意気ながら演劇活動への「提言」も行っています。