
5
廊下を曲がれば、受け持ちのPクラスからひときわやかましさが伝わってくる。
いつものことながら、我が可愛い生徒たちときたら元気いっぱいだ。
レイ・ユウキがドアを開ければ、何やら人だかりと、そのただなかで本の投げあいをしている少年2人の姿が見えた。
「ふっざけんなよッ!くそディアッカァァァッ!!」
「俺が何したってんだよ!この馬鹿コートニーッ!!」
「俺の彼女に手ェ出しといてその態度は何なんだよォォォッ!!」
「あの女が言い寄ってきただけだってーのッ!!そんな大事なら首輪でもつけとけよなッ!!」
…最近の子どもたちときたら実にマセている、本当に困ったものだ。
呆れ顔のユウキはひとつ咳払いをしながら教壇に上がる。
ようやくに気づいたようにぱらぱらと生徒たちは席に戻り始めた。
「あー…。こらいつまでだらだらしてる!はい着席!コートニー、ディアッカは後でそこら辺の本を拾っておくこと」
「…はい」
「りょーかい」
まったく子どもたちはどこまでも学校気分だから困る、一応ここは軍の施設だというのに。…それとも自分が甘いせいなのだろうか。
ともかくレイ・ユウキは出席簿をぱらりとめくってぐるりと講義室を見回す。
「欠席者は…マーレ・ストロードか。どうした?知ってるか、アンリ」
マーレと同室で、最前列に座っているアンリ・ユージェニーが大仰に肩をすくめた。
「えーと。何か具合が悪いって言ってました」
「そうか」
それは心配だ、今日はMS工学テストがあるというのに、とユウキは難しい顔を作る。
「今週のテスト週間が終わったらMS実習だ、お前たち気を引き締めるんだぞ!」
いまいち気が引き締まっていない応えが生徒たちから返ってきて、がっくりとユウキは肩を落とす。
ただでさえウィラードやシュミットから「今期のPクラスはダレている」と言われているというのに。
全くこの生徒たちのうち一体幾人が来年の今頃も生きているのか心配になってくる。
「日直!日誌を取りに来い!」
「はい」
蒼い髪の少女が席を立って教壇へとやってきて、ユウキは片眉をついと上げる。
「…アスラン。こっそり教えた航空物理学のポイント、さては漏らしたな?」
アスラン・ザラはにっこりと笑むと、実に朗らかに「皆に教えました」と答えた。
…通りで全員パスしたはずだ。
毎期必ず数名の落伍者が出るというのに、今期に限ってあまりの満点連発に自分は腰を抜かした。
「いや…なんというかね。君は理解しているし今更言うまでもないだろうが、ということで教えたんだが…」
「ユウキ教官の優しさをひとりじめするのは申し訳なくって。ここは全員平等にと思ったのですけれど、ダメでした?」
「…いや」
可愛い。
敢えて言おう、可愛いものは可愛い、綺麗なものは綺麗であると!
そして可愛く綺麗なものを愛でるのは当然のことなのだ!
という理論を展開して、同僚のギャバン・ラコーニに「お前は単なるロリコンだ」と一刀両断されたのは今朝の話。
…仮にロリコンであったとしても、それは他人様に迷惑をかけることのない趣味の範疇ではないか。
「では朝会はこれで終わり!今日も一日頑張れよ!」
さて、気がかりなのは欠席したマーレ・ストロードだ。
ユウキは付属寮へと足を向ける。
昨日まではちゃんと出席していたのに、急に具合が悪いとは。
そもそも自分たちコーディネイターは頑強な身体を持っている、それでもダウンするとはまさか悪い病気ではあるまいか?
寮の廊下を歩いていたユウキはひとつのドアの前で立ち止まり、ノックした。
「マーレ?具合が悪いのか」
返事がない、とりあえず中に入る―――――カーテンを閉め切って、実に真っ暗な部屋だ。
ごそりと部屋の片隅で何かが蠢いて、ユウキはどきっとする。
その手で照明のスイッチを入れた。
「教官…」
部屋の片隅にうずくまっていたマーレ・ストロードは、青白く痩せこけた顔で振り返った。
…ナイフと手首。
「ばッ…馬鹿な真似をするなァァァッ!!」
咄嗟に猛然と突っ込んでマーレを突き飛ばし、ユウキはそのナイフを奪い取る。
「早まるなッ!何があったかは知らん、知らんが命を粗末にしてはいかんッ!!」
「俺…勉強全然手につかなくて、もう…もうダメです…落第して次の同期に『先輩』とか言われるの耐えられない…」
床に倒れこんだマーレはしくしくとむせび泣く。
「シホに振られて合わす顔ないし、アンリにバレたからきっと今頃俺はクラスの笑い者なんだ…」
一体どれが原因かはわからないが、とにかく凄まじいマイナス思考だ。
しかめっ面でユウキは怒鳴りつける。
「テストのひとつやふたつ補習でどうにか出来るッ!女に振られたくらいでメソメソするんじゃないッ!!そんなことなら俺は何度死んでるかわからんぞッ!!」
そうだ、死にたくなるような出来事なんて大人には腐るほどあるのだ。
「ユウキ教官…」
「今からならまだテストにも間に合うッ!さっさと行けッ!!」
蹴り飛ばすようにマーレ・ストロードを部屋から押し出して、ユウキは肩で息をしながら汗を拭った。
とりあえずこの物騒なナイフは没収。
マーレは放課後にでも保健室常駐のカウンセラーのところにでも行かせることにしよう。
昼休憩、教官室のTVはニュースの後で歌謡コンサートと最新ヒットチャートを放送していた。
やっぱりラクス・クラインの曲はいい。
実に惜しいのがもう何度も見慣れた映像だということだ。
あの歌姫は滅多にTV番組の場に姿を現さないので、どうしてもライブの画像の使いまわしになる。
「失礼します」
銀髪を鋭利に削ぎ落とした少年が教官室に入ってきて、ユウキは弁当を食する手を止める。
眼前で敬礼をして、イザーク・ジュールは淡々と言った。
「本を返していただきに来ました」
「ああ、ラコーニから預かっている。…全くテスト中に本を読むんじゃない。これがテスト内容に関わりがあるものだったら大事だったぞ」
眼前の本立てからユウキはその分厚い本を指先で引き出す。
イザーク・ジュールはふふん、とひとつ鼻で笑った。
「そうでないものを選びました。テスト中に本を読んだのは時間が余ったからです」
なるほど、大学付属研究所にいたイザーク・ジュールにはMS工学のテストなど今更、といったところなのだろう。
「で、この本は一体何だね」
「ご覧の通り『リグ・ヴェーダとサンスクリットに関する民間伝承の現実』です!」
…つくづく題名からして謎だ。
「そしてこれはかの偉人トシオ・ヤナギーダが最後に著したものでサイン入り初版豪華装丁本なのです!」
胸を張ってイザークは言う。
しかしかの偉人と言われても、一体何がどう偉大なのかさっぱりわからない。とにかく彼にとっては偉大な人物なのだろうとは推測だ。
「まぁなんだ。最近本を読まない若者が多いというが、君は立派なものだね」
ぱらぱらと重い本をめくって、ひらりと机上に落ちる紙切れをユウキは手にする。
「ん?何かね、これは」
奇妙な文字が鮮やかな筆さばきでずらずらと書き込まれた、細長い紙だ。
「私が作ったサンスクリット文字のお札です。息災延命先祖菩提仏敵滅殺家内安全祈願成就!」
…これは余り深く突っ込まないほうがよさそうだ、と直感的にユウキは思いながら、そそくさとイザークにその本とオフダなるものを返す。
イザーク・ジュールの切れ長の青い目がきらり、と光った。
「これを読みましたか?」
「…いや、そのヤナギーダというのに私はあまり造詣がなくて」
「お望みならいつでも貸して差し上げますが?密教のくだりなど濃密で実に興味深い名作です」
食い下がるイザークに、多少の怯みを覚えながらユウキは言葉を探す。
「うん、そのお気持ちはありがたいがね。私も仕事が忙しくてなかなか難しいと思うのだよ」
「そうですか。では失礼します」
ひどく残念そうなイザーク・ジュールは分厚い本を小脇に抱え、また敬礼して背中を向けた。
頭が良すぎる人間というのは、往々にして凡人に理解しがたい。というか思考回路がどこか妙だ。
ユウキは再びTVモニターに視線を戻して、箸を手に取る。
だが…食欲が減退しているのは何故だろう。
穏やかな午後の陽気と吹き抜ける風の清涼さは、微妙に疲れた心に沁み込む。
マーレも無事カウンセラーに預けた。今日の仕事はもう終わりだ。
そんなことを考えながら渡り廊下を歩いている最中、眼前を走り抜けるオレンジ色の風にユウキは視線を走らせた。
…ラスティ・マッケンジー!
そのままラスティのバイクは加速を続け、校庭の朝礼台の階段を駆け上がるとそのまま空中に高く飛翔していた。
アクロバティックかつ大胆なわざに、見守っていた生徒たちから歓声が上がった。
「すっげぇ!ラスティ!」
「もう一回やって見せろよ!」
鈍い音を立てて横滑りに止まったバイクに少年たちが群がり、褒め称えられてラスティは実に誇らしそうに親指を立てた。
ぶちりとユウキの怒りの緒が切れる。
「こらァァァァッ!!馬鹿者ォォォォッ!!構内をバイクで爆走するなァァァァッ!!」
ユウキは携えていた冊子を丸めて声を大にしながら駆け寄り、「何をやっとるか!」と少年たちをそれぞれに冊子ではたく。
しかしラスティは満面の笑みで、ハンドルに身を凭せ掛けて言う。
「教官も見てくれました?俺の超高等テク!」
「見たぞこの大馬鹿者ッ!」
オレンジ色のツンツン頭を平手ではたいて、ユウキはラスティをバイクから引きずり下ろす。
「反省文だッ!!お前は一緒に教官室に来いッ!!」
「えええええッ!?ちょこっとだけだったじゃありませんか〜ッ!ちょこっと走っただけです〜ッ!」
「言い訳になるかッ!!構内は車両禁止だッ!!」
ラスティ・マッケンジーの襟首を掴んで教官室へと戻る最中、ユウキは自分を呼ぶ声を聞いた。
「ユウキ教官!」
背後から追いかけるように廊下を駆けてきた深緑色の少年に、また何かあったか、とユウキはうんざりする。
「こら。廊下を走るんじゃないぞ、ニコル」
ニコル・アマルフィは顔を曇らせた。
「すみません!でも今それどころじゃなくて!ディアッカとコートニーが中庭で喧嘩を始めて…!」
朝の件の続きか、とユウキは思い出す。
「ああ放っておけ。喧嘩は悪いことじゃない、それで手加減のコツや要領を学ぶものだ」
「ただの喧嘩ならいいんですけど、ナイフを持ち出してしまったんです!止めてくださいッ!」
「な…」
思わずくらりと立ちくらみがした。
受け持ちの生徒がそんな私闘を繰り広げているだけでも問題なのに、万が一があれば自分は管理責任を問われるハメになる。
「どこだ!」
「中庭の噴水前です!」
ユウキはラスティを放り投げ、ニコルとともに廊下を走る。
慌しく中庭に駆け出してみれば、既に人だかりができていた。
「もうやめなさいってば!」
「いいじゃん、やらせておこうよ」
「コートニー負けるな!〜いけッ!」
「ディアッカッ!!脇が甘いッ!!」
人垣の向こうに、組み合って砂埃を上げながら、互いに切りつけあって傷まみれになっている少年2人の姿が見えた。
ユウキは上着を脱ぎ、肩のホルダーに携帯していた銃を抜いて、セイフティをがしゃりと外す。
「きょ、教官!?」
裏返った声のニコルに「耳を塞いでおけ」と告げて、ユウキは空に向かって威嚇射撃を3発放った。
それだけでナイフで取っ組み合いをしていた2人と周囲の野次馬たちが静かになった。
「いいか…お前たち、いい加減にしろ」
いくらこのレイ・ユウキが寛容な人間だといっても、物事には限度というものがあるのだ。
医務室に押し込めた2人を前に、ユウキはしかめっ面で説教をする。
「私闘は校則違反、軍紀違反だぞ!」
「私闘じゃないです、単なるナイフ戦の練習です」
ぶすっとした表情でコートニー・ヒエロニムスは言い、ディアッカ・エルスマンもにやりと笑った。
「そうそう練習だって、センセイ。だから全然俺ら違反なんかしてません」
全くコイツらときたら、屁理屈をこねる技術はすでにして一人前だ。
「全く!…何が原因かは訊かん。だがすぐ暴力に訴えるのはどうかと思うぞ。まず話し合え、全てはそれからだ」
「話すより一発ぶちかますほうが早いに決まってるじゃないですか」
「お前まだ言ってんのかよ」
「うるさい、もとはてめーが原因だろうが!」
「俺じゃねーよ、女に言えよ!」
「こら!そこの傷も見せなさい!」
校医たちに手荒く消毒されながら、切り傷まみれのコートニーとディアッカは未だにぶちぶちと口論している。
「…うだうだ言うようなら、学部長に申し上げて2人ともテスト期間中謹慎処分にしてもらうぞ。落第して留年したいか?」
ユウキの脅しに、ええッ!?と少年2人は表情を歪める。
よしよし、いい反応だ。
「誓約書を書け!金輪際、刃傷沙汰にはしないと書いてサインだ!」
差し出した紙とペンに、しぶしぶ彼らは机に向かって書き始めた。
そして誓約書を回収し、やれやれ全く―――――とユウキは嘆息混じりに医務室を出る。
その背後を慌ててディアッカ・エルスマンがついてきた。
「なあ、身元引受人に連絡はしないでくれるよな、センセイ」
お?とユウキは振り返ってにんまりと笑む。
「お望みなら、してやってもいいぞ」
「冗談、勘弁してよ。親父にまた偉そうに文句言われるの超困る」
絆創膏と包帯まみれのディアッカ・エルスマンの顔をちらと見て、ユウキは眉間に皺を作った。
「ディアッカ。このままいくとお前は将来女で身を持ち崩しかねんぞ。気をつけろよ」
人生の先輩としてアドバイスしたつもりが、ディアッカはあっさりと一笑に付して流した。
「だいじょーぶ、うちの嫁さんがしっかり手綱を締めてくれますって」
本当にああ言えばこう言う、生意気なガキもとい生徒だ。
まあ最高評議会議員のご子息であるからには、婚約者のひとりやふたりいてもおかしくないのだろう。
「気の毒にお前の嫁は苦労が耐えんだろうな。…で、やっぱりいいところのお嬢さんか?」
まさかアスラン・ザラではあるまいな、とユウキはちらりと視線を動かす。
「アイリーン・カナーバ。センセイも知ってるっしょ?俺アイリーンと婚約ほやほやなの」
ディアッカはひどく余裕綽々とした表情で、少しばかり自慢げに答えた。
「アイリーン…カナーバ?」
予想外の名前にユウキは絶句する。
記憶している限り、アイリーン・カナーバといえば一番年若い最高評議会議員で、総合情報学の博士で、P.L.A.N.T.外交官だ。
それでも確かこのディアッカとは年が10は離れている筈だが…ともかくユウキはTVで見た彼女の顔を素早く思い浮かべる。
極めて美人だ。
「ふむ。なあディアッカ」
「何だよ?センセイ」
「お前は一度コートニーに殺られたほうがいいかもしれんな。人生出直せ」
「…はぁ?ちょ、センセイッ!それ教官が生徒に言うことかよ!」
ディアッカの声を背に、すたすたと誓約書を片手にレイ・ユウキは廊下を行く。
すべからく生徒は可愛い、だが可愛い以上に憎たらしいヤツも存在するのだ。これは人間である以上当然のことではないか。
ラスティ・マッケンジーにはまんまと逃げられたが、明日の朝捕まえればいいだけの話。
ようやく教官室に戻り、やっと一息がつけると思いつつレイ・ユウキはマグカップにポットの湯を注いだ。
たちのぼるインスタントコーヒーの匂いが何故か涙腺を刺激する。
妙に疲れた…今日は日誌チェックだけして、さっさと帰宅することにしよう。
「弾薬庫の鍵知らないか?」
デュプレがさかんに訊いて回っているのをちらとユウキは見遣る。
「ユウキ、お前は?」
「さて、全然だが」
「参ったなぁ…どこやったんだろう?」
「ちゃんと管理しておかないからだぞ。学部長に知られれば始末書減給ものだ」
ユウキはそのまま席に戻り椅子に身を沈めて、隣の席のラコーニに声を掛けた。
「で、どうだい、我がクラスの生徒たちの成績は?」
テスト用紙の束を傍らに採点作業をしていたラコーニが頭をもたげた。
「まぁぼちぼちかね。やっぱりザラとジュールが満点てところだな。ああ…そういえば今日も大忙しだったみたいだが、ユウキ」
「…うん何だ。まぁ教師というのは辛いよ、子どもたちに振り回されて」
全く可愛い生徒たちときたら、どいつもこいつも好き放題。
これは自分の至らなさか、それとも今期めぐり合わせが悪かったせいか?
とにかく早く部隊に戻りたいものだ、次の異動に期待しよう…と思いながらユウキはマグカップを傾ける。
「あら綺麗な花火」
向かいの席のヤードバーズが弾んだ声を上げた。
「花火?」
ユウキとラコーニは窓の向こうを見遣る。
すでに日が傾いて暗闇迫る空に、なかなかな花火が上がっていた。
「たーまやー…風情があるね。もう夏だものなぁ」
ラコーニがのんびり言っているのを傍らに、ユウキはふと嫌な予感がした。
この士官学校の周囲で花火大会があるような話は聞いていない。
そもそも…あれは付属寮の方向ではないだろうか…いや、まさかいくらなんでも、とユウキはちらと思う。
「弾薬庫の鍵がなァァァいッ!なんでだァァァッ!」
デュプレの声が聞こえる。
まさか…まさか我がPクラスの生徒が関わっているわけはないだろう。
と思いながらも不安から花火に目が釘付けになっている最中、眼前の内線電話が鳴った。