
11
ユーレン・ヒビキ。
全くナチュラルにしておくのがもったいないほどに頭が良く、そして愚直なほどに一途な男だった。
もっともっと高みへ―――――より優れた、最高のコーディネイターを――――――
その思いは生命論理をも踏み越えて、やがて彼はその研究ゆえに志半ばにして殺された。
報せを受け取った時、惜しい男を亡くしたという痛恨の思いとともに、ようやく消えてくれたと安堵したのもまた事実。
しどけなく黒革の椅子に座したタッド・エルスマンはカプセルを指先で弄びながらひとつ溜息をつく。
あの男が影で手を染めていた研究の噂は、遠くフェブラリウスにまですら聞こえてきていた。
ヒビキの死とともにその研究も闇に葬られた、はずだった。
「…全く、今更お前の負の財産を請け負う方はたまらんよ」
不条理さに愚痴も零したくなる、自分はユーレン・ヒビキの情熱など理解したくもないというのに。
だがこれも何かの因果なのだろうか、指向性がひどく近似した我々の?
その時ドアが叩かれた。
「ギルバート・デュランダルです」
「入りたまえ」
ドアがシュンと開いて、長い黒髪を一まとめにした白衣の男が入室してきた。
「…お呼びとききましたが、エルスマン博士」
「ああ。ぜひとも君に見せたくてね、ギルバート」
テーブルの上にばらばらと広げた青と白とのカプセルをすくいあげてギルバートにそれを示し、タッドはウィンクした。
「君の調合通りに作ってみて驚いたよ。これもG.A.R.M. R&Dの技術かい?」
黒髪の男の柔和な面立ちが少し翳った。
「…お得意の皮肉でいらっしゃる」
「ふん―――――レベル4管理帳簿の不整合を調べたらこのありさまだ。今回はつじつまあわせに失敗したようだね」
沈黙で無表情を通すギルバート・デュランダルに一瞥を投げかけた後、タッド・エルスマンは頬杖をついた。
「ご存知の通りP.L.A.N.T.内でのクローニング関連の研究は禁止されている。だからこの場で私は君を罷免できるし、当然君は刑事罰を受けることになる。
となれば将来有望なデュランダル博士の未来は閉ざされるし、ラウ・ル・クルーゼもとんでもないスキャンダルに巻き込まれる、と」
デュランダルはおもむろに口を切った。
「私に関しては罷免も処罰も結構です、甘んじて受けましょう。ですがクルーゼは今大事な時期です、Z.A.F.T.上層部にもスキャンダルは困るのではありませんか?」
彼は直立不動のまま、涼しげな眼差しで見返して淡々と言う。
「それにクローン技術の結果生まれた子どもは今後どうなります?このまま老化し死んでいくのをただ見守れと?」
「それもまた研究のひとつの結果だ、…と言いたいところだがね。公にするにはコトが大きい」
ひとつ深い息をついて、タッドは指先でカプセルを弄んだ。
「それに君の言うとおり、Z.A.F.T.軍的にはクルーゼに今失脚されると大変困る。――――――そこでだ。取引といこうじゃないか」
「取引?」
「君が持っているG.A.R.M. R&Dの情報を此方に寄越したまえ。私は一切見なかったことにする」
黒い眼差しがちらりと光を湛えて、タッドはそれを眺める。
「お望みはキラ・ヒビキのデータですか?」
そんな名前だったろうか、ユーレン・ヒビキが作り出したありうべからざる“完成体”は。
「はん、別にヒビキの遺志を汲んでやろうとは思わんさ。それは君が好きにやりたまえ。
私が欲しいのはコーディネイター培養の研究データだ。…全く第3世代の出生率をいかに上昇させるかに悩まされて夜も眠れんよ」
少し間があって、ようやくにデュランダルは頷いた。
「わかりました。仰せの通りに、…エルスマン博士」
「可及的速やかに頼むよ、ギルバート」
交渉成立。
大仰にタッド・エルスマンは肩をすくめて、黒椅子をくるりと回して背を向けた。
結局我々のようななりわいのものに、倫理や道徳など関わりないのかもしれない。
アンタみたいな人間に説教される筋合いはないッ!
俺は俺の好きなようにするッ!
幾度となく自分に反発して、挙句Z.A.F.T.軍に入ってますます遠ざかってしまった息子―――――それはそれでいい。アイツは多分、自分のようにはならないだろう。
その時、モニターのひとつが通信画面に切り替わって、秘書官の顔が映し出された。
『クライン前議長閣下から通信です』
「どうぞ」
壮年の面長の男が映し出された。
長年仕えた議長閣下の顔を眺めながら、ふっとタッドは笑う。
「どうしたねシーゲル。退任した途端えらく老け込んだじゃないか」
『老けもする、悩みは尽きんよ』
シーゲル・クラインの柔和な面差しが翳る。
「君と対照的にパトリックは大層元気そうだがね。で、どうした?私に連絡を寄越すなんて相当なことだろう」
『…秘して君に調べて欲しいものがあるのだ。これからそちらに持っていかせるサンプルの遺伝子情報を解析して欲しい』
妙な依頼にタッド・エルスマンは怪訝に眉間に皺を寄せた。
ディアッカは医務室ベッドにくくりつけられるゴム製の拘束具を眺めていた。
アークエンジェルのアラスカ入港後、自分はどうやらこの艦から出されるらしい。その暫定的処置だと医師は言った。
「いいか。変なことをしたらこれで一発だぞ」
医師は机の引き出しからちらと銃を見せて、それを冷ややかに眺めていたディアッカは唇の片隅を吊り上げた。
「へえ、医者の癖にそんな真似すんの?」
「護身の為だ。いきなり暴れられたら困るからな」
全くナチュラルらしい発想だ。
こんな繋がれてる俺に一体何ができると思ってるんだか、とディアッカはベッドの上でごろりと転がった。
…アラスカで俺は降ろされてどこか軍施設に入れられるのだろう、と想像すれば暗澹とする。
押し込められて捕虜交換、なら一番望ましい。
しかし噂に聞く尋問、拷問、あるいは銃殺…旧人類ならやりかねないではないか。全くなんだってこんな羽目になったんだか。
さてどうしたものか、と思考を巡らせているうちに眠気が襲ってきた。
扉が開く音がして、隣の椅子に誰かが座る気配があってディアッカはふと目覚める。
自分は眠ってどれくらい時間が経ったのだろう。
「なあセンセイよぉ!」
寝返りを打って声を掛ければ、ターコイズブルーの大きな目が視界に入った。
「あれ?」
あの廊下にいた女だ、とディアッカは思い出す。
声もなく彼女は椅子から蹴り立ち、飛び跳ねるように後ずさった。
「…あ」
彼女は涙を浮かべて壁際にへばりついている、あたかも少しでも離れたいと言わんばかりに。
その怯えきった表情がひどく腹立たしい―――――全く俺は化け物か何かか?
「なんだよそのツラは。俺が怖い?大丈夫だよ、縛られてっから!…つーかお前また泣いてんの?」
押し殺した嗚咽の声だけが耳につく。
「なんでそんなヤツが兵隊なんかやってんだか!…ん?それとも馬鹿で役立たずなナチュラルのカレシでも死んだか?」
適当なことを言い放ったその瞬間、ふっと空気が引いた。
瞬間視界に入るのは振りかざされた刃。
咄嗟に起き上がれば、枕にメスは深々と突き刺さった。
「ッ…捕虜になにしやがるんだよッ!」
憎しみに顔を歪め、目元を真っ赤に染めた少女がそのメスを引き抜き、なおも尋常でない眼差しで睨む。
「なんでトールがいないのに、アンタなんかがこんなところにいるの…?」
地を這うような声が耳に届く。
「トールがいないのにッ!」
…ビンゴか!
ディアッカは自分の言葉を瞬時後悔しながら、その振りかざされたメスの切っ先の行方を凝視する。
コイツ、本気だ!
上半身をよじって暴れれば、少女もろともにベッドの下に転げ落ちて拘束具のゴムがピンと張り詰める。
辛うじて切っ先を逃れたものの、メスは額を掠めていて激痛が走った。
噴き出る血のぬるぬるとした感触がひどく気持ち悪い。
――――――だが今ので右手の拘束が緩んだ、とディアッカは不意に気づく。
拘束を必死で解こうとしているその最中、馬乗りになったその少女の涙の雫がぽたりぽたりと落ちてきて、ディアッカは目を見開く。
メスの切っ先の向こうで、少女は瞬きもせずに自分を凝視している。
彼女の眼差しの強さに、頬を打つ憎しみの涙の鮮やかさに、世界が極彩色を帯びるような気がした。
急速に迫る現実感が肌を粟立てる。
泣きながらやがて少女が唇を開いた。
「アンタの血…赤い」
「当たり前だろ人間なんだから!」
自分の血も彼女の涙も熱い。
「でも、…でもッ!トールもアンタが殺したんでしょッ!?」
「トール?」
「戦闘機に乗ってたのッ!スカイグラスパーッ!」
「…俺じゃない」
相手はアスランかイザークなのだろう、だがどちらにしても同じだ。相手が自分であれば、躊躇いなく撃っていただろう。
後ろ手の拘束を解こうと躍起になりながら、少女の気をひきつけるようにディアッカはゆっくりと言う。
「だけどお前にとっちゃ俺がやったも同然だろ?言い訳はしない」
びくっと彼女の肩が震えた。
その矢先に乱入してくる人影、ディアッカは舌打ちする。
「ミリィ!」
「…サイ」
あの少年兵に少女の注意が逸れて、その最中、ディアッカはさらに右手をひねる。
ようやくに拘束のゴムが緩みするりと右手が抜け、続けざまに左手も自由になった。
よし!
上半身を起こしざま少女を突き飛ばして手元を叩き付ければ、「きゃっ!」という短い叫び声とともにメスが弾けとんだ。
起き上がってメスをキャッチすると同時に、ディアッカは少女を捕まえた。
「悪いな、女のコにこういう真似どうかと思うんだけどさぁ。お前も兵隊だろ?」
内側に刃を向けられて少女は震えている。
腕にかかる涙に多少の良心の呵責を覚えもするが、それどころではない。
血を拭ってディアッカは肩で息をする。
「ミリィ!」
少年兵の背後、不意に姿を現したもう一人が甲高い声で叫んだ。
「何よ、コーディネイターなんてみんな死んじゃえばいいのよ!」
赤毛の少女がいつの間にか震える手で銃口を此方に向けて、睨めつけていた。
さすがにディアッカも焦り、ことさらにそのミリィという少女を抱き寄せてメスを突きつける。
「撃てばこの女にも当たるぞッ!銃をこっちに寄越せ、早くッ!」
「フレイッ!銃を下ろせッ!」
少年兵が叫ぶ。
「嫌よ!」
「フレイ!ミリィを殺すのか!?」
のろのろと赤毛の女は銃を下ろし、銃はその指先から床に落ちた。
サイと呼ばれた少年が蹴り、床を回転しながら銃はディアッカの足元にたどり着いた。
ディアッカは躊躇いなくミリィと呼ばれた少女のみぞおちに肘鉄を入れて担ぎ上げる。
「今どこだ、ここは!」
「アラスカだ」
――――――自分は遅かった、だがもうこんなことになった以上は大人しく捕虜にされているつもりもない。
「くっそォッ!!この艦、ストライクがあるんだろッ!?」
銃のスライドを引いて初弾が薬室に入る音を確かめながらディアッカは問う。
「ストライクは、ない」
少年兵が弱々しく頭を振る。「…お前たちが島で襲ってきた時、シグナルロストになった」
「じゃ、バスターはッ!」
「艦内に回収はされてる、だが修理されたとは聞いていない!」
動力系が修理されてなければ動かしようがない。ならばいっそ戦闘機でも動かすか―――――全くなんて無茶な!
「一体何の騒ぎだッ!!」
ばらばらと連合兵たちが入ってくる、ディアッカは銃口を向けてトリガーに指を掛けながら低く言った。
「どけよ。じゃないとこの女殺すぞ」
怯んだ連合兵たちを続けざまに蹴倒して、ディアッカは医務室を飛び出る。
「ミリアリアッ!」
少年兵の叫び声が背後から追ってきた。
カーペンタリア司令部大モニターが切り替わり、本国での最高評議会決議を知らしめる速報が映し出された。
オペレーション・スピットブレイク可決、承認。
忙しく動き回っていたオペレーターたちがしばし手をとめて、場がざわめく。
「まぁ当然の結果だろうな」
「ますます忙しくなるぞ」
声、声、声。
司令部を見渡せる2階の欄干からイザークはぼんやりとそれを眺めていた。
「…俺らも出撃なんだろうなぁ、イザーク」
傍らに立つコートニー・ヒエロニムスが欄干にもたれて、湯気立つマグカップのコーヒーに口をつける。
「アスランの調子はどうなんだよ?なんだか良くないって聞いたけど?」
「良くはないな。重傷の上に、戦闘の後遺症で虚脱状態だ」
イザークは欄干に頬杖をついて、ひとつ嘆息する。
コートニーはまたCICに目を向けて、少し声を低めた。
「それだけ強かったってことだよな―――――あのストライクってヤツ。ラスティやニコル達がアイツのせいで死んだって聞いた時、俺マジでショックだった」
それはきっとコートニーだけではないだろう。
各地に散った同期たちは、多分それぞれにその報せを聞いて驚いたに違いないのだ。
ラスティ、ミゲル、オロール、マシュー、ニコル。
ヤツらは皆優れたMSパイロットだった、とイザークは今更に思い返して胸の痛みを覚える。
「…ディアッカはきっとどっかで生きてるさ。アイツのことだから、現地の女に匿われてヒモでもやってるんじゃない?」
コートニーのさりげない慰めに、ふっとイザークは口許を笑わせた。
「ああ、あの馬鹿のことだからありえるな」
そして背中を向けた時、コートニーの言葉が追ってきた。
「なあイザーク。お前ちょっと変わったな」
―――――そうかもしれない。刻々と自分を取り巻く状況が変わって、否が応にも自分も変わらざるを得なくなっていく。
そして俺が変わったというのなら、きっと一番の理由はアイツだ。
イザークは賑やかな司令部を後にする。
人気のない廊下から窓の外を眺めやれば、夜間にも関わらず輸送機の離着陸が盛んに行われている。おそらくこれからますます増えるだろう。
このカーペンタリアはオペレーション・スピットブレイクの中枢基地となる。
オペレーション・スピットブレイク、地球連合軍が擁する最後の宇宙港パナマのマスドライバー“ボルタ・パナマ”の占拠作戦。
成功すれば連合の宇宙と地上の戦力を分断し、ナチュラルの軍隊を地上に封じ込めることが可能になるだろう。
そしてこの作戦実行の為の立案で中心となっているのはクルーゼ隊長だとも聞く。
だがクルーゼ隊の自分はといえば、帰投してからというもの手持ち無沙汰――――――司令からは「クルーゼの指示に従え」と命じられ、そしてクルーゼ隊長からは待機命令以外の指令が何もない。
おそらく休暇もままならなかった自分に、骨休みをしろというありがたい気遣いなのだろう。
だが今はかえってそれが辛い。
余計な雑念ばかりが思考を邪魔する、そのせいで規定訓練にも身が入らない。さりとて宿舎で寝ている気分でもない。
通りがかったレクリエーションルームのTV前には、深夜にかかろうというのに人だかりができていた。
最高評議会ビル前広場で皆の拍手と歓声を一身に浴びてそれに応えるパトリック・ザラ議長、そしてその背後に母エザリアの姿を見出し、イザークは足を止める。
母上、とちくりと胸が痛む。
…あの子はおやめなさい。
一度はそう命じられた、だが自分はもう引き返せない、引き返すつもりもない。
まだ足りない、あの女が欲しいとひどく素直な肌が訴える。
前後不覚の衝動に従った、醜態としか思えないほどに貪り抱いた。昨日も一昨日もその前も繰り返したというのに、未だひきずるもの狂おしさが自分を苛む。
…一体こんな状態でこれから俺はどうするのだ?
パトリック・ザラの演説を中継するモニターを眺めながら、イザークは鼻白んでただ途方に暮れる。
そもそも悪いのはアスランだ―――――アイツが全然嫌がらないから!
これ以上悩むのも耐えられずに結局欲求に従って医療棟へと向かう。
いつものドアの前に立って、イザークは敢えてぶっきらぼうな声で呼びかける。
「アスラン」
…返事がない、寝ているのだろうか。
入るぞ、と一応断りを入れてイザークはロックを外して入室する。
「アスラン?」
吹き込む夜風に靡くカーテン、部屋は真っ暗で人の気配自体がない。
違和感にイザークは電気スイッチに指を伸ばして照明をつける。
寝ていた痕跡こそあるものの奥のベッドも無人、備え付けのユニットバスをのぞいてもその姿はない。
開け放たれた窓から身を乗り出して、眼下に人影がないかを確認する――――――いや、いかにぼんやりと呆けているとしてもアスランが窓から転落するとも思えない。
医療室の電子ロックは外からしか解除できない仕様になっている。
まさか。
ふっとイザークは息を呑む。
今のアイツには自分を守るだけの力もない。
慌ててイザークはベッドに足を向ける。
このベッドにはまだぬくもりが残っている、そう時間は経っていないはずだ!
疑念とわきあがる焦燥感の只中、イザークはすぐさまベッド脇の壁面に備え付けられたパネルをたたいてモニター回線を開く。
『司令部CIC』
女性兵士が姿を見せた。
「No.612530イザーク・ジュールだ。No. 280056アスラン・ザラが医療室S-202から消えた、医療棟監視モニターをすぐ確認しろ!」
『お待ち下さい』
すぐに返答が齎された。
『22:20に看護師入室記録、退室記録なし。…22:24、医療棟下に不審人物を複数確認…以降ラグナロクセカンド監視データ破損』
次第に険しい表情となった女性兵士が早口で伝える。
「破損だと?」
イザークの顔面から血の気が引く。
『…ありえません!至急チェックに入ります!』
「急げッ!」
疑念が現実のものとなったことに顔面から血の気が引く、22:24というなら、まだ10分と経っていない!
CICが騒然とする気配が伝わってきて、イザークは身を翻して部屋を飛び出る。
時ならぬコンディションレッドのサイレンが鳴り響く中、すでにして兵士たちが集まっていた本部棟前詰め所にイザークは駆け込み、無線機と機関銃とを携える。
耳にねじこんだイヤホンからは次々と情報が入ってきた。
『認証番号重複を確認。偽造カード使用と見られる』
『各ゲート即時封鎖。各所監視モニター再チェック開始』
割り込むように司令の声が入った。
『彼女は連合にとって利用価値がある。拉致の可能性が高い、急げ!』
アスランは議長令嬢で、しかも連合最強のMSを討ち果たしたエースパイロットだ、連合にはこれ以上ない外交カードになる。
カードにならなければ見せしめとして公開処刑でも十分―――――自然イザークの形相は険しくなる。
機関銃を携えて、武装した緑服の兵士たちを眼前にイザークは声を低くする。
「実行犯は捕獲、不可能なら全員射殺だ。絶対アスラン・ザラには傷をつけるな、行け!」
応えとともに兵士たちが散る。
このやるせない焦燥感と後悔が自分を駆り立てる、なぜ俺は躊躇せずにもっと早くアスランのところに行かなかったのだ!
イザークはコンソールのキーボードを叩いてマルチモニターを出す。
医療棟から一番近いゲートは08!
身を翻して駆け出す合間にも耳元のイヤホンから各部署からの報告が矢継ぎ早に入る。
『ラグナロクセカンドホストにハッキング痕跡あり。ゲート10より侵入の模様。内部から手引きと見られる』
あの看護師が手引きをしたのだろう、薬でアスランに抵抗できないように処置して、拉致を!
憤りに目が眩む。
『ゲート06異常なし』
『ゲート12封鎖完了』
ただ焦りだけが先走る、その中で雑音交じりに通信が入った。
『看護師の遺体をゲート09付近にて発見、射殺の模様』
「ゲート09ッ!?」
素早くカーペンタリア基地内地図を脳裏に蘇らせて、足を止めたイザークは周囲の兵士たちに怒鳴る。
「港だッ!!お前たち来いッ!!」
近辺にいた兵士たちを引き連れて本部棟からサーチライトの照らし出す中庭へと走る。
背後から猛然と突っ込んできていた軍用トラックが急ブレーキを掛けて眼前で止まった。
「乗れ!イザークッ!」
助手席からコートニーが顔を出して叫ぶ。
渡りに舟とばかりに荷台に兵士たちが乗り込み、やはり荷台に飛び乗ったイザークは耳元のイヤホンに次々と入る情報に耳を澄ませる。
『監視データ復旧完了。22:26アスラン・ザラS-202窓から拉致の模様。実行犯を5人確認。偽装兵と見られる』
―――――アスラン!
女のコを人質に取るなんざガラじゃねぇぜ、とディアッカは内心呟きながら、前面から襲い掛かってくる連合兵に猛然と突っ込む。
薙ぎ倒し蹴り上げれば、道を塞ぐ連合兵たちはいとも容易く倒れていき、ディアッカはその上を跳躍する。
格納庫――――――あれか!
背後から狙撃されて、ディアッカは振り返りざま応射する。
銃撃戦の最中、額から伝う血が片目に入り、滲んで手元がぶれる。
「打ち方待て!ハウ二等兵に当たる!」
硬質な女の声が聞こえた。
その隙に扉にタックルをくらわすように押し開け、空間の広がりに出る。
これが足つきの格納庫、とざっとディアッカは視線を走らせる。
メンテナンスベッドに横たわるバスターの無惨な姿も視界に入った、なるほどまだ修復されていないらしい。
いくつもの不快な金属音が木霊する。
つなぎを着た薄汚れた男たち…整備班とおぼしき面々が殺気だって銃を構えていた。
「バスターのパイロットだなッ!」
「お前のせいで何人死んだと思ってるんだッ!?」
ディアッカはぐるりと周囲を見回す。全方位から銃口が向けられている。
…確かに自分は幾度もアークエンジェル機関部を狙った。
その攻撃による爆破で死んだ人間もいただろう、その死を悼む者もいただろう―――――ナチュラルも自分たちと同じ色の血を流し、同じ色の涙を流す。
がつんと頭を殴られたような衝撃にディアッカは目を見開いた。
「ちっくしょうッ…!」
何故今更気づく?これが自分が鼻歌混じりにゲーム感覚で楽しんできた結果なのだと!
自分はこのナチュラルたちの“敵”であり“仇”であり“悪”、そして彼らのコーディネイターへの憎しみが全て自分の一身に集まっている。
逃げ場は、ない。
幾つもの銃口を眺めながら、…俺はここで死ぬ、とそれが寂寞感とリアリティーを伴って襲ってくる。
一瞬で終わればいい、例えばニコルやミゲルやラスティのように。
ディアッカはゆっくりと抱えていた少女を床に下ろす、少女はうっすらと目を開けた。
視界を妨げる血を腕で拭い、ディアッカはぶっきらぼうに言った。
「さあ、殺れよ」
我ながらふてぶてしく響く声。
「俺を殺して気が済むんだったらなッ!!」
「ダメ!」
気がついたらしい少女が上半身を起こして足に縋り絶叫する。「殺しちゃダメ!」
―――――何故俺を庇う?
ディアッカは面食らう。
「おいやめろッ!」
追って格納庫に駆け込んできたあの金髪の男が兵士の列に割り込んで大声を張り上げる。
「やめなさいッ!!捕虜への暴行あるいは殺害は禁止ですッ!!」
凛然とした声が場を圧倒した。
「ラミアス艦長…ッ!」
「しかしッ!!」
「異論は認めませんッ!!銃を下ろしなさいッ!!」
厳しく命じる声に、整備士たちがやむなく銃を下ろす。
人垣を割って駆け込んできた、艦長と呼ばれる若い女の姿にディアッカは視線を走らせた。
「ディアッカ・エルスマンッ!あなた死にたいのッ!?ここはアラスカJOSH-Aよ、この状況で逃げられると本気で思っているのッ!?」
「…アンタ俺を生かしておく気?」
ディアッカは投げやりに問う。
「あなたは、捕虜です。戦時国際法にのっとった扱いが、保障されます」
彼女は肩で息をしながら言う。
「しかし艦長ッ!…脱走企図は銃殺も当然の措置ですッ!」
女士官の言葉を遮るようにその艦長は頭を振った。
「駄目よナタル。本部からの指示はまだなのよ。勝手にZ.A.F.T.軍パイロットを殺してはいけないわ!」
この艦長は甘い、甘すぎるくらいだ、とディアッカは思った。
あのクルーゼ隊長なら即時に銃殺を決定していただろう…そう思った瞬間、ズキンと額の痛みが走り、眩暈がして天地が逆転した。
アラームとともにサーチライトが基地内を無数に照らし出す中、遠くから甲高い警報が鳴り響くと同時にイヤホンに絶叫が入った。
『港湾Dブロックにて発見、交戦中!至急援護頼むッ!』
船で拉致する気か!?
イザークは無線機に向かって怒鳴る。
「CICッ!海上封鎖させろッ!拉致なら母艦が近くにいる筈だッ!」
トラックが急ブレーキで止まり、他の兵士に先んじてイザークは飛び降りる。
「来いッ!!モタモタするなッ!!」
倉庫の狭間に木霊する甲高い銃声の音を手繰り寄せるように駆けつければ、すでに波止場では硝煙匂いたつ銃撃戦が繰り広げられて幾人もの死傷者が出ていた。
踏み越えて機関銃を向けて連射する、銃弾を受けて幾人かのZ.A.F.T.軍服纏う潜入者たちが血飛沫を上げて倒れる。
だがアスランの姿が見えない。
「―――――アスランはどこだッ!!」
「あの奥ですッ!」
傍らで銃撃していた兵士が声を大にして、そして銃弾を受けて後ろ倒れになる。
透かし見れば最も奥の男が、確かに腕にぐったりとしたアスランを抱え込んでいた。
その瞬間、追い詰められた侵入者の1人が不意に手榴弾が投げ込んだ、咄嗟に反応した周囲の兵士たちもろともにイザークは突っ伏す。
地響きと轟音、背後で大きな爆発が起き複数人が吹っ飛ばされた。
なるほど基地に乗り込んでくるだけある、ナチュラルにしては手馴れなのだろう。
「こっちだ!!」
「いたぞッ!!」
爆発に引き寄せられるように兵士たちが集まり、上空を飛ぶ哨戒機がサーチライトで侵入者たちを照らし出す。
波止場の先に止められていた船が上空からのミサイル射撃によって爆発を起こし、場を白々と照らし上げた。
包囲網は既に完成していた。まだ生き残っている複数の兵士が発砲を続けながらじりじりと後退を続ける。
「撃つなッ!!それ以上撃てばこの女の命はないぞッ!」
必死の形相で喚きながらZ.A.F.T.軍兵を装った男が硝煙たちのぼる銃口をアスランの額に向けた。
怯む兵士たち、イザークも息を呑む。
銃撃戦が一時静かになり、そして再びイヤホンからまた情報が聞こえてきた。
『…ローラン隊が現在連合軍潜水艇を追撃中。独立第81機動群所属艦と見られる』
―――――独立第81機動群?噂に聞く連合の特殊任務部隊、そしてあの忌まわしいブルーコスモスの手先どもではないか!
その血に汚れた手で、よくもアスランを楯に!
目も眩むほどに激怒の只中でイザークは躊躇わずに銃を抜いた。
「馬鹿がッ!!そんな脅しが効くかッ!!」
「俺を撃てばコイツにも当たるぞッ!」
ことさらに男はアスランを引き寄せる、意識を失っている彼女は微動だにしない。
「アスランには当てんッ!」
きっぱりと言い放ち、イザークは照準を合わせ、ただ自分の腕を信じてトリガーを引く指先に力を込める。
パァン、という音と一瞬の静寂―――――そして銃弾は的を外すことなく一直線に男の額を貫いていた。
血飛沫を上げて、男はアスランごと仰向けに崩れ落ち、すぐさまイザークは駆け寄る。
その合間にも立っていた偽装兵たちはあらゆる方面から銃撃を受けて蜂の巣のように成り果てた。
血の匂い漂う中、イザークはようやくにアスランを抱え上げて、その身体を揺さぶりながら頬をはたく。
「おいッ!!大丈夫かッ!!起きろッ!!」
蒼い睫毛が微かに動いて、うっすらとアスランは目を開いた。
「…イザーク」
ふふっとアスランが笑って頬に唇を寄せ、そのまま肩に頭を凭せかける。
純粋に愛しいという感慨、そして守れたという安堵とともにふつふつと湧き上がる憎悪。
イザークはアスランを抱き上げて立ち上がり、眼前でまだ微かに動いていた地球連合兵の腹部を踏みつけて、銃を構えた指先に力を込めた。
耳をつんざく甲高い破裂音、そして飛び散る血飛沫と生あたたかい匂いが広がる。
硝煙が鼻をついた。
その銃を収めて無線機を口元に押し当て、イザークは無機質な口調で報告する。
「アスラン・ザラを無事保護。抵抗した偽装兵は全員射殺した」
『CIC了解』
負傷兵たちの救護に医療班が駆けつけ、騒然としている周囲を視野の隅に捉えながらイザークはアスランをただ抱き寄せる。
―――――戦わねば守れないなら、どこまでも戦ってやろうではないか。
戦いなど下らない、そんな時間は我々には残されていないのに。
私たちは戦いを回避すべく外交努力を続けている。…なのにお前がZ.A.F.T.軍に入る必要がどこにある?
いざという時アンタを殺させない為に、P.L.A.N.T.を守る為に。
泣いて顔を覆う彼女の緩やかな栗色の髪が左右に触れた。
戦争は所詮政治の一部、兵士は所詮人殺しの駒でしかないのに、何故敢えて戦いに身を投じようなど馬鹿なことを考えたのだ。
アンタに言ったら止めると思ったから。
自分の為に泣いてくれている彼女を慰める言葉も持たず、抱き寄せることもできずに、ただその前に立ち尽くしていた。
あの時、抱きしめていたら彼女は何と言ってくれたのだろう…?
ズキン、という頭部の痛みに目が覚めて、ディアッカは額に手を押し当てる。
「…いてぇ」
触れる額には処置されたらしい包帯とガーゼがあった。
薄暗い空間、ぼんやりとした輪郭がやがて鮮明になる。
死んだのかと思っていたのに、気がつけば固いベッドの上で天井を振り仰いでいた。
いつの間にか営倉に移されていたらしい。
「あー…バカみてぇ、脱走に失敗してやんの、俺」
ディアッカは自嘲気味に苦笑いする。
「ホント、バカね」
ひとりごちた筈なのに何故か返事があってディアッカは目を見張る。
また痛む額を押さえながらようやくに上半身を起こせば、うっすらと明るい鉄牢の向こうに少女の姿があった。
ピンク色の軍服、茶色の外はねの髪にターコイズブルーの眼差しが印象的な少女。
「なんだよまたお前か。俺の見物?…そんなにコーディネイターが珍しい?」
「アンタなんか、珍しくない」
潤んだターコイズブルーの眼差しできっと睨みながらその少女は言った…自分自身に言い聞かせるようにゆっくりと。
「だっておんなじ人間だもの。キラだってそうだった。だからアンタなんか怖くない!」
「キラ?」
怪訝な顔でディアッカは首を捻る、少女はやや俯いて声のトーンを落した。
「…ストライクでずっと戦ってた、アンタたちと」
「ストライクに乗ってたのはそのキラ…ってコーディネイターか」
アスランが言っていた、幼馴染。
少女は目を逸らした。
「でも、…もういないの」
ストライクはシグナルロスト、そう言ったのは誰だったか。
アスランがとうとう討ち果たしたらしい、だがアイツは大丈夫なのか?…醒めた頭にふと懸念が過ぎる。
「それで俺に一体何の用だよ?殺しにでも来た?」
「―――――アンタを殺したってトールは戻ってこない。だから私は殺さない」
強い意思のこもったその眼差しに、ディアッカは瞬時見惚れる。
「そうじゃなくてその傷」
ぶっきらぼうに彼女は言った。
「痛むでしょ」
「ああ」
だがこの痛みは生きている証拠だ。
一瞬の間。
「…ごめん」
逆光で彼女の表情はよく見えなかったが、声が微かに震えているのが聞き取れた。
ディアッカは言葉に詰まる―――――謝られる筋合いなど、どこにもないというのに。
「俺こそすまなかったな」
言葉は時としてナイフにも勝る凶器となる。そして自分が迂闊な言葉で切り裂いたのは彼女の心で、この傷はその代償だった。
額の傷は痛む、だが良心の呵責のほうが余程辛かった。
それをそうとも言えず、寝転がり天井を眺めながらディアッカは付け足すように言う。
「…お前のおかげで、あの赤毛の女に撃ち殺されなかったわけだし」
しかし泣いた女のコに叩かれるのには慣れていたが、まさかメスや銃で襲撃されることになるだなんて想像だにしていなかった。
「ねえ、死にたくないんでしょ?どうして殺せなんて言ったの?」
ディアッカはふと我に返る、…確かにあの格納庫で取り囲まれた自分はそう言った。
「俺がやってきたことの結果なら仕方ないだろ」
「…そう」
しばらく少女は此方を眺めていたが、やがて静かにその場を去った。
俺のやってきたことの結果、…ディアッカはその言葉を頭の中で繰り返す。
だが兵士であるからには人殺しなんて当然の行いだ―――――その理屈で自分を説得しようにも頭にそれが馴染まない。
落とした敵の数を競いながら、何も考えずにゲーム感覚で“遊んでいた”。
どれほどの人の命、どれほどの思いが散っていったかも考えずに。
今更すぎる罪悪感と恐怖に押しつぶされそうになりながら、ディアッカはごろりと寝台の上で寝返りを打つ。
多くの人間から苛烈な憎しみをぶつけられた、そのショックが未だに尾を引いている。
もしかしたら一生忘れられないトラウマになるかもしれない…嘆息が漏れる。
メスを向けられた時に感じた恐怖、あの少女の涙が頬で弾けた時に広がった世界の色、憎悪の眼差しに銃口を向けられた時の焦燥感。
そして多くの人間に取り囲まれた時に感じたあの孤立感。
“アンタを殺したってトールは戻ってこない、だから私は殺さない”
彼女は自分が憎いだろう、憎いにも関わらず殺さずにおく。…あれほど強い意思は自分にはない。
ニコルの死に復讐を誓ったアスランやイザークの姿を思い出す。
自分もまた血には血をもって贖わせようと思った―――――この復讐の連鎖は戦いの副産物。
「俺、混乱してるなァ…」
ディアッカはひとつ嘆息をついた。
今この時ほど誰かに何かをぶちまけたいと思ったことはない…この1人きりの今の状況は、ひどく苦痛だった。
ただ果てしなく考える時間だけは与えられている、誰にもそれを伝えることは許されずに。
その思考自体が物狂おしい、全くこれ以上の拷問があるだろうか。
開け広げられた窓から吹き込む風に混じる衣擦れの音、そしてスラックスのベルトを外す音に、ふとアスランは目を覚ます。
水色のハイネックシャツを脱いで、締まった肉体を惜しげもなくさらけだす男の背中が見えた。
アスランはまた目を閉じる。
ぼんやりとしていたのでよく覚えていないが、自分に関して何か騒動があったらしい。
部屋を移されて窓からの風景も変わり、医師も看護師も交代して、そしてほとんどの時間を彼と過ごすようになった。
やがてベッドがきしんで、重みでたわむ。
「イザーク」
「スピットブレイクの実施が早まった」
「…そう」
戦い、戦い、戦い。私はそんな話なんか聞きたくない。
躊躇いさえなく彼は手を伸ばし、触れて顔を寄せてキスをする。
やがて糸を引いて舌が離れる。
おもむろにその肩に頭を埋めれば強く抱きしめられて、アスランは目を伏せる。
「ねえ、私のこと好き?」
「…何度言わせれば気が済むんだ」
「そうね、何度でも」
嘘でもいいからそう言ってもらわなければ、心の隙間が広がっていきそうで不安になる。
好きだ、お前が欲しいとイザークは熱にうなされたように繰り返す。
重なることがいつしか自然になっていて、少しの距離もイヤで、自分は喜んで受け入れる。
そしてまたぬくもりに溺れる、前後の見境もなく――――――淋しさと空虚からの逃避を繰り返して、どろ沼の深みにはまっていく。
腰の動きに合わせた粘着質な音と自分たちの荒い息だけが部屋に響く。
俺は軽蔑していた動物的行為にかくもはまりこむ。
こんなにも頻繁に女の病室に通って篭もっていたらいずれ周囲に知られてしまう、と思いながらも行動に歯止めがかけられない。
…じき噂が立つだろう、それとももうなっているのかもしれない。
だがそんな懸念は感情と欲情の波の前に立ち消える。
イザークは細腰を抱え込み、体勢を変えて上に覆いかぶさる。
細い腕が頭を抱く。
―――――長らくの片想いの成就、愛した女に受け入れられたその充足感、そしてさらなる快楽を求めてセックスに溺れる。
力を込めれば桜色に染まる白い絹肌、交わればぬめる肌の感触が震えるほどの気持ちよさをもたらしてくる。
耳元で聞こえる甘い声が欲情をさらに誘い、生み出す熱と匂いに導かれるままにまた深みにはまっていくこの繰り返し。
快楽の吐息、そしてわずかに体が動けば、彼女に注ぎ込んだ体液が伝い落ちてシーツへと滴り落ちる。
やがて蒼い睫毛が震えて、アスランがうっすらと目を開く。
「…あたたかいわ」
その胸元に顔をうずめて、イザークは短く「ああ」とだけ答えた。
ただ自分は受け入れられている、その感慨が充足感を伴ってさざなみのように押し寄せる。
競争心も虚飾も見栄ももはや関係ない、今腕に抱くぬくもりに勝るものは何もない。
抱き上げて唇を交わしている最中、背後でドアが開く音がした。
「あッ!」という女の声、そして慌てたように気配が退いて再びドアが閉まる。
…そういえば朝には巡回の看護師が来る、ということをすっかり忘れていた。
「見られちゃった」
肩に額を凭せ掛けてアスランが物憂げに呟き、イザークはゆるやかにそのなめらかな頬にキスをして指を絡め取る。
「構うものか」
恋人のもとで過ごして何が悪い?―――――これが堕落だというのなら、俺はどこまででも堕ちてやる。
ゆっくりと流れる時間、ここは戦いのない平和で静かな場所。
ぼんやりとキラはアプリリウスの海を眺めていた。
きらきらとして透き通る青い海、その波打ち際は見事な碧。
自分が大好きだった色が、今となってはちくりちくりと心を刺す。
キラァァァァァッ!!
その絶叫に、瞼に蘇る鮮烈な残像に思わずキラは耳を塞いで深呼吸する。
憎い憎い憎い死ね死ね死ね―――――けれど、本当に自分は彼女を殺したかったのか?
キラ。
いつだってあの柔らかい声が好きだった、側にいて自分を呼んでくれることが嬉しかった。
それは今でもこんなにはっきりと覚えているのに。
キラ―――――キラ。
すがる石造りの欄干に小鳥がとまってさえずる。
「キラ?」
さえずりに紛れて自分を呼ぶ現実の声に、おそるおそる両耳を塞いでいた手を離し振り返ると、ラクスがにっこりと微笑んでいた。
「間もなく雨の時間ですわ。中でお茶にしましょう」
微かに頷いて、キラはまた海に目を転じる。
「キラは…いつも哀しそうですわね」
隣に並んだラクスがぽつりと呟いた。
「…哀しいよ」
キラは目を閉じる、また目頭が熱い。
「たくさん人が死んで…僕も、たくさん、殺した」
切り離すことができない過去の残像が自分を責め立てて、滲む涙が頬を伝い落ちる。
「けれどそれで守れたものも、たくさんあったことでしょう」
ラクスの白い手が自分の握り締める拳に重なる。
ラクスは優しい、優しいけれど決して慰めや気休めを言わない、だから自分は安心できるのかもしれない。
導かれるままに、キラはサンルームへと足を向ける。
やがて雨が降り始め、ガラス窓を雨粒が打ちつける。
キラは丸テーブル前の椅子に座り、ぼんやりとそれを振り仰いでいた。
「不思議だな…」
サンルームの床に座り込み、ピンクのハロと戯れていたラクスが顔を上げる。
「なんで…ぼくは…ここにいるんだろう」
「キラはどこにいたいのですか?」
「…わからない」
自分でも見えない、自分の心の内側があまりにもぼんやりとして、掴めない。
「ここはお嫌いですか?」
「ここにいて、いいのかな」
ほんわりとラクスは笑った。
「わたくしは、もちろん!とお答えしたいところですけれど」
ここは美しく平和な場所、限りなく楽園に近いところ、自分が戦う必要などない。
だが自分がいるべき場所、それはここではないような気が、する。
さりとて、そこがどこだと問われてもキラには答えることができない。
「Superior Evolutionary Element Distend-factor」
ふとラクスが歌うように言葉を紡いで、キラは繰り返す。
「スペリオール、エボリューショナリー…?」
「S.E.E.D.。マルキオさまが仰っていました、キラにはS.E.E.D.がある、と。S.E.E.Dを持つ者にはいずれ行くべき場所が見えてくるそうですわ」
僕にはS.E.E.D.がある…。
キラは紅茶の水面に目を落す。
そのS.E.E.D.というものが何なのかはよくわからない。
けれど、茫漠とした夢の中で、あるいは現実のふとした瞬間に、時折自分を導くように呼ぶ声が聞こえるのはそのせいなのだろうか?
アスラン―――――君はまだ僕を呼んでくれているのだろうか、例えば憎しみの声であったとしても。
ラクスはまた中庭のサンルームの、あの少年のところにいるらしい。
傷ついた彼がまた自らの足で歩み出すその時まで、見守り待ちたいのだ、とかつて娘は言った。
だがそこまでの時間の猶予が果たして我々にあるだろうか?
雨足が強まって音を立てる窓からサンルームを眺めて、やがてシーゲルはカーテンを閉めて、モニターに向き直る。
「…どうかね、最新のニュースは」
『アスラン・ザラへのネビュラ勲章と最新鋭機授与が決定しました』
「そうか。09と10のどちらになりそうかね」
CICオペレーターはことさらに声を低くして告げた。
『ラグナロクホストのデータを見る限り、イージスの戦闘データ移植作業は09に行われているようです』
「…そうかね、ならばジャスティスか」
核融合炉を動力源としたZGMF-X09Aジャスティスはアスラン・ザラに付与される、パトリックにとってはこの上なく好都合だろう。
シーゲルは嘆息をつく。
あの男は愛する我が子をプロパガンダとして用い、そして最強のKnightとしてP.L.A.N.T.に配置する。
しかしこれを託すには余りにも幼すぎるというのに、と送信されてきた機体データを眺めながらシーゲルは首を振る。
まんじりともしない時間を過ごす間、次の秘匿回線による通信が入ってシーゲルはひとつ溜息をついて椅子に腰を下ろす。
「クラインだ」
モニターに映った金髪白衣の男は前置きもなく突如口を切った。
『G.A.R.M. R&Dの情報を見たことがあるかね、シーゲル』
「いや、ない」
『うちのラボの研究員が持ち込んだ情報の中にキラ・ヒビキのデータが残っていた。覚えているだろう?あの完成体の』
最高のコーディネイター誕生を夢見た男は、その手で数多くの優れたコーディネイターを誕生させた。
そして数多の実験体の中から彼が編み出したのが人工子宮という手法だった。
彼自身と妻との受精卵を人工子宮にかけ、唯一の完成体として1人の赤子が誕生した、とまでは記録されている。
そしてそれが故に男は妻もろともにブルーコスモスによって殺され、生まれた子どももまた殺された筈だった。
『君に依頼されたサンプルと遺伝子情報が一致した』
「…そうか」
やはり自分たちは恐ろしいものを手にしたのだ、とシーゲルは瞑目した。
あの少年にラクスは期待を寄せている、確かにそれは間違いではなかった。
ユーレン・ヒビキの夢の結晶、最高のコーディネイター…キラ・ヤマト。
「ありがとう、タッド。それさえわかれば十分だ」
『何。面白いものを見せてくれてありがとうと言っておくよ』
皮肉な笑みで、タッド・エルスマンは通信を切った。
禁断の火の刻印は少年少女の肩には余りにも重い、さりとてこのままにしておくには強大すぎる力だ。
そしてパトリックに一矢なりと報いてやらねばならない、現実の悪夢をあの男の眼前に突きつけるのは自分の役割だ。
だが―――――これは罪。
私が踏み出す道もパトリックが歩む道も、ともにゴルゴダの丘へと通じる屍と血の道だ。
そして自分たちは、この上なく愛する子どもたちにまで罪業を背負わせることになる、それはこの世で最も重い罰となるだろう。
コーラル海底に潜む潜水母艦クストーの内部、大ミーティングルームに白服たちを集め、ラウ・ル・クルーゼは説明を行っていた。
「…問題はここだ」
滑らかなラウ・ル・クルーゼの声とともに立体パネルには北米大陸が大きく映し出され、その北端アラスカのユーコン川デルタゾーンが赤く点灯する。
「アラスカJOSH-Aは核の直撃にも耐えうる構造を持つと言われている。もっともご存知の通り今は核なぞ使えんがね」
パネルを取り囲む白服たちを前にラウ・ル・クルーゼはもっともらしく言葉を繋ぐ。
「叩くには6つのゲートからこのグランド・ホローと呼ばれる内部に侵攻するしかないが、それもまた至難の業だ」
「待て。クルーゼ、スピットブレイクにアラスカが何の関係がある?」
怪訝そうなエルガーが顔を上げて言葉を牽制する。
「―――――今回の作戦にアラスカは組み込まれていないぞ」
「まぁ聞け。パナマで連合が窮地となれば、アラスカJOSH-Aからの援軍が殺到することになろう。或るいは向こうに戦力を割く必要性が出てこないとも限らん」
白服たちのどよめきにラウは苦笑いをして、密やかに付け加える。
「敵本部の情報は我々が念頭に置いておかねばならん事項だ」
嘘、嘘、嘘に織り交ぜられた真実。
一体どれが真実でどれが嘘か私にさえわからないというのに、さあお前たちにわかるだろうか、賢明なるコーディネイター諸君?
ラウの操作でパネルが切り替わり、いくつとなく広大な空間を示し出す。
「これが私の入手したJOSH-A内部の地図だ。アラスカ内部はひとつの街を構成している、そして連合軍司令部はここだ、メインゲートに直結している」
ポインターで紅く指し示す場所に、皆の目は釘付けになる。
「…よくJOSH-Aの情報を掴めたものだな、ラウ・ル・クルーゼ」
1人不審な色を浮かべたラコーニの目がちらと上がった。
ラウは口許を歪める。
不審、警戒、疎外―――――もはや慣れた視線と言葉の棘に心は何ら反応を示さない、むしろP.L.A.N.T.に渡って20年来、常に晒されてきた身には心地よくさえある。
「いくら防御システムが発達しようとも人の口に戸は立てられんさ。情報というのはどこから漏れるかわかったものではないよ、これは我々にも言えたことだが」
ラウは笑って意味深に言い添える。
「だからこそここにお集まりいただいたというわけだ。カーペンタリアでのことがあったばかりでもある、くれぐれも相互監視は怠らないようにな」
各自にアラスカのデータを渡し、散会してまたいつものようにラウは自室へと戻る。
間に合ったらしい。
いつもの悪寒と不快さがぞろ頭をもたげ、そろそろ時間だと告げる。
ラウは胸元のポケットに入れていたケースから青と白のカプセルをたたき出して、3カプセルを口に投げ込む。
薬も半分を過ぎた。いざとなれば輸送便でギルバートに送ってもらうより手段がない。
ヤツにとって自分は貴重な被験体だ、決して依頼を断ることはないだろう。
水を飲み干している最中、眼前の端末が音を立てた。
秘匿回線での通信、無造作にラウはONを押す。
『ラウ・ラ・フラガ殿。ウィルシャーです』
ラウ・ラ・フラガ…実に忌々しい名前だ、と仮面の下でラウは眉間に皺を寄せる。
実に忌々しい過去を連想させる、それでいてこの上なく便利な名前だからこそ自分は切り捨てられずにいる。
視線を転じれば、いつもの仲介者がモニターには映し出されていた。
「どうした、カーペンタリアでの失態についての愚痴かね」
更なるカードを欲しがった連合に対してせっかく提供してやった情報であったものを、彼らは結局有効に利用することが出来なかった。
結局カーペンタリアはさらに厳戒態勢に入り、今となっては連合の付け入る隙もない。
ステファン・ウィルシャーは渋い顔を見せた。
『その件はすでに処理済みです。今回は違うお話をムルタから預かってきました』
「また何か欲しいものでもあるのか」
ラウはうんざりする。まったくあの男ときたらどこまでも喰いついて離れない。
『X103パイロット身柄拘束と』
GAT-X103バスター…ディアッカ・エルスマン。
一瞬その父親のタッド・エルスマンの顔が過ぎる、だが権力に靡かず飄々としたあの男にはさほどの利用価値はない。
ふん、とひとつラウは鼻で笑った。
「私と取引したいならもっと有益な情報を寄越すのだな。好きにしろと伝えておけ。それよりアレはどうなのだ」
『全ては予定通りに』
「せいぜい奮闘してくれ。もう時間がないぞ」
ラウは滑らかに応じて電源をOFFにした。
―――――オペレーション・スピットブレイク発動まであと7日。