
18
虚空の只中に、太陽光を受けて白亜の2隻の艦が浮かび上がる。
M1アストレイ部隊とフリーダムとともにその周囲を警戒しながら、ジャスティス内のアスランはクサナギのドッキングシークエンスを見守る。
『HAL-B距離200、HAL-C距離230、軸線よろし』
『ランデブー軸線クリア。アプローチそのまま』
『調査機偏差を修正する。ナムコムをリンク、各員待機』
白い艦はナビゲーションとともに宇宙運行形態へと変形していく。
『アプローチファイナルフェイズ、ローカライズド』
『確認した。全ステーション結合ランチスタンバイ』
やがて他のパーツとドッキングして宇宙戦艦へとクサナギはその姿を転じた。
そして作業が終了したクサナギへとMS部隊は引き上げ、警戒に当たっていたフリーダムとジャスティスも着艦する。
アスランはパイロット控え室の手すりに身を寄せ、ガラス越しに格納庫を見やる。
眼下格納庫には収容制限ぎりぎりまでM1アストレイが詰め込まれ、パイロットや整備士たちが慌しく行き交っている。
アスランはジャスティスに目をやって思わず嘆息をつき、そして窓ガラスに額をつけた。
MS拝領前に見たほの暗い父の顔がちらつく。
思えば、Z.A.F.T.軍に入って以来自分はまともに父と話をしていなかった。
今やP.L.A.N.T.も、コーディネイターを新たな種とする独裁者パトリック・ザラの手の内…。
コーディネイターが新しい種であるならば、自分たちが旧人類と呼んできた地球のナチュラルはどうなるのだ?
父ならばきっと答える、―――――淘汰されるべきである、と。
そんなのはおかしい。P.L.A.N.T.と地球と、共存の道をこそ模索すべきなのだ。
間違っていると誰も父に言わないのであれば、自分こそが言うべきだったのではないだろうか?
「アスラン」
呼ばれてアスランはふとその声の主を見やる。
格納庫から上がってきたキラだった。
「カガリのところに行きたいんだ。気になるよ」
キラが難しい顔で言う。
「…そうね」
あの炎の上がったマスドライバー施設、爆発したモルゲンレーテを思い起こして、アスランも暗鬱な気分になる。
あそこには最後まで首長たちが残っていた筈、ウズミ氏も当然にいたに違いない。
国もろともに父を失ったであろう彼女の嘆きは、自分などにはとても思い及ぶところではないだろう。
パイロットスーツのままで2人は廊下を行く。
クサナギ居住区の士官室の一室の前でキラは止まり、インターフォンのボタンを押す。
しばし間があってドアが開いた。
「カガリ」
キラが声を上げる。
「キラ…!」
泣き腫らした面差しのカガリは、顔を歪めてキラの首に抱きついた。
キラは彼女の体を抱きとめると、その手で髪を撫でる。
カガリはキラの胸に顔を埋めて激しく泣く。
カガリの絶望と悲嘆を前にかける言葉もなく、ただアスランは沈黙で見守る。
やがて絶叫にも似た泣き声は弱くなり、彼女はしゃくりあげながら身を離して、「顔を洗ってくる」と洗面所に向かった。
オーブが辿った運命に思いを馳せ、そしてアスランはカガリの背中を見送って呟く。
「…辛いわね」
「そうだね」
キラも沈痛に答えた。
やがて顔を洗ったらしいカガリが洗面所から出てきた、しかし目は赤い。
「大丈夫?」
アスランは気遣わしげに問う。
「心配をかけた」
そしてカガリは赤い鼻をまたひとつすすった。
「キラ…」
深刻そうな彼女の表情に、2人は目を転じる。カガリは躊躇いがちにも口を切った。
「ちょっと、キラに話がある」
「じゃあ私は」
アスランは気を利かせて場を外そうと身を翻す。だが慌てたカガリに腕を掴まれて引きとどめられた。
「いや、あの、いてくれ!2人だけだったら、多分、深刻になる…から」
一体何の話なのだろう?
怪訝なアスランの眼前で、カガリはポケットから1枚の写真を出した。
「これ…」
年若い女性の腕に抱かれた2人の赤ん坊の写真だった。
アスランとキラはともに覗き込む。
「誰?」
「裏、見てくれ」
Kira、Cagalliと走り書きされていた。
「クサナギが発進するとき、お父さまに渡されたんだ。お前は独りではない、きょうだいが傍にいる、って…」
カガリが震える声で懸命に言葉を繋ぐ。
「でも…どういうことだ…?」
「そんな、僕にも…」
キラも戸惑ったような声を上げる。
「このひとは誰かしら?」
アスランの問いにカガリは首を振った。
「わからない…」
手術着といい、出産直後なのではないだろうか――――――淡い茶色の髪を肩に流して、儚げな笑みを湛えているこの女性は、きっとこの双子の母親。
写真を眺め、アスランは眼前の2人を見る。
同じ色。
そして写真に写っているのはキラによく似た女性だ。
だとしたら、キラの両親は、そしてカガリの父であるウズミ・ナラ・アスハ氏は彼らの実の親ではないのだろうか?
だがそれを第三者の自分が口にすることは躊躇われた、多分2人ともそれを真っ先に思い浮かべているに違いないのだから。
もっともキラの両親に聞けば何かわかるのかもしれないが、ここからでは連絡のしようもない。
だからアスランは感想を述べるにとどめた。
「そうね、あなたたちはよく似ているわ」
「そう、か?」
腕を強く握り締めていたカガリが問うので、アスランは微かに頷く。
「ええ。最初にカガリに会った時、私はそう思った」
あの無人島で、洞窟の篝火の前で、眠りに落ちる前に。
「なあキラ…」
今にも泣き出しそうなカガリは目を転じ、アスランの腕を離してキラへと漂い寄る。
「お前ときょうだいってことは…父は…あの人は…?」
「何があったって、カガリのお父さんは、ウズミさんだよ」
労わるようにキラは言って、カガリを抱きとめる。
そして2人は途方に暮れたように――そしてお互いを寄る辺とするように――互いを強く抱きしめあった。
アスランはただそれを見守る。
カガリといる時に感じる不思議な懐かしさと親しみは、血の為せるわざだったのかもしれない。
キラとカガリ、この不思議な「双子」によって自分が導かれてきたことを改めて考えると、不意に胸にこみ上げてくるものがあって、アスランはふと目を逸らした。
ディアッカは軽く床を蹴り、ふわりと宙に舞い上がる。
この無重力の浮遊感がたまらなく懐かしかった。
人の気配のない展望デッキからディアッカはぼんやりと外を眺める、ぬばたまの漆黒に散りばめられた星の数々。
大気圏突入の時はまだ自分はZ.A.F.T.にいた、イザークとともにいた。
こんな形で宇宙に戻ってくるとは思わなかったな、とディアッカはデッキを漂いながらあぐらをかく。
こうやっていると妙な孤独感が襲ってくる。
この戦いの責めは我らが負う。
あの統治者はその言葉通り、苛烈な終焉を自ら選んだ―――――国とマスドライバーもろともに。
だが死んで何になる?死んで一体何を得られる?
地球軍の背後にはブルーコスモス…
“青き清浄なる世界の為にコーディネイターを抹殺しよう”
一体何が清浄なんだか、馬鹿げた思想だ。そもそもコーディネイターはナチュラルの夢の結晶だったのではないか?
少なくとも自分たちはそう教えられて育ってきた。
もはやP.L.A.N.T.も今やコーディネイターこそが新たな種だとする独裁者パトリック・ザラの手の内…
旧人類を凌駕する新たなヒト、コーディネイターこそが次の時代を担うと自分もそう信じてきた。だが今となってはそれも何か違和感がある。
このまま進めば世界はやがて、認めぬ者同士が際限なく争うばかりのものとなろう。
そんなもので良いか!?君たちの未来は!
未来。
そんなものを考えたことはなかった―――――適当に生きて、適当に流されて、万事適当に。
とくに頑張るということもなく、何事にも囚われずに、こだわることもなくきた。
苦笑したのは彼女。
世界はそんなに甘くないぞ。
確かに甘くなかったらしい…結局自分は、いきがって知ったつもりになっていた子どもだったのだろう、とディアッカは振り返る。
だがそう思う今の自分も結局は発展途上で、後で振り返って「まだまだ子どもだったなぁ」と思う日がやがて来るのか。
突然の声が思考を中断させた。
「こんなところにいたの?」
こんな艦後部の片隅に誰か来るとは思わずにいた。不意を衝かれて、ディアッカは振り返る。
「ミリアリアじゃん」
敢えて名前を呼んでみる、彼女は少しばかり眉を上げて口許を曲げたが、それ以上のリアクションはとらなかった。
どうやらそこまで嫌われているわけではないらしい、と推測したディアッカは視線を転じてまた宇宙を眺める。
「ここいいよな、考え事するのにうってつけ」
「アンタでも考え事するの?」
「馬鹿にしすぎ。俺って結構考えるタイプなんだぜ?」
うそ、とミリアリアは距離をおいて並ぶ、ガラスが鏡のように姿を映しこむ。
「こっからじゃP.L.A.N.T.見えないな」
ディアッカはぽつりと呟く。
「懐かしい?」
ミリアリアの質問に、ふと切なさが胸を過ぎる。
どこまでも落ちていきそうな暗闇の只中に浮かぶ百数十基に及ぶ回転砂時計の群れ―――――久々に恋しくなる。
60kmにも及ぶ長い距離をエレベーターで潜り抜けて、砂時計の底面に広がる綺麗で整然とした都市風景を想起する。
故郷のフェブラリウス市は余りにも遠い。
「そりゃね。故郷だし、俺の家だし。もうどれくらい戻ってないんだろうな」
L4での脱走兵狩り以来だから10ヶ月近くにはなるだろうか。思えばあの頃からひどく遠くまで来たものだ。
「ますます戻れなくなっちゃったわね。Z.A.F.T.を裏切っちゃったんだから」
女のコはつくづく辛辣だ、平気で痛いところを突いてくる。
ディアッカは苦笑いした。
そう、自分はP.L.A.N.T.に戻れば逃亡罪に問われるだろうが、敢えてそれは思考の外に追いやる。
「まあね。でも先のことはわかんねぇだろ。もしかしたら無事P.L.A.N.T.に戻れるかもしれねぇもん」
希望的観測を口の中で反芻して、ディアッカはくるりと宙で1回転した。
「生きてさえいればね」
そうね、とミリアリアは憂い顔で呟いた。
きっと死んだ彼氏のことでも思い出してしまったのだろう、悪いことをした。
『フリーダム、ジャスティス着艦準備!』
聞こえるナビゲーションに、ディアッカは出口へとふわふわと漂っていく。
「…どこ行くの?」
咎めるように彼女は問う、相変わらず自分は監視対象なのだろうか。
ディアッカは微かに振り返る。
「アークエンジェル内の散歩。それとも案内してくれる?」
「い・や!」
ぷい、とミリアリアはまた外に視線を向けた。
「気難しいよなあ。ま、強気の女のコも悪くないけどね」
そのままディアッカは背中を向けたので、ミリアリアのガラス越しの視線に気づかなかった。
クサナギからフリーダム・ジャスティス両機はアークエンジェルへと移乗する。
誘導する整備班の面々、両機は収容されるとそれぞれにコックピットからパイロットが降り立った。
そのままアスランはパイロットルームに人影を見出して、そちらへと向かう。
ルームに入りヘルメットを脱いで、アスランは手ぐしでほつれた髪を整える。
「ディアッカ」
「よお。お疲れ」
Tシャツにズボンにオレンジ色の上着といった装いのディアッカがウィンクして、アスランは笑みかえす。
仲間がいて待ってくれているということが、どれほど心強く嬉しいものであるか。
ヘルメットを置いたアスランはディアッカの傍らの欄干に背を凭せ掛ける。
「ねえ…とうとう戻ってきちゃったわね、宇宙に」
「ようやく、というかやっとというかな。これからキツイぜぇ?なんたって仮面隊長曰くZ.A.F.T.軍の庭だからな」
茶化すようにディアッカは言うが、笑い事ではないとアスランは顔を顰める。
「ディアッカってホントお気楽なんだから」
「だって考えたってどーしようもないだろ、もう来ちゃったんだし」
戯れるような会話の最中、控え室に入ってきたキラが躊躇いがちに声をかけた。
「アスラン、ディアッカ。クルーの人たちを紹介するから」
2人がふっとそちらを見遣れば、キラとともに気密服の整備士たちがぞろぞろと控え室に入ってくるところだった。
「えっと、此方整備班の皆さん、…とマードックさん。みんなには曹長って呼ばれてる」
整備士たちの棟梁らしい男は眼前でコジロー・マードックだと名乗った。
「アスラン・ザラです。よろしくお願いします」
「ディアッカ・エルスマン。今更だけどよろしくぅ」
浅黒い肌ごつい体躯にぼさぼさ頭無精髭の整備士との握手は、汗と油と鉄の匂いがした。
「坊主はともかくとして、嬢ちゃんはホントにパイロットかよ?こりゃ参ったなぁ」
マードックの困り果てた表情を眼前にアスランは苦笑いして、ディアッカが言い添える。
「侮ると痛い目見るよ?コイツこんな顔して凄腕だからさ」
ざわめく整備班とのぎこちない挨拶の後、2人はキラの後に従って艦橋へと向かう。
見る限りクルーの数は多くない、むしろひどく少ないくらいだ。
こんな寡兵相手に自分たちはかくも苦戦を強いられていたのか、とアスランは驚きを禁じえない。
「乗員は少ないんだ。…ヘリオポリスで襲撃された時に搭乗するはずの人たちが大勢いなくなって、それ以来降りる人はいても乗ってくる人はいなかったから」
淡々としたキラの説明にアスランとディアッカはちらと視線を合わせる。
ヘリオポリスで、このアークエンジェルのドッグに爆弾を仕掛けたのは自分たちだと思い返せば、ひどく心境は複雑になる。
いかに状況が状況であったといっても、簡単に罪悪感を拭い去れるものではない。
そして着替え後連れて行かれた艦橋で、それぞれのクルーが出迎えてキラが紹介する。
「アスランとディアッカです。…えっと艦長のマリューさんには会ってるよね。あとムウさん、今ストライクに乗ってる―――――ディアッカはよく知ってると思うけど」
金髪碧眼の端整な顔に愛想のよい笑顔を浮かべた長身の男は「蒼いお嬢ちゃんとはお近づきになりたいね」と軽口を叩く。
ディアッカが口許を曲げた。
「げぇ、おっさんロリコンかよ」
「誰がおっさんだ。ムウ・ラ・フラガお兄さんは28歳だぞ」
「おいおい、ロリコンの部分は否定しないの?」
「あら。聞き捨てならないわね」
少しばかり剣呑な口調でマリュー・ラミアスが口を挟む。
「おいおい、誤解だよマリュー。あくまでMSパイロットとしてという意味でさ」
ディアッカとムウとマリューのやりとりに、クルーから笑いが起きた。
どうやら艦長とこのムウ・ラ・フラガ氏とはお付き合いをしているらしいな、とアスランは推測する。
笑いを残したキラが言葉を続ける。
「それで、前から操舵士のノイマンさん、CICのトノムラさん、チャンドラさん、パルさん」
この艦を操っているのはまだ年若い人々ばかり、そして後は自分たちとそう変わらない年齢の少年少女だ。
そして色眼鏡を掛けた、細身で理知的な印象の少年が穏やかな口調で名乗る。
「サイ・アーガイルだ。よろしく」
「よろしく」
アスランは手を差し出す、少し困惑した表情でサイという少年は柔らかく手を握った。
次に控えていたディアッカは気まずい顔で「お前とは今更じゃん?」とサイ・アーガイルに言う。
「まあな」
彼は苦笑いした。
ディアッカとこのサイという少年の間で何かあったのだろうか、とアスランはちらと横目で見る。
サイの背後に隠れるように立っていた少女が一歩踏み出した。
「…ミリアリア・ハウよ」
硬い声でターコイズブルーの眼差しの少女が名乗った。
彼女はあの時の、とアスランは思わず眉根を下げる。
何と声を掛ければいいのかわからずにいると、彼女は思い切ったように言った。
「仲良くっていうのは難しいけれど…これから一緒に戦うんだもの」
凝視しながら彼女は手を差し出し、躊躇いがちにアスランはそれを握り返した。
「ありがとう」
とてもあたたかい手だと思った。
Z.A.F.T.軍潜水母艦クストーが持ち帰った映像は、カーペンタリア基地司令部をおおいに驚嘆させるものであった。
大モニターに展開される戦闘光景を前に、シュナイバー司令とリカルド・オルフ補佐官とX09A整備チーム長のハルベルト・アークとが息を呑む。
「カーペンタリア出立以降のジャスティスの追跡データがでました」
CICのオペレーターが声を上げる。
「やはりオーブか?」
「はい」
「では、あれはやはりジャスティスと…?」
ラウ・ル・クルーゼ隊長の滑らかな声が応じて、「間違いありません」と整備チーム長に断言されるに至り、最後尾でモニターを凝視していたイザークは眩暈を覚える。
…そんな馬鹿な!
議長令嬢で、Z.A.F.T.軍トップエースであるアスランが何故オーブを援護して、連合との戦いなんぞに加わったのだ!
アスランはZ.A.F.T.を裏切ったのかな?
その言葉を耳に蘇らせて、イザークはクルーゼ隊長の背中を睨む。
議長からの特務だという可能性だとてあるではないか!
「オーブ陥落後のジャスティスの動向は?」
シュナイバー司令が焦れたように声を上げる、応えはすぐにあった。
「戦闘の形跡は捕捉できていません」
「鹵獲されたとなったらコトだ…よもやとは思うが」
司令の額に汗が滲む。
「あるいは、あのオーブから打ち上げられた輸送艇とともに宇宙に上がったのではありませんか?」
現実味を帯びた発言がオルフ補佐官から飛び出して、一瞬の静寂がさざなみのように広がる。
「衛星からのデータは出ないか?」
「フレアとNジャマーのノイズがひどくて」
…アスランは宇宙へ?
イザークは再び眼前のモニターに目を転じ、連合の3機を向こうに回して戦いを繰り広げている薄紅のMSを食い入るように見つめる。
お前は一体何を考えてそんな真似に及んだ?
いや、自分は薄々気づいていたのかもしれない―――――アスランが、Z.A.F.T.軍のありように疑問を抱いていたということを。
だが、だからと言って、忠誠を誓ったZ.A.F.T.に背を向けるなどと!
「どちらにせよ、ザラ議長に報告せねばならん」
シュナイバー司令は重い嘆息をつき、オルフ補佐官は身を翻した。
まんじりともしない時間が過ぎて、すぐさま連絡を返してきたザラ議長はモニターの向こうで、ひどく不機嫌そうな様子であった。
『データは見た。フリーダムとジャスティスを確認した』
「フリーダム?」
『ZGMF-X10Aフリーダム。ジャスティスの対だ。アスランにはアレの奪還もしくは破壊を命じていた』
あの白いMSはZ.A.F.T.の機体だったのか、そしてアスランはあのフリーダムを探していたのだ、とイザークは目を見開く。
『あの馬鹿娘め、一体何を考えておる…』
冷徹さを崩すまいとしている議長は口許を覆って目を逸らす、だがその横顔には憔悴すら見えた。
『クルーゼ、お前は隊を率いて本国に戻れ。ことによってはフリーダムとジャスティス追跡の任を与えることになろう』
「アスランを討つと?」
ぬけぬけと問う隊長の背中に、イザークは瞬時殺意さえ抱く。
モニターの向こうで議長は不快そうに眉間を顰めた。
『…追跡だ』
その言葉に、イザークはほっと息をつく。
議長もまた、愛娘を裏切り者だなどと考えたくはないのだろう。
通信はぷっつりと途切れ、クルーゼ隊長が振り返った。
「聞いての通りだ。各員に通達の上出立の準備を急がせてくれたまえ。夕刻のシャトルでカーペンタリアを発つ」
「は」
感情を押し殺して無表情にイザークは敬礼し、慇懃に質問する。
「フレイ・アルスターはいかがされますか」
ふふっと隊長の口許が緩んだ。
「もちろん彼女もだ」
敵方でナチュラルのあの女をP.L.A.N.T.にまで連れて行くのか、そんなにもあの女がいいのか、隊長は?
内心でイザークは毒づく。
いつから自分はこれほどに隊長に対して反感を覚えるようになったのだろう。
パナマでのことといい、アスランに関する言動といい、正直全てがひどく腹立たしい。
しかも隊長への一種疑わしささえ抱かされてならないというのに、これからも自分は副官を務め続けることができるだろうか?
アークエンジェル内居住区の士官室を与えられて、シャワーを浴びたアスランはベッドに腰を降ろし、やがて寝転がってほうと溜息をつく。
カーペンタリアを発って以来落ち着く間もなかった。
そして宇宙に上がってもう48時間近く経過して、疲労もピークに達している。
眠い。
考えなければならないことは多いのだが、今はとりあえず眠りたい。
アスランはひとまばたき、ふたまばたきして目を閉じる。
そういえば、ひとりで眠るのは本当に久しぶりな気がする。
いつも側にぬくもりがあって、ずっと手を繋いでいたから。
眠りに落ちる間際に過ぎった淋しさは、一筋の涙になって耳元に伝い落ちた。
その切れ長の眼差しは青、削ぎ落とした銀髪は波打って綺麗な顔立ちを彩る。
ただ怖いのがその顔を斜めに横切る醜い傷跡と、自分を見るその鋭い眼差し。
出立の準備を命じられて、その行き先を知りひゅっとフレイは息を呑む。
「ッ…なんでぇッ!?」
フレイは涙ぐみながら口許を両手で押さえる。
「俺が訊きたいくらいだ。なんでナチュラルなんかをP.L.A.N.T.に連れて行くのか」
少しばかりうんざりしたような表情で、イザークという名の赤い軍服の少年は言う。
「さっさと準備しろ。まかり間違っても逃げる真似はするなよ。俺はアスランのように手引きはせんからな」
フレイは顔を上げる。
「アスランて、あの蒼い子?あの子はどこなの?」
一縷の希望に縋るようにフレイは言い募る、だが無情な一言に切り捨てられた。
「お前は知る必要がない」
必要なことだけ言うと、「急げ」とイザークは部屋を出て行った。
縋るもののなさと心細さに、フレイは嗚咽しながら荷物をまとめる。
とうとう自分は結局P.L.A.N.T.などというコーディネイターの本拠地にまで連れて行かれてしまう。
もうこの地球にすら戻れないのだろうか、見知った人々に会うこともかなわないのだろうかと思えば、自分が消え入りそうな不安に襲われる。
やがて白い軍服に金髪を靡かせた男が大股に部屋に入ってきて、フレイは目を上げた。
「準備はできたかね」
「…はい」
ソファーに座してフレイは涙ぐみながら、力なく頷く。
ラウ・ル・クルーゼはいつもの薬を口に放り投げて、水を飲み干した。
「怖いかね?」
見透かしたように彼は問う、フレイはラウ・ル・クルーゼの方を見遣った。
歩み寄ってきたラウはフレイの頬に手を添えて、いつものようにキスをした。
「怖がることはない」
そっと耳元で紡がれる言葉に、フレイは涙ぐんだ目を向ける。
「私の側にいれば安全だよ」
そして傍らに座したラウ・ル・クルーゼは父によく似た柔らかな声音で囁く。
「私がちゃんと君を守る。だから安心したまえ、フレイ」
この言葉をどこまで信じられるだろう?けれど自分の唯一の居場所といえば、結局この男の隣だけだ。
それとも―――――と脳裏に過ぎるのは、あの銀髪の綺麗な少年。
クサナギからの連絡艇が到着し、アークエンジェル艦橋に主要メンバーは揃う。
アスランもモルゲンレーテのオレンジ色の上着を羽織って欄干の前に立っていた。
「問題はどこを拠点にするかってことだよな」
ムウ・ラ・フラガが考え込むように言う。
無為に宇宙を彷徨い続けるわけにもいかない、かといって自分達はもはや身を寄せるべき拠点を持たない。
オーブで積み込んだ物資は十分な量で、当面不自由しないとしてもやはり第一の問題は水だ。
いずれはどこかで補充せねばならない。
「当面はここでどうだ」
レドニル・キサカの指がパネルの衛星軌道上の一点を指差した。
「L4?」
月を挟みP.L.A.N.T.の対極にあるラグランジュポイント4コロニー群。
開戦前から破損し、次々と放棄されて現在は無人、とされている。
「L4にはまだ稼動しているコロニーがある筈です」
キラの傍らに佇んでいたアスランは口を切った。
クルーの視線が自分に集まるのを感じながら、アスランは淡々と言葉を紡ぐ。
「不穏分子が活動拠点としているという情報があって、Z.A.F.T.軍で調査を行いました。その時点では幾つかの無人コロニーはまだ生きていましたから」
そして行われた脱走兵狩りで、自分たちは初めてMS戦に臨んだのだ。
「決まりですね」
キラが言う。
「ええ」
マリュー・ラミアス艦長が頷いた。
その合間、ムウ・ラ・フラガが考え込むように見遣った。
「アスラン・ザラ…君はZ.A.F.T.軍パイロットだろう?しかもP.L.A.N.T.のパトリック・ザラ議長は君の父親だ」
その青い眼差しを正面から受け止めて、アスランは少しばかり表情を曇らせる。
「…はい」
「で、だ。本当にいいのか?もちろん君だけじゃない、もう1人の彼もそうだが。…そうだ、嬢ちゃん、アイツも呼んでくれ」
アイツ、だけで理解したらしいミリアリアが頷いてアナウンスコールを始める。
アスランは真意を確かめようとしているムウ・ラ・フラガの意図を察し、彼が言葉を続けるのを待つ。
「オーブでの戦闘は俺だって見てるし、状況が状況だしな。着ている軍服にこだわるつもりはないが…俺たちは状況次第ではZ.A.F.T.とも戦うことになるだろう。どうなんだ?君は戦えるのか?」
「そんなこと今更聞くな!大体誰の子どもだっていいじゃないか!」
遮るようなカガリをムウ・ラ・フラガは一蹴する。
「キラとは違う、彼女たちは正規の軍人だ。軍人が自分の軍を抜けるってのは君が考えているほど簡単なことじゃない。
今まで信じていた自分の正義が全部ひっくりかえるんだぞ!…ましてトップにいるのが自分の父親なんじゃ…」
圧迫するような痛烈な言葉だ、とアスランは瞑目する。
「悪いが一緒に戦うなら俺はアテにしたい。どうなんだ」
冷徹にムウ・ラ・フラガは迫る。
確かに自分の存在は父の足元を揺らがすだろう。
だが、もう自分は決めてしまった。
「―――――仰るとおり、私はZ.A.F.T.の正義を信じて戦ってきました、我々こそが正義なのだと」
その鋭い眼差しを見返しながら、アスランは答える。
「母国を守りたい、戦いが早く終わる為にとその一心で戦ってきました。けれど、今…P.L.A.N.T.も地球も間違っている方向に進んでいるようにしか思えません。
ウズミ氏の仰ったとおり、互いを撃ち合えば撃ち合うほどに戦禍と憎しみは拡大していくでしょう。
互いに滅ぼしあう、そんな未来は私も嫌です。ですから、今あなたがたと目指すものは一緒だと思っています」
ムウとしばし見つめあった後、彼はふっと目を笑わせた。
「君はキラとはえらく違うんだねえ、ホントしっかりしてるなあ」
「昔からね」
ムウの言葉を受けてキラは嬉しげに笑む。
不意に、艦橋のドアが開いた。
「呼んだ?」
整備班のつなぎを着たディアッカがアスランのすぐ傍らに降り立つ。
格納庫で機体整備していたのだろう。
「ああ、ディアッカ・エルスマン」
ムウ・ラ・フラガがうってかわって実にぞんざいに腕組みで告げる。
「何、えらそーに」
ディアッカが負けじと腕組みするので、その脇腹をアスランはつつく。
「もう、ディアッカ」
「アスラン・ザラにはもう訊いたんだが」
「おい、何訊かれたんだよ?」
隣に並ぶアスランは肩をすくめた。
「覚悟の有無さ。ことと次第によっては俺たちはZ.A.F.T.と戦うことにもなるだろう。お前は戦えるのか?」
きつい口調で問い詰めるムウ・ラ・フラガ、固唾を飲んで見守るクルーたちの手前―――――ディアッカは何の気負いもない様子で口を切る。
「俺さぁ、ぶっちゃけなんも考えずに戦ってたんだよね…敵は倒す、くらいの感覚で」
頭の後ろで手を組んだディアッカはひどく砕けた口調で言った。
自分もそうだった、とアスランは思う。
多少危険なサバイバルゲーム、誰かに殺されるなど考えもせずに銃をとった。そして多くの人命を奪うだけ奪ってここまできた。
「怒るなよ?ここ来るまで正直ナチュラルって馬鹿でノロマな旧人類だと思ってた。
でもとっつかまってからこっち、いろいろ考えることがあってさ。ナチュラルも俺らも変わらないんだよなーって。
血の色も涙の色も同じっていうか、痛いものは痛いし、死ぬのは怖いし、悲しい時は泣くし、大事な奴を殺されれば相手を憎むのはみんな一緒だし」
アスランはまじまじと彼の横顔を眺める。
自分から見たディアッカは、どんな状況に身を置いてもなお、第三者的に飄々とした印象ばかりだった。
けれどここにきて彼も確実に変わった。
「…なのに殺して殺されてって繰り返しって下らないよなぁ、って思った。これってどこかで誰かが止めなきゃ、さすがにもうヤバイんじゃねぇ?って」
キラは静かに微かに頷き、クルーたちも顔を見合わせる。
ぼりぼりとディアッカは頭を掻き、もどかしい、と言わんばかりに苛々と眉間に皺を寄せる。
一方のムウは対照的に眉根を下げて、実に穏やかな表情を見せた。
「つまりな、Z.A.F.T.どうこうっていうか戦いを止める為の戦いなら喜んでやってやるってのを俺は言いたいわけ。まぁ矛盾してるけどね。
でもそれってP.L.A.N.T.の為でもあるんだよな。んでこれってアンタたちの方針と違わないだろ?だから俺はついてきた」
ひととおり聞いた後、しみじみとマリューは言った。
「あなたたちの言いたいこと、よくわかったわ。…これで私たちは心強い味方を2人得たってわけね」
「P.L.A.N.T.にも、私たちと同じことを考えている人はいます」
アスランは言い添える。
キラの表情が一瞬ぱっと明るくなった。
「それって、ラクス?」
「ええ。少なくとも彼女たちは戦いを望んでいない」
―――――けれど彼女たちは戦望むP.L.A.N.T.において異端者だ。
Z.A.F.T.どうこうっていうか戦いを止める為の戦いなら喜んでやってやるって俺は言いたいわけ。
それってP.L.A.N.T.の為でもあるんだよな。
だがP.L.A.N.T.の為にと、更なる戦いに臨むことへの迷いが自分の足を絡めとる。
例えばラクス・クライン。
あの時理解できなかった彼女の言葉と思いを、今ここで改めて考える。
わたくしの歩もうとしている道は悪しき選択かもしれません。
戦わねば守れないのならば、戦うしかないのです。
守られるだけの彼女は現実の戦場を知らない、だから綺麗ごとが言えるのだと自分はあの時思った、だから拒絶した。
だが彼女は今どうしているだろう…守るべきP.L.A.N.T.から迫害を受けて。
カーペンタリア基地宇宙港フロアロビーでは人だかりができていた。
『わたくしたちは、どこへ行きたかったのでしょうか。何が欲しかったのでしょうか…』
耳に馴染んだ声にイザークは足を止める。
TVモニターに映し出された歌姫がその涼しげかつ透き通る声で問いかける。
『戦場で、今日も愛する人たちが死んでいきます。わたくしたちは一体いつまで、こんな悲しみの中で過ごさなくてはならないのでしょうか…』
スパイ容疑でラクス・クラインが父もろともに国家反逆罪で追われていることは知っていた。
特務隊が血眼でその行方を追っているとも。
だが彼女はTVにこうやって姿を見せている。
「これは一体何です?」
イザークは前方の白い背中に問いかける。
「ラクス・クラインのゲリラ放送だな」
やはり立ち止まったラウ・ル・クルーゼ隊長は口許に微かな笑みを湛えて答える。
「相当議長も手を焼いておいでのようだ」
『戦いを終わらせなければなりません…』
その言葉は割り込んだ放送によって打ち消される。
『国民の皆さん!ラクス・クラインの言葉に惑わされてはなりません!彼女は地球軍と通じ、軍の機密情報を売り渡した反逆者なのです!』
パトリック・ザラ議長が応酬するかに声高に言う。
『戦いなど誰も望みません!だが、それではなぜこのような事態になったのかを思い出していただきたい!
自らが生み出したものでありながら、進化した我らの能力を妬んだナチュラルたちが、我らコーディネイターへ行ってきた迫害の数々を!
忘れることのできないあのユニウス・セブンへの核を、アラスカでの虐殺を!』
議長の言葉はラクス・クラインの言葉よりもはるかに強く、そして人々の感情に訴えかける。
彼の言葉を聞いたTVの中の観衆は迎合の声を上げる、そしてTV前の兵士たちも。
同胞を殺された憎しみ、自らの生命に及ぶ危険はひしひしと市民感情に肉迫する。
『この戦争は、我らは何としても勝たねばならないのです!敗北すれば、我々には過去よりなお暗い未来しかない!』
『戦いをやめ、道を探しましょう。地球の人々とわたくしたちは同胞です。コーディネイターは決して、進化した違うものではないのです…』
分割された画面の中で、歌姫は悲しげに言う。
『婚姻統制を行ってもなお生まれてこぬ子どもたち…すでに未来の作れぬわたくしたちの、どこが進化した種だというのでしょうか?』
静かに語りかけるラクス・クラインに対して、憤怒と嘲笑さえ漂わせてザラ議長は高らかに言い放つ。
『我らはもはやナチュラルとは違う新たな種なのです!よしんば問題があったとしても、いずれ我らの叡智が必ず解決する!』
またも賛同の歓声が上がった。
戦いをやめろと彼女は言う。
だがイザークには、ラクス・クラインの訴える道は余りにも現実にそぐわず、自分たちの現状に存在するとさえ思えない。
もうやめようと言って銃を下ろした途端、撃たれたらどうするのだ?
そこまでナチュラルを信頼することができるか?―――――答えは否だ。
一方で、この戦争に勝利さえすればその先に平穏があると囁き、更なる戦いに誘うパトリック・ザラの言葉を鵜呑みにすることもできない。
しかし軍人である以上彼に従い続けねばならないこともわかっている。
そして誰よりも大切な彼女はザラ議長の娘だ。
ラクス・クラインのゲリラ放送はぷつりと途切れ、モニター全面に議長が映し出される。
なおも演説を続けるザラ議長の背後に控える特務隊の面々の中に、イザークは彼女の姿を探す。
だがやはりアスランの姿はない。
失望さえ覚えながら、イザークは人ごみをかき分けて廊下へと歩み出る。
違和感を覚えて目を転じた先には、行き交う兵士たちに混じって一般人の姿が見えた。
その中にはいまだ幼さを残す少年の姿さえあった。
「おい、ヤツらは何だ?」
イザークの問いに、通りがかった兵士は振り返る。
「オーブからの避難民だ、P.L.A.N.T.行きを希望しているコーディネイターたちさ」
「…そうか」
イザークはまた避難民たちに目をやる。
監視の兵士たちに誘導されながらフロアへと進む民間人たちの中で、ひとりぽつんと離れたところにいる少年は握り締めた携帯電話を無心に操っていた。
「シン・アスカ!こっちだ!」
「はい」
呼ばれて駆け出そうとしたその少年はイザークの前でふと立ち止まった。
「Z.A.F.T.の…赤服…」
イザークはその少年の血のように赤い眼差しを見返す、少年は不意に問いかけた。
「アンタは強いのか?」
問われたイザークは一瞬目を見開いて、すぐ我に返る。
「強くありたいと思っている。誰にも負けないくらいには」
「誰にも負けないくらい…」
「シン・アスカ!」
再度呼ばれて風のようにシン・アスカという少年は去っていった。
俺は強いのか?
イザークは再度自分に問う、だがまだ望む強さにまでは到達していないという気もする。
そして定時のシャトルに乗り込み、イザークは感慨深くひとつ溜息をつく。
自分は地球に長くいすぎた。
地球で経験したことを反芻する。
大気圏落下の時はディアッカとともにいた、足つき追撃戦前にはアスランもニコルもいた。
…だが今のクルーゼ隊に自分以外のかつてのメンバーはもはやいない。
ミゲル、ラスティ、オロール、マシュー、ニコル、ディアッカそしてアスラン。
そしてクルーゼ隊の空いた穴を埋めるように兵士たちが次々と補充されていく。
地球、この言葉が齎す妙な寂寞感。
屈辱のバナディーヤ、そして地獄のごときアラスカ、阿鼻叫喚のパナマ―――――転戦に転戦を重ねて、ようやく宇宙へ戻れる。
感傷からふと我に返る。
そしてイザークはいつから俺はこんな軟弱者になりはてたのか、とやや憤然とする。
「本国は久しぶりだろう、イザーク」
隊長の滑らかな声が思考を遮った。
「だが任務を遂行せねばならんからな、君にはまた少々辛抱してもらわねばならんが」
「いえ」
イザークは表情を引き締める。
そうだ、問題はアスラン―――――ジャスティスで、あのアークエンジェルとオーブの輸送艇とともに宇宙へ上がったとほぼ断定されていた。
焦燥感が自分を駆り立てる、一刻も早くアスランをZ.A.F.T.に連れ戻さねば手遅れになってしまう。
寄り添うあのぬくもりも、自分を呼ぶ柔らかい声も今はただ恋しいというのに。
めぐる思考の只中、イザークはふと目を上げる。
眼前で紅い髪の少女がおどおどとあたりを見回していた。
…何故この女はいつもこうなんだ?
ナチュラルである自分を異端者とみなすかのように、いつも怯えた表情で縮こまっている、それが自分の感情をさらに逆撫でする。
「おい、早く座れよ!」
びくっと反応して、フレイ・アルスターは青灰色の眼差しを見開いて振り返り、か細く震える声で訊いた。
「あの…どこに?」
「空いてる席に決まってるだろうが!」
全く馬鹿馬鹿しいやりとりだ、と頭上の収納棚にスーツケースを上げながらイザークは言う。
そしてぽつんとまだ手前に立っているフレイにイザークは顔を顰めた。
隊長の隣に座るとかすればいいのに、なんでまだここに立っている?
…ああ、この女は隊長が嫌いなのか、と思えば不意に笑いがこみ上げてきそうになる。
さすがのラウ・ル・クルーゼ隊長にも思い通りにならないことがあるのだ。
イザークが通路側の隣の席をひとつ空けたのは、ささやかな嫌がらせだった。
「あの、ここ」
「…」
ぷいとイザークは顔を背けて無言を貫く。
そして結局、おずおずと彼女は隣に座った。
斜め前方に座るクルーゼ隊長はさぞかし気を揉んでいることだろう、とイザークは口許を吊り上げて、低く喉元で笑う。
やがてシャトルが発進し、激しい震動が機体を揺さぶったその時、フレイ・アルスターは「きゃっ」と声を上げて固くイザークの腕に縋りついた。
慣性に従ってアスランは無重力の廊下を行きながら、傍らのディアッカをちらと見る。
相変わらず彼は整備士用のつなぎを着ている。
「バスター調子悪いの?」
「調子悪いってか、反応速度が前と違ってるから微調整の繰り返し。整備班のおっさんたちにちくちくイジメられながら作業してるわけよ」
「いじめられてるの?ディアッカが?」
想像できない、とふふっとアスランは笑む。
「おう。まだそれで済んでるだけマシなんだぜ。俺前殺されかけたもん」
大仰に肩をすくめたディアッカが冗談のように言うので、どこまで本気なのだろう、とアスランは首を捻る。
「んでお前とちょっと話しとかないといけないな。オーブ以来まともに話してないだろ」
リフトグリップを握って進みながら、ディアッカは真面目な横顔を見せた。
「何を?」
並んでいたアスランは首を捻る。
「ん〜いつの間に特務隊になったのかとか、なんであんな機体乗ってるのかとか、あとお前の知ってる限りのZ.A.F.T.の状況とかさ」
「そっか。どこから話したらいいのかな」
アラスカの悲劇やパナマの惨状などを思い起こしながら、アスランは考え込む。
「キラと戦ってイージス自爆させたんだろ?お前」
「うん…」
あの戦いを思い返すだにほろ苦く、それが自然自分の心に壁を作って無意識にもキラとの間に一線を引かせてしまう。
「アスラン」
そのキラが背後から追ってきて、はっと我に返ったアスランは振り返る。
「2人でどこに行くの?」
キラは屈託がない。
「…格納庫よ。ジャスティスの内部整備をまだ終えていないから」
ああ、今私すごく固い表情だな―――――とアスランは思う。
しばらく見つめあった後、少し悄然とした彼は「そっか」と呟いて廊下の角を曲がっていった。
昔から繊細なところのあるキラは鋭くて、いやでも此方の気持ちや考えていることがすぐに伝わってしまう。
キラを傷つけてしまったろうかとアスランは気を揉む。
嫌いなのではない、もはや憎いのでもない、ただ自分もどう関わっていいのかわからないだけなのだ。
アスラン、と呼ぶディアッカの声に、心ここにあらずのアスランは振り返る。
「お前は、まずキラとの関係をどうにかしたほうがよさそうだな」
ディアッカの指摘に、はっとしたアスランは微かに頷く。
「お前らの関係ってねじくれてるから、さすがの俺もアドバイスに困るね。まぁひとつ注意しておこうか」
「何?」
アスランは息を詰める。
「夜這いに気をつけろよ」
からかわれた、とアスランは一瞬憤然とするが、ディアッカは満更冗談でもなさそうな面差しで振り返る。
「超鈍感アスランお嬢様にはまだまだわからないかねぇ。ああいう大人しいタイプがキレると怖いんだぜ」
困ったもんだよ全く、とディアッカは大仰に手を振って、また先に進んで背中で言った。
「総じてオトコは狼ってね」
P.L.A.N.T.、アプリリウス・ワンの最高評議会ビル。
ひっきりなしに議長兼国防委員長執務室には国防委員や補佐官たちが出入りする。
第三次ビクトリア攻防戦は、P.L.A.N.T.標準時6月25日を以ってその終わりを迎えた。
物量で勝る地球連合軍の前に、Z.A.F.T.軍は圧倒的敗北を喫した。
「自爆装置はどうなったのだ!」
ドン、と机を叩いてパトリックは声を荒げる。
「寸前で特殊部隊により解除された模様です」
マスドライバー“ハビリス”の破壊工作は失敗した、これで地球連合は宇宙への足がかりを再び得たことになる。
宇宙での軍増強の為には、ジブラルタル放棄もやむを得ないか?
またも兆す頭痛の只中でパトリックは額に手を押し当てる。
「臨時最高評議会招集だ、急げ」
「は」
入れ替わるように進み出た補佐官が一枚の報告書を手渡した。
「保安局からの報告です」
その紙を手に、黒革の椅子に座したパトリックは机に背を向けた。
―――――保安局がついにシーゲル・クラインの潜伏先を突き止め、逃走をはかった彼とその同志をともに射殺した。
シーゲル・クライン。
ともにこのP.L.A.N.T.を牽引し、苦渋の時代の波に抗ってきたかつての同志。
その死にしばしパトリックも沈黙し、ほろ苦さの只中でシーゲルの穏和な面差しを思い返す。
―――――先に道を違えたお前が悪い。
何も見ず、何も知らずを通せと自分は言ったではないか、何故聞かなかったのだ。
清い象徴としてあれと、汚れ仕事は全てこの自分が引き受けてやると言ったにも関わらず、彼はそれを良しとしなかった。
そして自分たちコーディネイターの唯一の腱、世代を経るごとに繁殖力が極端に低下するという問題が露呈した時、自分たちの道には決定的な溝が生じた。
懸命な解決努力を図る自分たちの傍らで、シーゲルはあろうことか“コーディネイターは進化した種ではなく、ナチュラルに還るべきものなのだ”と言いはじめた。
つまり、コーディネイターとは突然変異でしかないのだと。
それがどれだけの危険思想であるか、あの男は理解していたろうか?
このP.L.A.N.T.に住まうコーディネイター全ての存在を否定することに繋がるとは考えなかったのだろうか?
あのマルキオという男が吹き込んだ思想であったのかどうか、今となっては知る由もないが―――――あれがシーゲルの決定的な過ちであった、とパトリックは思う。
そして自分はあの男を見捨てた。
「娘の方はどうなっている?」
パトリックは無造作に訊く。
「未だ捕捉できておりません」
控えていたラルフ・マクスター補佐官が慇懃に応える。
ゲリラ放送で時折姿を現す、あの忌々しい小娘。
「早々に始末しろ、あの娘は邪魔だ」
パトリックは紙を机に放り出すと、極めて冷淡に言った。
全く局面が見えていないのは父も娘もだ、今切羽詰ったこの局面でP.L.A.N.T.を守る為には、何よりも内部分裂を避けなければならないというのに。
そしてパトリックはサイドモニターで秘書官を呼び出す。
『はい』
「エザリアを呼べ」
外宇宙探索の為にと以前から建造していたGamma Emission by Nuclear Explosion Stimulate Inducing Systemを、然るべき用途に作り変える時期が来たらしい。
整備班とディアッカの協力を得て、ジャスティス腕部の補修作業の最中、ピンク色の軍服、茶色の髪の少女が盆に何かを載せてやってきた。
「おにぎり!ディアッカとあなたの分!朝からずっと2人とも作業してご飯にも来ないんだもの!」
ジャスティスの足元から、ミリアリアが大声を張り上げる。
アスランは汗を拭って顔を出す。
「ありがとう」
「別に、ただ頼まれたから持ってきただけよ」
つっけんどんを装っているこの少女の優しさが、今はただ嬉しい。
「マジで?ちょうど腹減ってたんだよね」
工具を投げ出して、ディアッカもふらりと降り立つ。
「ってかここ尋常じゃなく人手足りてないよな。パーツ取りに行くにも自分自身で。もうありえねーって感じ」
手袋を放り出し、おにぎりを頬張りながらディアッカが愚痴る。
「そうよ。今までどうやってきたの?」
おしぼりで手を拭いたアスランも疑問に思いながら、おにぎりに手を伸ばす。
ミリアリアは肩をすくめた。
「あちこちから人手を回してどうにかやってきたの。私たちも艦橋での作業とここでの作業が半分ずつくらい」
「あー。マジでZ.A.F.T.技術チームのありがたみが今更身にしみるぜ。こんなことなら、もっとMS工学の勉強しておくんだったな」
「そうね。この際だから実地で勉強できるいい機会だと思わなくちゃ」
ドリンクパックの茶を飲みながら、アスランもしみじみと今までの厚遇を思い返す。
「ってかこれからずっと整備士兼任パイロットかよ。こりゃ参ったね。Z.A.F.T.軍なら給料倍額ものだぜ」
冗談交じりのディアッカは大仰に肩をすくめて笑った。
「おい坊主!」
上からマードックの声がかかって、ディアッカは「何?」と声を張り上げる。
「バスターの脚部のケーブルが断線してらぁな」
「マジでぇ?」
ディアッカはおにぎりを口に押し込めて、ドリンクパックの茶を一気に飲むと手袋をはめた。
「さんきゅ。また後で貰うわ」
慌しい食事を終えてディアッカは床を蹴り、頭上のキャットウォークへと舞い上がる。
それを見送って、アスランは次のおにぎりを頬張る。
ディアッカがいないと沈黙が重い。
まして自分はこの少女に負い目があって、気軽に話しかけることが躊躇われる。
沈黙を破ったのはミリアリアだった。
「…ねえ」
「なぁに?」
問いかければ躊躇いがちにミリアリアが言う。
「あの人が言ってたの…あなた、婚約者もお母さんもナチュラルに殺されたって」
アスランは目を伏せる。
「ねえ、私たちが憎い?だから兵士になったの?」
ややあって、ようやくにアスランは答えた。
「兵士になったのは、P.L.A.N.T.を守る為。ナチュラルが憎くないって言ったら嘘になるわ。でもナチュラル全員を憎んでも仕方ないじゃない。
…あれはどうしようもないことだった。ユニウス・セブンでのことも、ヘリオポリスでのことも。…今はそう思ってる」
「ユニウス・セブン?」
「あの時、私の母はユニウス・セブンにいた」
「そう」
ミリアリアはそっと嘆息をついて、予想外のことを口にした。
「私たち以前ユニウス・セブンに寄ったの。物資がなくて、水を分けて貰いに。…その時、みんなで折った花を捧げたわ。少しでも、慰めになればって…」
アスランはふっと息を呑む。
―――――ああ、亡き人たちを悼んだのはこの艦の人々だったのだ。
このめぐりあわせに胸が沁みて、不意に涙腺が緩む。
あの虚空、花を捧げられてデブリ帯に眠る人々を思うと涙が零れそうになるのは今でも。
絶句して、思わずアスランは口許を覆う。
「…やだ、どうしたのよ?」
ミリアリアのターコイズブルーの眼差しが気遣わしげに向いた。
「その花、私も見たわ。白い百合のような素敵な折り紙だった。あれはあなたたちの作ったものだったのね」
「…見てくれたんだ」
「触ったわ。とてもあたたかかった」
ミリアリアは俯いて、「そう」と頷いた。彼女も涙をこらえたような表情だった。
セルフサービスの食堂はまずまずの居心地で、料理人の腕は悪くない。
ただ残念なのが、和食のバリエーションが少ないことだとディアッカは思う。
作業を終えてようやくありついたうどんをすすっているその時に、ひょろりとした人影が視界に入った。
ディアッカはことさら知らん顔で麺をつるつるとすする。
サイ・アーガイルはひとつ席を空けて隣に座ると、コップを傾けた。
「早くも馴染んだみたいだな」
「まぁね」
「フラガ少佐だけじゃなくて整備班とも上手くやってるって?」
「まぁね」
「ミリアリアとは?」
「あんまり」
素っ気無く返事しながらディアッカは油揚げをくわえる。
「ミリィはあれで引け目を感じてるんだ、優しいコだから」
サイは割り箸を割って器用にご飯を口に運ぶ。
「引け目?」
ディアッカはきょとんとした。
「…ナイフで襲い掛かったっていう」
「ああ」
確かにあれは武勇伝ものだ、とディアッカは思う―――――女のコに襲撃されるというのは滅多にない体験だろう。
そこへ食堂に入ってきたムウ・ラ・フラガがトレイを手にずかずかと割って入った。
「あー…ディアッカ・エルスマン」
「ん?」
「言っておくがお嬢ちゃんを泣かせるなよ?」
異様に固有名詞のない言葉だが、誰のことか聞くまでもなく、ディアッカはひらひらと手を振った。
「俺ね、女のコを泣かせるのはプロ級。でもかなり労力を使うから極力しない主義」
「全くああ言えばこう言うヤツだな」とムウは苦笑いする。
「んで?蒼いお嬢ちゃんとはどういう関係だ?ただの同僚か?」
興味本位で問われてディアッカはにんまりと笑って、最後の麺をつるりと食する。
「まぁお守り役つーか、おっさんみたいな虫がつかないようにするのが俺の役目かな。アイツ売約済みだから」
「へえ?」
「ほお」
サイとムウがすっとんきょうな声を上げた。
イザークの代わりにアスランで遊ぶのもまぁ悪くない、それくらいは我儘イザークだって許すだろう―――――とディアッカは勝手に思う。
ムウはパンを頬張って、不意に思いついたように言った。
「そういえば坊主。お前に頼みごとがあるんだが」
「俺に何かさせようってんなら対価は必要だぜ?」
「えっちぃ本2冊でどうだ?巨乳系」
ディアッカはコップの水を飲み干し、少し唸った。
「ん〜まぁいいか。で何よ」
一体何を話しているんだか、とサイは呆れ顔でムウとディアッカのやりとりを聞き流した。
ストライクの前のキャットウォークに腕組み仁王立ちのマードックが立っていて、わらわらと整備班の面々が寄ってくる。
「何やってるンすかマードック曹長?」
「ああ、ストライクのOSのバージョンアップさ。少佐が金髪坊主に任せるって言ってな」
躊躇いがちに整備士たちがハッチからコックピットを覗き込む。
「任せとけって。ナチュラル向けに作りこんでやるからさ」
ディアッカは滑らかな手つきでプログラムを打ち込んでいきながらも複雑な心境である。
この自分がストライクの内部整備をするなんてことになるなんて、一体誰に想像できたろう?
ジャスティスの整備を終えたらしいアスランがふらりと姿を現し、コックピットのハッチ部に座り込み、膝を抱えて言う。
「これにあんまりいい思い出ないな」
「俺だって…コイツ元々敵機だぜ?」
ディアッカは口許を歪める。
「それもあるんだけれど、なんかイザークのこと思い出しちゃうの」
「あー」
全く同感だ、イザークの絶叫が妙に思い出される。
「ッストライクゥゥゥ――――ッ!!」
力んで叫ぶ2人の声が瞬間見事に重なり、整備士たちがきょとんとしている間でディアッカとアスランは苦笑いする。
「ね、マードックさん」
「何だ嬢ちゃん」
「バスターの改造とか装備追加ってできないかしら?」
「…バスターか」
マードックが考え込むように隣に格納されているバスターを見遣った。
「ビームサーベルどころかナイフさえ装備されてないの、シールドもないのに接近戦じゃあんまりにも無防備すぎて」
「アレ元々試作機だし射程外からの遠隔射撃限定タイプだからなぁ…まあ考えてみらぁ」
「よろしく」
「んじゃあ頼むぜ、坊主!お前らちょっとバスターの方に移動だ」
整備士たちが隣のバスター前に移っていろいろ意見を言い合い始めた。
「別にバスターはあれでいいんだぜ?余計なのついてる方が動きづらいって」
ディアッカは手を止めて大仰に肩をすくめる。
「でも不自由でしょ、ディアッカ。キラや私がフォローできない時に例の3機みたいなのに接近されたらどうするのよ」
心配してくれるアスランは相変わらず可愛い、しかもどことなしに雰囲気が変わったような気がする。
邪心半分好奇心半分でディアッカはアスランを眺める。
「ん〜?あんまり俺の心配してくれてるとマジ誤解するぜ、アスラン」
「すぐ口説きモードに入るのね」
ふふっとアスランは笑って、終わった?とモニターを覗き込む。
「終わったらご飯食べましょ」
仲間に会えて嬉しいのはお互いさまなのかもしれない、こんなにアスランに懐かれるというのもなかなかに新鮮だ。
イザークが知ったらさぞかし怒るだろうが、これも役得。
「終わった。よし行こうぜ。俺も腹減った」
格納庫から食堂への道すがら、鉢合わせになったキラが声を上げる。
「アスラン…」
「どうしたの、キラ」
相変わらずアスランは硬い表情でキラに応じる。
ちらとキラの視線を受けてディアッカは眉を上げる。どうやら自分がいては不都合であるらしい。
「なんでもないよ」
悄然としたキラは居住区への道を、またふわりと身を翻した。
アスランは全然キラとの関係をどうこうしていないらしい、やれやれ。
アスランはほっと一息をつく、そのお尻をさわさわとディアッカは撫でる。
「きゃッ!」
「んー。ナーイスお尻〜。いいね〜。おっぱいの方はどうかな?」
「ディアッカッ!!」
身をよじって引き離される、だがディアッカは口許を笑わせて片方の眉を上げた。
「怒るなよ。自業自得ってやつだぜ」
まさに自業自得、キラから俺に逃げ込もうったってそうはいかない、俺はラスティとは違うんだから。
いささかムッとした様子でアスランは語調を強める。
「何で!?」
「俺、最近超欲求不満なわけよ。あんまり近づくとマジで喰うよ」
指先をうねうねと妖しげに動かせば、少しばかり臆した様子のアスランは距離を開ける。
「この際だし1回くらいヤラせてくれてもいいじゃん?」
アスランは本格的にムッとした表情で身構える。
「前、そんなこと言ったら殴るって言っておいたわよね」
「時効時効。だってさぁ…お前もうオトコ知ってんだろ?」
わかりやすいにもほどがある、図星らしく顔色を変えてアスランはたじろいだ。
やっぱり―――――とディアッカは口許を緩める。
相手は誰だ?もしかしてイザークか?
「ん〜気持ちいいことしたって全然悪くないと思うし。何なら先っぽだけでもいいぜぇ?もう俺いつでもスタンバッてるから」
「な…何!?先っぽって!?スタンバッてるって何がッ!?」
「今更すっとぼけるのはやめようぜ、なぁ」
迫っているその時、背後の廊下の角から人の気配がした。
「そういう会話はよそでやってよ、破廉恥なんだから」
話を聞いていたのだろう、冷ややかにミリアリアが言う。
「ち…違うわ!」
顔を真っ赤にしたアスランが即座に否定したが、ミリアリアはふーんと全然聞いていない様子で遠ざかっていった。
「形勢逆転ね」
アスランは向き直り、ふふんと微かに笑って廊下を蹴り、リフトグリップを離す。
「ほら、早く行って弁解してこなきゃ!」
「弁解も何もあるかよ」
とは言うものの、“誤解”されたままでは多少気まずくもある。
ディアッカは顔を顰めて、しぶしぶミリアリアの後を追う。
…やれやれ窮地を脱した、と胸を撫で下ろしながらアスランが廊下を戻るのが少しばかり腹立たしい。
ディアッカは声を大にして言う。
「なぁ。あれも俺らのコミュニケーションなわけよ」
「えっちに誘うことが?」
ミリアリアは背中で素っ気無く言う。
「や〜アスランはああやってからかうのが楽しいんだって」
「嘘。その割に目が真剣だった」
怒りを押し殺した空気が伝わってきて、少しばかりディアッカは怯む。
「や、だってお前誘ったら怒るだろ?」
リフトグリップを握ったミリアリアがぴたりと動きを止めて、不意を衝かれたディアッカは慣性で彼女の傍らを通過する。
ミリアリアは顔を真っ赤にしていた。
「ば、馬鹿じゃないのッ!?このスケベッ!!」
「オトコはスケベなもんなんだって」
「もう近寄らないでよ、このエロ男ッ!!」
…ますます誤解がひどくなっていくような気がする、とディアッカは少しばかり鼻白んだ。
シャワーを浴びて暗い部屋のベッドに寝転んでアスランは思考を巡らせる。
前から考えていたことが、今となっては頭の大半を占める。
もう一度、チャンスはあるだろうか、それとも?
幼い日からのことをつらつらと思い返しながら、アスランはベッドの上でまんじりともせずに天井を振り仰ぐ。
今からでも父は自分の言葉に耳を貸してくれるだろうか―――――ジャスティス受領の時には、まだその余地はあった筈。
彼は私の父で、私は彼の娘、唯一の肉親だ。その情に縋ろうというのは甘いだろうか?
不意にシュン、とドアが開く音が聞こえて光が差し込み、ベッド上のアスランは目を開く。
しまった、うっかり鍵をかけ忘れていた。
…まさかディアッカが夜這いをかけてきたのでは、とアスランは少しばかり警戒する。
「アスラン、…まだ起きてる?」
キラの声だった。
「どうしたの」
微かに安堵と緊張、アスランは寝返りを打つ。
暗い部屋に廊下の光が差し込んできて、キラの輪郭だけがくっきりと見える。
「ちゃんと、君と話がしたくて。アスラン、なんだかいつもディアッカとばっかりいるから」
だから部屋に来たのだとキラは言う。
「話?」
アスランは髪を直しながら起き上がる、キラは部屋の照明を点けた。
「僕のこと避けてるよね?」
キラの口調は質問ではなくて確認だった。
そうかもしれない、キラと2人で話すことが怖くて、ディアッカの方へと自分は行く。
…もしかしたらディアッカのあのセクハラは、「逃げるな」という警告なのかもしれない、と不意にアスランは思う。
「もう以前みたいには戻れないわ」
互いに互いの仲間を殺し、そして屍の道を乗り越えてここまで来てしまった。
そんな自分たちは昔みたいに笑いあうことはもう出来ない。
今一緒にいるのは目的が同じだから―――――ただそれだけ。
それでも、本当ならこうやって隣にいること自体が不自然でありえないのだ、だから「それだけ」で十分ではないか、とアスランは思う。
そう伝えれば、一瞬キラは泣きそうな表情になった。
「でもそんなのじゃ嫌だよ!」
キラが声を大にして歩み寄る。
「それは、今までのこととか考えたら当然なのかもしれないけれど…!僕はッ!」
ようやく君と一緒にいられるようになったのに、と呟くようにキラが言う。
「変わらないのね、甘えん坊のキラ」
キラのアメジストのような眼差しを見返して、アスランは腕を伸ばしてキラを抱きしめる。
「大好きよ、キラ―――――でも私は、あなたを愛せない」
キラはふっと息を呑んだ。
「なんで?僕より好きな人がいるの?」
その言葉にイザークを思い出す。
彼の弛まない強さも、真っ直ぐな気持ちも、千切れそうな自分を救いあげてくれた熱も、私は忘れることができない。
そして鏡映しのキラと私は、これ以上お互いの距離を縮めることはできない。
「そういうことは関係ないわ。キラと私じゃ無理なのよ。お互いを傷つけるだけだから」
拭い去れない過去、この距離も多分自分たちが負う罪への咎だ。
「納得できないよ…」
キラは頭をアスランの肩に乗せてぐりぐりと左右に振る。この癖は変わらないらしい、とアスランは懐かしく思う。
「私たちには時間と距離が必要なのよ、キラ。3年間であなたも私も変わった。状況も変わったの」
「…それは認めるけど」
「大好きよ、キラ」
アスランは宥めるようにその言葉を繰り返す。その魔法の言葉は昔と同じように効果てきめんで、しばらくキラはぐずった後で沈黙した。
やがてキラは腕を離して「おやすみ」と静かに部屋を出て行った。