
19
ひとまばたき、ふたまばたきしてアスランは眠れずに起き上がる。
やはり自分にはしなければならないことがある、その思いでアスランはハンガーに掛けていたオレンジ色の上着を羽織る。
そして部屋を出て人気のない廊下を慣性で艦橋へと向かう。
ドアが開き、アスランはふうわりと艦橋に入る。
コンディション・ブルーの艦橋には艦長とムウ・ラ・フラガと少数のクルーしかいない。
「おや?どうした?蒼いお嬢ちゃん」
ムウに呼びかけられたアスランは思い切ったように口を切った。
「お願いがあります」
「どうしたの?」
マリュー・ラミアス艦長が司令席から振り返り、ムウが真摯な眼差しを向ける。
「取り返しがつかなくなる前に…もう一度、P.L.A.N.T.に上がって父と話がしたいのです。ジャスティスはここに置いていきます、その代わりにシャトルを一機お借りしたいのですが」
はっとしてCIC席のミリアリア・ハウが顔を上げた。
意図を察したのか、ムウは重い口調で問う。
「君は彼を説得できると思うか?そもそもアレを置いていったら、君はどういう処遇を受けるかもわからないぞ?」
パトリック・ザラは軍紀に極めて厳格だと俺でも聞き及んでいるよ、とムウは低く付け足す。
アスランは脱走兵狩りを思い出す――――――あれも国防委員会の、父の意向だった。
「それでもパトリックは私の父です。まだ残されているかもしれない可能性を諦めたくありません」
決意は固そうだな、とムウ・ラ・フラガは大仰に肩をすくめた。
「空いてるシャトルがあったかねえ?マリュー」
「オーブで積み込んだ単座シャトルならあったはずだけれど」
躊躇いがちに亜麻色の艦長は言い、眉間に皺を寄せてアスランを見る。
「本当にいいの?ジャスティスを置いていくなんて」
この艦長は優しい女性なのだ、とアスランはその柔和な眼差しを見返す。
そしてこういう人が艦長だから、必死でキラはこの艦を守ろうとしていたのだろう。
「どうにもならない場合は、キラとディアッカでどうにかしてくれるはずです」
例え自分が帰らなくても、ジャスティスは守られるだろう。
「…そう、わかりました」
諦めたようにマリュー・ラミアスは頷いた。
「アスラン!」
慌てたように廊下にキラが飛び出してきて、髪をまとめて軍服の襟元を正していたアスランは振り返って足を止める。
「キラ、寝癖ついてる」
「あ…うん、ああでもそんなことより!P.L.A.N.T.に上がるって今艦橋から連絡が入って!」
「ええ。行って来るわ」
「でも」
キラの表情が曇る、自分がしようとしていることがどれだけ危険な真似であるのかを指摘しようというのだろう。
だからアスランは言葉を遮る。
「わかってる。でも私の父なのよ」
しばし見つめあい、キラはきっぱりと言った。
「僕も一緒に行くよ」
アスランは弾かれたように顔を向けた。
「―――――アスランがいいって言っても、僕はついて行く。せめて途中まででも一緒に行かせて?」
昔からキラは一度言い出したら頑固で融通が利かないところがある、今回もきっと引かないだろう。
ひとつアスランは嘆息をついた。
「ありがとう。途中までお願いしようかしら」
アスランの言葉に、ぱっとキラの表情が明るくなって、彼は勢いよく身を翻した。
「わかった、先にパイロットスーツに着替えてくる!」
ミリアリアは食堂に入り、呆れたような声を上げる。
「こんなところで何やってるのよ」
「見りゃわかんだろ。腹減ったから夜食食ってるの」
ずるずるとインスタントラーメンをすすりながらディアッカは雑誌を眺めている。
「まったく…!いつの間に住み着いちゃったのよ!」
「オーブ脱出の時から」
全くこの男はああ言えばこう言う!
「もう!」
ファイルを抱えてどかんと座ったミリアリアは、ぺらぺらと頁をめくりながら思いを馳せる。
パトリックは私の父です。可能性を諦めたくありません。
どうにもならない場合は、キラとディアッカでどうにかしてくれるはずです。
彼女は死ぬ覚悟でああ言ったのだろう。
自分とそう年齢の変わらない彼女の決然とした横顔が蘇る。…にも関わらず、こののんびりとしたスケベ男ときたら!
「そんなことしてる場合じゃないと思うんだけど!」
「ん?」
斜め前に座る少年の怪訝そうな表情、その菫色の眼差しが向く。
「アスラン・ザラ、艦橋で言ってたわよ。お父さんと話したいからP.L.A.N.T.に上がるって。ジャスティス置いてくからシャトル貸してくれって」
「…おい、マジで?」
麺をすすっていたディアッカの顔がさっと真剣そのものに変わる。
「ホントよ。今頃格納庫に向かってるんじゃないかしら」
「マジかよ!」
慌てて立ち上がって廊下へと出て行くディアッカを眺めて、ミリアリアはひとつためいきをついた。
整備士にシャトルの操作説明を受けている最中、遮るような声が飛び込んできた。
「おい!アスラン!」
ディアッカの声にアスランは振り返る――――――格納庫にディアッカが飛び込んできた。
「赤服着やがって!マジで行く気かよ!」
「うん、今更だけど」
久々にZ.A.F.T.軍服を纏ったアスランは微かに頷く。
「や、ってかマジで聞くと思う?ここまで来て、あの親父さんが!」
ディアッカがシャトルの羽に掴まって止まる。
「わからない」
陰鬱にアスランは言う。
「…でも私はあの人ともっと話し合うべきだった」
その真意を問うべきは誰でもない、自分であるべきだった。
「お前いつも背負い込みすぎだっての!大体親子だから分かり合えるかってーと、そうでもないと俺は思うぞ!」
はっとした顔でアスランはディアッカを見る。
ディアッカは父親のタッド・エルスマン議員と不仲だといつだったか聞いたことがある。
「俺は止めとけば?って言いたいけどね」
「…それでも、決めたから」
ああもう、お前ってホント頑固!とディアッカは焦れたような声を上げる。
「ならもう止めない、行けよ!」
キャノピーに手をかけたアスランは振り返り、躊躇いがちに言う。
「ディアッカ。もし私が帰らなかったら、あなたがジャスティスを使って。パスはイージスの通信コードと一緒よ」
遺言めいた言葉が癪に障ったのか、ディアッカはひねくれた調子で遮るように言った。
「やだね!あんなのはお前が使えよな。俺はバスターが気に入ってるんだから!」
そして片眉を上げてディアッカはちらと此方を見る。
…だから生きて戻って来い。
その言外の意味を受け取って、アスランは口許に笑みを浮かべる。
ディアッカのひねくれた優しさが、今はただ嬉しかった。
「生きて帰ってこなくちゃね、アスラン」
シャトルの向こう側で一部始終を眺めていたキラが笑む。
「うん」
「アスランッ!!」
今度は慣性でカガリが飛び込んできて、吃驚する間もなくアスランはそのままカガリごと浮遊する。
「あなたクサナギにいたはずじゃないの?」
「そんなことより、お前、アレ置いていったら―――――ッ!!」
カガリがジャスティスを指差す。
「大丈夫よ、キラとディアッカが上手く使ってくれるわ」
「でも、お前殺されるかもしれないじゃないかッ!!」
あれほどの強大な力よりも、自分の身を案じてくれる人たちがいる。
それが今更に心に沁みて、アスランはカガリを抱きしめる。
そして父と故国を失ってカガリ自身もよほどつらいだろうに…この少女の心は広くて、大きい、そして温かい。
「ジャスティスは持って行けない。もし私が殺されたら、アレに他のZ.A.F.T.パイロットが乗ってしまうから」
怯えたようにカガリが息を呑む、アスランは微笑みかける。
「それに大丈夫、あなたにもらったペンダント、今も持ってるのよ」
「ハウメアの護りを?」
「ええ」
「カガリ!アスランはもう行かなきゃいけないから」
フリーダムへと向かいながらキラが声を掛ける。
「アスラン…」
「ええ。行きましょう、キラ」
カガリをゆっくりと離し、そしてアスランは地球軍機に乗り込んだ。
―――――自分は間に合うだろうか、それとももう遅いだろうか。
生きて戻って来いよ。
カタパルトへと動くフリーダムと地球軍シャトルを眺めながらディアッカは思う―――――俺は取り残されたくなんかないからな。
そう思いながら護衛のフリーダムとアスランの搭乗した地球軍機が出立していくのを見送って、ふと気がつく。
アークエンジェルとクサナギ、今いるコーディネイターって俺1人じゃん。
周りは皆ナチュラル…万が一戦闘になった場合、ナチュラルのM1アストレイとストライクとバスターでカバーできるか?
既に旧型になりつつあるバスターは結局改良もされていない状態、状況次第では本当にジャスティスに乗らざるを得なくなりそうな嫌な予感がする。
あなたが使って。
「面倒臭ェことになったなぁ…一応見ておくか?ジャスティス」
頭の後ろで手を組んで、くるりとディアッカは回った。
「あんなこと言ったくせに、余計な心配をするな!」
泣き顔のカガリがぶっきらぼうに言う。
「M1アストレイもストライクもある!お前だって戦うだろ!」
それが過信にも思えてディアッカは溜息をついた。
状況は厳しい、これからますます厳しくなっていくだろう。
「そのM1アストレイっての、詳しく俺知らないんだよねえ。どんなシステムでどう動いてるのか、とか、パイロットの技量とか。それってホントに信頼できるの?」
地上戦を見る限り、そこまで優秀な機体だとも思えなかった…少なくともGAT-Xシリーズには劣る。
きょとんとした表情でカガリはそうか、と呟いた。
「連絡艇でお前ちょっとクサナギに行って来い。エリカ・シモンズが説明してくれる」
あの知的美女か、とディアッカは素早くモルゲンレーテで出会った女性を思い起こす。
確かエリカ・シモンズとか言ったろうか。なんとはなしにアイリーンに似た美人だ。
期待しつつ赴いたディアッカを出迎えたのは少女たちの甲高い声だった。
「やだぁ、カッコいい〜なんかワイルド〜」
「ちょっと君なんて名前ェ?」
「彼女、彼女いるのッ!?」
きゃぴきゃぴとはしゃぐ3人娘――確かM1アストレイのパイロットたちだ――を見下ろして、ディアッカはにやりと笑う。
この男日照りであるらしいナチュラルの少女たちはそれぞれに可愛い。
「やぁっぱいいね、女のコっていい匂いがする」
「ええええ?」
「アークエンジェルは女のコ自体がほとんどいなくてさぁ。俺クサナギに来たいよ」
「や〜ん」
来る?抱きしめたげるよ?と両腕をディアッカが広げて手招きすれば、ますます3人娘はかしましい。
「やだぁ〜」
「行こうかな〜」
「駄目!アンタにはカレシいたでしょ!私が行くの!」
「ほらアサギ、ジュリ、マユラ!君も悪ノリしすぎ!」
エリカ・シモンズ主任がぽんぽんと手を叩いて遮り、「此方へ」とディアッカはそのままコンピュータールームへと導かれる。
「これがデータよ。キラ君にOSのサポートをしてもらったの」
エリカが凄まじい速さで二つのキーボードを同時に打つ。
流れていく画面。
「こっちはオーブでの戦闘のフィードバック。またOSをバージョンアップしなきゃならないわね」
両手で三つのキーボードを流れるように操るその技量にディアッカは口笛を吹いた。
「主任ってコーディネイターだろ?」
背後からのディアッカの囁きにうふふ、とエリカ・シモンズは笑った。
「秘密よ?隠れなの」
ぷりんとした唇に押し当てた人差し指の仕草に見惚れながら、ディアッカはやはり自分は年上好きだと自覚する。
「OK。こんな美人さんと秘密が持てて嬉しいかも」
くすくすとエリカは笑った。
「ねえ、君ってお母さん子?」
「俺んとこお袋が昔死んじゃってるんだよね」
ああよしよしとディアッカは頭を撫でられて吃驚する。女にこんな風に扱われるのは初めてだ。
「だからなのね、淋しいんでしょ」
撫でられて後ろに流した髪がふわふわと揺れる。ディアッカは素直にされるがままになっていた。
「…私も息子がオーブにいるけど、君を見てるとなんとなくあの子を思い出すわ」
リュウタ、元気かしらとしみじみとエリカは溜息をついてキーボードの上の手を止めて膝の上に置く。
「抱っこしてあげようか?」
ディアッカは吃驚する。
こんなことを言われるなんて望むべくもない。
「そりゃもう是非是非喜んで」
邪心溢れるままに巨乳に飛びついたのだが、腕に抱かれて奇妙な感覚に陥る。
他の女のコたちと違う、彼女とも違う、母の腕の中のような抱擁感。
しばらく柔らかい胸に顔を埋めていた。
…母さんてこんな感じだったろうか。
背後で扉が開くのもすっかり気づかなかった。
…キラがいない時にも似た妙な不安感にミリアリアは溜息をつく。
「そわそわしてるね。落ち着かない?」
サイが問う。
「…ちょっとね。だってキラもアスラン・ザラもいないのよ」
誤魔化すようにミリアリアは言う。
「大丈夫だよ。少佐もいるし、アイツもいるだろ…最も今はクサナギか」
サイは眼鏡を拭きながら穏やかな顔で言う。
それが不安を煽る。
アスラン・ザラを見送ったついでに、ディアッカはクサナギに行ってしまった。
「ディアッカって、キラと同じコーディネイターの癖に全然違うよな。いつの間にかすっかり馴染んじゃって、整備班にも溶け込んじゃって。
すっかりマードック曹長のお気に入り」
「アイツ、最初はあんなにひねくれてたのにね」
今でも思い出す、あの殺気の鋭さと敵意剥き出しの菫色の眼差し。
自分を人質に取った癖に下ろして、殺せと叫んだ時のあの背中。
サイが時計を見る。
「交代の時間だ」
「行きましょ」
2人連れ立って艦橋に入ればかしましい女の子の声が響き渡っていて、思わずサイはおののき、ミリアリアは耳を塞ぐ。
『聞いて聞いてカガリさまぁ〜!もー、超びっくりって感じィー!』
アサギがかしましく騒ぎ立てる。
『くやしーッ!私たちを誘惑しておいて〜ッ!!』
ジュリも興奮した口調でわめく。
『だって部屋に入ったらエリカ主任と抱き合ってるんだものォ、まさか不倫!?って感じィ?』
マユラが声を張り上げた。
『っていうかディアッカ君って年齢の割に渋い趣味だよね〜ぴちぴちのうちらがいるっていうのにィ』
ディアッカ!?
ミリアリアは表情を硬くしながら席に手を掛ける。
『だーかーらー彼が誘ってきた時に乗っておけばよかったんだってば!』
「お前らそんな通信してくる暇があるんならシミュレーションしておけ!」
苛々とカガリが言い放って通信回線を絶つ。
「全く!私はクサナギに戻るッ!M1アストレイを見たいとか言うから送ってやったのにッ!」
足音荒くカガリが去った後アークエンジェルのブリッジでは奇妙な沈黙が落ちる。
「やるねぇ坊主…あのエリカ主任を落としたか…」
ぼそりとフラガ少佐が悔しそうに呟き、ミリアリアは目を剥く。
「何言ってるの、もう!惚れた腫れたやってる場合じゃないのよ」
マリュー・ラミアス艦長は呆れたようにぼやく。
一切我関せず、といった様子のミリアリアは書類を眺めながら聞き流していたが、頭に血が上る。
「ミリィ、その書類さかさまだよ」
サイに指摘されるまで気づかず、更に憤然としたミリアリアは鼻の上に皺を寄せる。
すぐにカガリと入れ替わるようにディアッカが戻ってきた。
「お、戻ってきたな」
「お姫サマに追い出されたんだよ」
ぶつぶつとディアッカは文句を言う。
「なあ、いきなり俺クサナギに立入禁止ってどういうことよ」
入り口付近でその腕を引っ張って、ムウが顰め面を敢えて作る。
「お前、自業自得」
「何?」
ディアッカは素っ頓狂な顔を見せた。
「エリカ主任と何してたんだ。さっき通信が入ったぞ、かしまし3人娘から」
「マジで?」
吹き出したディアッカは小気味良く笑う。
「参ったね、見られてたんだ」
平然とした彼の態度にブリッジは溜息の嵐に包まれる。
「もう最低ッ!」
ミリアリアはちらとも視線を向けずに吐き捨てるように言って立ち上がり、つんとして2人の側を通りすぎた。
ドアが閉まるのを見届けて、ムウは言った。
「ほらみろ。CIC管制官サマと仲直りしておけよ、後々やりづらいぞ」
「何をどうしろってんだよ」
ディアッカは怪訝な顔をした。
「どうでもいいから謝ってこいッ!」
なんでだよぉ、とぼやきながらディアッカは押し出される。
軽薄な奴!
つくづく呆れ返ってミリアリアは怒っていた。
アスラン・ザラと異様に仲がいいくせにラミアス艦長に色目使って、クサナギの3人娘を口説いて、しかも技術主任とは不倫!?
自分の時も名前で呼んでいいのかよ、と馴れ馴れしかったことを思い出してなお頭に血が上る。
アイツ女という女には目がないのだろうか。
しかも『見られてたんだ』と平然としているにも程がある!
無重力空間の廊下をふわりと漂っている最中、その張本人が後を追って姿を現した。
「何怒ってんだよ」
「アンタの軽薄さに呆れてるだけよ!」
「軽薄?俺モテるだけだし、それって俺の責任と違くねぇ?」
くるりと1回転しながらディアッカが追い抜いていく。
後ろに流したふわふわした金髪、目尻がかすかに垂れた菫色の眼差しに端整な顔立ちで甘い声。
褐色の肌色に長身で、MSパイロット…見た目も派手で、人気が出るのもわかる。
わかるがそれもまた腹立たしい。
「ち・が・わ・な・いッ!!アンタ積極的にいきすぎなのよッ!!」
「参ったね〜ミリアリアにまでやきもちやかれちゃって、俺ってホント罪深いぜ…」
あくまでもプラス思考なこの男に血管が切れそうになる、絶句して言葉が出てこない。
「ん〜でも悪いけど俺一応婚約者いるから」
「婚約者!?アンタみたいなのに!?」
吃驚してミリアリアは止まる、ディアッカは追い越して振り返る。
「そ」
「ねえ…それってまさか、アスラン・ザラ?」
おそるおそる訊く、しかし普通に考えてありそうだ。
アスラン?とディアッカはいかにも面白げに笑う。
「俺らそういうのナッシング」
…こいつの価値基準がわからない。
彼女は肌が透き通るくらい真っ白で、綺麗な目の色でふわふわした髪で身体も華奢で、少なくともクルーの男たちが見惚れて柱にぶつかったりつまづいたりする程度には綺麗だ。
男っていうのはああいうお人形さんみたいな外見が大好きなんだとばかり思っていた。
「プラントにいるの。ただ俺MIA扱いだろうから」
もしかしたら婚約破棄されちゃってるかも、と少しばかり悲しそうに彼は言った。
「自業自得よね。っていうか、その方が相手にも幸せなんじゃない?アンタみたいな浮気男と結婚なんて」
棘に満ちて言ったつもりだったが、しんみりと遠い目でディアッカは、宙であぐらをかく。
「案外そうかもね。俺みたいなのよか、相応しい奴他にもいっぱいいるし」
過ぎた日々を懐かしむような彼の悲しそうな横顔にミリアリアは言葉を詰まらせる。
「…ねえちょっと」
ちょっと言い過ぎたことへの反省から、ミリアリアの顔に不安げな色が浮かぶ。
「なーんてね。冗談」
「ちょっと!どこからどこまでが冗談なのよッ!」
ミリアリアが叫ぶ、ディアッカはくすくすと笑いながらまた廊下を漂って戻って行った。
結局一体アイツが何を言いたかったのかさっぱりわからない。
ん〜でも悪いけど俺一応婚約者いるから。
それとも自分は牽制されたのだろうか。
…それも何だかちょっとムカつく、とミリアリアはまたしかめっ面を作った。
「パイロット相手にこの状況下で妙な混乱を招く行為は困ります」
むすっとした表情でマリューは相手に伝える。
「まして相手は年下、プラントでは成年でも私たちから見れば子どもですから!」
『だーかーらー誤解ですわ』
エリカの背後から、嘘つけ!というカガリの声が入り、エリカがそちらに顔を向ける。
『何度も申し上げましたでしょ。ディアッカ君とは何もありませんて』
そりゃとってもおいしそうな子だとは思いますけど、生憎年下は守備範囲外でとエリカ主任は向き直って言う。
「ひでぇエリカ主任」
マリューの傍らに飛来したディアッカはけらけらと笑った。
「俺との秘密はァ?ばらしちゃうよ?」
『こらこら』
適当な敬礼でディアッカはウィンクする。
「また意味深なことを言うねぇ」
「羨ましい」
しみじみとチャンドラとトノムラがぶつぶつと言うので、ディアッカは「お宝本回すから」と耳打ちする。
しぶしぶ2人は黙って、それ以上は言わない。
最近クルーとディアッカが妙に馴染んでいるのもエロ本連盟のおかげか…とマリューは思う。
エロ心は国境を越える!とはムウの言葉だったか…ナチュラルとコーディネイターの壁も越えるらしい。
男はとことん馬鹿だ。
自分にバレていないとでも思っているのだろうか?
大量のエロ本がアークエンジェル内に出回っているらしい、それはストライクとバスターのコックピットに積み込まれていたものだという。
「おい、お宝本ってお前、そんなのあるなんて聞いてないぞ」
「言わなかったっけ?ジブラルタル基地で買ったやつなんだけどね」
「何ィ!?ってことはコーディネイターのお姉さんたちかッ!」
「そりゃね。綺麗どころばっか」
ひそひそとムウとディアッカが掛け合いをする。
…ムウとディアッカは嗜好と性格が似ているらしい、つるんでいるところなど年齢を越えた“悪友”にしか見えない。
胃がしくしく痛むような気がする、とマリューはひとつ溜息をついた。
沈黙のはざまで星屑の海を渡り、おもむろにアスランは口を切った。
「もうすぐヤキンの防衛網に引っかかるわ。あなたは戻って」
『わかった、ここで待ってる』
有線回線の向こうからキラが答える。
「いいの、戻って」
アスランは少しばかり語調を強めた。
生きてメンデルに戻れるとは思えない…既に覚悟は決めている。
『ううん、待ってる。君はまだ死ねないんだから、アスラン。君も、僕も』
キラは断固とした強い口調で言う。
必要とされている、自分たちは欠かすことのできない戦力として。
キラは自分の性格を知っている、だから敢えてそういう義務感を自分に抱かせようというのだろう。
「…そうね、覚えておく」
モニターの中のキラの顔をしばし見つめた後、アスランは通信を切る。
通信用に二機の間に張り渡されたケーブルが切れ、同じ速度で併走していたフリーダムが制動をかけた。
白い機体がみるみる暗い星の海に遠ざかっていく。
アスランは、今度は行く手に見える岩の塊のごとき要塞ヤキン・ドゥーエに向かって通信回線を開いた。
「此方国防委員会直属特務隊アスラン・ザラ。認識番号285002…ヤキン・ドゥーエ、応答願います」
P.L.A.N.T.標準時7月3日7時、長い一日が始まろうとしていた。
「ラクス・クラインは利用されているだけなのです、その平和を願う心を!」
報道陣を前にエザリア・ジュールは訴えかける。
「そのことをわたくしたちは知っています。ですからわたくしたちは彼女を救いたい。彼女を騙し利用しようとするナチュラルどもの手から…
ですからそのためにも情報、手がかりを!彼女を愛するならば!」
未だP.L.A.N.T.国民に人気の根強いラクス・クライン、人々の善意に訴えかければあるいは情報をつかめるかもしれない。
時として善意は悪意にも勝る武器となる、この“狩り”にはうってつけであろう。
放送を終えて壇を下りるエザリアの周囲に再び側近たちが集まる。
「記者会見場にすぐご移動を。時間がおしております」
「わかった」
「エザリアさま!」
駆け込んできた補佐官の1人が声を大にする。
「何事か」
エザリアはアイスブルーの眼差しをちらりと向ける。
「アスラン・ザラが帰還いたしました!」
アスラン・ザラという名に周囲がざわりと声を上げ、エザリアも目を薄くする。
―――――ZGMF-X09Aジャスティス拝領後、フリーダム捕獲の任務を受けたものの、オーブ戦に加わり行方をくらましていたパトリックの愛娘。
そして補佐官は衝撃の言葉を付け加えた。
「それがジャスティスに搭乗せずに戻ったと…」
エザリアはふっと息を呑んで、声を大にする。
「馬鹿な!それでアスラン・ザラは今どこにいるか?」
「ヤキン・ドゥーエから此方に向けて移送中です」
狂いはじめている歯車をエザリアは懸念する。
オペレーション・スピットブレイクの失敗、新鋭機の奪取、ビクトリアの陥落、巧妙に逃げ回るラクス・クライン。
そしてアスラン・ザラという不確定要素。
パトリックは表に出さないが、精神の磨耗も甚だしいであろう、とエザリアは気を揉む。
だが今は、彼の負担を少しでも軽くする為に与えられた任務を粛々と遂行するしかない。
アスランはヤキン・ドゥーエから休む間もなくアプリリウスに連行される。
地球軍のシャトルで帰投するに至った経緯は議長にしか申し上げられない、と突き放した結果がこれだ。
アスランは無言を頑なに守り、車窓から流れる景色を見ていた。
アプリリウス・ワン中枢、最高評議会ビル。
ざわめく軍人達、事務官達の狭間を周囲を武装した兵士たちに固められ、アスランは国防委員会本部にある父の執務室に通された。
一体何をしていた、と暗闇に座すパトリック・ザラの低く押し殺したような声が聞こえる。
アスランは進み出た。
「お前達はよい、下がれ!」
連行してきた兵士たちは背筋を正して敬礼した後、部屋を出て行った。
「アスラン…」
唸るように父は言う。
「ジャスティスはどうしたッ!!フリーダムはッ!!?」
「安全な場所にあります。適切な措置も施しました。あの2機からNジャマーキャンセラーの情報が漏れることは決してありません。
フリーダムが接触したオーブは国家ごと崩壊し、地球でフリーダムに接触した人員は全て一箇所にあります。…この結果に満足でいらっしゃいますか」
アスランの低い問いとは対照的に、パトリックは声を大にする。
「ならば、ならば何故ここへ乗って戻らなかったッ!!」
「アレは強大すぎる力です。どこにあったとしても、誰が乗ったとしてもです」
アスランは強く父を見据える。
「お前は何を言っている!!」
「…私はあなたにお聞きしたくて戻りました、お父さま」
「何?」
「討っては討たれ、討たれては討ち返し―――――それでこの戦争が終わると、本当にお考えですか?」
「終わる。ナチュラルが全て滅びればな」
静かに、しかし断固としてパトリック・ザラは言った。
やはり…アスランは深呼吸して一拍おいた。
父の真意はそこにあった、そして自分はそうと知っていた筈なのだ。
「ナチュラルを全て滅ぼす必要が、どこにあるのです」
「お前にはわかるまい、このP.L.A.N.T.に上がるまで我らがいかにナチュラルに迫害を受けてきたかを。そしてP.L.A.N.T.理事国の搾取にどれほど耐え忍んだかを!
何故我々選ばれた種がかほどまでに茨の道を歩まねばならなかった?ナチュラルという旧人類の時代はもう終わったというのに!」
「私たちは、進化した種でしょうか?」
じり、とアスランは迫る。
「アラスカで、パナマで、ビクトリアで…同じような戦いを繰り返す愚かさを、人を殺し続ける残忍性を持った私たちが?」
「お前までクライン派に転じおったか」
鋭い光が父の目に宿る。
「私はクライン派ではありません。ただ、もう撃ち合うのは止めていただきたいのです」
「一体何を言う!?お前とて憎かったろう、母を殺したナチュラルが…だからZ.A.F.T.に入ったのではなかったか。その志さえ忘れたかッ!!?」
ふらりと父は立ち上がり、向かい合って自分を見下ろす…暗い憎しみの炎が宿る眼差しだとアスランは愕然とする。
「お前まで私を裏切るなッ!!」
強く握られた肩が激痛を訴える、激しく揺さぶられて吐き気さえする。
この人には、復讐しか頭にない。
この人がトップでは、P.L.A.N.T.は一体どうなるのだ?
「でも、でも間違っています!こんな未来をお母さまが望んだとは思えませんッ!」
「―――――もういい、お前に与えた役目は剥奪するッ!」
力いっぱい突き放されて、アスランは思わず床に倒れこむ。
険しい顔で父は机脇の一つのボタンを押した。
武装した兵士たちがばらばらと執務室に乱入してくる。
「連行せよ。ジャスティスとフリーダムの場所を吐かせろ、多少手荒でも構わんッ!!」
「立て!」
「大人しくしろッ!」
連行しようとする兵士たちに隔てられてアスランは絶叫する。
「お父さまッ!!」
「お前が私をそうだと言ったように…私もお前を見損なったぞ、アスランッ!!」
父の吐き捨てるような言葉、そして引きずり出される執務室。アスランの眼前でドアは閉められ、反動でアスランは廊下に倒れこむ。
もう言葉は届かない。
絶望のままぼんやりとドアを眺めていた。
…自分は、遅かったのだ。
―――――何故、あの時とどまらなかったのだろう…まだ父に逡巡が残っていたあの時に。
「立て!」
周囲の兵士たちに銃口を突きつけられ、のろのろと起き上がり、導かれるままにアスランは歩き出す。
視線が肌を突き刺す。
ざわめく人々が遠巻きに見守る、そのただ中を連行される。
入り口の前には武装車がつけられていた。
…あの車に乗れば、自分にはもはや逃げ道はない。
拷問ののち殺されるか、さもなくば一生幽閉されるだろう。
覚悟が決まる。
君はまだ死ねない。
死ぬわけにはいかない、帰らねばならない場所がある、待っている人々がいる!
アスランは脇を固めていた兵士を1人蹴り飛ばし、1人に肩からタックルして走り出した。
「おいッ!!止まれッ!!」
逃げるアスランの背中に、兵士が警告を発して銃を向ける。
が、その銃口が火を噴く前に、横にいたもう1人の兵士が彼を銃床で殴り倒した。
「無茶苦茶だ!」
たった今、同僚を昏倒させた兵士は慌ててアスランを追いかけながら毒づく。
その兵士は手榴弾のようなものを銃撃を開始した兵士たちに向けて投げつけた。
それは地に落ちた後、もうもうと煙を吹き出す―――――煙幕弾だ。
「こっちへ!」
突如現れた味方と思しき赤毛の兵士がアスランの腕を掴んで引っ張り、撃ってきた兵士に向かって撃ち返す。
さらに一つ、煙幕弾を投げ、煙にまぎれてアスランを連れて建物の陰に飛び込む。
「背中をこっちに向けて!手錠を撃ちます!」
男はてきぱきと言い、アスランはそれに従う。
一発の銃声とともに両手が自由になった。
「無茶な人ですねッ!ホントにッ!死ぬ気ですかッ!?…こっちのメンバーまで蹴倒しちゃって…!」
ということは蹴り倒した兵士は彼の仲間だったのだろう。
拳銃を渡されて、アスランはすばやくセイフティを外した。
アスランは男とともに撃ち返す。
煙幕の向こうで金属が弾けかえる鈍い音がした。
「あなたは誰なの!?」
銃撃の隙間をぬってたずねると、赤毛の男は叫び返す。
「いわゆるクライン派ってヤツですよ!もう、段取りがめちゃくちゃだ!」
「ごめん、知らなかった!」
「そりゃそうでしょうけどね!」
背後の道路に急ブレーキを掛ける音が木霊した。
銃撃の合間に声が聞こえる。
「―――――ダコスタ!」
仲間らしい男が車のドアを開いて呼びかける。
ダコスタと呼ばれたその男はアスランを車に押しやった。
「さ、行きますよ!」
急発進でその車は細い路地裏を駆け抜ける。
荒い運転の最中、身を潜めたアスランは傍らの男に問いかける。
「ダコスタさん?私、あなたに会ったことがあるような気がするのだけれど」
「そりゃもう。会ったことがあるような、じゃないですよ」
ダコスタの太い赤眉が少々情けなく下がる。
「ホワイト・シンフォニー・シアターで…」
「ああ!」
ラクスを守った兵士だ。
じきに車は止まり、追い立てられるように複座の小型機に乗り換える。
操縦席にはダコスタが着き、離陸した後凄まじいスピードでP.L.A.N.T.内を上昇する。
「ええい!急がないと!」
アスランは事態が進むままに従っていたが、遠くなっていく地表を見下ろして暗澹とする。
―――――自分は、またこの場所に戻ってくることができるのだろうか、その時一体P.L.A.N.T.はどうなっているのだろう。
小型機はシャフトに飛び込み、メンテナンス用とおぼしき細い通路に入り込む。
さらに上昇を重ね、ふわりと身体が浮く。
もう無重力圏内に入ったのだろう。
前方に哨戒艇が現れ、ただでさえ狭い通路を塞ぐようにたちはだかり、バルカン砲を打ち込んでくる。
ダコスタは思い切りよくそこへ突っ込んでいき、アスランは無茶だとばかりに目を見開く。
「ダコスタさんッ!」
「大丈夫ですッ!こんなのッ!」
根拠のない言葉、そして機体をひねり、相手が怖気づいて退いた隙間をくぐって小型機はシャフトを駆け抜ける。
まもなく通路の先に四角く星空が切り取られて見えた―――――出口だ。
小型機はさらに加速して一気に外へと飛び出した。
と同時に眼前に現れた、漆黒の虚空に浮かび上がる鮮紅色で細身の戦艦にアスランは目を見開く。
あんな形状の艦を自分は見たことがない。
安堵したような溜息を漏らし、ダコスタが叫ぶ。
「隊長―――――ッ!!」
『遅いねえ、ダコスタ君!置いていくところだったぞ?』
スピーカーから笑みを湛えた低い声が漏れてくる。
「こっちがどんなに苦労したと思ってるんです!?」
『まあ愚痴を言いなさんな。後部ハッチへ回りたまえ』
未知の艦の後部ハッチが開き、小型機を迎え入れる。
間もなく急激な加速を感じ、降り立ったアスランはこの艦がかなりの高速艦であることを知る。
―――――多分、ナスカ級よりも早い。
ダコスタに付き添われて、そのまま艦橋に通される。
エレベータのドアが開いた途端、一段高い指揮官席に座っていた人物が席を立って振り返る。
「アスラン」
ふうわりとピンク色の髪を漂わせた少女が出迎え、アスランは目を見開く。
「ラクス!無事だったのね」
「はい」
にっこりとラクス・クラインは笑む。
ダコスタは副長席の傍らに歩み寄り、そしてそこに座していた男が振り返った。
「ようアスラン・ザラ。ようこそ、歌姫の艦へ」
隻眼の男は太い笑みを浮かべている。
「…あなたは…アンドリュー・バルトフェルド隊長?」
顔くらいは知っている、確か砂漠の虎と呼ばれた地上戦の英雄だ。確か瀕死で本国に帰還し、奇跡の生還を果たしたという―――――。
にっこりと傍らのラクスは笑んだ。
「お味方下さったのです」
軍内部に入り込んだ人員からしてクライン派の裾野の広さは薄々気づいていたが、まさかバルトフェルドという智将まで引き込んで、挙句の果てに最新鋭艦を奪取するなど。
それだけの人々を動かす力が眼前の少女にはある、いや、父シーゲル・クラインとその娘に、というべきか。
「何故私を助けたの?」
それが不思議だった。―――――自分は非戦無抵抗主義のクライン派の思想に必ずしも共鳴していない。
ラクスはごく自然に答えた。
「以前あなたに助けていただいたからですわ、アスラン」
ホワイト・シンフォニー・ホールでのことか、とアスランは思い出す。
「…あの時、あなたが敵になったとしてもそれは仕方のないことだと思っていました」
ラクスは眼前に広がる宇宙を眺めながら静かに言う。
「けれど、今のわたくしたちにはもっと力が必要なのです。ともに立ってくださる方が1人でも多く欲しい」
「だから私を生かした?ザラの娘の私を使えると思ったから?」
アスランは肩をすくめて、敢えて高圧的に言い募る。
「けれど私はクライン派ではない。そして今後あなたたちの思想に染められるつもりもない」
クルーたちの空気が凍るように沈黙が落ちる、だがラクスは淡々と言った。
「わかっています。あなたはとても強い人。そしてご自分の信念を持っていらっしゃるのでしょう。…あなたに問われたことをずっとわたくしは今でも自問し続けています」
あなたと私の父とでどう違うのだ、と確かに自分は問いかけた。
戦いに戦いでもって臨む行為は罪ではないのか、と。
その矛盾に彼女は答えられなかった。
「―――――それでも進まねばならないから、わたくしたちは立つのです。
そしてあなたも、今P.L.A.N.T.が進もうとしている未来は間違っていると考えている。だから死を覚悟してお父さまに立ち向かわれたのでしょう?」
ラクスはもの柔らかに言い、アスランはその眼差しを見返す。
そうだ、生きて戻れるとは思わないままに自分はアークエンジェルを発った。
「ですから、今わたくしたちの目指すものは同じですわ、アスラン」
彼女の淡い空色の眼差しを見つめながら、ふと多くの人々が今の自分と同じ未来を見ていることに気づかされる。
お前は背負い込みすぎなんだって!
蘇るディアッカの言葉に、頑なになる必要もないか、とアスランはふっと口許に笑みを湛えた。
「…そうね」
コンソールから警告音が響きはじめた。
オペレーター席についていたダコスタが鋭い声を上げる。
「前方にMS部隊!数およそ50!」
ラクスが艦長席に戻り、アスランはその傍らに立つ。
「ヤキンの部隊か。ま、当然の反応だろうな」
バルトフェルドは驚く様子もなく、悠々として言い、声を張り上げる。
「主砲、発射準備!近接防空システム作動!」
それだけで交わせる数ではない、MSの支援なくしてヤキン・ドゥーエの防衛網を突破しようなど無茶な話だ。
アスランは素早く問う。
「この艦にMSは!?」
振り返ってバルトフェルドはにやりと笑った。
「生憎出払っていてね…こいつはフリーダムとジャスティスの専用運用艦なんだよ」
アスランはふっと息を呑んだ。
フリーダムと、ジャスティスの為の艦。
ラクスはキラにフリーダムを渡した、そしてジャスティスは自分が拝領した。
「―――――この為に、フリーダムをキラに渡したの?」
そしていずれ自分も取り込むつもりで、とアスランはラクスを見遣る。
「さあ?」
にっこりとラクスは笑み、そして管制へと静かに告げた。
「全チャンネルで通信回線を開いて下さい」
バルトフェルドは「了解!」と面白がっている声を上げて、通信機器を操作した。
そしてラクスはおもむろに口を切る。
「わたくしは、ラクス・クラインです」
ラクスの涼しげな声が全MS部隊へと繋がっていく。
「願う未来の違いから、わたくしたちはザラ議長と敵対するものとなってしまいました。ですが、わたくしはあなたがたとの戦闘を望みません」
アスランは彼女の横顔を凝視していた。
圧倒的な軍勢を前に堂々と語るラクスは、引き込まれるように魅力的で、同時に威圧感に満ちていた。
「どうか艦を行かせて下さい。そしてみなさんももう一度、わたくしたちが本当に何と戦わねばならないのかを考えてみて下さい…」
だが状況は切迫していた。
彼女の言葉にも、MS部隊の進攻はとどまることはない。
モニターに映し出された敵機を示す数多の光点から、さらに無数の光点が分かれてエターナルへと向う―――――ミサイルだ。
「まあ難しかろうね、いきなりそう言われても」
バルトフェルドは1つ溜息をついて、そして鋭く声を上げた。
「迎撃開始!」
全ミサイル管が開かれ、迎撃ミサイルが四方に放たれ、迫るミサイル群を叩き落す。
モニターは白々と染め上げられた。
「―――――主砲、てぇ―――――ッ!!」
バルトフェルドの声とともに主砲から放たれた光が闇を切り裂き、その先にいくつかの光芒を散らす。
「ブルーα5及びC11より、ジン6!」
「来るぞ!対空ッ!!」
重装備のジンが迫り、足のミサイルポッドからM68パルデュス3連装短距離誘導弾が放たれる。
「ブルーδ12になおもジン、4!」
「ミサイル来ます!」
「迎撃追いつきません!」
圧倒的に不利だ。
アスランは無言で唇の端を噛む。
やはりこれほどの数のMS相手では、戦艦の迎撃システムは追いつかないだろう。
「ミサイル、当たります!」
「衝撃に備えろ!」
モニター上の光点が艦を中心に収束する。
被弾の衝撃に対して身構えたクルーたちは、次の瞬間、闇を貫く光条を見た。
どこからか放たれたビームが、艦に迫っていたミサイル数基を捉え、それらは船体の直前で撃ち落される。
そして間をおかず、ある一点から数条の光が迸り、エターナルに迫っていたジンの機体を次々と戦闘不能にしていく。
こんなことができるのは彼だけだ。
「…キラ…!」
アスランの言葉にラクスが顔を上げた。
援護が前面から訪れる。
見慣れた機体が飛翔して、通信回線を開く。
『アスラン!?』
思い描いた少年がそこには映し出されていた。
あの言葉通り自分を待っていたのであろう、そしてヤキン付近の戦闘を自分と関係があるものと考えて駆けつけてくれたキラに心底感謝する。
「キラ!」
ラクスがモニター前にふうわりと舞い降りる。
『ラクス…?』
キラが目を見開いた。
「よう、助かったぞ少年」
『…バルトフェルドさんッ!?…』
キラは血の気の引いた顔で艦長を見遣った。
「キラとはお知り合いですか、バルトフェルド艦長」
アスランの問いに、くつくつと意味深にバルトフェルドは笑った。
「まあなんだ、砂漠でね―――――じゃあ突破の援護頼むぞ、キラ・ヤマト君!」
『…はい!』
まだ青ざめた表情のキラは微かに頷いた。
フリーダムに援護され、巨大な薄紅色の細身の戦艦がメンデルに入港し、アークエンジェルと肩を並べる。
「いやはやすごいねー」
なんともお気楽な感想を述べるムウ・ラ・フラガをよそに、ディアッカはキーボードを打ち続ける。
生還が危惧されていたアスランだったが、実にスゴイ手土産とともに戻ってきた。
エターナル、しかもラクス・クライン付き。
エターナルはフリーダムとジャスティス専用運用艦だという。それをラクス嬢は奪取したのだ。
無茶苦茶なことをする、女ってつくづく怖いとディアッカはしみじみ思う。
「…アンタもエターナルに行きたいんじゃないの?アスラン・ザラも行くし」
フリーダムとジャスティスの性能を効率的に引き出す関係上、キラとアスランはエターナルに移動するらしい。
モニターに写るコーディネイターたちの艦を見遣ってミリアリアが言う。
「向こうにはZ.A.F.T.の仲間が沢山いるんでしょ」
コパイロット席で回避アルゴリズムの新コードを打ち込みながらディアッカは素っ気無く返事する。
「ん?俺アークエンジェルでいいや」
その間にも残像の残る速さでキーボードを叩く両手の指先。
「何で?」
ぶっきらぼうにミリアリアは問う。
「アスランたちが向こうに行ったらこっちナチュラルだけじゃん。それにおっさんまだ宇宙戦未体験だろ?」
「確かに。らしいことを言ってくれるじゃないか、坊主」
背凭れに縋ったムウが苦笑いする。
「まあね。それにぶっちゃけ俺ラクス・クラインってちょっと苦手なわけよ」
「へぇ、アンタにも女で苦手ってのあったんだ」
ミリアリアは何故か嬉しそうに口許を笑わせる。
「何か浮世離れしてて近づきがたいんだよね、彼女。ちょっとわけわかんないところあるし」
「じゃあクサナギにでも行くか?」
ムウが茶々を入れる。
「クサナギ、いいねぇ」
ディアッカはにやりと笑って手を止め、くるりと椅子を回す。
「エリカ主任とこ行っていいの?」
「駄目よ」
マリュー艦長がちらと視線を走らせて厳しく言った。
「戦力の分散が必要です!」
「俺必要とされてるんだ?それともヤキモチ?」
ディアッカは飛来してきたムウに首元を掴まれ「痛ててて」と声を上げる。
「この馬鹿、すぐ色気出しやがって」
くすくすとミリアリアが笑った。
「エターナルに行くわ。クサナギのカガリさんやキサカさんたちも行くそうだから」
マリューが立ち上がる。
あ、俺も行く!とディアッカは声を上げてふわりと席を立つ。
「アスランに話聞きたいし。一応これ終わったから」
アスランは無事なのか?父親とは話ができたのか?そんな懸念を抱きながら連絡艇に乗り込み、エターナルへと移乗する。
行き交うクルーたちのZ.A.F.T.の軍服がひどく懐かしい空気を齎してくる。
少しばかり感傷的な気分で進んだ艦橋には見慣れた顔ぶれがあった。
「おや、お前もいたのか、エルスマン。元気そうじゃないか」
アンドリュー・バルトフェルド。
かつて一度は麾下に入ったこともある隊長は今や隻眼隻腕となっていた。
瀕死で本国に帰還したと聞いていたが、とりあえず生きていたらしい…ディアッカは敬礼する。
「お久しぶりです」
「ああ堅苦しいのは抜きだ。ここはもうZ.A.F.T.じゃないんだからな」
「まあ、そうですね」
「砂漠ではさんざんだったが宇宙戦は得意だろう?期待してるぞ」
嫌なことを思い出させてくれるよなぁとディアッカは苦笑いする。
「まあ宇宙戦はMS戦の華ですからね」
「お久しぶりですわ、ディアッカ」
ちらりとディアッカはそちらに視線を向ける、ラクス・クラインがおっとりとした笑みを湛えてそこに立っていた。
彼女はふわふわとした淡いピンク色の髪を結い上げて、今は和風の衣装に身を包んでいる。
戦に際して武将が纏った陣羽織をラクス・クラインは纏う。…彼女も戦うことを決意したのだろう。
「ですね、ラクス嬢。キラやアスランとはもういいんで?」
「ええ、彼らとも久々に話しましたわ」
2人で並ぶ。
「最高評議会、どんなですか」
「ザラ議長の支配下ですわ。カナーバ議員以下主だった穏健派は拘束されてしまいました」
ディアッカの目が鋭くなる。
「アイリーンが?」
「ええ」
綺麗で柔和な彼女の面差しを思い出す。…アイリーンは拘束されたのか。
無事に帰って来い、そう言って彼女がこの額に残した唇の感触が蘇って、思わずディアッカは額に手をやる。
「けれどさすがあなたのお父様は上手く立ち回ってらっしゃいます」
やれやれと欄干にディアッカはしどけなく顎を乗せたが、自然口調は刺々しくなる。
「保身は上手くってもそれだけじゃ意味ねぇなあ…」
「でもおかげでわたくしたちも脱出できましたのよ。タッド・エルスマンさまが情報を下さって手引きを」
あの親父いつからクライン派になったんだか、とディアッカは思う。
立ち回りの上手いあの親父のこと、そのクライン派の情報をさらにザラ議長に売ってなきゃいいんだけど、とは密かな懸念である。
「ラクスさま」
背後から声がする…どこかで聞いた声に振り返る。
日に焼けた赤毛の男がそこにいた…どこで会ったろう?
彼はちらとだけ視線を動かした。
「生憎赤は手に入らなかったのですが」
緑色のZ.A.F.T.軍服を彼は持っていた。
「お召しになりませんこと、ディアッカ?」
今ディアッカはモルゲンレーテのジャケットを羽織っている。
「俺いい。こっちのほうが動きやすいし、今更Z.A.F.T.の軍服着る気にもならないし、しかも俺赤だし」
男の眉間に皺が寄って、不意にディアッカは思い出す。
「そりゃないだろ。軍服に違いはないんだぞ」
バルトフェルドの副官マーチン・ダコスタは不機嫌に言った。
「ははん。ならなおさら緑なんてって気分になるわけよ」
にやりとディアッカは緑の軍服のダコスタをからかう。
「あんまり年上をからかうんじゃない。ったく偉そうに…あのイザーク・ジュールもそうだったが、ホントにクルーゼ隊のヤツらときたら」
ダコスタに首元を小脇に抱えられ、ディアッカは頭をぐりぐりとされる。
「痛い痛い〜ッ!」
「まあ仲良しさん」
くすくすとラクスが笑い、憤然としてダコスタが去っていく。
それを見送りながらラクスは言った。
「でも本気でZ.A.F.T.を離れたんですのね、ディアッカ」
「まあ、そうですね。もう以前みたいに遊んでいられなくなっちゃったから」
知ってしまった自分は、上の命令に従って何も考えずに人を殺す“駒”ではいられなくなってしまった。
淡い空色の眼差しがまっすぐに此方を見る。
「あなたほど自由に動ける人をわたくしは知りません。キラも、アスランもあれほどに囚われていたのに、あなたは本当に自由なのですね」
彼女の言葉は時に深遠で、今回も誉められているのか何なのかいまいち判断に困る。
返す言葉に窮しているこの間、彼女の凝視にディアッカはいつもの居心地悪さに見舞われた。
やがてラクスはにっこりと年齢相応の笑顔を見せた。
「些細なことにはこだわらない。それはあなたらしいことですわ、ディアッカ」
アイリーンと同じことを言うな、とディアッカは思った。
舷窓から外を眺めていたアスランは、人の気配に振り返る。
「いよう」
金髪褐色の肌にモルゲンレーテの上着を無造作に羽織ったディアッカがウィンクする。
「ディアッカ!」
心配していてくれたのだろう、エターナルにまで来てくれるとは。
「つーかお前やっぱすっげぇ運いいな、吃驚したぜ」
しみじみディアッカに眺められて、そうかもしれない、とアスランは思う。
助けがなければ今頃射殺されていたところだ。
「そうね」
「…でどうだったよ、親父さんとは」
アスランは沈鬱に一つ溜息をついて、壁に凭れ掛かる。
「私は遅かったみたい。ナチュラルを滅ぼすことしかもう頭にない…あの人に言葉は届かなかった」
お前まで裏切るのか!
「裏切るつもりなんてないのに、ただもう止めて欲しいだけなのに。
母の仇を討つ為にZ.A.F.T.に入った志さえ忘れたかって…でも私が軍を選んだのはP.L.A.N.T.を守る為で、ナチュラルを滅ぼす為じゃない。
それが目的だっていうのなら、軍で戦い続ける意義なんてないじゃない…?」
自分の言葉を、ディアッカはただ聞いている。
「昔のお父さまはあんな人じゃなかった。あんな政治家じゃなかった。なのに…スピットブレイク失敗の頃から、もしかしたらもっと前から変わり始めて…私、全然気づかなかった」
気づいてあげられなかった。
もしかしたらZ.A.F.T.軍入隊反対は、父の救いを求める声だったのかもしれない、と今ではそう思えてさえくる。
「私、お父さまとずっと一緒にいればよかったのかな…」
うーん、と難しい顔でディアッカは一つ唸る。
「それ言ったらさぁ。もしお前が士官学校にいなかったら、クルーゼ隊に来なかったら。俺たち全員全然違う道を辿っていたかもしれないってことも言えるわけよ。
俺なんかもうとっくに生きてなかったかもしれない。ってわけで、もしもの話に意味はないぜ、アスラン」
ディアッカは優しい。
「そう」
アスランはひとつ鼻をすすった。
張り詰めていたものが解けたかのように、涙が零れそうになってくる。
『アスラン・ザラ艦橋へ』
『アスランッ!すぐ来てッ!!Z.A.F.T.の放送で君のことやってる!』
艦内放送の向こうで、キラが叫ぶ。
呼ばれるがままに艦橋に2人で入る。
「キミのお父上はキミの造反をどうしても認めたくなかったと見えるね」
バルトフェルドはちらとアスランを見遣り、大仰に肩をすくめた。
傍受しているモニターには訃報が表示されている。
「アスラン・ザラ…死亡?任務放棄、拘束連行中逃亡の為、射殺…っておい」
「…そう…」
たゆたいながらアスランは悄然として言った。
「…お互い、もういないものと考えた方がつらくないですものね」
お父さま、という言葉が咽喉で詰まって涙が滲んで、思わず傍らのディアッカの裾を掴んで俯く。
「あーよしよし。お前もずっと辛かったもんなぁ。泣いとけ泣いとけ」
抱き込まれて、ぽんぽん、と背を叩く手が優しくて、思わず胸に縋って咽び泣く。
「こっち来てもあんまり気張るなよ?お前あんまり強くないんだからさぁ」
なんでこんなに優しいんだろう。
ディアッカの口調にも背を撫でる手にも微塵も下心が感じられなくて、だから一層涙がこみ上げる。
抱きしめればしがみついたアスランが押し殺した声で泣いて、やれやれとディアッカは眉尻を下げる。
ホントは大声で泣きたいだろうに、いつもアスランは声を上げずに泣く。
心配そうなラミアス艦長や難しい表情のバルトフェルドや吃驚した顔のカガリたちが周囲で固唾を飲んでいる。
普段が普段だけに、泣くアスランなど彼らには想像もできなかったのだろう。
だが自分は知っている、ユニウス・セブン追悼慰霊式典で、あるいはニコルが討たれた時に泣き崩れていたアスランを。
本当は情が人一倍深くて、涙もろい奴だ。
「アスラン…」
キラが躊躇いがちに声を掛けて、そして相当ムッとしたように自分を睨む。
―――――おいおい、お前には側にぴったりと心配そうなラクス嬢が寄り添っているじゃないか。
肩をすくめたディアッカは視線に晒されるアスランを庇うように背を向ける。
「ちょっとここ出ような。とりあえずジャスティスもあるしアークエンジェル戻ろうぜ、な?」
うん、とアスランはこくんと頷く。
全くしみじみ可愛いやつ…自分に妹がいたらこんな感じなんだろうかな、と思う。
「ってことで、お先」
泣きやまないアスランの肩を抱いて、そのまま床を蹴ってともに慣性で艦橋を出る。
エレベータの中で、アスランは涙を拭いながら言った。
「ごめん。ディアッカ」
「気にすんなよ。泣いてる女のコそのままにしとけるかって」
「ディアッカがもてる理由、ちょっとわかったかも。実はすごく優しいのね」
泣きながらアスランは少しばかり笑みを作った。
「遅ぇよ、気づくのが」
つん、とディアッカはそっぽを向いた。
ヴェサリウスで顔合わせが行われる中、イザークは敬礼で新しい兵士たちに対峙する。
クルーゼ隊の空いた穴を埋めるように兵士たちが着実に補充されていく。
俺たちは所詮代替品なのだろうか、その疑問の只中、新しく参入する兵士たちの中には見たことのある顔もあった。
「シホ・ハーネンフース」
士官学校の同期、MSパイロットコースに2人いた少女のもう1人。
茶色の長い髪を背で一つに纏めた、全体的に地味な女だとしか印象はなかった。
だが今となっては、妙な郷愁にも似た感慨が過る。
同じく敬礼で彼女はふっと笑んだ。
「イザーク・ジュール。お久しぶりです」
『MSパイロットはブリーフィングルームに集合して下さい』
顔合わせの後散会し個々休暇に入る予定だったものが覆された。
隊長と艦長がパネルの前で待ち構えていた。
造反したアンドリュー・バルトフェルドが新造艦エターナルを強奪し、ボアズ・ヤキン間の守備線を強行突破した、という知らせだった。
奇跡の生還を果たした英雄と呼ばれる男が何故だ?
イザークは眉間を潜める。
「これで休暇は潰れたな」
「全く、よりによってこんな時に…」
兵士たちが毒づく。
「新造艦エターナルはデータを見る限り最高速艦だ。今からではもう追いつかんよ。追跡データを待とう」
戦略パネルの立体図を前に滑らかな声でクルーゼ隊長は言う。
「極力武装を排除して軽量化を図られた艦だからな、捕捉できたら後はさほどでもあるまい」
「しかし信じられません!何故ラクス・クラインといいバルトフェルドといい…」
ことごとくP.L.A.N.T.を裏切るのだ!
「人の思惑など結局のところわかるものではないよ。―――――あのアスランでさえ、な」
さらりと隊長は言った。
「え…?」
きょとんとしたイザークに追い討ちを掛けるように隊長は笑みを微かに湛えた。
「君にも伝えねばならんかったな。…アスラン・ザラは与えられた最重要任務を途中放棄、逃亡のかどで射殺されたそうだ」
滑らかに紡がれるその言葉の理解が遅れて、イザークはひゅっと息を呑み、声を張り上げる。
「一体どういうことですッ!!?」
声を荒げたその瞬間、視界のすみで、びくっと震える紅い髪の少女の姿が見えた。
「特務隊の極秘任務に関しては私にもわからんよ。最も彼女の逃亡にはクライン派が一枚噛んでいた、という話もあるが」
残念なことだよ、と慰撫するような隊長の言葉に目の前が真っ暗になる。
散会するクルーたちの狭間で、シホの視線に気づきイザークは見返す。
しばしの沈黙ののち、問う。
「お前は…知っていたのか」
「はい、今朝一番の軍内ニュースでしたから」
かつて士官学校でアスランと同じ部屋だったというのに、極めて淡々とシホは言った。
「他のクルーも知っていた筈です―――――何故あなたが知らなかったのでしょうか、イザーク・ジュール」
1人喧騒から切り離されていた。そして誰も自分に告げなかった。
それはきっとアスランと自分の関係を知っていたからだ。
そして未だ信じられない自分がここにいる。
イザークは身を翻しCICに向う。
「おい、どけ」
「あ、…」
ぞんざいな言葉に通信士のアビー・ウィンザーが吃驚したように席を立った。
たまらずに衛星間通信コードを打つ…あの人ならば知っているはずだ。
数コール、そして転送される。
今アプリリウス市の自宅にいるのではないのか、とイザークは眉間に皺を寄せる。
やがてモニターに紫服纏う1人の女性が写った。
『エザリア・ジュールです』
「母上」
モニター向こうで怜悧な美貌に笑みを湛えて母は笑む。
『イザーク。久々に会えるかと思いましたが急な召集で今国防委員会にいます。…あなたに会えなくて残念なこと』
「私も戻れるかと思っていましたが、今軍事ステーションです。予定変更で再出港することになりました」
『そう、連戦で辛いでしょうけれど、頑張って』
「…その、母上」
イザークは視線を外す。
『何です?』
「アスラン・ザラのことは…ご存知でしょうか」
一拍空いた。
『彼女のことは不幸だったとしか言い様がありません。ザラ議長も心を痛めておられます』
イザークは血の気の引いた顔をモニターに向ける。
「射殺は、本当だったと?」
『拘束連行中に逃亡を図った為の銃撃による死亡であった、と聞いています』
最高評議会の中でもザラ議長に信任されている母の言葉だ、本当なのだろう。
「―――――そう、ですか…わかりました」
茫洋とした只中、通信を終えて立つ。
「返す。すまなかったな」
「…いえ」
金髪の通信士はじっと此方を眺めていた。
艦橋から部屋に戻る最中、アデス艦長とすれ違う。
気のない敬礼、すれ違いざまにぽん、と肩を叩かれて、ふと振り返る。
「お前は副官だ。動揺を余り部下たちに見せるな」
それがどうしたというのだ。
艦長の精一杯の気遣いに構う余裕もなく、ふいっとイザークは向き直ってそのまま廊下を慣性で行く。
ラクス・クラインやバルトフェルドの造反はまだ距離を置いて眺めることができた、だがこればかりは不可能だ。
埋めようのない寂寞と空虚感の淵で思う。
信じたくはない…だがあのアスランが特務隊としての任務を放棄し、Z.A.F.T.に背を向けた?
議長の愛娘でトップガンと認められた彼女が何故裏切る?―――――それがまた心を揺るがせる。
重要任務放棄、拘束連行中に逃亡を図り…銃殺。
頭の中で反響する言葉。
もっと他にやりようがあったのではないか?
疑問は上層部にも向く。
仮にも相手は議長の令嬢ではないか!そうだ、議長にしたって我が子を手にかけるなどと…!
兵士の裏切りは死に値するのだと厳格な議長は自らを以って証明したのだろう。
だとしても冷酷に過ぎると思うのは自分の甘さゆえか、とイザークはぼんやりと思う。
手にしたものがぽろぽろと零れ落ちていく。
…心を許した仲間たちがひとりまたひとりと周囲から消えていく中で、愛していた、そして今でも愛している少女さえも失われた。
置いていかないでね。
そう言った癖に―――――何故。
置いていかれたのは自分だ。
何故今更認めることができるだろう、取り残される…それが耐え難い孤独を自分に強いるということを。
それでも振り返ってはならないのか、前を見て進むしかないのか?
涙が溢れる。
幸せ、という感覚を味わってしまったからこそなお辛さが増すのなら。
いっそ知らなかったほうがマシだった。
やるせない感情をどこに向ければいいのかもわからずに、このヴェサリウス、アスランが長い時間を過ごしたこの艦に彼女の残り香を辿る。
結局辿り着いた艦尾の眺望室でP.L.A.N.T.を眺めていた。
砂時計に例えられるP.L.A.N.T.の群れはいつ見ても壮観で綺麗で、虚空にぽっかりと浮かぶ儚い夢のようだ。
見て、P.L.A.N.T.が綺麗なの。
そう言ったのはアスラン。
これが自分達が守るもの、その筈なのに、何故…。
ガラスを殴りつければ、ただ拳の痛みだけが残る。
「…ちっくしょうッ!!」
涙が伝い落ちる。
喚いた瞬間、ふと人の気配がして、慌ててイザークは涙を拭う。
漆黒の闇を映す窓ガラス越しに少女の姿が見えた。
怯えきったこのナチュラルは、常に小動物のように辺りを伺い、周囲の人間の一挙一動さえに注意を払っている。
目を転じてイザークは敢えてその存在を無視した。
そろそろと躊躇いがちにフレイ・アルスターというナチュラルの少女が展望室の片隅に進む。
隊長は情婦をどこまでも連れ回す気らしい、馬鹿馬鹿しい。
不意に声を掛けられた。
「つらい…の?アスランが殺されたから…?」
躊躇いを含んだ声だった。
こんなナチュラルの女にまで同情されるのか、俺は?
イザークは睨む。
びくっとまた彼女は怯えたような色を浮かべて微かに震えを見せた。
「―――――貴様には、俺たちが感情のない化け物にでも見えるのか」
お前たちナチュラルは、俺たちが持つ愛おしいと、守りたいという感情さえも否定するのか?
コーディネイターであるがゆえに?
「そんなこと、…」
考えをずばり言われたのだろう、フレイ・アルスターは口ごもる。
「でも…クルーゼ隊長が、自分たちも生身の人間だからって…最初から兵士だったわけじゃないからって。
そうでなくてもアスランのことをイザーク・ジュールが知ったらさぞショックだろうって…」
全て知っていた、そしてきっと緘口令まで敷いてあの時まで敢えて言わなかったのだ、クルーゼ隊長は。
既に芽生えていた不信感がさらに増大する、憎しみさえ伴って。
イザークは窓ガラスに額をつけて、ふふ、と口許を歪める。
「…ああ、全くその通りだ。多少まともなことを言うじゃないか、あの隊長は!」
この憎しみを、憤怒をどこにもっていけばいい?
クライン派か?彼女を撃ち殺した同胞の兵士か?それとも目の前のナチュラルであるこの女にか?
「でも、でも―――――そのアスラン・ザラもあなたも大勢のナチュラルを手に掛けたんでしょ」
震える声でフレイ・アルスターが言う。
「だから何だ?自業自得だとでも言いたいのか?」
「そうよ!地球でたくさんの人を殺したじゃない!コーディネイターは!あなたたちは!」
この俺に噛み付いてくるその勇気は買ってやる、とイザークは冷ややかに眺めやる。
「馬鹿が。そもそもユニウス・セブンを仕掛けてきたのはナチュラルだぞ。あれで一般市民が24万以上死んだ」
そしてアスランは母を失った―――――彼女の声にならない嗚咽も零れ落ちる涙も自分は鮮明に覚えている。
自分がそもそも士官学校に入ったきっかけは虐殺を行ったナチュラルへの憤りと、彼女の涙に報いたいという思いだった。
言葉に詰まり、それでも勇気を振り絞るように懸命にフレイは言い募る。
「で、でも私のパパは!軍人じゃなかった!なのに…あなたたちに殺されたの!私、アークエンジェルに乗っててそれを見たのよ!」
涙する少女、しかし足つきの名に視線が自然鋭くなる。
「アークエンジェルだと?」
「宇宙からアークエンジェルをずっと追いかけてきたの、あなたたちだったじゃない…!だから、だから…ッ!!」
「だからなんだ?俺たちが憎いか?アスランが死んで嬉しいか?」
焦れて声が荒くなる。
愛するものを殺された、だからその苦しみをお前たちも味わえと言うのか?
「違う…違う!でも!キラも…キラもいなくなっちゃったのよ!あなたたちと戦って!」
激したような少女に軍服の胸元を掴まれるが、キラ?とイザークはただ眉間を潜める。
「ストライクでいつも1人で戦ってて…可哀想なキラ、守る為に戦って、でも何も守れなくて、いつも泣いてて、淋しがりやで…!!
私、あの子をすごく傷つけた…だから謝ろうと思ってたのに!なのにいなくなっちゃったのッ!!」
あのストライクのパイロットの名前をここで聞くことになるとは。
キラ、そういう名前だったのか。
ストライクを討ったわ。
ニコルの仇を討ち、疲れきって青ざめたアスランの言葉が蘇り、眼前の少女の潤んだ眼差しとともに心をちくちくと刺す。
「だから…だから…!…報いなのよッ!!殺したから殺されたのよ、…当然でしょッ!?」
イザークの面からふっと血の気が引く。
当然?
自分は、自分たちはそうやって連鎖していくのか?この世界は?
「戦って戦って、そして死ぬの…みんな、みんなバカみたいじゃないッ!」
イザークは思わず両手をその震える肩に伸ばしかけて、その手をぐっと押し止める。
「…もう黙れッ!」
イザークは怒鳴る。
びくっと少女は黙り込んだが、嗚咽だけが響く。
「イザーク!?どうしました!?」
シホの声に、ほっとイザークは肩の力を抜いてフレイを引き剥がす。
所詮力ないナチュラルの女だ。
「わけがわからんことを喚いて困っていた。…連れて行け、シホ」
そのまま紅の少女を押しやれば、慣性でシホの方へと流れていく。
「はい。…来なさい」
受け止めたシホが連行していく。
ナチュラルの少女が流した涙はふわふわと小さな雫となって、いくつも宙に浮かんでいた。
うざったい、とイザークは手の甲でそれを払う。
ストライクでいつも1人で戦ってて…可哀想なキラ、守る為に戦ってでも何も守れなくて、いつも泣いてて、淋しがりやで…
自分のこの喪失感とあの女の悲しみは、もしかしたら同じものなのかもしれない。
ずるずると壁に凭れるようにイザークは座り込んで、自分の眼差しから零れて宙にふわふわと舞う雫を眺めていた。