「ねぇねぇ知ってる?
              理科室にね、人間の指がホルマリン漬けされてるんだって!」

          つかの間の昼休み、匡子きょうこの そんな一言に 場は凍りついた。
          春の柔らかな陽差しを思う存分 浴びることができる屋上に いるのに、
          空は陰り、どこからか冷たい風が吹きつける。


          いきなり何を言うんだろうか、この子は。
          しかも、どう考えても ホラー系の話題なのに、
          まるで それを楽しんでるみたいに 目が輝きを放っているのが信じられない。


          ……いや、もしかしなくても この子、ホントに楽しんでるんじゃ……。


             「そんな話、どこで聞いたのよ」

             「図書室だよ♪ 学校の七不思議に詳しい子に聞いたの」

          七不思議に詳しい って……。 物好きもいるモンだなぁ。
          というか、そんなのが うちの学校にあるなんて初耳なんだけど。
          どこの学校にもあるものねぇ。

          うちの学校は他校に比べ そんなに歴史がある方じゃないから、
          そういう怪談モノとは無縁だと思ってた。
          校舎も壁とかに所々 汚れが見られるくらいで、
          陽当たりも全体的な雰囲気も良好だし、古びた校舎によくある陰湿なイメージとは程遠い。
          どこに怪談の要素が あるのかってくらい。

          でも、理科室かぁ……。
          たしかに あそこは
―――――


             「たしかに理科室は、校内謎所めいしょベスト5に入るくらい キナ臭いトコだわな」

             「あ、藤沢ふじさわ先輩」

          4時間目が終わるなり 売店行ってくる って城ヶ崎じょうがさきくんと教室を飛び出してったはずなのに、
          その手にげてるのは どう見ても コンビニのビニール袋。
          透けて見える中身は、どう考えても売店じゃ売ってない カップラーメン(お湯入り)……。
          遅れてやってきた城ヶ崎くんの口にも、すでに コンビニのものだろう焼きそばパンが。

          まーた この人たち、学校抜けだしたな。


             「兄ちゃん、理科室が キナコ臭いってどういうこと〜!?
              誰かがこっそり キナコ餅 作って食べてるの!?」

             「……匡子、“ キナコ臭い ” じゃなくて “ キナ臭い ” 。
              なんとなく怪しい って意味だよ」

          私がそう解説すると、匡子は な〜んだ…… と残念そうに息を吐いた。
          この子は一体、理科室を何する所だと思ってるんだろ……。


             「
――― で、なんで理科室が怪しいんだ?」

          くわえていた焼きそばパンを早くも胃に収めた城ヶ崎くんの問いかけに、
          ニヤリと笑みを浮かべる先輩。


             「剛、お前、席外しといた方が良いんでね?」

             「へ? なんで?」

          先輩の言葉に驚いて疑問符を浮かべる城ヶ崎くん。
          なんで いきなりそんなこと言うんだろ。
          城ヶ崎くんが聞いちゃいけないような話……なのかな?
          でも、それって一体どんな話?


             「ま、どーしても ってンなら、無理に退場させねェけど。
              
――― 一応、忠告はしたよん?」

          言って先輩は スッと目を閉じ、腕組みしたままフェンスに その長身をもたれ掛けさせた。

          その時、まるで今から始まる先輩の話に耳を傾けようとするかのように風が消えた。
          私たち以外 誰もいない屋上に静寂が満ちる。
          それを確認したのか、少し間を置いてから 先輩は口を開いた。


             「これは、図書委員じゃねェが オレの友達ダチから聞いた話だ。
              確証があるわけじゃない。
              だが、どうも フィクションって感じでもないらしくてな。
              ……寧ろオレは、これは実際に起きた事件だと思うんよ」

             「事件……ですか?」

             「ああ。
              それは、新学期が始まって間もない、ちょうど今頃のことだ。
              当時の校則は 今より だいぶ厳しかったらしくてな、
              違反者を見つけ次第 容赦なく刑罰を科すシステムだった。
              特に、遅刻者に対しては極刑クラスの そりゃァもう ヒドイ刑に処す決まりだったみてェで、
              その日、不幸にも1限目の授業に遅れた ある少女がその犠牲になった。

              ……あ、ついでに補足しとくと、
              当時の校則上、刑罰はその違反が行われた現場責任者
――― つまり、
              HRホームルームや特別活動で起こった違反ならクラス担任が、部活なら顧問が、
              授業でなら教科担任が罰を与えるってモンなんよ」

             「じゃあ、その時は 教科担任が女の子を処罰したんだね〜」

             「そゆこと♪
              だがな、少女の場合は遅刻したことだけが不幸に留まらんかった。
              罰は各教科担任によって十人十色なわけだが、少女が遅れたのは 『 生物 』 の授業……。
              しかも、処罰された生徒の多くが その日を境に登校拒否すると恐れられる男が受け持ってたわけ」

          うわぁ……。
          私だったら、絶対 罰受けになんか行かないな。
          処罰される前に登校拒否したほうが マシ。


             「と、は引きこもりを選んだっぽいが、少女はエライねぇ。
              恐怖をグッとこらえて、放課後、ちゃんと罰を受けに理科室を訪れました」

          ふん!
          どーせ私は意気地いくじナシですよ!

          っていうか、なんで先輩、私の心 読めてるの!?


             「扉を開けた途端、果物か何かが腐ったような異臭がしたそうだ。
              見ると そこには授業じゃ扱ったことがないような薬品や昆虫の死骸しがいがあって、
              教師の手には、一目で危険だと判る
              泥色に赤みが差した奇妙な液体の入ったフラスコが握られていた。
              異様な光景に恐怖を覚えた少女は後ずさり逃げようとしたが、
              手が古びた扉に触れ、ガタッと音を立ててしまった。
              物音に ゆっくりと振り向いた教師は、
              立ちすくむ少女を見とめるなり不気味に笑い、こう言うわけよ。

              
“これでやっと実験ができる”―――ってな」



 

     

             ドガッ!!! ダッ タッタン……




             「何!?」

          突然、何かが倒れる音が静寂を切り裂いた。
          音のした方に振り返ると、そこにあったのは 横倒しになった消化バケツと
―――――


             「焼きそばパンの袋……?」

          辺りに吹き乱れていた風がんだ先には、
          いつの間にか開いたままになっている出入り口の扉が びた音を空むなしく響かせていた。


             「だから言ったンに」

          溜め息まじりにあきれた表情をしてみせる先輩の その一言が、全てを物語っていた。









  

 

 

 

 

             「なぁ…… マジで行くの?」

          城ヶ崎くんが気弱な声でいてくる。


          喧騒けんそうの消えた、放課後の第2校舎。
          ここは、北に本館、南に第3校舎がそびえているから 全く陽が当たらない。
          そのせいか 理科室前の廊下は まだ日も落ちきってないのに薄暗くて、なんだか不気味。
          それに輪をかけて 先輩が「キナ臭い」とか言うから陰気さも上々。

          ハァ…… やっぱり帰ればよかった。
          今更 後悔しても遅いけど。


             「そう言えば匡子、先生に入室許可とったの?」

             「ふえ? とってないよ〜」

             「じっ……じゃあ入れねーじゃん! 探検は また今度だなっ!
              そんじゃ、俺は これで
―――――

          逃走をはかった城ヶ崎くんの首根っこを、パッと捕まえる先輩。


             「まーまー そうあせンなって。
              
――― ごうクン、コレ な〜んだ?」

          言って、左手の握り拳を城ヶ崎くんの目の前に突き出す先輩。
          疑問符を浮かべる彼に 先輩はニヤリと意味深な笑みを ひとつ、
          その拳をほどくと
―――――


             「
―――!」

             「先輩、それ……」

          中から出てきたのは、銀色に光る小さな鍵。
          しかも、ただの鍵じゃない。

          赤いタグに “ 理科室 ” と太字で書かれた、正真正銘しょうしんしょうめい 理科室のためだけにある鍵。


          驚く私たちに、得意げに鼻を鳴らす先輩。


             「寝込みを襲ったら、簡単に奪えました♪」

             「そういう誤解を生むような発言は控えてください」

          何はともあれ、これで理科室には難無く入れるわけか。
          先輩が理科担当のどの先生から鍵を拝借したのか分からないけど、
          持ち主に見つかったら ヤバイことだけは確か。
          どっちにしても危険ね……。

          なら、真相をやぶの中に放置しておくよりは、この目で確かめて捕まった方がいい。
          きっとみんなも そう思って
―――――


             「よーぅし! そンじゃ ま、七不思議探検といきますか♪」

             「オ〜♪」

          ……るか どうかは さておき、
          藤沢兄妹を筆頭に、私たちは理科室探検にり出したのです。




          廊下にさえ陽が当たらないわけだから
          当然 室内も薄暗い闇に包まれているわけで、足元も はっきりとは見えない。
          ギッ ギッ と不気味にきしむ床の音だけを頼りに進んでいく。

          窓に下がるブラインドからかすかに漏れる光。
          それがガラス器具やモーターのうねる水槽を照らし出すそばにまで足を進めてから、
          先頭を歩いていた先輩が急に立ち止まった。


             「そういやァ 例のホルマリンの場所、分かってンの?」

             「えとね〜…… たしか、準備室の棚に
              他のホルマリン漬けと一緒に保存されてるって聞いたよ〜」

             「準備室……」

          先輩の言葉が途切れる。

          これは マズい。
          準備室は たしかに理科室の中にあるけど、
          持ち出しが禁じられているような危ない薬品が収納されてるからって、
          入るには、理科室用とは また別の鍵が必要になるんだっけ。


             「ヤバイな。 準備室の鍵つーと、セキュリティー掛けてあンのよ。
              さすがにオレもIDカードや暗証番号までは知らねェわ」

             「え〜っ…… じゃあ、入れないの??」

          落ち着き無く 両手をバタつかせる匡子。
          こうなると、おもちゃ売り場で駄々だだをこねる子どもより粘り強かったりするんだよね。

          そんな妹をしかるでもなく 見放すでもなく、
          必ず先輩は 一度  “ 考える ” ということをする。
          そういうところは さすが長男 って思うけど、今回はダメですって 先輩。
          いくら考えたって、解ける問題と解けない問題がある。




             「
――― いや、1つだけ方法があるよん」

          と、いきなり体勢を低くして その場に しゃがみこむ先輩。
          そのまま 板張りの床を右手で コンコン打ち鳴らす。


             「……何してるんですか、先輩」

             「いや……ね、ちょっと探しモン」

          言いながらも先輩は、匍匐前進ほふくぜんしんで移動しながら床にノックを続ける。


             コンコン…… コンコン……
             コンコン…… コンコン……  
――― カッカッ……


          ……ん? 音が変わった。
          これって、もしかして
―――――


             「あった あった♪
              
――― ンしょ……っとォ」

          ベキベキと床板をぐような音がしたと思ったら、
          足元から土埃のカビ臭いニオイが漂ってきた。
          思わず制服のそでで鼻をかばう。

          でも、これで はっきりとした。
          先輩の言ってた “ 方法 ” ってヤツが。


             「地下道……ですか」

             「御名答〜♪
              4年前に ひと夏の思い出として造ったのが、まさか こんなトコで役立つたァな。
              備えあればうれいなしとは、まさに このコトだな!」

          どーでもいいけど、“ ひと夏の思い出 ” って一体……。
          訊きたいような、えて訊かない方がいいような。


             「ンじゃま、早いとこ潜入といこうじゃァないの。
              明かりなんざ一切無ェから。 足元 気をつけて降りなさいよん」

          そう言うと先輩は、慣れた様子で床下の梯子はしごで地下にもぐっていった。
          それを追うように、匡子も降りていく。
          私も、行かなきゃダメ……かな?
          見るからに、即席で作られた感 満点の頼りない梯子なんだけど……。


             『! 剛ー! 早く降りてこいよー!』

          ……行くっきゃない、か……。

          ひとつ息を吐いてから穴の開いた床に足を踏み出した その時、後ろから誰かに腕を掴まれた。
          “誰かに”って言っても、ここには私と城ヶ崎くん しかいないんだけど。

          振り返って城ヶ崎くんの方を見やると、彼は顔をうつむけ 立ってた。
          堅く結んだ唇。 そして、小刻みに震える手……。

 



          屋上から教室に向かう途中、先輩が言ってた。

          “ 剛は、怖いのが苦手なんだ ” って
―――――

          お化け屋敷や ミステリースポットは もちろん、墓地にも行きたがらないって。
          そのせいで実のお母さんの お葬式にも出られなかったし、
          お墓参りにも行けてないんだって。

 



             「
――― 帰るなら、今だよ」

 


          震える城ヶ崎くんを見て、私は無意識に そんなことを言っていた。

          突き放すための言葉に聞こえたのかもしれない。
          それを言った途端、彼の震えが止まった。


             「怖いんでしょ? だったら、無理して私たちに付き合うことないよ。
              大丈夫。 先輩と匡子には うまく誤魔化ごまかしとくから」

             「…………」

          無言で解ける手。
          私の腕を離した力無い手は、落ちた肩からブラリと地に下ろされた。


             「でも、逃げてるだけじゃ 道はひらけないんじゃない?」

          私の言葉に驚いたように顔を上げる城ヶ崎くん。
          そんな彼に微笑みかけてみる。


             「誰かを恐怖から解放することなんて、私にはできないよ。
              でも、開拓に必要なのが ほんのちょっとの勇気と好奇心なら、
              手をつないで一緒に歩くことくらいは協力できる」

          言って、城ヶ崎くんの眼前に手を差し出す。
          昔、アノヒトが私に そうしたように……。



          それは、ほんの1歩にすぎないかもしれない。
          でも、踏み出した その1歩は、いずれ全てに繋がっていく。

          ヒトは みんな、そうして世界を広げていく力を持っているんだよ。




          グッと私の手を取り 握り返す その上
―――――
          そこには、本来 彼が持つべき力強い笑顔があった。