6月―――――

          清々すがすがしい初夏の風が、教室のカーテンを小さく揺らす。
          それに音楽でも乗せるかのように、若葉が優雅に踊る。

          穏やかな朝。
          いつもと変わらない学校。


          
――― そう。

          5月の終わり……
          あんな衝撃的な事実を知っても、私たちの日常は変わらない。
          日々は 止まることなく進み続けている。



          今井 桃也とうやに弟がいた。

          そして、今井 桃也が校内で姿を消す直前に
          彼と会話する新入生らしき人物が目撃されていた。

          いずれも、私たちが知りえなかったもの。
          それに、目撃された人物の特徴が城ヶ崎じょうがさきくんと合致するなんて……。

          でも、城ヶ崎くんは あの場で はっきり否定した。
          会ってない。 知らない って。


          今井 桃也の弟・龍紀たつきくんは、
          城ヶ崎くんが この失踪しっそう事件に関与してるって決めつけてる感じだった。
          風紀委員長を名乗る彼のことだから、
          あらゆる校則を破り続けてきた問題児である城ヶ崎くんに白羽の矢を立てたのかもしれない。

          だって、“ 小柄こがらで、髪をあわい茶に染めた、当時の新入生らしき男子生徒 ” なんて
          城ヶ崎くん以外にも該当者が出てきそうじゃない。
          “ 小柄 ” の基準も、“ 新入生らしき ” っていうのも曖昧あいまいだし。


          それに、加えて 龍紀くんが目撃された人物の特徴
―――――
          えっと…… “ 占いが得意 ” だっけ?
          それを聞いた時、城ヶ崎くん、なんだか驚いた顔して何かをつぶやいてた。
          小声だったから はっきりとは聞こえなかったけど。
          そしたら いきなり どっか行っちゃって……。

          話を聞こうとした次の日、珍しく城ヶ崎くんは欠席だった。
          遅刻はしても学校を休むなんて珍しい って神崎かんざき先生も言ってた。

          匡子きょうこと相談して彼の家に行こうとしたんだけど、藤沢ふじさわ先輩が それを止めた。
          信じて待ってやれ って
―――――



          そして、待った結果の今日。
          城ヶ崎くんは、何事も無かったように ケロッとした顔で登校してきた。
          相変わらず授業には遅れて来て、
          また校門前で待ち構えてたんだろう龍紀くんにつかまった様子で。


          何も 変わらない。

          何1つ変わらない朝。
          何1つ違わない笑顔……。

          席に座るなり 現代文の教科書だけ出して
          寝入ってしまった彼を起こすなんてこと、私には できなかった。




             「
――― と いうわけで、この第3段落は第1段落の問いに対する答えになるんですね。
              それぞれ どの文が どこに対応しているか分かりましたね?
              それじゃ まだ少し時間が あるので、次の第4段落のところ 読んでもらうわね。
              えーっと、それじゃあ まず…… ん〜 さんからね」

             
「……はぃ!?」

          いきなりの指名に驚いて飛び上がる声。
          慌てて口を手で押さえたけど、それは しっかり先生の耳に届いてしまったみたい。
          教卓の上、ちょっと化粧っ気の ありすぎる顔をいぶかしげにゆがめてみせる先生。


             「ちゃんと話 聞いててね?
              第4段落のところ 読んで……って あなた、教科書も机の上に出てないわね」

          あちゃぁ…… 持ってないのバレちゃった。
          ロッカーに置いといたはずなんだけど、今朝 見たら無くなってて
―――――
          とか、今 この場で言いわけしても 仕方ないしなぁ。


             「す……すいません!
              あの……隣の人に借ります!」

          指示されるよりも先に手を伸ばす。
          右隣
――― 朝から気持ち良さそうな寝息を立てて眠る
          城ヶ崎くんの机に置かれた教科書に。





          フゥ…… なんとか乗り切った。

          前の席に座る子にバトンタッチすると同時に吐き出した達成感が、
          そのまま ガクリと上体を教科書ごと机に伏せさせた。


          音読って 苦手……。
          自分の言葉じゃない 誰かの思想や物語を読まなきゃいけないから。
          いくら声に出しても、それは自分じゃない。
          自分じゃない他の誰かが考えたものを、
          まるで自分のことのように声に出すなんて、なんか傲慢ごうまん

          そう思ったら、なんとなく、
          自分が誰かの書いたものを読むなんて おかしいって思い始めるようになった。
          そう思いだしたら、本を読む気には なれなくなった。
          私が普段、授業以外で読書しない理由の1つ。

          ……自分でも ヒネクレテルって思うんだけどね。
          1度 自分の中で そうだ と決めつけてしまったことって、なかなか崩せない。



          しばらく ぼーっと うつ伏せに寝そべっていると、
          視界の端に ヒラヒラと動くものが映りこんできた。

          ぼんやり 右に顔を動かすと、
          さっきまで寝ていたはずの城ヶ崎くんが小さく手を振っている。


          あ…… 教科書
――――


          すっかり 枕代わりにしていた教科書が
          城ヶ崎くんの物だったことを、そこで ようやく思い出した。

          慌てて起き上がり、
          さっき読んでたページが開いたままになってしまった教科書を差し出そうとするけど……


             「先生ー、教科書 1つしかないから さんと一緒に見てもいい?」


          えっ……!?


          返しそびれた教科書が、手から机の上に コトンと転げ落ちる。
          それを拾い上げたのは、笑顔と共に机を寄せてきた城ヶ崎くんだった。


             「おはよ」

          そう 教科書を隣り合った私の机との間に置きながら小声で話しかけてくる城ヶ崎くん。
          どう対して良いのか分からず、私はうつむいたまま 小さくうなずき返した。

          さっきまで よりも もっと近い距離で、スッと息の抜ける音。
          その直後、音読する誰かの声が鮮明さを増した。



          不思議な感じだった。


          こうして城ヶ崎くんと肩を並べることは いくつもあった。
          昼食の時とか、帰り道とか。
          でも、そういう時は 決まって いつも何かしゃべってて……。


          ……変わらない。
          何1つ、私たちは変わってないはず。

          でも、たった1日が、
          それまで なんの躊躇ためらいも無く続いていた関係を ぎこちなくさせている。

          みんなに対して そう感じるわけじゃない。
          たとえ何日 会わない日があっても、匡子との仲が こんなふうになることはない。
          藤沢先輩にしたって そう。
          ブランクによる距離なんて感じたことはない。


          本が嫌いなわけじゃない。
          私は、それを “ 読む ” のに抵抗を覚えるだけ。

          これも……多分 同じ。

          城ヶ崎くんと接するのが難しいわけじゃない。
          私は、それを “ 怖い ” と思いこんでいるだけ。

          ポッカリ空いた たった1日のブランクを無かったことにするくらい、
          気楽に彼を迎え入れることができないだけ……。




             トントントン




          リズミカルに小さな音が跳ねる。
          その 机を叩いているらしい音に目を向けると、
          城ヶ崎くんが 右手の人差し指を下に向けて 何かを示している。
          目線で その先を たどると……

          現代文の教科書……。

          その誰かが書いた思想の上
――― 空白スペースに、
          小さく “ ごめん ” と書き出してあった。
          その下には、 “ 心配かけて ごめん ” の文字。

          それを見た瞬間、私は 自分で自分が恥かしくなった。


          私が城ヶ崎くんに感じていたもの
―――――
          それを彷彿ほうふつさせる言葉なんて、そこには存在しなかった。
          私が勝手に感じて、勝手に抱いていたもの。
          勝手に思って、一方的に距離を置こうとしていた。

          “ 怖い ” と思っていたのは自分だけ。
          城ヶ崎くんは何も変わってない。
          あくまで彼は、 “ 彼 ” のまま ここにいる。



          目の前の彼は、少し悲しそうな表情だった。

          ……ううん。 違う。

          悲しいんじゃない。
          不安……なんだ。

          彼は 気づいている。
          私が、今までとは違う位置から彼を見てることに。
          心理が どうとかじゃない。
          そういうの……なんとなくだけど分かるんだよ。 ヒトっていうのは。
          意識なんかしてなくても、心のどこかで 自分の評価を気にしてるから。


          城ヶ崎くんの勇気を、無駄にしたくない
―――――


          胸の奥底で強い光を感じたと同時に、私の手は水色のシャーペンを握っていた。

          教科書に刻まれた思い。
          その隣に書いたのは、たった一言……




             “ 友達! ”




          友達だから、怖くなる。
          何でも疑ってしまいたくなる。

          でも、ほんのちょっとの変化で揺らいだ心は、
          ほんのちょっとの勇気によって また持ち直すことができる。

          そうやって誰かを信じたり疑ったりして不安定でいるから、
          私は また誰かを信じることができるんだ。


          真実が どうあれ、私と城ヶ崎くんは友達
―――――
          それで じゅうぶんじゃない。



          今日 初めて まともに映した城ヶ崎くんの顔は、
          驚いたような…… はにかんだような……

          ……ちょっと、照れくさそうだった。










          放課後
―――――

          城ヶ崎くんに呼び出された私たちは、私たちの他 誰もいない屋上に立っていた。

          目の前には、フェンスを背にして立つ城ヶ崎くん。

          話したいことがある と切り出された昼休みの時点で、内容は大体 想像できた。
          それは多分、隣にいる藤沢先輩や匡子も同じ。
          だから みんな、誰も何も言わない。


          いつになく真剣な表情で俯いていた城ヶ崎くんの顔が、ゆっくり上がる。


             「……いきなり呼び出して ごめん。
              話そうか迷ってたんだけどさ、俺……信じたいから」

          城ヶ崎くんと目が合う。
          優しげに細められた それに、静かに頷き返す。


             「この前の
――― 今井 桃也って人のことだけど、
              ……思い当たるヤツがいるんだ」

          その瞬間、先輩の眼光がするどさを増した。
          それにいち早く気づいた匡子が、なだめるように先輩の腕をとる。


             「でも、はっきり そうだ って言える自信も無いし……。
              だから昨日、直接 会って話そうとしたんだけど、
              ……アイツ、ここ2週間 家に帰ってねーんだ」

          えっ
―――――
          それって……

             「手がかりが消えたってことか!?」

          私が口にするよりも早く身を乗り出したのは、先輩だった。

          今井 桃也が消える直前に言葉を交わしていた人物。
          もしかしたら、彼の失踪に何らかの かたちで関与してるかもしれない たった1人の人物。
          2年経って ようやく見つけた、唯一の糸口だったのに……。


          みんなの落胆ぶりに、再び俯く城ヶ崎くん。
          そんな空気が いたたまれなくなって、


             「他に連絡手段とか無いのかな? ほら、ケータイとか」

          言ったあとで後悔する。

          思い当たる人物の家にまで行ったのに、他の手段を試さなかったはず 無いじゃない。
          それに、ケータイなんて常識よね。
          メールとか電話とか繋がるんなら、もう とっくに連絡してるよ。
          それが できないから困ってるのに……。

          城ヶ崎くんを軽視するような言葉を平然と口にした自分に嫌気が差して、
          慌てて笑いで誤魔化したけど……

          これが、意外にも場の空気をゴロリと変えてしまったのです。


             「ケータイ……?」

          ぼんやりと言葉を反芻はんすうさせる城ヶ崎くん。
          そう 意識をますかのように黙って立っていた彼が
          水に打たれた葉のように確信めいた反応を返したのは、それから しばらく経ってのことだった。


             「そうだ! アイツ、ケータイ持ってんだ!」

          衝撃の事実が浮きりになった。
          並んで立つ私たちには、あまりに大きすぎる衝撃……。


          沈黙の中で1人、あたふたと うろたえている様子の城ヶ崎くん。

          ……なんか、軽視するようで悪いんですが……

          
あなた昨日1日、何してたんですか?


             「ごう、おまッ……
              ホシの不在確認して ハイ終わり〜 で片付けンな!
             直接 会って話せねェなら、他の手段 考えろッ!
             捜す気 あンのかコラァァァッ!!!」


             「ハァ!? あるから 捜してんだろ!
             あるから ガッコ休んでまで捜したんだ!」


             
「自分が どンだけ時間の無駄遣いしてンのか理解できねェのか テメェはッ!?
          どうせ また家でゲームしてたンだろ!
          問題児から引きこもりヒッキー昇華しょうかか!? あァ?」

             
「なんだよ “ ヒッキー ” って!? 言い方が古すぎんだろッ」


          そのまま どちらからとなく掴みかかって、近距離での口論に発展。
          このまま放っといたら警察沙汰ざたにも なりかねない険悪な雰囲気……。

          そう 止めに入ろうとした私の腕は逆に、匡子によって制された。
          驚いて見やった匡子の顔は何故か穏やかで、 何故か、とても清々しかった。


             「兄ちゃんが ゴーとケンカする時って、
              モモにいとケンカしてた時と似てる気がするんだよね〜」

             「似てる……?」

             「うん。 だって、ほら
―――――

          匡子が そう指さす先にあるのは、先輩と城ヶ崎くん。
          見てるだけで危なげな感じで ヒヤヒヤするけど……


          ……………………


          言われてみれば、そうかも しれない。



          先輩と あの人のケンカは日常茶飯事にちじょうさはんじだった。

          そう
――― ほんと、今みたいに。
          怖くて ヒヤヒヤする。


          だけど、なんでかな。
          あれだけ激しいケンカになったのに、ケンカした後は必ず いつも以上に仲良くなってる。

          まるで、何かを確認し終えたかのように。



          先輩は、私とじゃ あんな風にケンカしてくれない。
          あの人だって そうだった。
          私は本気で怒ってるのに、真面目に取り合ってくれない。
          それが年上の余裕ってやつなのかもしれないけど、私には それが不服だった。

          でも、今 考えたら、それで良かったんだって思う。
          だって、もし私が先輩と本気で言い合いになってたら、
          自分の中の気持ちを、あの2人みたいに素直に表わすことなんて できなかった。

          激しいケンカをして お互いに傷つけば、2度と元の関係に戻れなくなるかもしれない。
          そんな恐れが先行して、取りつくろったような作り物しか見せることができなかっただろうな。


          だから、私と あの人たちを繋ぐのに本気のケンカはらないんだって分かったんだ。

          ケンカは必要だからするんだね。
          必要なコミュニケーション手段なら、……たしかに匡子の言う通りだ。



          匡子に背を押され、それから私たち2人は静かに その場を立ち去った。