第2章 追われる青年  1

「ん…」

 目を覚ました瞬間、ルーチェは飛び起きた。視界に入ったのは、煤けた色の壁、あまり日の差し込んでいない窓、

そして青い顔をしたリヒトだった。

「ここ…」

 ルーチェは頭を抱えた。炎、遠のく意識の中で聞こえた銃声、剣の交わる音───昨夜の微かな記憶が

ルーチェの頭を駆け巡った。しかしそれによって余計に混乱する。

「ここはルモロッソの隣の町のはずれにある宿だよ」

 ひどくほっとした顔のリヒトに、ルーチェは掴みかかった。

「何で連れ出したのよ! 返して!」

 激情したルーチェを、リヒトは少し哀しげに見た。それからそっとルーチェの手を掴み、自分から離した。

「…ごめん、俺の責任だ。甘かったんだよ。ルーチェが俺の逃亡に加担したって間違われたんだ。それで、

ルーチェの家のあった場所や市場とかも、もうすでにたぶん張られていて…。戻れなくなっちゃったんだ。

本当に、ごめん。謝ってすむことじゃないってわかってる、けど…」

「…わからない、どういうことなの? だって、そんな……」

 更に混乱してきてしまい、ルーチェは言葉を失った。

「…だから、ルーチェはもうあそこには戻れないんだ。俺の責任だ。家も…本当に申し訳ない。謝ってすむことじゃない。

そうなんだ。謝っても何にもならない。でもルーチェ…」

「…にして」

 顔を俯かせたまま、冷たく言い放った。

「…一人に、して」

 一瞬何か言いたげな顔をしたが、それを飲み込むかのように口をつぐむとリヒトは黙って部屋を出ていった。それが、

彼なりの精一杯の気づかいだったのかもしれない。

 しんと静まり返った部屋で、ルーチェは一人考えていた。

(もう、家はない。それで…つまり、要約するともうあの町に帰れないってことなの? 私はこの十七年間、

あの町から出たことがない世間知らずの娘なのに?)

 それを考えた瞬間、ぞっとした。あの町の外に頼れるような場所はない。売ってお金に返れるような大層なものは

ほとんどない。しかも裁縫以外には才能がなく、力仕事もできない自分がすぐに職に就けるとは思えない。

職に就かなければお金は稼げない。お金が稼げなければ…のたれ死ぬだけだ。

(どう…しよう? どう…すれば……)

 ルーチェはハッとすると自分の鞄を探す。それは、ベットのすぐ横に置いてあった。

 今、気付いたのだ。家族の形見と言えるようなものは、いつも護身用に持ち歩いている短剣しかなかった。

 短剣があったことに安堵すると同時に、どっと悲しみが押し寄せる。大切にしていたものをあまりにも多く失った。

母の肖像画、妹が大切にしていた家にたった一つしかない人形、昔父が母に送り、父がいないときには母子で

読んでは笑っていた恋文…。数え上げたら、キリがない。

 再び、涙が溢れてきそうになる。

 駄目だ、泣くな自分! 必死で涙をこらえようとする。けれども無情にも涙は溢れ、溢れる。

 極端に泣くことを嫌うルーチェ。しかしこの時ばかりは泣かずにはいられなかった。

 それと同時に憎しみがこみ上げる。誰かに怒りをぶつけたい。誰かにこの苦しみを味わせてやりたい。

誰かにあたりちらしたい。ことの元凶であるやつに、この怒りを、苦しさを、もどかしさを。誰の、せいなのか。誰の責任なのか…。

『俺の責任だ』

 ふと、気になった。…どういうことなのだろう、と考える。つまり家をなくしたのはリヒトが原因だと言うのか。

あのあと自分は気を失ってしまっていて、気付いたらここだった。それまでの間に、何かあったのか…。

 わからない、とルーチェは苦しむ。頭を抱えて首を横に振った。リヒトのせいで? なぜ、彼のせいなのだ。何があったのだ。

 しかしそこで、一つの結論が出てくる。彼が自分の責任というのなら、きっとこれしかない。

 リヒトを追いかけていた人達がやったのか。

 だいたい、リヒトを追いかけている人は何なのか。リヒトが龍であることに関係しているのか。わからないことが多すぎた。

 しばらくぼーっと考えていると、「コンコン」と扉を叩く音が聞こえた。

「ルーチェ、あの、とりあえず食べるもの買ってきたんだけど…もう入っても、いい?」

 「うん、いいよ」と少し素っ気無くルーチェは言った。とりあえず今はリヒトに聞かなければ何もわからない。

「あの、ルーチェ、とりあえずこれ…パン、買ってきたけど……食べれそう?」

「うん、食べれる。ありがとう」

 リヒトは少し安堵の表情を浮かべると、ルーチェの寝ているベットの横の椅子に座った。そして袋からこぶしより

一回りほど大きいパンを二つだし、一つをルーチェに手渡した。少し温かい。焼きたてなのかもしれない。

 ルーチェは一口食べた。それに続いて、リヒトも食べる。

 そんなにも自分は空腹だったのだろうか、と思うほど食は進み、あっという間にパンはなくなった。

「あの…一個聞きたいんだけど、どういう経緯でここまで来たか、教えてもらえない?」

「あ、そういえば全然説明してなかったしな。何から説明すればいいんだろ……」

 リヒトは順々に説明していった。自分達龍が研究のために追いかけられていること、自分を追いかけているチームの

リーダーがソグノという人物であるということ、ソグノ達と戦いになったこと、辛うじて逃げたこと、何とかここに辿り着き身を隠したこと。

「…それで、あの時あいつらはルーチェを”見逃すわけにはいかない”って言ったんだ。……何でなのか、よくわからなかったけど」

 全てを聞き終わったとき、ルーチェの正直な感想は「何それ」、の一言だった。

 まず、リヒトが追いかけられていることが解せない。龍だから、という理由だけでなんでそんなにも苦労をしなければ

いけないのだろうか。研究、ただそのために? 龍達に人権(…いや、人じゃないけれども)、そういものは全くないのか。いくらなんでもひどすぎる。

 それともう一つ。「何で私が巻き込まれなきゃいけないの?」ということだ。リヒトが龍というだけで追いかけられていることは

可哀想だ。けれど、自分で言うのも難だが私のほうがとばっちりをくらって可哀想に思えてしまう。

 今までずっと自分は年のわりに苦労をしてきたと思う。けれど、弱音一つはかずに頑張ってきた。なのに、何だというのだ。

自分が何をしたと言うのだ。なぜ、こんなにつらい思いをし続けなければいけないのか。

 いつだってそうだ。寂しさに耐え、きつい労働にも耐え、学びたいと言う欲求に耐え、綺麗でお洒落な服を買いたいという

衝動に耐え、それでもいいことなんてほとんどなかった。

 なのに他の子は家に帰れば家族いて、働くことなんてなくて、学びたくなくても学べて、流行の服を着て、それでも更に幸福がある。

 理不尽だ。本当にこの世は理不尽だ。

 けれど、ここで自分の不幸を呪っていてもしかたない。時間を巻き戻すことなんて、できないのだから。

起きてしまったことはもうどうにもならないのだから。

 黙りこんでしまったルーチェの顔を、リヒトが心配げに覗き込んだ。

「ルーチェ、本当に、俺のせいでごめん」

「もう別にいいよ。気にしてないし。リヒトが悪いとは、思ってないから」

 たぶん、と心の中で付け足す。そう、普通に考えればそのソグノという人達が悪いのだ。リヒトは被害者。

 しかしなぜだろう。心の中でどす黒い感情が渦巻いている。

 自分でもわかる、この感情が何なのか。きっと昨日までとは正反対の感情。いくらそんなことない、と思ってもかきけすことができないモノ。

 ニクイ。

 

 

 

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