星 が 好 き な わ け

 

 

 

       

 

私が星を好きになったのにはワケがある。

小学5年生の時、学研の「科学」にあった「自作天体望遠鏡」の記事に興味を満持ち、

東京・神田の「科学教材社」へ一人で行って買った5cmシングルレンズを使い、

工作用紙を丸めて記事に忠実にその「へんてこな望遠鏡」を作った。

初めて見た「金星」の異様なカラフルな虹色の色彩に感動した。

虹色の原因は、安物のシングルレンズ色収差と、粗悪な工作精度にあった。

あの時の「金星」の黄色や緑色の光景は、今でもこの眼に焼きついている。

中学1年生の春、駅前の書店で天文ガイド誌を見つけた。

表紙を飾る写真は、写真レンズで撮った三日月であった。

暮れなずむ夕空にぽっかりと浮かんだ地球照を伴う三日月。

その何ともいえない情景に感動した。

普段見慣れた光景を写真で見た。

この目で見る夕暮れの三日月とは全く違った画像を目のあたりにした。

写真のなせる業である。

人の眼とカメラの眼の違い、

つまりフィルムの眼で見た夕暮れであった。

写真は、人の眼では見ることのできない世界を写しだすことができる。

これは私にとって大変な衝撃であった。

なぜなら、人の眼では認識できない「モノ」をフィルムは捕らえることができる。

フィルムは光を蓄積できるからだ。

人の眼はそれができない。

一瞬の光しか留めることができない。

その光を蓄積できる写真に嵌まった。

人の眼では、決して見ることができない世界を写し出す。

少年の心は好奇心で沸き立った。

当時、カラーフィルムは高価で中学生の小遣いでは無理があった。

白黒フィルムの代表であったフジネオパンSS(ASA100)、フジネオパンSSS(ASA200)

を家にあった「Fujica35」というレンジファインダーカメラに入れて撮った。

フィルム現像も自分でやった。引伸ばし機を買えなかったので焼付けは写真屋さんにお願いした。

私のむずかしい注文はなかなか理解してもらえなかった。

引伸ばし機を手に入れて焼き付けを始めたのは高校生になってからになる。

バイブルは、藤井 旭氏の「天体写真の撮り方」であった。

私の天体写真は、すべてこの本から始まっている。

ページを繰るたびに新世界を感じ取った。

今までに、こんな感動を受けたことが無かった。

高校生になって、Canon FTbを手に入れた。

直後に、高橋製作所の新機軸「5cm屈折赤道儀」を買ってもらえた。

これは、悲しきかな・・・学校の成績を餌にされての獲得であった。

続いて、Nikon7×50双眼鏡も獲得した。

物を餌に勉強させられたわけである。

少年は、機材欲しさに勉強した。成績は上がらなかったが、

「モノ」は獲得した・・・

なにはともあれ、「機材」は手に入った。

それからは、家の庭で晴れれば毎日のように星を見た。

初めての望遠鏡や双眼鏡、カメラである。

楽しめないわけが無い。

フィルムもSSSのASA200では不満で、もっと高感度のフィルムで撮影したくなった。

当時最高感度のコダックトライXや滲みに味のあるコダックXRAYを愛用した。

XRAYフィルムは、レントゲン専用フィルムのため、写真店で販売されていない。

電話帳で調べて専門店へ片っ端から問い合わせをした。

何度もお願いして、東京の立川にある専門店で分けていただいた。

粒子が粗いが、にじみのあるASA400相当の写りには感動した。

トライXのような綺麗な画像ではないが、描写が気に入っていた。

その後、コダック103aに手を出し、HU領域をモノクロで撮影した時は

天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。

まっ黒に見えるR64フィルターを通した露出時間は60分以上必要だが、

その画像は人の眼では絶対に見ることのできない世界が広がっていた。

大学生になって、法政天文研究会で流星観測を中心に活動した。

たくさんの仲間と毎月のように観測会に出かけたが、晴れた夜は少なかった。

1970年代の後半のことである。もう昔話になってしまった。

コダックテクニカルパンの水素増感が流行始めた頃は、

仕事中心の生活が始まり、星から離れていたので残念ながら経験が無い。

星を本格的に再開した時は、既にデジタルの世界に突入しており、

フィルムによる銀塩写真は終焉を迎えていた。

カメラメーカー各社がフィルムカメラの製造を相次いで中止したのだ。

あの、LEICAもデジカメM8を発表した。

最後の砦も崩れ落ちた。

もう、すっかり銀塩の時代は終わってしまった。

時代は変わった。

 

で、何で星が好きなのか。

 

夜空に瞬く星。

何光年も地球と隔たっている恒星や星雲。

1光年とは・・・

光が1年かかって到達する距離である。

例えば地球に一番近い恒星、ケンタウルス座のα星(αケンタウリ)は4.3光年、

有名な系外星雲のアンドロメダ大星雲は230万光年。

地球から光の速度でαケンタウリまで4年と少し、

アンドロメダ大星雲まで230万年もかかる。

今日、私たちが眼にする何千何万光年の星の光は、

何千何万年前にその天体から放たれた光であることになる。

私たちが、その光を見た時、

その天体は、その時点で存在していないかもしれない。

その光を放ってから、爆発して消滅しているかもしれないのだ。

その時空の隔たりを感じる者が

星に囚われる者になるのだと思う。

星に囚われて、40年ほどになる。

もう、抜け出せなくなった。

小学生の頃からずっと楽しくて仕方が無い。

いまだに、頭の中は「小学生」なのだ。

晴れた夕空のグラデーションを見るとワクワクしてくる。

これから、満天の星が現れてくるからだ。

星空シアターの開幕だ。

気が遠くなるほど広大な宇宙の真っ只中に自分が

存在していることを感じる。

この楽しみは、ライフワークになった。

留まることは無いだろう。

 

明日は、きっと晴れることを期待して!