
杵築市、日出町に広く伝承されている。
短編なので暗誦も容易であったと思われ、盆踊りではしばしば耳にしたが
平成22年現在、あまり口説かれなくなりつつあるようだ。
頃は元禄四年の昔 阿南清兵衛惟雪さんは 聞くも慕わし義侠の名主
※阿南清兵衛惟雪=読み:あなみせいべえこれゆき
義侠の名主=正義感に溢れた村役人
当時日出領八坂の村は 高は千石免六つなれば 上の運上極めて重く
※免六つ=六公四民。収穫の六割を年貢として納める。
農家立ち行き甚だ難儀 時に秋作不作の年は 家財道具を取り片付けて
子供年寄り引き連れ立ちて 長の年月生まれし里を 他国他領と見知らぬ空に
流浪するのが不憫さ故に 慈悲で義衛の清兵衛さんは 後の祟りも頓着せずに
※慈悲で義衛の=情けに篤く、正義感の強い
後の祟りも頓着せずに=後で自分がひどいめに遭うのも気にせずに
御領主様へと免下げ願う 時に名君俊長公は 江戸に参勤おわするからに
名主郡代呼び寄せられて 事の子細の吟味をなされ 郡代殿には切腹なされ
名主様には牢屋の噂 後にとかれて国へと帰り 御役はがれて尾羽打ち枯らし
※御役はがれて=罷免されて
尾羽打ち枯らし=落ちぶれて
移り百姓で徳野が原に 暮らす義人の艱難辛苦 よその見る目も哀れさ余る
※よその見る目も=他人が見ても
まして病の床にと就けど 医者も薬もままにはならぬ 誠こもれる妻子の看護
相も空しく痩せ衰えて 今はこうよと見えたる間際 我の亡骸 本儀寺埋けよ
※今は〜間際=今わの際に。臨終のときに。
遺書も細々往生遂げる これが元禄八年二月 十日余りの七日に当たる
※十日余りの七日=十七日
後の村人義人の徳を 永く忘れで伝えましょうや もしも忘れちゃそれこそすまぬ
※忘れで=忘れずに