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  小泉次大夫堀公園  

 (1) 民家園  

  (2) 唐箕(とうみ)

  (3) 葺き屋根

  (4) 土間

 (5) 囲炉裏

 

   

 

    

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   小泉次大夫堀公園・民家園・間取り

                                         < 民家園 

 

 

旧安藤家住宅主屋の土間です。 主屋(床面積100坪)、内倉(床面積10坪)はあろうかという当時としては規模の大きい造りとなります。

           (資料) 小泉次大夫堀公園・民家園から配布される <民具の名称> から

 

アクセス

小田急線 北見駅からなら歩いて20分、成城駅からなら15分。

小田急バス(成城学園前〜二子玉川駅)または(調布駅南口〜二子玉川駅)に乗り、次代夫堀公園前下車徒歩2分。

水の浄化施設
水を浄化するには、バクテリアに汚れを食べて(分解して)もらわねばなりません。それには、小石の詰まったところとか田んぼの中に水を流すことが考えられます。ここ
次大夫堀公園内でもこれと同じようなことが行われてます。北側を流れる野川から水をくみ上げ、浄化してからもとの野川に戻す仕組みになっています。

民家園
実際に水田をつくり、そこに江戸時代後期から明治・大正にかけての古民家と消防小屋、土蔵、納屋、などを他の場所から移し復元したのが民家園。昔の世田谷の農家の暮らしを再現したといってよいでしょう。

次大夫堀とは、江戸時代初頭、小泉次大夫の指導で開削された農業用水の別名とのことです。    

 

 

 

  小泉次大夫堀公園から民家園を臨みます。  この公園には、水の浄化施設としての田んぼがあり小川があります。

 

 

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

     古民家 代表的間取り

江戸時代後期 に建てられた 民家の代表的な間取りを紹介してます。 ドマ・ミソベヤは北側に位置し、ヘヤ・オクは南側に位置することなど、方位に対する間取りの在り方を再確認できます。 マンション住まいであったり、日当たりのよくない一軒家であれば、方位とか間取りのことなど考えようもありませんから。 

 

 画像は、旧加藤家カッテ奥からヒロマ方向を撮ってます。 このように、靴を脱いで上がり、座敷・縁側など様々な空間を体感できるようになってます。

 ドマ・・・炊事場として利用されていたが、農作業の場としても使われていた。  

カッテ・・・中央に囲炉裏があり、居間として使われていた。 

ヘヤ・・・タンスなどを置き、夫婦のプラベートルームとして使われていた。 

オク・・・床が設けられ、天上がはられ、接客の場として格式のある部屋として使われていた。

ヒロマ・・・冠婚葬祭のときなどにはオクとともに一続きの部屋として使われた。

ミソベヤ・・みそ・しょうゆ・つけものなどを貯える部屋として利用されるが、馬小屋として使われた例もある。

水屋・・・外庭で作業をする際の道具(足踏み脱穀機・お茶の葉を煎るホイロ・米の選別をする千石通し)などを置く場として使われていた。

 

また、三世代が同居するということから考えれば、オクは年寄りの寝室に、ヒロマは子供たち寝室に、ヘヤは夫婦のプライベートな部屋として使われていたと考えられます。

 左の画像が外観になります。  南東方向から撮ってます。

 

 

 

     土間にある 「流し」

民家の食生活には水は欠かせないものであるが、それとともにそこで用いる流しもまた欠かせないものであった。 流しを古くはミンギャ(水屋)、ハシリ(走り)、スイバン(水盤)などというが、各地でその名称が異なるように流しの形式にも様々あり、時代とともに必要に応じて換わっていったといわれる。

このように、流しの事例を見れば分かるように、民家における炊事・調理の場所は(現代のように一定の場所に限らず)環境に応じて適当な場所を選んでいったことが分かる。このことは、民家のつくりとも深く関っている。

      (資料) 生田緑地・日本民家園 より

 

 

 

     カッテ(勝手)に備えられた 「流し」

囲炉裏と同じ空間にカッテに備えられた庶民(農民)の一般的な流しです。

その後、これが(コンクリートで固められた)石に替わっていき、木枠にトタン・ブリキをはった流しに替わっていった。 現在のように、ステンレスが用いられるようになったのは1960年代からである。

 

 

 

 

          夜なべ

自給自足に近い形で営まれた農家の生活は、夜間の家内労働も欠かせないものであった。 農村の夜なべが行われたのは、夜の長い期間であった。すなわち、秋の彼岸から春の彼岸までである。 その期間には、家具・衣類・食料など様々な日常生活用具が作られ、補充されていた。地域によっては、夜なべを共同作業で行うところのあった。そこは、下男部屋であったり、若者宿娘宿であったりした。 このような共同作業は、村生活の交流の場所であったり、伝統的な生活技術を会得・継承する場でもあった。

 

           

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