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日月潭周辺を出て、高雄市へ向かう。高速道路沿いには、12階程の高層住宅が立ち並んでいる。私は、1・2階の民家を見たいのだが、どこを見ても高層住宅ばかり。現代化とは、高層住宅を建てることだろうか。
高雄市街に入ると、バイクが目立つ。信号待ちの交差点は、すぐにバイクで溢れる。やはり、若者が多い。日本と同じようにヘルメットの着用が義務付けられている。
蓮池潭は、高雄市郊外の亀山公園にある淡水湖で、湖畔には孔子廟や啓明堂が、湖上には龍虎塔を初め、春秋閣、北極玄天上帝像など、中国ムード満点の色鮮やかな建物が並んでいる。
ただし、私たちが訪れた時は、湖底の清掃・水替えのため、湖の水は抜かれて干上がっていた。
[ 北極玄天上帝像 ]
極彩色の衣装に身を包んで剣を持ち、素足で蛇と亀を踏み付けて鎮座する、高さ21mの巨大な北極玄天上帝像が建っている。北極玄天上帝は、道教の神で北極大帝として人々に親しまれている。
古代の中国では、地上からは北極星を中心として星々が巡っているように見えることから、北極星が宇宙の中心と考えられていた。そのため、北極星は神格化されて崇拝され、道教や日本の天皇にも取り入れられたとする説がある。明の時代の中国では、人々は、この北極大帝を一番崇敬したといわれている。
基礎知識
北極紫微大帝
[ 龍虎塔 ]
七重の塔の龍虎塔は、ユニークな龍と虎の姿をもつ7階建てのツインタワーで、龍の口から入って虎の口から出ると善人になるという伝説がある。
龍の胎内には、親孝行の模範といわれる「二十四孝子」や、悪人が地獄で罰を受ける様子を描いた宗教画などが多数描かれている。
[ 春秋閣 ]
春閣、秋閣という名の一対の塔で、塔の間には巨大な龍がうねり、湖を背にして騎龍観音像が立っている。観音像の後方から湖上に延びる長い橋の先端には、中国式あずまやの五里亭が浮かんでいる。
蓮池潭の春秋閣前に亀山公園の売店や土産物店がある。一つの売店に、木彫りの原住民の像が飾ってあった。私は、少数民族の原住民に興味があったので、木像に誘われるように、この売店へ行った。原住民の木彫り人形も売っているのかと思ったが、飲み物やアイスクリームしか売っていなかったので、仕方なくアイスクリームを買った。
アイスクリームを食べ終わり、亀山公園一帯に植えられているガジュマルの木が気になったので、地元の人に聞いてみようと思った。見渡すと、70歳過ぎの老人が公園のベンチに座っていた。これぐらいの年齢の人なら日本語がわかると思い、思い切って声をかけた。予想通り、日本語が通じた。「あの木は、何という名前ですか?」と尋ねると、「そうしじゅ」と答えてくれた。何という字を書くのか知りたかったので、メモ用紙をさしだすと「相思樹」と書いてくれた。
相思樹は、溶樹の別名ということが、後でわかった。私が始めて溶樹を見たのは、タイ国のアユタヤの寺院だった。
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アユタヤの寺院の溶樹 タイ国への旅

春秋閣前の道路 |
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亀山公園の売店 |
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溶樹(ガジュマル) |
蓮池澤の「龍虎塔」の道を隔てた向かい側に、まだ真新しい「慈済宮」がある。龍虎塔の名前は、「左營慈済宮龍虎塔」なので、この寺院が本殿だと思われる。
本殿の前には、左右に石像の唐獅子があった。また、その間に、日月潭の文武廟で見た双龍の石刻のように着色はしていなかったが、これと同じ石刻があった。本殿は公開されていたので中に入ると、真正面を向いた龍の顔を描いた像が中央に祀ってあった。
龍は神獣・霊獣であり、『史記』における劉邦出生伝説以来、中国では皇帝のシンボルとして扱われてきた。
龍は、水中か地中に棲むとされることが多く、その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、また、竜巻となって天空に昇り自在に飛翔するといわれ、る。秋になると淵の中に潜み、春には天に昇るともといわれる。
「竜に九似あり」とされ、角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼(注:中国でいう「鬼」は幽霊のこと)あるいは兎、体は大蛇、腹は蜃(この場合の蜃は蛤ではなく蛟の意)、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛にそれぞれ似るという。また、口辺に長髯をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下に宝珠を持っているといわれる。
慈済宮には、保生大帝が祀られている。保生大帝は、本名を呉本といい、大昔の高名な医者だという。彼が死んだ後、民衆は神として崇めるようになった。中国大陸の人たちが台湾へ渡って来た時に、保生大帝の像を持ってきたそうだ。龍の顔を描いた像が保生大帝なのかどうか、私にはわからない。
当時の台湾は、衛生環境が非常に悪く、疫病の発生が多かったので、この神を祀る廟が多くなったと聞く。現在では、保生大帝を祀る廟は、南台湾に集中している。 |
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慈斎宮 |
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● 賑やかな 高雄市街
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夕方近く、バスは高雄市街に入った。台湾第2の大都市らしく、幹線道路沿いには、1・2階が店舗になっている高層住宅が立ち並んでいた。
今夜のホテル「華王大飯店」が近づく頃、夕日が沈もうとしていた。ホテルの近くに、ひときわ目を引く大看板があった。台湾では、大看板は印画された大きな布地が使われている。
ホテルにチェックインした後、「龍興餐庁」で夕食を摂った。夕食後、龍興餐庁前の通りをほんの少し歩いた。すぐ近くに日本料理店やファミリーマートがあった。

高雄市中華一路の交差点 |
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高雄市街 |
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美容整形の大看板 |
バス車窓からの夕日 |
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夕食「龍興餐庁」 |
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近くの日本料理店
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「龍興餐庁」前の夜景 |
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近くのファミリーマート |
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「龍興餐庁」前の夜景 |
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| ● 台湾南部の町 高雄市 |
北回帰線の南側にあって熱帯に属する高雄市(たかおし:コーヒョン、カオシュン)は、人口150万人の台湾第2の大都市で、11の区がある。高雄という時、台北と同様に、中華民国中央政府の直轄市である高雄市を指すこともあり、台湾省の一部である高雄県を指すこともある。高雄市には、高雄国際空港や世界有数の高雄港があり、台湾最大の工業都市となっている。
高雄市は、1978年に発布された行政院命令にもとづき、1979年に政府直轄市に昇格した。また、外省人の多い台北に対して、本省人の多い高雄は、野党的色彩や台湾人としてのアイデンティティーへの志向が強い。このため、後に有名になった1979年12月の高雄事件(美麗島事件)なども発生している。このような政治的経緯もあって、民主進歩党(民進党)など泛緑連盟の勢力地盤となっている。
基礎知識
二・二六事件と台湾の民主化
明や清の時代の文献によると、高雄市の古い名前には、1つは「打狗」、もう1つは「打鼓」という2つの言い方がある。
「打狗」の名は、15世紀以前に、高雄港一帯が原住民族の平埔族マカタオ人の居住地であり、その集落タカウ社=竹林族と呼ばれていたことに由来する。タカウという語は竹林を意味した。高雄市は、17世紀にはタカウの音に漢字の打狗(ターカウ)を当てた小さな村から発展して、現在の都市へと成長した。
1624年、オランダは、この場所に砦を築いたが、1661年に漢人の鄭成功(ていせいこう)によって駆逐された。1684年、打狗は、鳳山県と改名され、台湾府の一部として取り扱われ、打狗(現在の高雄港)は1880年代に開港した。
基礎知識
鄭成功
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情緒ある名前に改名された 高雄市の幹線道路
高雄市には、秩序だって東西に走る主要な10本の幹線道路がある。第2次大戦後の間もない頃、高雄市の初代市長が、日本の植民地文化を一掃し、訪れた人に方向を分かりやすくし、港町に優雅な雰囲気をもたらすために、道の名前を改名した。
10本の幹線道路には、南から北へ一路づつ順に、一心、二聖、三多、四維、五福、六合、七賢、八徳、九如、十全、と名前が付いている。
夜市が開かれる「六合二路」は、六合の幹線道路にある。
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● 国際観光夜市「六合二路」の散策
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高雄市の六合二路にある六合夜市は、高雄市の夜市の中でも最も歴史のある夜市で、50年以上前(民国40年前後)に未開発だった空き地に出始めた屋台にルーツをもつ。その後、政府によって区画整理が行われ、現在の六合夜市が形成されたという。
六合夜市は、台湾の南部地域では日本人によく知られた夜市で、日本人観光客が多く訪れる。私たちも、夕食後、六合夜市へ出かけた。大丈夫だと思うが、大事をとって食べ物には手をださないことにしていた。だが、南国の果物が好きな私は、この自戒を破ってパパイヤとイチゴのパックを買っってしまった。
六合夜市のある場所は、昼間はバイクや車が行き交う普通の一般道で、とても夜市がある場所とは思えないが、夕方ともなると六合二路が閉鎖されて車両通行禁止になり、屋台が出始める。早朝の4時や5時でも営業している屋台も多い。
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「六合二路」の夜市 |
六合夜市の散策後、ホテルへ戻った。ホテルの部屋から、燕窩(えんか)の専門店や粥(かゆ)屋が見えた。燕窩は湯菜(タンツァイ)とよぶスープの実にするアナツバメの巣。粥は、朝食時によく食べられている。台湾らしい店屋が出ている。
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