雲  外  蒼  天

困難を乗り越え、努力して克服すれば快い青空が望めるという意味。
絶望してはいけないという激励の言葉。

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現在は体調は問題なく大変元気に過ごしてます。「がん患者」になりたての頃は、「手術をして助かってもいままでのような普通の生活はもうできないんじゃないか」とかなり落ち込んだりもしましたが、案外大丈夫でした。

当時の記憶を呼び起こしながら「子宮頸がん」の発覚から「術後」までを書き記しました。

リアルタイムで綴っていけばもっと詳しく書けたのかもしれませんが・・・そのときはとてもそんな気力も体力も持ち合わせてなかったもので(汗)

お腹の傷も2,3年は大きなミミズがお腹に乗ってるようなかんじでしたが、今は薄くケロイド跡もほとんどなくなりました。これには私もびっくりです。執刀したDr.が気を使ってくれて「ビキニが着れるように」とおへその横あたりから切開してくれたそうです。実際この年齢でビキニを着ることはないのですが・・・うれしい心遣いに感謝です(笑)

この先も時々思い出したことは書き足していこうと思ってます。



+ 子宮癌検診 (2002年 2月頃)+

ちなみに私は市役所から送られてくる子宮がんの「集団検診」には毎年行っていました。その年は公民館での集団検診日が都合が悪かったので、近くの個人病院で検診を受けることにしたのです。

検診後から約2週間して検診結果のお手紙が届きました。結果は「クラス掘廖嶌童〆才廖廚箸いΔ海箸任靴拭今まで検診でひっかかったこともなかったので慌てた私はすぐに再度病院へ行ったのです。

するとK先生は「体調なんかにもよるから、そう心配しなくていいよ。9割くらいの人が元にもどってたりするから、目視でも異常ないし・・・心配だったら4,5ヶ月後またおいで」と笑って話をしてくれたのです。そしてそのときは検査もなかったので、ちよっと拍子抜けしたもののひと安心した私は「気が向いたら再検査しょうかな」くらいの気持ちで病院をあとにしたのです。

 

+ 再検査(2002年7月頃)+

5ヶ月後の7月、夏ばてのせいか体調がすぐれずフラフラして再び病院へ。ついでに再検査もやっとくか・・・くらいの軽いノリで子宮癌の再検査をうけました。

前回と同じように内診をしている途中でK先生が「ちょ、ちょっとこれは何だ?」「ピンポン玉くらいの塊があるんだけど・・・ちょっと採取するから・・・写真も・・・」とかなり慌ててる様子。私はわけがわからず「え?何?」と内診台の上で不安なまま先生の言葉を聞いていました。

内診が終わってからのK先生の説明は「まだ細胞検査をしてないのではっきりとはわからないけど、前回は何もなかったし・・・一番の可能性としては『筋腫分娩』・・・まぁ、検査結果を待ってみましょう。悪いものじゃなくても手術はしないといけなくなるとおもうから・・・」と重たい口調で話しをしてくれたのですが、今から思えばK先生はこの時点で「悪性」と確信していたようです。一週間後K先生から家に電話があり「やっぱり大きな病院で診てもらいましょう、ご主人と一緒にまた来てください」「悪いものなんですか?」「その可能性があります・・・」「クラスでいうと・・・・垢任垢?」はい。」

”その後すぐに主人に電話。早引けして帰ってきた主人と二人でその日のうちに病院へ。そこでK先生がもっとも信頼しているというF先生を紹介してもらうことになりました。でもこの時はまだ「レーザーくらいで治るんじゃないかな」という気持ちがありました。なにしろ毎年検診にいってたんですから・・・きっと初期だろうという変な自信もあったのです。

 

 + 告 知(2002年7月31日) +

K先生からの紹介状を持って翌週には主人と国立病院K医療センターへ来院。初診だったため6時間もまたされました。ようやく呼ばれてすぐ内診。超音波をみながらH先生が「この大きさじゃ手術だな」というのが聞こえました。

内診が終わり診察室でH先生は「『がん』だね。『子宮頸がん』『扁平上皮がん』。」いきなりのガン告知。「子供はいるの?」「はい」「そう、よかったー。この大きさだと手術しないといけないから。子宮全摘、卵巣にリンパ節も。このステージでの転移の確率は12%。詳しい説明は入院してからということで。」心の準備もないままの「ガン告知」でした。

 

+ 入院まで +

自己血を確保することになったのですが、貧血がひどいということで入院までの2週間近く毎日「造血剤」を注射しに紹介してくれた近くの個人病院に通うことになりました。でも、結局入院まで貧血は治らず・・・自己血は確保できず・・・もし出血が多かったら輸血をします・・・ということとなりました。

入院が決まってからは実家の母が我が家にやってきました。きっと私が落ち込んで家事も手につかない状態なのではと心配してのことでした。確かに、家事なんてできる状態ではありませんでした。とにかく入院までの2週間は毎日涙・涙・涙・・・でした。なにしろ娘がまだ5歳。幼稚園の送り迎えや行事など母親がかかわることが多い時期でしたし、入院が長引くとなると実家にあずけざるおえなかったのです。今まで親元を離れてひとりでいたことなどなかったし心配で可哀想で・・・。でも娘は一度もゴネることなく周りが拍子抜けするくらいあっさりと入院当日にはバイバ〜イとニコニコ笑って手を振って私の実家に行ってしまいました。後で聞いた話ですが、実家でも私を慕って泣くことは一度もなかったようで・・・毎日従兄弟たちと楽しく過ごしていたようです。子供って大人が思うよりたくましいもんなんですね・・・(哀)

 

+ 入 院(2002年8月13日) +

F先生の診察から2週間後、ちょうどお盆13日に入院しました。手術は20日。手術までの1週間は検査の連続でした。

13日(入院当日) CT

14日       MRI

15日       IVP

16日       骨シンチ

入院中に当初ステージb1期といわれていたのですが、検査の結果ステージa期に変更。「ステージ供廚生存率は63% (日本産婦人科学会2004年報告 1981〜1990年の全国168医療施設の治療成績の集計より)ということを知りまたまた落ち込んでしまいました。(泣)

私の部屋は6人部屋でしたが、部屋には私と「卵巣がん」で抗がん剤治療中のおばさんがひとり。ちょっと淋しいお部屋でした。日にちがたつにつれ他の部屋の患者さんとも顔見知りになり漫画の本を借りたり世間話をするようになって少しだけ気分も楽になりました。手術前日、同じ部屋のおばちゃんから「東京のがんセンターで子宮癌の手術ミスで患者さんが亡くなったらしいよ。」と聞きました。なんで手術を明日に控えてる私にそんな話するかなぁ・・・とは思ったものの悪いことは続かない・・・と思い前日の夜には睡眠導入剤ものまずぐっすりと眠ることができました。

 

+ 手術 (2002年8月20日)+

手術3日前 普通食  18時に下剤を内服                    

手術2日前 五分粥  21時に下剤2種類内服                 

手術前日  水分のみ可 午前中下剤2?内服。点滴1本

        18時 下剤内服。       

 手術当日

朝、浣腸後、点滴1本。朝7時麻酔前投薬内服 手術開始8時半。手術室へ向かうときは、よくドラマなんかでみるようにストレッチャーで運ばれ家族に「頑張って!」と声をかけられ手術室に入っていく・・・みたいなのを想像してたのになんと手術室までは徒歩。エレベーター前まで家族が見送ってくれて「じゃ」「いってらっしゃい」の会話でおしまいでした。娘もわけがわかってないので「バイバイ〜」とまた明るく手を振り・・・確かに自覚症状もまったくない患者でしたから元気なのは元気でしたので問題はないのですが・・・。

手術室では緑の手術着をきた人からの指示で着替えをして注射。そのあと体を海老のようにまるめて背中に注射をされベットに寝て点滴。そしてしばらくするとふわふわとした気分になってきたので「これが麻酔?」と思い

「なんかふわふわするんですけど・・・」

「数を数えてください。」

「いち・に・・・・・・・・・」(記憶がありません)

次に目が覚めたのは看護師さんの「○○さん、起きて!起きて!」の声でした。「わかったら手を握って!」「○○さん、終わったからね」とH先生が声をかけて手を握ってくれました。そしてなにやら手術台からストレッチャーに乗せかえてる様子「患者さん重たくないからね!ハイ、いち、に、さん!」という掛け声。麻酔でうつろな中「重たくないから」の言葉に反応・・・「ちょっと嬉しっ♪」と思ったのを覚えてます。その後、主人や両親、の声が途切れ途切れに聞こえてきたのですがとにかく・・・

うるさ〜い!眠〜い!寝かせてく〜れ!

ってかんじでした。

麻酔の威力ってすごい!と妙なことに感心したりして。後から聞いたのですが、主人に両親、お舅さんにお姑さんそして娘も朝から夕方5時まで約9時間も手術が終わるのをずっと待っていてくれたようです・・・。予定は6時間だったのに3時間もオーバー。それはそれは・・・心配だったことでしょう。それなのに、「うるさい!眠い!」なんて、今考えたら本当に申し訳ない・・・反省です。その夜は、吐き気と38度の熱にうなされ看護師さんが入れ替わり立ちかわりでした。

 

+ 術 後 +

術後は個室に移され体からいろんな管やら点滴やらがついて身動きがとれない状態でした。それなのに主治医のH先生は「明日は体うごかしてね〜」と軽く言う。「はぁ?どうやって?」看護師は「寝返りをうつだけでもいいですよ」と言うんだけど昨日まで簡単だった寝返りがうてない・・・。なぜだぁ?そしてお腹からでているドレーンが気になって気になってしかたないそれよりきになるのがお腹の傷。この絆創膏の下はみたくなーい。怖ーい・・・。どうやって抜糸するんだろう・・・ドレーン抜いたらお腹に穴あいてんのかな?なにもかもが初めての体験なので不安で怖い気持ちがいっぱいで入院してからはじめて落ち込みました。

なのに主治医は「明日は歩いてね〜」という。まだ術後3日目なのに・・・。(術後はなるべく早めに動くように勧めていたのは腸の癒着を防ぐ為だったそうです。)

 

+ 病理結果 +

術後、H先生が部屋に「病理結果まだでないんだ。」と言ってやってきました。「ちょっと悪性の高いものかもしれないから「放射線治療」やるかもしれないから。」という話。心の中でH先生は「最悪の時」の話をするんだ・・・と自分に言い聞かせ「悪性が高いって?」「再発しやすいってこと」「(ビビッて)どこに?」「局所再発。骨盤内。・・・まぁ、もう少し待ってて。」とだけ言い残して出て行きました。主人に話したら「俺が詳しく聞いてくる」と先生の元へ・・・。でも、本当に忙しい先生なのでそう簡単につかまらないのです・・・。その後、最終的な病理結果が告げられました。H先生の記した説明書から抜粋しました。

手術時の摘出物の病理診断にて子宮頸部原発の「リンパ上皮腫様癌」でした。膣壁下に浸潤があり、また摘出したリンパ節はすべて転移陰性でしたので臨床進行期はa期です。

(中略)

この癌は未分化な癌細胞が著明なリンパ球に囲まれているのが特徴で、特殊型の扁平上皮癌です。この癌の新たな治療情報が明らかになった場合には追加治療を行います。

先生の説明では非常に珍しい種類の癌だったようで、H先生いわく「3,4年に一人いるかいないかの癌」ということでした。ITで調べても症例が少ないので情報や治療方法が確立されていないようで・・・。H先生から「学会で発表したいから了承してくれる?」とも申し出も・・・。ただ、症例は少ないのだけど普通の扁平上皮癌とくらべると予後良好といわれているらしくF先生は「症例がすくないのになんで予後良好かわかるんかな?」とちょっと不満気。「まぁ、そういうんなら放射線治療はやめとこう」との判断でした。私も退院後インターネットで色々調べたのですが、未だに詳しい情報はわからないままです・・・。そこんとこがいまだにちょっと不安・・・。 

 

+ 術後の副作用 について+

術後障害については、個人差が大きく全くない方もいれば、卵巣喪失による「更年期障害」などで苦しんでおられる方も多いと思います。ここでは、私の経験を書き記したいと思います。私の経験をもとにしていますので、「あぁ、こういう人もいるのね」くらいの気持ちで参考までに考えてください。排尿障害とは、広汎子宮全摘出術の際に、膀胱の神経や直腸の神経の一部が損傷を受けるために起こる術後障害のことです。この障害には個人差が大きく術後何年経っても全く尿意を感じられない、尿がでにくい方もいるそうです。私は幸いに術後の「排尿訓練」も順調に終え、尿意も術前ほどとはいきませんが感じることはできる状態でした。現在、術後年数がたつにつれ尿意は術前とほとんど変わらないくらいにまで戻っているようにおもいます。リンパ浮腫については、術後 右足の太ももの感覚が全くなくしびれたような感じでした。主治医には「立ちっぱなしは避けるように」といわれていたので自分でもかなり気をつけていました。夜、寝るときは足元に枕をおいて足を高く上げて寝るようにしていたのですが、起きたときには枕はベットの下に落ちてるし・・・あまり用をなさなかったのでやめてしまいました。弾性ストッキングは購入しました。日によって症状も違うのですが足がだるくてしかたがないときは履いていました。かなりいいです!足の浮腫というより、私の場合は「だるさ」ってかんじでした。でも、ひどいときは歩くのもつらかったです。現在は、時々思い出したように「だるさ」を感じる程度です。念願のフラメンコも始めました(^^)生理は卵巣がないので当然なくなってしまったのですが・・・本当に個人的な意見ですが「楽」です!夏の暑い季節にナプキンしなくていいし、温泉やプールや旅行もいつでもOK。それになによりも貧血がなくなったので以前より体調がいいのです。この快適さには自分でも驚きでした。しかし卵巣がなくなったということで、術前から危惧していた「更年期障害」ですが術後からホルモン補充療法(Hormone Replacement Therapy、HRT)をしています。もし、がんになっていなくても「更年期」というのは必ずやってくるもの。それが予定よりちょっと早めにやってきた、と思うことにしています。私の場合の更年期障害の症状は、まず「動悸」かなり激しいです。そして「肩こり」「胃腸障害」「味覚異常」などが主です。毎日、この症状に悩まされているわけではありません。なんの症状も出ない日がほとんどですが、つかれたりするとテキ面ですね。まり自分に無理をさせないようにしています。卵巣がなくなったのでいきなり閉経状態になってしまい、慢性的な卵胞ホルモン欠乏状態となり、骨粗鬆症や、高脂血症に伴う動脈硬化、腟のひりひり感などもおこりやすくなるそうです。        

 

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