雲  外  蒼  天

困難を乗り越え、努力して克服すれば快い青空が望めるという意味。
絶望してはいけないという激励の言葉。

HOME PROFILE MEDICAL CHART THINK DIARY LINKS BBS





+ 子宮癌検診 +

私は「子宮がん検診」を毎年受けていました。・・・なので、万が一「がん」がみつかったとしても「初期」「早期」でみつかるはず!と思っていました。でも、蓋をあけてみたら・・・なんとステージaという結果。当時は「がん検診」の意味がないじゃん!何のための「がん検診」なのよ!とかなりムカついていました。でも、「がん」の種類によって進行の早さも違うし私の場合でいうと2002年2月で細胞診クラス靴世辰燭發里5ヵ月後の7月にはクラス垢砲覆辰討い拭ということで・・・もし7月に再検査に行ってなかったら・・・2月より少し前に検診を受けていて再検査と言われていなくて一年後の検診まで何もしなかったら、と考えると今でもゾッします。だから私は「絶妙のタイミングで検診に行ったんだ!」と信じることにしました。子宮がんに限ったことではないとおもいますが、毎年検診に行っていたからといって必ず「初期」、「早期」でみつかるわけじゃないんだーというのが実感です、けれど「初期」「早期」でみつかる可能性は高いとはいえます。そして小さくみつかった「がん」は最小限の治療で治すことが可能なんです。私の場合は運悪くそうではなかったけれど、手術のみで治療できたことはラッキーと思っています。そういうわけでやっぱり私は定期健診をオススメます。

 

+ ポジティブ?+

「がん」になってからの私の精神状態はかなり変でした。まだ娘が5歳と幼かったこともあり娘のことが主人よりも年老いた両親よりも心配でした。

「もし、このまま、死んでしまったら・・・私は幽霊になっていつも娘のそばでこの子を守ってあげる!」「最強じゃん!」って大真面目に考えていました。

この切羽詰ったときになにをふざけてんだって後になって反省したりもしましたが、やっぱり人間って窮地のときは脳が現実逃避で全然違う次元のことを考えるようになってるんじゃないかな?病気のことで落ち込んでいるんだけど、一方では超〜前向きなんだよね。 娘にしてみたら「勘弁してよ〜」って感じかもしれないけどね・・・。

 

+ 根拠のない「大丈夫!」+

主人には病気になって以降、本当に感謝しています。口に出して言った事はないけど、病気がわかったときからずっといままでいつも「大丈夫、大丈夫」そういって励ましてくれてます。 でも、イラついてる時は「何を根拠に大丈夫なんていうのよ!」と逆切れしてしまいます。現在は4ヶ月に一度の検診と年に一度のCT検査をおこなってるのですが検診の日が近づくと「検査への不安から」かならず「精神不安定」になってしまいます。イライラして家族にあたりちらします。そして検診の結果がでる日が近づくとそのイライラは泣き言にかわります。頭の中で、悪い結果が出たときの事をシュミレーションしてしまうんです。そしてだんなに電話して弱気なことをグダグダと言い続けでしまいます・・・。それは術後何年たってもかわりません。毎回繰り返される恒例行事です。やっぱり検査は怖いんです。そんな私に主人はいつも「大丈夫!大丈夫!あんた100まで生きるよ」と笑って相手をしてくれます。感謝・感謝です。

 

 +娘のリクエスト +

術後から2年ほど経った頃、小学生になった娘は「弟か妹が欲しい」と言い出しました。そういえば周りのお友達にはみんな下に兄弟ができてる時期でしたし、まぁ・・・娘の気持ちもわからないではありません。しかし無理なものは無理なので 適当に受け答えをしていたんです。でも、なかなか娘もあきらめない・・・というより「絶対いつか生まれてくるんだ」と信じきっている様子。ある日、娘が学校で「性教育」の一環として「子供の生まれるしくみ」をお勉強する機会があり、「ちょうどいい機会かな」と思い、娘に「お母さんは病気で卵ができるとこと、赤ちゃんの育つお部屋がないから赤ちゃんは産めないんだ〜」とイラストを見ながら軽〜い調子で説明してみました。すると娘はちょっと考えて「はっ!」と何かに気づいたような顔をしてその後、号泣〜!          そのときまで、娘は兄弟ができることに淡い期待をしていたようです。そして号泣したのは、私の説明がその淡い期待を容赦なく打ち砕いた瞬間だったようです。私としてはそこまでショックを受けるとは思っていませんでしたから「ごめんね、ごめんね。」と謝るしかありませんでした。そしてもっと上手に説明してあげれなかったことに反省しました。それから娘は兄弟が欲しいとは一切言わなくなりました。最近は周りのお友達が「ひとりっ子」を羨ましがってくれるようで娘もちょっと鼻が高いようです。

 

+ 稀な種類の癌でした+

私の患った「リンパ上皮腫様癌」という稀な子宮がんについて少し・・・。一般に子宮頸癌の原因のひとつというわれているのがHPVというウィルス。私の場合はウィルスが違うそうです。EBVというのが原因で引き起こされるそうなのです。このEBVについては次のように書かれてました。

『EBウイルス(EBV)はヘルペスウイルスの一員であり,いわゆるイボから分離されたDNA型ウイルスです.

EBウイルスは,バーキットリンパ腫,上咽頭ガン,伝染性単核症,胃ガンなどの原因ウイルスであると考えられています.

EBウイルスは世界中に非常に広く分布しており,成人するまでに約90%のひとが感染しています.

しかし,EBウイルスに関連して起こると考えられるバーキットリンパ腫が発生するのはアフリカの一部に集中してみられ,それはマラリアの発生地域と一致しています

.したがって,マラリアの感染が固体の免疫細胞を刺激し,それが何らかのかたちでEBウイルスの感染と関係してリンパ腫の発生に関与しているとう考えもあります.中国人に見られる鼻咽頭ガンからもEBウイルスのDNAが検出されています.』

なんだか難しいんだけど・・・でも「成人するまでに約90%のひとが感染しています」ってことは、ほとんどの人が持ってるウィルスで稀な「がん」を引き起こしたってことですよね・・・。なんかすごい貧乏クジをひいた気分になります・・・。

+ 周囲の気遣い +

私が病気になってからというもの周囲の友達の反応は様々でした。そしてみんながすごく気をつかってくれているのは感じていました。でも、私は病気のことをもっとみんなに気楽に話したかったのですが病気の話をすると周囲は「聞いちゃいけないこと」と思っているようで・・・なんか変な雰囲気になっちゃうことも多々ありました。

これは私に限ってですが、私は病気のことをきかれても全然平気ですし、禁句な言葉もありません。前に私が「今日、ダルくて眠たいんだ」と言ったところ、友人が「生理前なんじゃない?」と言ったことがあります。するとすぐ「あ、ごめん。」と謝られてしまいました。「え?いいよ気にしてないし」と言ったのですが、その日の夜、再度メールで「お詫び」をしてきたのです。友人に悪気がなかったことはわかってますし、私自身も本当に全く気にしていなかったのですが、友人はすごく気にしていたようで・・・。

そのようなことがあるたび「周囲に気を使わせてしまうのかな・・・」とちょっと申し訳なく思ってしまうのです。もちろん悪意のある言葉は許せませんが、そうでなければ周囲は気にするほど私自身は気にしていないということを知っておいてほしいなと思うことがよくあります

+ がん友 +

「がん」になってから私が思いのほか明るく過ごせたのは家族や友人の助けはいうまでもありません。でも、とても心強かったのは同じ病気で苦しんだことのある友人の存在でした。
私が「がん」で、入院・手術するということを知ったときその友人は初めて私に自分も「卵巣がん」であったことを「カミングアウト」してくれたのです。
彼女は子供同士は学年も違うのですが、映画が趣味であることなど共通点もあり会えばおしゃべりをする間柄でした。
彼女は手術を2度、化学療法で半年も入院をしていたと話してくれました。
入院中に届く彼女からの手紙には本当に支えられました。
「なんで私が・・・」と絶望と孤独を感じているときに、「つらいのはあなただけじゃない。」と励まされました。そして「入院中はお日様にあたったら落ち込まないよ」とアドバイスしてくれました。
友人や家族ももちろん心配して、励ましてくれるのですが・・・家族に対しては甘えてしまいキツイことを言って友人に対しては逆に平気なふりをして病気のことさえあまり詳しく話せず心配させないように気をつかってしまうのです。
今になって思い返せば家族には本当に申し訳なかったと反省していますし、友人にはもっと本当の気持ちを話せばよかったと思っています。

手術を終え退院しても「(一応の)完治」といわれるまでのこれからの5年をどうやって生きていくか。再発の恐怖で押しつぶされそうになっている私には大きな課題でした。洋服ひとつ買うにも「来年は着れないかもしれないのに・・・」と思いっきり後ろ向きだったのです。そんな私を励ましてくれたのは、過去に私と同じように再発の恐怖と戦ってめでたく5年目を迎えた彼女でした。
「大丈夫!5年なんてあっという間だから!」そういっていつも明るく励ましてくれました。そして私は彼女には自分の気持ちを素直に話すことができました。
私が無事に5年目を迎えるとき、彼女もめでたく10年目を迎えます。
同じ経験をした友人が身近にいたことが私には本当に心強いことでした

+ 無力 +

娘も小学校1年せいになり、術後1年がたとうとしていたとき昔から顔見知りの娘と同級生のお母さんと話す機会がありました。娘からそのお母さんがちょっと前に入院していたという話をきいていたので「どうしたの?もう大丈夫?」と聞くと「うん、もう仕事もいってるし。」と元気な様子。「で、何の病気だったの?」「うん・・・大腸がんだったんだ・・・。」私は驚いて「私と一緒だよ。私は子宮だけど」と答えました。彼女の話では体調が悪く2度目に倒れて救急車で運ばれときに「がん」が見つかったそうです。手術をして通院で抗がん剤治療をしているとのことでした。腫瘍は7cmの大きさだったにもかかわらず転移もなくてよかった。と話してくれました。その後また彼女が入院したという話を聞きました。娘と同級生の女の子がいることもあって彼女の気持ちが他人事ではなく感じられました。時々彼女のお母様にお会いして様子を聞いてはいたのですが、あるときお母様が目に涙をためて「もうダメかもしれない」と私に話をされました。私は「看病でお母さんのほうが倒れないでくださいね。」と励ますしかありませんでした。お見舞いに伺おうかとも思ったのですが彼女から「もう少し元気な姿になってから」とやんわりと断ってきました。私は彼女が断ってきた理由がなんとなくわかりました。年が明けてお正月の元旦、実家に帰省していたときに友人から電話があり彼女が天国に行ってしまったことを知りました。

私は同じ病気で戦って天国へ行ってしまった彼女の力になることもできず、どう励ましていいかもわかりませんでした。ただ心配をすることしかできませんでした。そのことが今でも悔しくて心残りです。

+ 天国と地獄 +

私が入院していた国立の病院の婦人科は出産分娩をする人はもちろん同じフロアーにがん患者さんが入院していました。廊下をはさんで右が妊婦さん左ががん患者さん、といった具合です。夏でしたから病室のドアも開けっ放しのことが多く病室の中がよく見えました。妊婦さんたちが入院していた部屋は大部屋が多く毎日たくさんの友人や家族の方々がお見舞いに来てお祝いのことばをかけていました。妊婦さんも出産を終えて赤ちゃんを大事にに抱えてとても幸せそうな顔です。私も病気じゃなかったら他人事ではあるけど「よかったね」「おめでとう」って気持ちになっていたでしょう。でも廊下をはさんで向かいには抗がん剤で吐き気や痛みで苦しんでベットの上で耐えてる患者さんです。新しい命を生み出し幸せいっぱいの人たちと死と向かいあい治療をしている人たちが同じフロアーで廊下ひとつ隔たったところにいるなんて、と複雑な気持ちでした。もし私が妊婦として入院していたらこんな気持ちには気づかなかったと思いますが、もっと病院側にもこのような患者の気持ちを配慮してほしいと思います。子宮がんで子宮を失うのは何もご高齢の方ばかりじゃないんです、20代30代の患者さんもいるのですから。       

Back