
血と言ったらあれだ。体に流れる生温かい赤い液体。出血し過ぎると死にいたるという、体の中に無くてはならない重要な存在。それが血。
その人体に最も大切な血が皮肉にも魔法を解く鍵だなんて、血を謎の本に提供しないと本にかけられている魔法を解き内容を読む事が出来ないだなんて、徹は血の気のない顔を精一杯左右に揺さぶり、血を本に捧げろと言われたわけでもないのに、言われる前から血の提供を力強く否定した。
頑なな徹の態度にセイスは沈黙を保っていたが、トゥレスは大きな溜息を吐きだした。
「まだ血が鍵とは決まってないだろトオル。だからそんなに否定的にならなくても……」
「絶対嫌だ!訳の分からない本のために血なんて捧げられるか!」
「いや、だからなトオル……」
「だが、その方法が一番有力な手なんだろ。だったら試しに血を本に垂らして本がどんな反応示すか様子を見りゃいいじゃねぇか。血が鍵だったら結果オーライ。もし血で開かなかったら別の方法をすぐに探せる。一石二鳥じゃねぇか」
離れた場所で血を使用する事を提案するヌエベに対し、徹はギロッと彼を睨みつけた。
「馬鹿言うな!本にかかっている魔法を解いて本の内容を見たかったらな、俺の血じゃなくてお前の血を提供しろ!」
「お前こそ馬鹿だろ地味顔!俺の血を捧げて何の意味があるって言うんだ!異世界から来たお前の血じゃなきゃそれこそ意味ねぇだろう!分かったんならさっさと本に血を垂らせこの馬鹿!」
「さっきから馬鹿馬鹿って好き放題言いやがって!馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞこの馬鹿!」
再度勃発した2人の言い合い。トゥレスの忠告など頭からすっぽり抜け落ち、最初の頃の激論を繰り広げる2人に舞い戻ってしまった悲しき状況に、今度こそトゥレスは2人を止めるのは面倒臭いとガクッと肩を落とした。
それぞれ三人の姿、行動を本を片手に観察していたセイスはつまらなそうに再び本に視線を戻そうとした時、一瞬動きを停止させ目を鋭く細めた。そして読みかけである本を無造作に閉じると、今いる部屋の開けっ放しになっている扉の先をじっと眺め始めた。それも鎮圧なオーラを身に纏って。
気配を滅多に表さないセイスにとって、珍しい現象。いち早くセイスの異変に気付いたトゥレスは、無意識に腰の刀を握りしめた。
「だいたいお前は…もがっ!」
「ちょい黙れ」
話の途中でいきなり口を塞がれ、最初はすぐに口を塞いでいる手を払いのけ「何するんだ!」と、抵抗の意を唱えようとしたが、口論していた時とは全く別のヌエベの鋭い顔に徹は咄嗟に言葉を喉奥に押し込んだ。塞がれている口はそのままに、目だけ動かし後の2人を視界に収めれば、彼らもヌエベ同様目を鋭く細め、同じ方向をじっと睨みつけている。半端ないオーラに、彼らの近くにいる徹の肌からは自然と冷や汗が流れ出た。
彼らが睨みつける先に何があるのか不安を抱え始めた徹の耳に届く大勢の足音。足音は入り組んだ図書館を熟知しているかのように、大きくなる足音は迷いなくこの部屋へと近づいてきている。図書館を訪問する人達にしては、足音が荒く数も半端なく多い。先の見えない恐怖に徹はゴクリと喉を鳴らし、唾液を胃へと押し流した。
「殺気垂れ流して団体で攻め込めるとは、いい度胸じゃねぇか。オレに喧嘩売った事激しく後悔させてやるよ」
「だが、こうして俺達の所へ迷いなく押し掛けるという事は、トオルの存在が明るみになった可能性が高い。奴は本格的にトオルをつぶすため、動き出すぞ」
彼らの会話でやはりこの場所に近づいてきている団体は敵だと把握する事が出来たが、目的は自分という事に徹はひどい頭痛を覚えた。頭を抱える徹とは別にヌエベは徹の口から手を離し、敵の存在に楽しそうに顔を歪め、トゥレスはトオルの存在が明るみになった事態に顔に影が差している。
「……もう逃げ道はないみたいですね」
セイスの一言でなだれ込むように部屋に入ってくる大勢の人間。一気に入ってきた人間によって、足元から体に伝わる振動が大きさを増した。入ってきた人間の手に握られている物は刀や銃、槍、斧と立派な物騒な武器。攻撃を仕掛ける気満々だ。
「どんな訓練を積んだ連中が喧嘩を売ってきたかと思えば、何の訓練も積んでねぇ街の住人じゃねぇか。張り合いねぇの」
入ってきた連中が街の住民と知りがっかりと肩を落とすヌエベはその場で大きな溜息を吐きだした。その様子を隣で目撃した徹は心の中で「おいおい」と突っ込み、彼から数センチ遠ざかった。ヌエベは徹の気持ちお構いなしに離れていく徹の背中を掴んで押し、事もあろう事か、徹を住人達の前に当たり前のように差し出したではないか。これには徹もトゥレスも驚きを隠せず、慌てた声を上げた。
「お、おい!何するんだよお前!」
「そうだぞヌエベ!狙われているトオルを前に出してどうする!狙って下さいって言ってるようなものだぞ」
空いている片手で片耳を塞ぎ、うるさいと口で言わない代わりにヌエベは顔を顰めた。
「オレだって考えなしにこいつを奴らの前に出した訳じゃねぇよ。こいつの力さえあれば、戦わなくてもオレ達のように行動を自由にする事が出来、平和的に万事解決できるだろう。別にあいつらと戦ってもいいが、張り合いのない争いは好まない質でな。骨の弱い奴とは戦いたくねぇんだ」
「好む好まないの問題ではなく争い自体するなよ!ってか、背中を押すな!」
抵抗も虚しく、とうとう街の人達の先頭付近にまで追いやられてしまった徹。研ぎ澄まされた武器を持ち、殺気の籠った目をぎらつかせている街の住人に思わず腰が引けるが、背中を押したまま自分の体を支えているヌエベの手が後退を許してくれない。
逃げ出したいのに逃げ出せない現状に、徹はもう一度ゴクリと唾を飲み込んだ。
「と、とりあえず……冷静になって話をしましょう?」
殺気を纏う人達にかける言葉が見つからず、苦し紛れの徹の口から出た言葉は、話し合おうという平和的解決方法。この提案の後長い沈黙が続き、駄目かと諦めかけたその時、一番前にいた人が武器を下へと下ろした。
徹は言葉が通じたと、安堵の溜息を吐こうとした次の瞬間、武器を下に下ろしたはずのその人物が、いきなり武器を天高く持ち上げ、徹に向かって武器を振り下ろしてきたではないか。
咄嗟の事に足が竦み動けない徹。あと数センチで頭に刀が触れるという間際、徹の背を抑えていたヌエベが徹の服をがっと掴み、徹の体をトゥレスがいる方向へ投げ飛ばした。
徹を斬りそこなった刀が地面へとぶつかり、衝撃音と共に火花がその場に舞い散る。横に跳び移ったヌエベは短剣を二本華麗に引き抜くと、さっきの攻撃が合図の引き金になったのか、それぞれ武器を持って襲いかかってくる住人達の武器を己の短剣で受け止めた。
「おい、どういう事だよ!そいつが近くにいればオレ達のように縛られた時から解放されるんじゃねぇのか?」
攻撃を短剣で受け流し、住人は傷つけず武器を払い落し、鳩尾に蹴りを喰らわせていくヌエベはどういう事かと苛立ちながらトゥレスに意を唱えた。
「もしかしたら、奴の影響が強いからかもしれない。俺達はまだ完全に時を奪われていないが、ここにいる住民達は全ての時を奴に奪われ、なお且つ奴直々命令を下していたら、時の影響を受けず、周りに影響力を及ぼすトオルでも太刀打ちできないという訳だ。現に奴の束縛が一番強いディエスがトオルと一緒にいて俺達のように行動を自由にできなかったらしいからな。そう考えるのが妥当だろう」
「ちっ!肝心な場面で役に立たねぇな!」
吐き捨てられた言葉にカチンと頭に来た徹は、飛ばされた時にトゥレスに支えられた腕をすり抜け立ち上がると、攻撃を繰り広げるヌエベの背中に向かって思い切り叫んだ。
「勝手に俺を街の人達の前に差し出しといて、役に立たないってどういう事だこの馬鹿!現に俺はお前を自由にして動かしてるから役に立ってるだろうがこのウスラトンカチ!」
「操り人形のような発言は止めろこの地味顔!」
「こらトオル、ヌエベ!口論している暇なんてないぞ。セイス、トオルを頼む」
セイスに徹を預けたトゥレスは刀を鞘から引き抜かず、拳を作ったまま戦闘の輪の中へ飛び込んで行ってしまった。ヌエベも住民は傷づけられないと踏んだのか、いつの間にか短剣を鞘へと仕舞い、拳やら蹴りやらで住民達を気絶させている。
2人でどんどん住民達を気絶させ、バタバタと床に倒れこませる光景を目の当たりにした徹は、2人の桁違いの戦闘力に思わず息をし忘れ、繰り広げられる光景に目を奪われていた。
「トオルさん。ボクの側から決して離れないでください」
守られるように背に隠され、まるで楯のように目の前に立つセイス。同じくらいの背幅なのに、なぜか徹には彼の背中が大きく逞しく見えた。相変わらず存在感は薄く、彼を視界に収めていないと本当に目の前に存在するか分からないのに、なぜこうも彼の存在が大きく感じるのか不思議に感じる。
この違和感はセイスだけに感じるものではない。トゥレスやヌエベにもだ。自分よりはるかに大きな存在の3人に徹はセイスの後ろで唇を噛みしめた。戦い慣れた2人の動き。自分は彼らと力の差を感じているのだろうか。だから彼らの背中が大きく感じるのだろうか。
戦闘力の違いなど当たり前。自分の国は戦いなど、命の危険に曝される事などありはしない。けれどこの国にはそれがある。徹は、この国で戦い方を全く知らない自分が生きていけるのかと、大きな不安に押しつぶされそうになっていた。
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