フィリピンで体験操縦「セブの空との出会い」


はじめに

セブに、ご縁ができてから、もう8年目に入ります。

通勤電車の中、道路で赤信号を待っているとき、会議中、あるいは途方にくれているとき、ふと、セブの景色が頭に浮んできます。青いサンゴ礁、椰子の葉、明るい太陽、素朴で親切な人々、操縦桿の心地よい感覚、植物の香りを含んだ空気、自由な雰囲気などが頭いっぱいに広がり、ホッと一息つくのです。

頭に浮かぶセブの景色
動画

まから11年前のことになりますが、50歳代半ばで第2の職場に移りました。重圧から開放されて心身に余裕ができました。何か、ほんとにやりたいことをはじめようと思いました。そこで湧き上がってきたのが飛行機です。まもないころに故郷の空を飛びまわるアメリカ軍の飛行機に魅せられてから、紙飛行機、ゴム動力飛行機、無線飛行機と進んできました。しかしながら、就職してからは飛行機のことは雑誌や航空ショーを見るくらいにとどまっていました。

無線飛行機を再開しようと思いました。ところが近くに飛ばす広場がありません。狭いマンション暮らしでは飛行機や燃料を置く場所もありません。

そんなある日、パソコン店でマイクロソフト社のフライトシミュミレータというコンピューターゲームを見つけました。期待はしていなかったのですが、とりあえず買うことにしました。これが思いのほか傑作で、おもちゃの域をはるかに超えていました。夢中になっているうちにかなり腕も上がってきたのです。

55歳で退職してから精神的にゆとりができました。そして、ほんとに好きなことをやってみたくなりました。そのとき、こころにわき上がってきたのが飛行機です。私の人生は飛行機と切っても切り離せません。故郷の空を飛びまわる進駐軍の飛行機に魅せられてから、紙飛行機、ゴム動力飛行機、無線飛行機と発展してきました。無線飛行機を再開しようと思ったのですが、近所に飛ばせるところもありませんし、狭いマンション暮らしでは、飛行機を置く場所もありません。

そこで、マイクロソフト社のフライトシミュミレータというコンピューターゲームを1万2千円で買うことにしました。パイロットがフライトシュミレータを使って操縦訓練をしているのを知っていたからです。これが思いのほか傑作で、おもちゃの域をはるかに超えていました。

夢中になりました。


そのうちに本物のフライトシュミレータが調布飛行場にあるのを見つけました。操縦席は本物とほとんど同じです。操縦桿の動きに応じて前面と側面の映像が動くので、ほんとうに空を飛んでいる感覚になります。操縦席も傾き、振動や爆音も模擬しています。現役のパイロットが後ろからマイクで指示をしてくれます。熱心な教官のおかげでずいぶん上達してきました。

しかしながら、実機を操縦するなどということはまったく頭にありませんでした。

 フライトシミュレータ

 

私はマリーンスポーツで毎年のようにグアムを訪れています。

タモン湾でシュノーケル、ウィンドサーフィン、ヨットなどを楽しんでいると、セスナが手の届くような低空を飛んで来ます。

目の前にあるグアム国際空港に向けて着陸態勢をとっているのです。

海に浸かって体を冷やしながらしばし見学です。

不安定な飛び方をしています。ここでは12歳以上であれば誰でも教官パイロットの指導で体験操縦が出来ます。ですから、あのような飛び方をしているのでしょうか。

「これなら私のほうが上手にでもできる」という思いが頭をよぎりました。

そこから私の体験操縦がはじまったのです。
 
 
 

グアムのタモン湾 

セブの空を飛ぶ

そんなある日、朝のテレビでサンゴ礁の上を飛ぶセスナが目に入りました。そして、「みなさまも、セスナとセブ島の素晴らしさを、ぜひ味わってください」と熱く語るパイロットを見ました。

さっそく、「セブ島遊覧飛行」で検索すると、セブ島で体験操縦ができるというフライトスクールのホームページを見つけました。魅力的なホームページに誘われて旅行計画を立てました。ところが、それを境に仕事が忙しくなってしまい、ホームページを見るだけの日が続いたのです。

平成1949日、朝820分のことです。

日本からインターネットで予約した時刻よりも10分も早くそのフライトスクールの名前の入った車がホテルにやってきました。

一人旅、初めての国、前夜に着いたばかりと、不安のかたまりの私でしたが、これを見てホッとしたのです。時間に余裕をもって迎えに来てくれたのだそうです。
 
ホテルはとても豪華なもので、セブ市の中心部に堂々とそびえ立っています。そこからさっそうと出発です。

天気も申し分なく飛行日和で、心も弾みます。

 セブ市の中心部にあるホテル

 

車窓からはビジネスパークや巨大ショッピングモールなどの近代的な街が見えます。大都会の景色です。案内の方は日本人でしたのでせきを切ったように質問責めにしてしまいました。話は体験操縦のことからセブ島観光のことまでも広がりました。

車はセブ国際空港のあるマクタン島に向かっています。だんだんフィリピンらしい雰囲気が出てきました。旅行雑誌を何度も見て、すっかりなじみになったトライシクル、乗り合いバス、でこぼこ道路、生活感のある家が見えてきます。

家々は思っていたよりもはるかに雑然とし、人々は荒々しく行動しています。子供の多いこと。

マクタン大橋を渡りマクタン島に入ると、さらに振動、雑踏、騒音、砂ぼこり、見栄を張らない家々や普段着の人々が増してきました。しばらく走り、左折して小さな路地に入ると、急に静かになりました。まもなくして左手に広大な景色が見えてきました。セブ国際空港です。滑走路の向こう側に、昨夕到着した空港ターミナルが見えています。こちら側は小型機用格納庫がいっぱい並んでいます。

ガードマンが厳重な扉を開けました。セキュリティーチェックを終えてからタクシーウェイを小型機に混じって行くと、青い屋根の格納庫と赤い屋根の事務所が見えてきました。ホームページで長く見続けたフライトスクールの建物です。

「とうとう夢が実現した」と感慨ひとしおでした。

もうセスナ172が格納庫の前で待っていました。

初対面なのですが、赤い線のはいった機体はホームページで見慣れています。

時間があったので飛行前点検の要領で機体を見てまわりました。

塗装がきれいで新品のように見えます。金属の腐食や剥離なども見当たりません。

セスナは生産中止になってからかなり年月がたっています。私がいままで乗った機体は見るからに老朽化したものばかりでした。このように整備されたものはめずらしいのです。

 

私を待っているセスナ172

 しばらくするとパイロットの方が来られました。

「おはようございます」という声を聞いて、オーナーパイロットの石田機長ご本人だとすぐわかりました。さらに、石田機長出演のセブ島体験操縦のDVDをよく見ていましたから、あの元気でよく通る声は聞き慣れているのです。

私の操縦経験を耳にした石田機長はエンジン始動から、かなり突っ込んだ指導をしてくださいました。エンジンのチェックもすべて体験させてもらえました。

さあ、タクシーです。黄色い線から右へ左へと外れて蛇行します。

「これは私の苦手科目です」と言うと、「足を軽くペダルに乗せてください」、「私の操作を足で感じてみてください」とおっしゃいます。

石田機長の操作が足に伝わってきます。こんなに小刻みに、こんなにすばやく行うとは夢にも思っていませんでした。
 

 苦手なタクシー

 

やってみてください」との言葉に、まねをしてみるとセスナは黄色い線上をなにごともないように進みます。「エンジンは1100回転ですよ」と指示され、調整すると、ほどよいスピードになりました。

「急カーブのタクシーがうまくできません」と言うと、「曲がる方のペダルの上部をつま先で少し踏んでブレーキをかけてください」とのことです。見違えるように楽になりました。今までは思い切りペダルを踏みつづけて足がつっていたのです。

滑走路の手前で停止しました。石田機長がセブ国際空港のタワーと交信します。セブ島に来たことを実感します。滑走路に入り、センターラインに乗せました。この滑走路は方位040度を向いています。方位の最初の二桁の04をとって04滑走路と呼ばれます。風に向って離陸しますが、風が反対の場合は反対の方向に離陸しますから22滑走路となります。

目の前にはジャンボ機も離着陸する広大な滑走路と南国の大空が広がっています。少しカスミがありますが晴天で微風です。

「スロットルをゆっくり押しながら右足も同時に踏み込んでください」、「センターラインを維持してください」、「65マイルになったら操縦桿を引いてください」と離陸前説明も佳境に入ります。

いままではフルパワーにして機首が左を向いてからラダーで右に修正していました。そのために蛇行しセンターラインから離れたところで離陸していました。最初から右ラダーを踏み込むのはグットアイディアです。

フルパワーにしました。速度計をチラッ、チラッ、と見て、65マイルになったところで操縦桿を引きました。離陸しません。ノーズが重いように感じます。引く力を少し増しました。浮いたのは70マイルを過ぎてからでした。ちょっと失敗です。これは前回乗ったのがセスナ152という敏感な飛行機だったので、その感覚が残っていたようです。

フルパワーのまま大空へ上昇します。

離陸直後に見える景色

400フィートになるまでは上昇率の一番よい80マイルで早めに上昇してください」、「スロットルはフルパワーの位置で手を添えたままにしてください」、「400フィートまではこうやって、スロットルが戻らないようにして、命を守るのです」、「400フィートを超えたら何をしてもかまいません」、「これは命を守るのです!」と、なにか真髄に響くような教えでした。

「これは命を守るのです!」という言葉はもう私の耳から離れることはないでしょう。

400
フィートに到達しました。「これからは90マイルで上昇をしてください」との指示です。操縦桿を押して90マイルに増速してからトリムで調整しました。

右旋回を指示されて操縦桿を操作すると「上昇中のバンク角度は15度ですよ」とアドバイスです。バンク角が大きいと揚力が減るので上昇中は15度以内に抑えた方が安全なのです。

旋回を終えたところで、「1500フィートまで上がりましょう」という指示です。

しばらくこのままの飛行です。

やっとあたりを見る余裕が出ました。多くの島々、サンゴ礁、青い海、入道雲など、なんと素晴らしい景色でしょうか。もう、マクタン島の隣のオランゴ島上空です。石田機長が目の前に広がる島々の説明をしてくれます。

1500
フィートに近づきましたので操縦桿を押して水平にし、100マイルに増速したところでエンジンを2300回転に落としました。機内が急に静かになりました。トリム調整が終わって飛行が安定すると、操縦していることをすっかり忘れてしまい、意識はもっぱらサンゴ礁の美しい島々に集中しました。

 美しいオランゴ環礁

オランゴ島の南にはカオハガン島があります。「カオハガン島はどこですか」と聞くと、「本で有名になった島でしょう」、「著者の崎山さんを知っていますよ」、「ちょっと右に行ってください」と石田機長が手で進路を示してくれました。

そうです。仕事に疲れ、心身ともにボロボロになっていたときに出合った本です。時空を超越した島民とのふれあい、大自然の優しさと猛威などを著した本で、題名は「何もなくて豊かな島」といいます。何もない小さな島に、はかり知れない幸福があるというのです。私の人生観がすっかり変わり、一息ついた本です。

石田機長が、「あれです」、とゆびさしてくれました。小さな細長い島が見えました。本にあったものと同じ形です。本の文面も頭いっぱいに広がってきました。あの本を読んでいたころ、私がその島の上空をセスナで飛ぶなどということは、夢にも思っていませんでした。ただし、そこはセブ国際空港の管制圏内ですから自由に近づくことはできません。

機首を左に向けました。ボホール島方面です。

 ボホール島の名所チョコレートヒルズ

ばらくするとチョコレートヒルズが見えてきました。小さい山の集合体です。生成のいきさつ、季節によって色が変わることなど、石田機長の説明に力がこもります。思っていたよりもはるかに多くありました。あっちのヒル群、こっちのヒル群と見て回ります。飛行機のなんと便利なことか。

「展望台に向かってください」、「高度を少し降ろしてみましょう」、「展望台を中心にして左旋回してください」、「はい、今度は右旋回」と石田機長から次々に指示がきます。

「展望台から大勢の人がこの飛行機を見て歓声を上げている」と、勝手に思い込んだ私は美しい旋回を心がけました。

さあ、海へ出ます。

三日月のような形をした島があります。どうしてこんな形になったのでしょうか。住みにくくないでしょうか。小さいのに民家で溢れている島が見えてきました。どんな人が住んでいるのでしょうか。恋人はどのようにして見つけるのでしょうか。水はどうしているのでしょうか。海だけを相手に生活が出来るのでしょうか。魚は十分に取れるのでしょうか。生活用品はどうしているのでしょうか。

こんな私の心配は大きなお世話でしょうか。

どう見ても無人の島もあります。もったいないので物置小屋でも建てたらどうでしょうか。

整地された畑のような島が見えます。石田機長の大好きな島です。

 石田機長の大好きな畑のような島


島々は、ほとんどサンゴ礁に囲まれています。海の色は場所によって変化します。沖ではコバルトブルーの色ですが、白いサンゴ礁ではエメラルドグリーンやライトブルーに変わります。海水はあくまでも透き通っていて、サンゴ礁では海底がまる見えです。島々の椰子の緑が、このサンゴ礁に映えます。これは私が一番好きな景色なのです。

「私はラダーの使い方に慣れていませんので操作を教えてください」と石田機長にお願いしました。「じゃあ、あちらに向かってください」と指示されて機首を向けると、丸くて小さな島が見えてきました。この島を目印に旋回訓練です。

「では、30度バンクで360度旋回をします」、「足をペダルの上に軽く乗せて私の操作を確かめてください」と石田機長。左旋回ではラダーペダルを少ししか使わなかったのですが右旋回ではグッと踏み込んでいました。計器に目を移すと、旋回傾斜計のボールはいつも中心にありました。高度計の針は1.500フィートの目盛を正確にさし続けていました。さらに、水平儀のバンク角指示針は30度の目盛りから離れることはありませんでした。

お見事!

さあ、私の番です。右へ左へと何回も繰り返しましたが、どうもしっくりきません。機体が滑るという感覚は初心者の私にはまだわかりません。また、ボールを見る余裕など、とてもありません。今後の課題です。

「ライセンスを取るときの科目に急旋回があります」、「バンク角45度で旋回します」、「あの島を中心にして左旋回からはじめますから見ていてください」と石田機長がおっしゃると同時に目の前の景色が急変しました。水平線が垂直近く見えます。島が左下に見えますが動きはありません。島全体がゆっくり回転しているだけです。左旋回から右旋回に移りました。機体は大きく姿勢を変えます。前面の景色が大きく回転します。セスナという飛行機は、こんな荒業を、なにごともないようにこなします。多少重力を感じるだけです。

「今度は失速回復をやってみましょう」、「見ていてください」と次の科目です。成り行きで「はい!」と答えましたが急に不安になりました。「失速!」ですよ。そこまでは心積もりをしていなかったので覚悟不十分です。石田機長がエンジンをアイドルにしました。高度を保っていますから速度が急に落ちてきます。50マイルを境に少し不安定になってきました。失速ブザーが鳴り響きます。私は奈落の底に落下するものと思って身構えました。拍子抜けです。セスナは頭を多少下げただけでした。そしてあっという間に回復です。次に私が操作しましたが極めてスムースに回復しました。セスナの大きくて細長い主翼はなんと素晴らしいことしょうか。空気をしかりとつかんでくれます。

次に石田機長の不時着操作のデモンストレーションです。スロットルをいっぱいに引いてアイドルにしました。80マイルで降下するようにトリム調整です。それから燃料タンクのレバーなど点検箇所を指差しながら確認し、エンジン再起動の手続きをします。地上が近づいたところで「不時着決定!」、「場所は右前方の陸上!」と迫真でした。訓練次第で何も考えなくても体が自動的に動くようになるのでしょうか。

そろそろ帰る時間です。マクタン島へ向かいます。石田機長のはからいで、もう一度カオハガン島を見ることができました。こんどは船で行ってみたいものです。

左手前にマクタン島が見えています。リゾートホテル越しにセブ国際空港も目に入ります。降下を続けます。滑走路を右手に見ながら風下に向かう行程をライトダウンウインドといいますが、そのライトダウンウインドの中心部に向かいます。大きく右旋回してから左旋回に入れ、格好良くダウンウインドに進入です。

 リゾートホテル越しに見るセブ国際空港

高度800フィート、速度100マイル、方位220度に落ち着きました。右側に大きな滑走路が平行に走っています。目の前は一大リゾート地です。04という滑走路の番号が真横にきたところでエンジンを2300回転から1700回転に落としました。80マイルで降下開始です。セスナは落ち着いて降下しています。この飛行機は80マイルという速度が大好きなようです。

滑走路の末端が右45度後方に見えます。ここで右旋回です。310度方向の煙突に向かいます。フラップは降ろしません。「こんな大きな滑走路では不要です」、「単純な操作が最善なのです」との石田機長のご意見です。「まさにそのとおり」と感心していると操縦がおろそかになりました。「煙突に向かってください」と注意喚起です。

次はもっとも苦手とするファイナルターンです。シミュレータでは、この部分の視界が悪く、十分な訓練ができないのです

もっとも 苦手なファイナルターン

タイミングが合いません。案の定、旋回途中で、「操縦桿をもっと戻して旋回を大きくしてください」とアドバイスです。旋回開始が早すぎたのです。

高度400フィート付近でアプローチに入りました。機首を滑走路のセンターラインに向けるようとすると速度がおろそかになります。速度計に気を取られていると、こんどはセンターラインから外れます。「『センターライン』、『80マイル』と交互に確認を繰り返してください」とアドバイスをいただくと機首が接地点にピタリと向くようになりました。

滑走路末端でエンジンアイドルです。滑走路が目の前に迫ってきます。十分に近づいてから引き起こしました。

「滑走路すれすれの高さで操縦を引きながら機体を水平に保ち、最後は失速ブザーを聞きながら操縦桿を大きく引いて接地する」、の予定だったのですが、現実は厳しく、引き起こしてすぐに接地してしまいました。

引き起こしが遅れたのです。前回乗ったセスナ152の敏感な感覚を修正するのを忘れていました。そんなミスも吸収し、バウンドすることもなく平然と着陸するセスナ172もたいしたものです。

タクシーをしながら「引き起こしのタイミングが遅れてしまいました」と残念そうに言うと、「そこに気づくことが素晴らしいのですよ」、「それが良いことなのですよ」と、心に残る言葉をいただきました。

誘導員の目の前でストップしました。ミクスチュアーレバーを引いてエンジン停止です。「大変勉強になりました」、「ありがとうございました」という言葉が溢れ出てきました。

 フライトスクールの建物

あの赤い屋根の事務室に向かい、2階の石田機長室に案内されました。ゆったりと椅子に腰掛けて中を見渡すと、飛行機グッズ、航空書籍、ライセンス取得者の写真などが目に入り、飛行機ファンの私は幸福感に満たされました。

石田機長に出していただいたコーヒーが、高ぶった心身に心地よくしみわたります。

大きなガラス窓から滑走路の接地点が目の前に見えます。セスナが上下左右に大きく蛇行しながらやっと着陸しています。訓練生でしょう。次は大きな旅客機が小刻みに姿勢を修正しながら見事に着地です。

私のログブックに「キャプテン石田」のサインが入って華やかになりました。今まで操縦で感じていた疑問などをいっぱい話させていただきました。プロペラ後流、ジャイロ効果、横風着陸要領、ライセンス取得のことなどから、セブ島観光のことまで話が広がり、すっかり長くなってしまいました。

石田機長と記念撮影

石田機長の飛行機とセブ島をこよなく愛しておられる姿はとても印象的で、今も心の中に強く残っております。


セブ市の巨大ショッピングモールで買い物

ホテルに送ってもらってから巨大ショッピングモールのシューマートへ行きました。日本のものより大きく近代的です。


スーパーマーケットで魚が並んでいました。南の島といえば金魚のような魚、小さい魚、輸入の冷凍ものなどがお決まりですが、ここではたっぷりと身のついたものが多くびっくりしました。エビ類も豊富です。値段は格安です。

さっそくフードコートへ行きました。あまり店が多くてメニューを選ぶのに迷ってしまいましたが、魚の煮付け、イカのてんぷら、ナスの炒めもの、ライスを注文しました。これで数百円です。味付けが日本料理に近くふるさとの味がします。新鮮です。やや多めでしたが、セスナに乗って腹が減っていたので夢中で食べてしまいました。

もうひとつうれしいのは、フルーツです。種類と量が豊富で、大きな売り場を占めています。切身になったパパイヤ、スイカ、マンゴーを買いました。ホテルの冷蔵庫に保管して帰国まで毎日楽しくいただきました。「おいしい、安い、胃腸によい」で、三拍子そろっています。

おみやげにセブ島名物、袋入りドライマンゴーを数十個買いました。朝食用のサンドイッチも作ってもらいました。日本との連絡も、インターネット店でヤフーなどを使って数十円で済ませました。疲れたら店内のベンチに座ってセブ島の人たちの服装、年齢層、人種、言葉などを見聞きして異国情緒に浸りました。空調が効いていますから快適です。

こんなことで、滞在中はもっぱらシューマートショッピングモールでお世話になりました。夜はホテルのそばにあるもう一つの巨大ショッピングモールのアヤラセンターで閉店まで過ごしていました。
おかげで心配された食中毒やトラブルなどとは無縁でした。


壮絶なセブ市の歴史探索

帰国の前日に歴史探索に出かけました。

セブはフィリピン発祥の地で、とても由緒ある所なのです。

むかし、フィリピンという国はありませんでした。大小、七千あまりの島々があり、島ごとに独立していました。

1521年、あのポルトガルの航海者マゼランがセブ島に上陸してから、島々はスペインによってまとめて統治されるようになりました。そして、時のスペイン王子、フェリペにちなんで「フェリペナス諸島」と命名されました。これがフィリピン誕生のいきさつです。

その後、国力の弱ったスペインはフィリピンをアメリカに売却しました。

そして、第2次世界大戦がはじまるとすぐに日本軍に占領されました。そして日本が負けると再びアメリカの支配下に入り、終戦の翌年に独立したのです。

なんと壮絶な歴史を持った国でしょうか。

 スペイン統治時代を漂わせるサンペドロ要塞

 

セブ市には、これらの歴史を物語る要塞、教会、遺跡などが多く残っています。そして、歴史博物館も多く、興味がひかれます。

歴史との触れ合いで、ほとんど一日を費やしてしまいましたが、まだまだ足りません。午後に予定していたマリーンスポーツは見送りとなったのです。


セブ市は人口90万人の大都市

歴史探索の間に、セブ市を垣間見ました。セブはマニラ市に次ぐフィリピン第2の都市です。

この街には、超高級リゾートホテル、巨大ショッピングモール、近代的なオフィス街、立派な国際空港、大きな港、優秀な大学、大工場、高級住宅街があります。さらに、歴史建造物も点在しています。一方で、生活感にあふれた住宅区がいたるところに広がっています。

セブ市は歴史的に価値のある町なのですが、住民はそんなことは意に介していないようです。「過去よりも、今日、明日の生活のほうがはるかに大事」、といった感じで、元気いっぱいです。

この街にはいろいろなものが混在していて、いくら歩き回っても飽きることはありません。じっくりと時間をかけて、ひとつひとつ見たり、聞いたり、触れたりしたくなりました。

帰国便での出来事

りは、朝750分発のフィリピン航空です。乗客は半分くらいでしたので、希望どおり後部左の窓側の席を用意してもらいました。

機速が増して滑走路から離れるとフライトスクールの建物が見えてきました。お世話になりました。


上昇しながら180度左旋回して間もなく、セブ島の北端が見えてきました。右に変針して多くの島々を超えると大海原に出ました。セブとお別れです。「名残惜しい」、「さみしい」という気持ちはまったくありませんでした。「この景色はこれから何度も何度も見ることになるだろう」、という思いの方がはるかに優っていたのです。

あとがき

帰りの機内での思いは現実のことになりました。

「ライセンスにトライしてみませんか」との石田機長の熱心な言葉がこころに残り、その1年後からライセンス取得の航空留学を3回行うことになりました。63歳のときのことです。

その翌年にはライセンス更新飛行のため、また、訪問しました。

最初の訪問で経験した高級ホテルと巨大ショッピングモールでの生活は快適でしたが、普通にある都市と変わらず、フィリピンを訪問した実感がありませんでした。現地の人の写真もほとんど写していませんでした。

再訪問してからは、地元の家に住み、自炊でローカル市場に通い、助けてもらったり、恥をかいたりして、現地の人たちとの飾らない交流がはじまりました。そして、イメージが一変しました。日本の終戦直後の人々や家々に再会したような気分になったのです。あのころは、みんな貧しかったにもかかわらず心暖かく、人間らしかったような気がします。

あの「何もなくて豊かな島」のカオハガン島にもボートをチャーターして行き、小屋に泊まりました。電気もお金も何もないところで、大自然の驚異と心やさしい島の人々に出会いました。

そろそろ、セブ行きの準備をしたいものです。いつも出発のヶ月くらい前からはじめるのですが、とても楽しいものです。

多くの友だちへのおみやげは、いつも心がけていますので、もう買ってあります。

車に乗ると、セスナのエンジンスタート、ランナップのイメージトレーニングをします。ハンドルもセスナと同じように左手のみで握って走行します。計器を見て一定の速度で走る訓練もします。管制塔との無線交話も大きな声を出して練習します。米軍放送を流して英話の聞き取り訓練も欠かせません。

通勤電車では、セブ島で使われているビサヤ語のおさらいに入ります。ビサヤ語は大事です。片言なのですが、地元の方とすぐに打ち解けることができます。それが終わると離陸から着陸までのイメージトレーニングを入念に行います。目を閉じて熱中するのでよく乗り過ごしをします。

パソコンに向かうと、フライトシミュミレータを起動してセブ島付近の飛行場を選択し、操縦訓練に入ります。クロスカントリーを予定している飛行場には何度も飛んで行き、滑走路の長さ、高度、方位などもしっかり暗記します。

こんども、成田のフィリピン航空カウンターで荷物の重量オーバーが発覚し、大あわてをするのでしょうか。午後3時半に機内食をいただき、照明を消され、ガンガンに冷えた機内をウィンドブレーカで耐え忍ぶのでしょうか。

夕闇迫るころ、フィリピンの島々が見えてきます。すると、頼まれもしないのに、客席で必死になって磁気コンパス、地図、窓からの景色をたよりに、機の位置を正確に割り出し、使用滑走路が04番か22番かを推測します。それから、フラップと脚の出し具合を目や音で確認し、着地寸前の小刻みな姿勢修正に、他人ごとではないように、冷や汗を流します。そして、こんどもパイロット以上に疲れ果ててセブ国際空港に到着する私でしょうか。

機を出てターミナルを歩くと、植物の香りを含んだ暖かい空気に触れます。南国特有のものです。そして、湿気が心地よく肌を包みます。カビのような匂いもします。その瞬間に故郷に帰ったような気分になり、凝り固まった私の心身が、また自由空間に向かって解き放たれるのでしょうか。



第2の故郷になったセブ(平成26年8月記)

その後、毎年セブを訪問して操縦技術の向上、人との触れ合い、新しい発見などに胸をときめかせています。

元気に満ちている午前中にフライトです。最近は、緊張しっぱなしの操縦から解放され、外の景色が目に映るようになり、楽しさが一段と増しました。少しずつ向上している操縦技術にもうれしさがこみ上げてきます。クロスカントリーで飛んで行くローカル飛行場の職員ともすっかり顔なじみです。

 

 ヒロンゴス飛行場(レイテ島)


  ヒロンゴス飛行場(レイテ島)職員

 
 オルモック空港(レイテ島)


私が利用する小さな宿は一般の民家が集まっているところにあります。日本人はまったく見当たりません。夕方近くに近所を散歩するのが好きです。家々は雨露を凌ぐだけの小さなものですから、人々の生活が丸見えです。奥様方は屋外で炊事、洗濯、そして世間話に花を咲かせ、笑いが絶えません。子供たちはみんな仲良く路地を活発に走り回っています。

周りに贅沢なものは何一つ見当たりません。炊事の煙、鶏の鳴き声、人々の話し声が郷愁を誘います。みんな仲良く助け合っていた終戦後間もないころの日本によく似ています。

みんな何でこんなに活き活きとしているのでしょうか。

人は極貧に近い生活のほうが幸せなのでしょうか。

ここにいるととても元気になる私です。


子供たちの写真を撮り、次の年にプリントアウトした写真にチョコレートを添えてプレゼントしたことから交流が始まり、今では親たちも加わってゲーム大会や料理交流など楽しさが増してきました。メール交換もしているので一年中のお付き合いです。

   


フライトのない週末には、あのカオハガン島に行っています。定期船などはないのでボートをチャーターして向かいます。島には電気もお金も世間的地位も何もありません。あるのは、サワサワと風になびく木々の音、かすかな波の音、ニワトリの鳴き声、ランプの臭いなどだけです。

島民はどこまでも優しく見守ってくれています。

海を独り占めで、木陰から延々と眺めます。

青空を覆うほど大きく伸びている椰子の葉に見惚れて、しばし時を忘れます。

気の向くままに過ごすのが至福です。

真水を大切に使い、謙虚な気持ちになります。

海で何かに刺され、全身を貫く激痛の中、厳しさも兼ね備える大自然にしばらくうなだれるのも好きです。


 
   
   
 
 
 カオハガン島の大自然


帰りの飛行機や電車の中でデジカメの写真や動画を整理していると、現地の人たちの写真が年々多くなっていることに気が付きました。やはり人との触れ合いが一番なのでしょうか。

今まで七十年近く、人から距離を置いて生きてきた私ですが、何か変化が訪れたのでしょうか。

平成22年10月(記)
平成26年9月更新

平成27年4月更新
松木秀夫

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