主の例祭について

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(I)信仰指導書である聖書はこのことについて、何と伝えているか。

(1)新約聖書の見解

@ 祭りについて多くを伝えていないが、初代教会を構成していたユダヤ人使徒達は、聖書暦について次のような考えを述べた。

イ)「祭りや、新月や、安息日のことについて、誰にもあなたがたを批評させてはならない。(コロサイ2:17)」

祭り、新月、安息日については、ヘブライ聖書(タナーク)に命令されているように、尊重しなさいとの意味であって、決して破棄して良いとか、無視して良いと言っているのではない。新約聖書の書かれた頃のローマ人社会は、全ての日は同じであって、何ら変 わりないと言う通念で動いていた。唯一ユダヤ人社会だけが、トーラーの教え通りに、 週の第七日目を特別な日として認識し、休息する日、安息日と呼び、聖く保っていたのであった。 なお、日本聖書刊行会、新改訳聖書は、「、、、安息日を尊重することについては、、、」とする、ギリシャ語(εν μερει)が欠落している。

ロ)「日を守る人は、主のために守っています。(ローマ14:5,6)」   主が時を造り、季節を定めているので、特別な日であれば、それは主が理由あって定 めたのです。この聖句には、ギリシャ語原典によれば後半部分があって、それには、「守 らない人は、主に対して守っていないのです。」とある。聖書高等批判学者によって、 この後半は切り捨てられている。

ハ)「パン種の入らない純粋で真実な種なしパンで祭りをしようではないか。 (lコリント5:8)」

新約聖書中、唯一祭りの祝いを奨励している聖句で、ここでは、キリスト教会の聖餐式 の原型となっている「過越の祭り」について、言及している。ここで使徒パウロは、この祭りではヘブル名 "マッツア "というイースト菌の入っていないパン(パン種は罪の象 徴)を食べるのだから、霊的にも罪のない状態で祝いましょうと伝えているのです。

(2)タナーク(旧約聖書)の見解

@聖書暦には、イスラエル人は祭りを祝うことが命令されている。

イ)「イスラエル人に告げて言え。あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭、すなわち私の例祭は次のとおりである。(レビ記23:2)」

a)例祭(Feasts)と訳されているヘブル語は「モエド」で、本来の意味は「会合の約束 (Appointment)」である。

b)例祭は「私の例祭」であると、それらが主に属するものであることを伝えている。ユダヤ人の例祭とも言っていない。全信者に備えられたものと言える。

c)「イスラエル人に告げて、、」とあるのは、エジプトから彼らと共に脱出して来た 多くの外国人達も含んでいた。 (参照:出エジプト12:38、申命記16:13〜15)

ロ)聖書暦に生きることは、全ての民にとって祝福となる。

「一つの集会として、定めはあなた方にも、在留異国人にも、同一であり、代々にわたる永遠の定めである。主の前には、あなた方も在留異国人も同じである。(民数15:15)」

これは、公正な神様は、ユダヤ人もそうでない者も、主の教えを実行するならば、同じ祝福を与えるとのことである

A信者は、神の定めた時、時期を知る必要がある。

イ)「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(伝道書3:1)」

自然を見れば分かることだが、種を蒔く時、刈り取る時といったように、神様は、時期を定め祝福を地にもたらして下さる。

ロ)「それが(再臨)いつなのか、またどういう時かについてはあなたがたは私達に書いてもらう必要がありません。(Iテサロニ5:1)」

何故ならば、私達には神様のタイムテーブルが与えられているからです。

ハ)「あの万物の改まる時まで、、、(使徒3:21)」 それは、昔の預言者によって、語られている時である。

「見よ。まことにわたしは新しい天と地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。(イザヤ65:17)」

(U)キリスト教会の歴史は、「祭り」について何を伝えてきたか
起源200年頃、ローマ・カソリック教会では、『新約にある信者は安息日を含め、 主の例祭を祝わないように、祝う者は信者間の交わりから除名する。』との通告が出さ れた。(参照:A New Eusebius キリスト教父達の書簡 125章) キリストのからだである教会からのユダヤ色の一掃であった。このことについては、 この大変化が起こる以前に、既に預言者ダニエルは警告を発していた。

イ)「彼は(ローマ帝国)いと高き方に逆らう言葉を吐き、、、彼は時と律法(Time and Law)を変えようと、、、(ダニエル書7:25)」

多くの神学者の一致するところは、この"第四の国"はローマ帝国であり、この国は、前述のおふれを紀元後200年に公布し、また同321年には週の第一日を聖なる日と設定して、その想いを成就させた。また、第一回キリスト教会会議と言われる"ニカヤ会議(325年AD)"へは、主催者であったコンスタンチーノ大王は、大のユダヤ人嫌いであったので、当時のユダヤ人の教会指導者を招待しなかった。そうして、キリスト教会は、元木であった初代キリスト教会から切り離され、ヘレニズム(異教)化の道に進んでしまった。(A New Eusebius参照)

また、17世紀の宗教改革を成功させた、カルヴィンやルーターも神への信仰復興についてはカソリック教会誕生前の4世紀までは戻ったが、それ以前の福音のユダヤ性の回復、ユダヤ人宣教の重要さまでは掘り下げなかった。むしろ、ルーターの無知と旧き神学が反ユダヤ人運動を引き起こし、彼らに対する憎悪はヨーロッパ各国を竜巻のごとく舐め尽し、最終的にホロコーストの悲劇となったのであった。これが、愛を説く筈の近代キリスト教会史であった。そして、キリスト教会は引き続き古い習慣の中にいると言える。
(V)律法(トーラー)に対する主の熱心さをご存知ですか

@主は律法(トーラー)の著者であり、その使徒、宣教者である。

「こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられた時、証しの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた。(出エジ31:18)」

イ)「主は、ご自分の義のために、みおしえを広め、これを輝かすことを望まれた。(イザヤ42:21)」

「わたしが来たのは律法(トーラー)や預言者を廃棄する為だと思ってはなりません。廃棄する為ではなく、成就する為に来たのです。(マタイ5:17)」

このことから、主の来臨の目的のひとつは、ご自分が書かれたトーラーを彼の民にはっきりと分からせることであった。文中の「広め」とは、ギリシャ原語では、「拡大してハッキリ見せる(To magnify)」との意味である。

ロ)「彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々もそのみおしえを待ち望む。(イザヤ42:4)」

トーラーはイスラエルの為だけではなく、世界的規模にわたる神の義を知らせ、確立させる為に必要とされる。

ハ)「耳を傾けよ。、、私たちの神のみおしえに。(イザヤ1:10)」

「みおしえ」と訳されているヘブル語は「トーラー」である。神の教え、神の指示は、私達信者にとって、はなはだ有益なのである。祭りの開催も、主とお会いする絶好の機会であるとトーラーは伝えるのである。 結論 レビ記23章は、農業祭を通して、週毎と年間のカレンダーが記されており、神にあって特別な時、時期について、過去、現在、そして未来に関して伝えてくれる。ユダヤ神秘主義ではなく、聖書の奥義を引き続き、それぞれの祭りから、詳しく学んでいく。

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