

鶴舞城

鶴舞小学校の敷地内の土塁上に一部の残っている「鶴間城跡地」。明治元年、6万2千石の城として鶴舞城を作り始めた。しかし、完成する前に廃藩置県となった為に城は鶴舞藩庁となった。
鶴舞藩庁跡

鶴舞は明治維新の徳川家の駿河入封するにあたり、浜松藩だった井上正直は千葉県上総に明治元年、転封された。鶴舞藩が誕生したと記されているのは明治3年4月である。浜松からどのくらいの人々が移り住んできたかは分からないが、築城やお堀、武家用の宅地造成が行われた。
克明館

克明館は鶴舞の藩校であった。明治3年に建てられ、場所は今の鶴舞公民館のところにあった。また、明治以降に多くの偉人や文化人を鶴舞の地から排出していった。
鶴舞藩大井戸

鶴舞城跡と同じ敷地内にある。この井戸は鶴舞藩主の井伊正直が徳川家康が築いた浜松城の井戸を真似て掘ったものを復元した。また、良質な水が豊富に出るということからこの土地が選ばれた理由である。