第二のふるさと
 ―― わたしにとっての国立

群馬県大間々町を流れる渡良瀬川の写真わたしの故郷は、公害第一号の足尾銅山から流れる渡良瀬川流域の町、群馬県大間々町(現みどり市)。畳職人の長女として生まれた。中学卒業で町を離れ、その後いくつかの地域で暮らしたが、国立市が一番長く、深い関わりになった。

初めて国立へ ―― NHK学園の生徒として

17才で結婚して、子育てをしながらNHK学園高校の通信教育受講。1965(昭和40)年に埼玉県朝霞市から本校である国立校の行事(必修単位として)に子ども連れで参加。これが国立への第一歩。当時の印象として、大学通りの広さと、大きな団地(富士見台第一団地)が建設中で、力強く活気のある町、との記憶である。(この2年後に市政施行)。

無認可障害者施設「富士学園」に就職

1973(昭和48)年4月、子どもを残して離婚。30才。新聞の小さな募集案内を見て住込みで就職。富士学園は国立市北の第4小学校前にあった―― 1年後閉鎖問題が起り、以後9年間の自主運営。無給のため、内職や物品販売等、全国から支援をうけた。生活を守りながら問題を訴え続けたが、1981(昭和56)年12月、中央労働委員会の和解勧告により再開は叶わず問題を収束。学園=国立市を去った。※当時の弁護団長は故山花貞夫氏。(元社会党委員長)

議員に立候補のため、国立に戻る

1995(平成7)年4月、三多摩医療生協国分寺診療所に勤務中、社会党の要請を受けて国立市議会選挙に立候補。突然の出馬だったが思いがけないトップ当選。―― 国立の町が以前と違って見えた。3回目の選挙前に社民党を離脱し、無所属「つむぎの会」として今日に至る。

いま、国立に想うこと

お囃子の写真地域の行事に参加し、伝統文化を守り継いできた人達との出会い。更に、議員生活12年を通して今私に見えているのは、「歴史を重ねた新しいまち“くにたち”」の姿。多摩川からひらけ、谷保天満宮が1105年の大祭を迎える今年、堤康次郎氏から始まる「文教のまち」としか知らない人達もいる。南も北も、地域をつむいでいくのが私の務めと考えている。

「ちえこ通信」No.53(2007年1月)より

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