「障がいを考えるために」

       日本基督(キリスト)教団「障がい」を考える小委員会

 

 

 

        <説教 「水の上を歩く世界」鈴木恭子

 


   〜 聖書 マタイによる福音書 14:22〜33 〜

 22  それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。23  群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。24  ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。25  夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。26  弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。27  イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」28  すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」29  イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30  しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31  イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32  そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。33  舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。 


  昔は多くの人々が礼拝に来ておられたが、今は淋しい状態になり、この先が思いやられるという声がしているという教会があちこちにあります。私たちが現在牧している下関西教会がそういう状態です。私たちが下関に赴任しまして、7年目です。夫婦2人が牧師であり、伝道に励んできたつもりですが、礼拝者がなかなか10名にならないのです。どうして新来会者が与えられないのかと思い、落ち込むことがしばしばです。しかし、計らずも神様は、昨年530日のペンテコステ礼拝で、73歳になられる男性の方を洗礼にまで導かれました。一人の方が洗礼をうけるということは人間の思い決心でできるものではありません。聖霊の導きとしか言えません。

これは唯々、神様に目を留めて思いきって水の上に足を踏み出して水の上を歩きだした出来事なのです。これからこの兄弟は強い試みの風を受けることでしょう。

マタイによる福音書14:22−33は有名なイエス様が湖の上を歩いてこられたという箇所です。

イエス様は多くの人々に話され、解散させた後一人で祈るために、弟子たちを「強いて」舟に乗り込ませ、先に向こう岸に行かせられました。しばらくすると逆風が吹いてきて波に悩まされていました。ところが、夜が明けるころ、イエス様は湖の上を歩いて弟子たちのところに来られました。弟子たちは幽霊だと思い、おびえ恐怖のあまり叫び声をあげました。すると、イエス様は、「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」といわれました。ペトロはイエス様だとわかると「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と言いました。イエスさまが「来なさい」と言われたのでペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエス様の方へ進みました。彼はイエス様の御言葉のみに答え、つまりイエス様にのみ目を向けて舟から降り、水の上を歩きました。ところが、強い風に気をとられたとたん、沈みかけました。しかし「主よ、お助け下さい」と叫ぶとイエス様は手を伸ばし「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われ、2人が乗り込むと、風は静まったので、弟子たちは驚いて「本当にあなたは神の子です」といってイエス様を拝んだのです。

さて、私たちの歩みはどうでしょう。イエス様は私たちを「強いて」向こう岸へおやりになります。すると、強い風が吹いてきます。病気、不況、生存競争、人間関係、教会の歩みの中での不一致などの嵐に出会いおぼれそうになり不安になります。

その嵐の中にイエス様が近づいてこられます。ペトロのように私も行かせてください、と足を踏み入れ前進しますが、ふと、現実に目を留めると、とんでもないことをしていると気が付き溺れそうになるのです。いろいろな問題に煩わされたり、仲間割れをしたり、争いが起きたりすることです。その時「主よ、助けてください」と叫ぶとすぐに手を伸ばして捕まえて下さるのです。

私たちはイエス様に目を止めてそこに行かせて下さいと言って洗礼を受けたのです。迫害があり、妨害があり、邪魔が入っても従いました。洗礼を受けるということは奇跡なのです。そう、水の上を歩くことなのです。あなたも、私も主の「おいでなさい」という言葉に、まわりのことも忘れ唯、主イエスに目を止め踏み出したのです。

私は、何度も水の上を歩き、溺れそうになり、「助けて下さい」と言い手を差し伸べていただいてきました。

43年前、6名の教会員の教会に赴任しましたが、謝儀もあまり出せないため、わたしはアルバイトをする状況でしたが、ある時、土地を買い、会堂建築をするという思いを起こされました。いくら考えても無謀としか言いようのない事柄です。しかし主の「おいでなさい」という言葉に導かれ、水の上に一歩足を踏み入れて歩き出しました。あれよあれよという間に、基礎工事も終わり骨組みが完成した頃でした。ある方が「あんな若い牧師にのせられてあまりに無茶すぎる」と言いだされ、案の定強い風が吹いたのです。その発言に教会員はもちろん、私も動揺しはじめました。そこで「助けて下さい」と必死になって祈りました。するとある人が「今は出エジプトをしているのよ」と言い出し、「そうね、神様は必ずこの計画を成就させて下さるわね」ということで立ち上がり、それからは祈りつつ募金に励み、3年で必要が満たされたのです。まさに、水の上を歩いたのです。

 また、それから15年後、開拓伝道してまた、土地を購入し、会堂建築を行うことになり、再び水の上を歩くことになり、強い風が吹きましたが「主よ、助けて下さい」と叫び、助けていただき5年で必要が満たされました。

 その後牧師館を2か所で建設しましたが、それらもすべて、水の上を歩くことでした。

「おいでなさい」と言われる声に応じて、一歩踏み出し、どんなときにも主に目をとめていくならば、水の上を歩く歩みへと導かれるのです。

 皆さんはこのような、素晴らしい世界にいるのです。落胆することなく、常に主イエスに目をとめて歩くならば、生きて働きたもう主が助けて下さるのです。

もし何か問題が起こって右往左往しているならば、現実の風に心が奪われている証拠と言えるでしょう。

今日、あちこちの教会がこれから先どうなるかという不安にかられる状況にあります。つまり、教会に来る人がいなくなりつつあるということです。今、強い風が吹いているのです。今こそしっかり主に目を止めて「助けて下さい」と叫びましょう。すると主が手を伸ばし「信仰の薄い者よなぜ疑ったのか」と言っておられます。

何度も言いますが、水の上を歩く素晴らしい世界があることを自分が体験をし、そのことを周りの人たちに伝えていきましょう。神様は生きて働いておられるのです。

 

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