Stage 8 古代中国における女性生殖器各部の名称

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1.玉門(ギョクモン)

 これは手元の国語辞典でも、「@玉で飾った門。A女の陰部。陰門」となっています。そして「陰門」は、「婦人の生殖器」となっています。とくに古代中国でなくても、日本でも、女性の生殖器を「玉門」といっていたし、いっているのでしょう。

2.深谷(シンコク)

 「深谷」は、国語辞典で「底深い谷」となっています。漢和辞典で、ここでの「深」は、距離が深いことをあらわしていると書いています。
 そのほか、「幽谷(ユウコク)」ということばをもちいている箇所もあります。「幽谷」は、国語辞典では「奥深い谷。深山にかこまれた静かな谷」となっています。漢和辞典によれば、「幽」には、「奥深くかすか」という意味があるようです。
 また、「邃谷(スイコク)」といっている箇所もあります。漢和辞典によれば、「邃」は「深く遠い」という意味だそうです。したがって、「奥深い谷」と考えてよいでしょう。
 これらの「深谷」、「幽谷」、「邃谷(スイコク)」、いずれもほぼおなじ意味で思われます。
 女性生殖器のところで「奥深い谷」といっているので、「陰唇」のあいだの深い谷、いわゆる「割れ目」をいうと考えられます。
 ただ、「大陰唇」のあいだの谷をいっているのか、「小陰唇」のあいだの谷をいっているのかは、定かではありません。むしろ、一般的に「割れ目」といっているように感じられます。

3.金溝(キンコウ)

 「金溝(キンコウ)」ということばですが、権威ある漢和辞典、『大漢和(だいかんわ)』では、「馬埒(ばらち)、馬場(ばば)の囲い。宮園などにある溝をいう」とかかれています。


 「Stage 8」でふれましたように、第5章『臨御(りんぎょ)』のなかでは、

 「上から玉面(ギョクメン;美しい顔)を観(み)ます。下から金溝(キンコウ)を視(み)ます」。

と、書かれています。
 上から美しい顔を観て、下から宮園にめぐらされた溝を視るといっています。


 また、そのすぐあとで、

 「そこで、陽鋒(ヨウホウ;ペニス)でもって縦横(じゅうおう)に攻撃(こうげき)します。あるいは下のほうでは玉理(ギョクリ)を衝(つ)きます。あるいは上のほうでは金溝(キンコウ)を撃(う)ってつきかためます」。

と書かれています。
 「金溝」、つまり「宮園にめぐらされた溝」ですが、どの溝をいうのでしょうか。
 たんにいわゆる「割れ目」というとも考えられます。しかし、それならば、「深谷(シンコク)」といえばいいと思われます。
 女性の生殖器で、外から見える「溝」はつぎのいずれかです。
 まず、「大陰唇」のあいだの溝、つぎに、「小陰唇」のあいだの溝、そして左右それぞれの「大陰唇」と「小陰唇」のあいだの溝です。
 「下のほうでは、玉理(ギョクリ)を衝く」といって、その対照として、「上のほうでは、金溝(キンコウ)を撃ちつきかためる」といっています。「玉理(ギョクリ)」についてはあとでのべます。
 したがって、上のほうにある溝ということになります。『臨御』では、そのあと、「辟雍(ヘキヨウ)」について書いています。あとでのべますが、「辟雍(ヘキヨウ)」は、「小陰唇」のあいだの水のたまった部分をさしていると思われます。すると、「金溝」は「小陰唇」のあいだの溝でもないでしょう。
 「金溝」を「撃って」、「築く」、つまり「つきかためる」といっています。槇氏は、「叩(たた)いて固める」と訳されています。「小陰唇」と「大陰唇」のあいだの溝という可能性も考えられます。「馬場(ばば)の囲い」という意味もあるので、「馬場」を「小陰唇」で囲まれた部分をさしているとしますと、「小陰唇」と「大陰唇」のあいだの溝とも解釈されます。
 が、それを「つきかためる」といっているところをみると、「大陰唇」のあいだの溝と思われます。それも、上のほうの溝、「恥丘」から溝がはいったあたりをさしているのでしょう。下のほうの溝となると、「玉理」とかぶってきます。
 ここを「撃ってつきかためる」とすると、場所からいって、「クリトリス」や「小陰唇」の根もとをペニスでツンツンと撃ち攻めるということになるからです。


 『房内篇』で探せたかぎり、もう一箇所、「金溝(キンコウ)」ということばがもちいられているところがあります。『六勢(ろくせい)』のところに、

 「あるいは下ろして玉理(ギョクリ)をもたげ、上げて金溝(キンコウ)を衝きます。そのありさまは、まるで石を割って美しい玉を尋ねるようです」。

と書かれています。
 「石を割って、美しい玉を尋ねる」ようだというのですから、「石」が盛り上がった両方の「大陰唇」のふくらみをさしているのでしょう。「美しい玉」というのは、「クリトリス」をさしているのかもしれません。この文脈からも、「金溝」を「大陰唇」のあいだの上のほうの溝と考えるのがいいように思われます。
 第15章『六勢(ろくせい)』も第5章『臨御(りんぎょ)』とおなじく、『洞玄子(とうげんし)』からの引用となっています。

4.セン〔王+睿〕台(センダイ)

 「セン〔王+睿〕台」ということばがあります。『大漢和』によれば、古代中国時代、「夏(か)」の「帝啓(けい)」の「台(うてな)」の名前だそうです。


  「セン〔王+睿〕台(センダイ)のそばを手でなでさすったりします」。

 「セン〔王+睿〕」は、『大漢和』では、「美しい玉」のことだそうです。
 「台」は「うてな」とも読みます。「丘などの台のようになっている土地」をもいうようです。
 「美しい玉のような台」ですから、「小高い美しい丘」と考えられます。そうすると、「恥丘(ちきゅう)」と考えるのが妥当ではないでしょうか。
 「恥丘」は「ビーナスの丘」ともいうようです。
 ここでは、「恥丘」を手でなでさするということでしょう。


 「それからセン〔王+睿〕台(センダイ)の右でやすみます」。

 ペニスを休ませるのに、「セン〔王+睿〕台」の右ということのようです。やはり、「恥丘」と思われます。


 『房内篇』で探せたかぎり、「セン〔王+睿〕台」ということばが、もう一箇所、うえでのべました第15章『六勢』の「金溝」ということばのでてきたすぐあとに、でてきます。

 「あるいは陽鋒(ヨウホウ;ペニス)でセン〔王+睿〕台(センダイ)を衝いて築きかためます。そのありさまは、まるで鉄の杵(きね)で製薬用の臼(うす)におろすようです」。

 ペニスで「セン〔王+睿〕台」を衝いてトントンと固めるようにしなさい。その様子が、漢方薬をつくるときに使う臼(うす)に鉄の杵(きね)をトントンとおろすようだといっています。
 「恥丘」のすぐ下の「大陰唇」の溝のあたりをペニスでトントンと衝くということでしょう。当然のことですが、そこには「クリトリス」と「小陰唇」の根もとがありますので、それを刺激することになります。そのありさまが、漢方薬用の葉っぱなどを臼にいれて杵でトントンとつぶしているように見えるということでしょう。

 うえでものべましたように、第15章『六勢(ろくせい)』も第5章『臨御(りんぎょ)』とおなじく、『洞玄子(とうげんし)』からの引用となっています。

5.神田(シンデン)

 「神田」は、『大漢和』では「みとしろ。神社付属して、その用途に充てる田地」をいうとのことです。


 「Stage 8」でふれましたように、第5章『臨御(りんぎょ)』のなかでは、愛液が流れるさまをあらわすのに、つぎのようにつかわれています。

 「上のほうでは神田(シンデン)にまで灌(そそ)ぎます。下のほうでは幽谷(ユウコク)にまでそそぎます」。

 槇氏は「神田」を、「陰核のくぼみの皮」と注をつけられています。おそらくここでは、「神社」が「クリトリス」にあたり、それに付属している田んぼ、まわりの田んぼと思うと、「クリトリスのまわりの皮」と考えてもよいかと思われます。つまり「陰核包皮(いんかくほうひ)」と思われます。


 探せたかぎりで、もう一箇所、『房内篇』で「神田」ということばが、第15章『六勢』で使われています。

 「あるいは陽鋒(ヨウホウ;ペニス)でもって来たり往ったりして、神田(シンデン)と幽谷(ユウコク)のあいだをこすって耕すのは、まるで農夫が秋の耕作地をあたらしく耕すようである」。

 第5章『臨御』のこの部分も、第15章『六勢』のこの部分も、ペニスを「ワギナ(膣)」にいれてからのことです。「神田」と「幽谷」、つまり「深い割れ目」のあいだをこすって耕すとなっています。ペニスでもって、前後させると、「クリトリス」の根もとから、「深い割れ目」のあいだを耕すことになるわけです。したがって、ここでいっている「幽谷」、「深い谷」、「深い割れ目」というのは、外から見ての「割れ目」をさしているのではなく、「ワギナ(膣)」という「谷」をさしているのでしょう。

 うえでものべましたように、第15章『六勢(ろくせい)』も第5章『臨御(りんぎょ)』とおなじく、『洞玄子(とうげんし)』からの引用となっています。

6.赤珠(セキシュ)

 「赤珠(セキシュ)」は、『大漢和』では「赤いたま。火鈴(手で振り鳴らす一種のすず。鐘形をしたもの。こりん)の腹をいう。やまほうづき」となっています。


 「赤珠」ということばは一箇所、体位をのべた第12章『九法(きゅうほう)』のなかのひとつ、第4番目「蝉附(せんぷ)」のなかにでてきます。

 「女性をうつ伏せにねかせます。そのからだをまっ直ぐにに伸ばさせます。男性は、その後ろにうつ伏せになります。ペニスを深くいれます。すこし女性のお尻をうえに挙げます。それでもって女性の赤珠(セキシュ)を六九の数、つまり五十四回、たたきます。女性はもだえて愛液を流します。陰部の裏の動きが急になり、外にゆっくりと開きます。……」。

 『九法(きゅうほう)』については、のちにのべていくつもりでおります。これもおそらく「ウテルスセックス」のテクニックをいっていると思われます。そのことについては、さきでのべることとします。
 女性をうつ伏せして、背後から男性がうつ伏せにかぶさります。そしてペニスを深くいれます。そのあとで、女性のお尻をすこし上にあげます。そして、「赤珠(セキシュ)」を54回、たたくといっています。
 体位の形からいって、「赤珠」といっているのは、「クリトリス」のことでしょう。女性の腰をすこしあげさせて、手を下にいれて、たたくのですから、やはり、男性が手で「クリトリス」をたたくのだと思われます。
 「陰部の裏」とか、「外にゆっくりと開く」というのが、なにをいっているのか、興味がつきません。

 なお、この『九法(きゅうほう)』は、これまでとちがって、『玄女経(げんじょきょう)』からの引用となっています。

7.シン〔石+參〕勒(シンロク)

 『大漢和』にはでていません。ただ、、「シン〔石+參〕」には、「食べ物に沙(すな)のまじること。すな。(現代用法として)不作法」とかかれています。
 「勒(ロク)」には「おもがい。くつわ。おさえる。おさめる。ととのえる。いたわる」などの意味があるとかかれています。


 「Stage 8」でふれましたように、第5章『臨御(りんぎょ)』のなかでは、つぎのようにつかわれています。

 「そして、玉茎(ギョクケイ;ペニス)が堅(かた)くなりましたら、玉門(ギョクモン;ワギナ)の口の、這い松(はいまつ)が森のようにしげっているかのような(陰毛のさま)、おくふかい谷の洞(ほら;ワギナ)の前(膣前庭)に施(ほどこ)します。さらにシン〔石+參〕勒(シンロク;卑猥な飾り紐:小陰唇)にも施(ほどこ)します」。

 「Stage 8」でもふれましたように、槇氏によれば、「シン〔石+參〕」というのは、「不格好または猥褻(わいせつ)」という意味だそうです。馬の口にふくませ手綱をつけるための金具を「轡(くつわ)」といいます。「勒」というのは馬具で、轡(くつわ)についているそれをつなぐために馬の頭から耳を出してかける革の装具をいうそうです。一種の比喩でしょうが、馬の口を「ワギナ(膣)」と考え、その周りをとりまいている革の装具で、手綱がそれをひっぱっているということになりますと、「クリトリス」がそれをコントロールしているということから、「小陰唇」と考えるのが妥当なのではないでしょうか。


 「Stage 8」でのべました第5章『臨御(りんぎょ)』のつづき部分で、すぐあとのところに、つぎのような記述があります。

 「女性が快い気持ちを得たならば、男性ははやくつき急に刺すと、シン〔石+參〕勒(シンロク)を高く擡(もた)げる」。

 これも「小陰唇」が興奮して膨張し、高くせりあがってくるようすをいっていると考えれば、つじつまが合うように思われます。


 ところが、このような名詞的なもちい方とはことなって、動詞としてもちいられているところがあります。
 第13章『三十法(さんじっぽう)』という章のなかにあります。この章は30の体位についてのべられています。これも『洞玄子(とうげんし)』からの引用のようで、その23番目に「山羊対樹(さんようたいじゅ)」という体位があります。

 「男性は両足をなげだして坐ります。女性を(男性にたいして)背面になるように、男性の上に坐らせます。女性は自分の頭を低くして、玉茎(ギョクケイ;ペニス)がはいるのを視ます。男性は急いで女性の腰を抱いてシン〔石+參〕勒(シンロク)します」

 男性が両足をなげだして座り、背中を向けて女性がその上に座り、女性は頭を低くした位置をとり、ペニスを入れ、それを女性は見るようにして、それから男性は急いで女性の腰を抱きかかえて、「シン〔石+參〕勒(シンロク)」する、とのことです。
 これは「小陰唇」のことではないでしょう。
 槇氏によれば、「シン〔石+參〕」には、「不格好または猥褻(わいせつ)」という意味があるそうです。『大漢和』には、「勒(ロク)」に「おもがい。くつわ。おさえる。おさめる。ととのえる。いたわる」などの意味があるとかかれています。あとのほうの「おさえる。おさめる。ととのえる。いたわる」とかの動詞の意味をとって、両方を重ねあわせますと、「(ペニスをいれたなら)猥褻(わいせつ)にいたわる」というふうにもとれます。

 『医心法』ではほかに、「シン〔石+參〕勒(シンロク)」ということばをつかっている箇所を、まだあるかもしれませんが、みつけることができませんでした。


 しかし、「白行簡(はくこうかん)」による『天地陰陽交歓大楽賦(てんちいんようこうかんだいらくふ)』(福田和彦編著:エロティシズムの美術史@ 【中国T】 中国春宮画の魅惑、ブックマン社、1993)という書物のなかにみつけることができました。
 福田氏によれば、この書物は、フランスの調査隊長「ポール・ペリオ」(1879−1949)が「敦煌(とんこう)」の「莫高窟(ばっこうくつ)」で発見した古書籍で、1909年(明治42年)に北京で展示公開されました。これを当時の古籍学の大学者、「葉徳輝(しょうとくき)」氏(1864−1929)がみて感嘆し、校訂し復刻して世に知られるようになったそうです。つけくわえますと、「葉」氏は政治的に保守派だったため、国民革命軍によって虐殺されたそうです。
 著者の「白行簡」(776−826)は、唐時代の歴史的にもよく知られています詩人、「白居易(はくきょい)」(772−846)の弟だそうです。『天地陰陽交歓大楽賦』は「辞賦(じふ)」というジャンルの書物で、「辞賦」というのは中国韻文のひとつの形だそうです。
 そのなかにつぎのような一節があります。

 「舌をス〔口+朔〕ってシン〔石+參〕ロク〔月+勒〕します」。

 こちらの「勒(ロク)」のほうは、へんとして「月」がついていますが、ほぼおなじものでしょう。福田氏は「舌と舌を絡みあわせて戯れる」と訳されています。
 これも、「小陰唇」ではないでしょう。
 うえでのべましたように、「舌を吸って」、「猥褻(わいせつ)にいたわる」と解釈しても、福田氏の訳とおおきなちがいはないように思われます。

8.辟雍(ヘキヨウ)

 「辟雍(ヘキヨウ)」というのは、『大漢和』には、「周時代の天子の大学の名前。辟廱(ヘキヨウ)におなじで、それは廱(ヨウ)が沢を意味していて、学校の周囲を水沢のたまのように円くとりかこむから名づけている」とかかれています。


 「Stage 8」でふれましたように、第5章『臨御(りんぎょ)』のなかでは、つぎのようにつかわれています。

 「辟雍(ヘキヨウ;建物をとりまく水をたたえる堀:ワギナをとりまく愛液の堀)の傍(かたわ)らを刺します」。

 周囲を円く水をたたえる沢がとりかこんでいる学校をいうようです。中心となる学校をとりまく水をたたえる沢ということですから、中心は「ワギナ(膣)」でしょう。「ワギナ(膣)」をとりまいて水をたたえるということは、すでにとろけるようになっている女性の「ワギナ(膣)」のまわりが、水をたたえているということでしょう。
 まだあるかもしれませんが、『医心法』で「辟雍(ヘキヨウ)」ということばをつかっている箇所を、ほかにみつけることができませんでした。

9.幽泉(ユウセン)

 『大漢和』には、「ものしずかないずみ」とかかれています。 


 このことばは、第4章の『和志(わし)』、「心の融合」についてのべられた箇所にでてきます。それ以外には、このことばをもちいている箇所はみつけることができませんでした。

「そうなりましたら、男性は女性の左手で男性の玉茎(ギョクケイ;ペニス)を捉えさせます。男性は右手でもって、女性の玉門(ギョクモン;ワギナ)を撫(な)でます。このようにしますと、男性は陰の気を感じます。すると、玉茎(ギョクケイ;ペニス)が振動するような状態となります。きびしく上に聳(そび)えます。弧鋒(こほう)のような漢(おとこ;男性のペニス)をはなれて臨めば、女性は陽の気を感じます。そして丹穴(タンケツ;ワギナ)に津(シン;愛液)が流れます。その状態は、おちるように下り、幽泉(ユウセン;ものしずかないずみ)が吐いて、深谷(シンコク;奥深い谷)をゆくようであります」。

 第4章『和志(わし)』のこの箇所も『洞玄子(とうげんし)』からの引用です。
 ここでは、男性はあぐらをかいて女性を抱えています。女性の左手でペニスをもたせ、男性は右手で女性の「ワギナ(膣)」をなでます。すると、ペニスはブルブルと振動して峰のようにそびえます。それを女性がみると、「ワギナ(膣)」に愛液が流れます。その愛液は落ちるように下ります。それは、物静かな泉がその水を吐きだして、深い谷を流れゆくようであります。
 この愛液は、「Stage 1.5 女性の性反応について」でのべましたが、「発汗現象」をいっていると考えられます。
 これは、もっと後の段階で分泌される「バルトリン腺」液ではなく、性的刺激の数十秒後くらいで、「ワギナ(膣)」の内壁からしみだしてくる「膣粘滑液」でしょう。
 その愛液が深い谷を流れるようであるといっています。したがって、「幽泉(ユウセン)」は「ワギナ(膣)」から膣粘滑液がわきだしてくるようすをいっていると考えられます。

10.玉理(ギョクリ)

 「玉理(ギョクリ)」については、『大漢和』に記載がありません。
 しかし、「玉」には、『大漢和』によれば、「ものを褒(ほ)める、または貴(たっと)ぶための美称」という意味もあるそうです。「理」には、「物の表面にある細かいすじ。あや」という意味もあるようです。


 「Stage 8」でのべましたように、第5章『臨御(りんぎょ)』につぎのような記載があります。

 「そこで、陽鋒(ヨウホウ;ペニス)でもって縦横(じゅうおう)に攻撃(こうげき)します。あるいは下のほうでは玉理(ギョクリ;玉のヒダ:会陰)を衝(つ)きます」

 ペニスで縦横に攻撃するといっています。この段階では、まだペニスは「ワギナ(膣)」にいれていません。
 下のほうの「玉理(ギョクリ)」を衝くといっています。「縦横に攻撃し、下のほうでは……」ということです。したがって、下のほうの「スジ、あや」といえば、たぶん、「ワギナ(膣)」と肛門とのあいだのスジ、「会陰(えいん)」のことでしょう。
 「会陰」には「スジ、アヤ、もよう」があります。


 手元にある裏DVDをいくつか見て、女性の「会陰(えいん)」がどうなっているのか確認しました。
 「ワギナ(膣)」から肛門に行く縦のスジを、解剖学の本によれば、「会陰縫線(えいんほうせん)」というそうです。女性によってこれが明瞭なこともあります。そうでないこともあります。しかし、多かれ少なかれ、「ワギナ(膣)」と肛門のあいだは、微妙なシワというか「もよう」があります。
 たいていは、「ワギナ(膣)」から肛門へ行く方向のスジ、「会陰縫線(えいんほうせん)」です。しかし、女性によっては、横方向に何本もの「スジもよう」があることもあります。この部位がツルッとしているではなく、それなりのスジやもようをもっていると考えてよいのではないでしょうか。
 上記の引用文でいっているのは、この部位を「衝く」、つまり、攻める、強く刺激するということでしょう。


 そのほかに、「玉理」ということばがもちいられている箇所があります。第15章『六勢(ろくせい)』、「ペニスによる六つの攻め方」のはじめの箇所です。
 これも第5章『臨御(りんぎょ)』とおなじく、『洞玄子(とうげんし)』からの引用です。

 「そもそも交接するときには、下を捺(お)したり、玉茎(ギョクケイ;ペニス)を往来(おうらい)させて、その玉理(ギョクリ)を鋸(のこぎり)します。そのありさまは、蚌(ぼう)を割って、明珠(めいしゅ)をとるようです。これがありさまの一であります」。

 ここでは、まだペニスは「ワギナ(膣)」にいれていません。
 そもそもセックスするときは、下をおさえつけたり、ペニスを往復させて、「玉理」をノコギリでひくようにします。
 ここでも、「玉理」を「会陰」ととっても、そう不自然ではないでしょう。
 つぎに「蚌(ぼう)」ということばがでてきますが、訓読みでは「どぶがい」だそうです。しかし、槇氏によりますと、中国では淡水産の二枚貝を総称していうそうです。
 また、「明珠(めいしゅ)」ですが、手元の漢和辞典では「すきとおってよく光る玉」とかかれています。槇氏は「真珠」と訳されています。槇氏がおっしゃるように、われわれがいまいいますところの、アコヤガイからとる真珠そのものではないでしょうが、貝からとる一種の真珠のようなものをさしているのでしょう。
 「大陰唇」、「小陰唇」の閉じたありさまを、貝にたとえ、そこにペニスを押しつけ往復させて、「クリトリス」を大きくして、外に出してくるのを、貝を割って真珠を取り出すとたとえたのでしょう。


 そのすぐあとのところにもう一度、「玉理」ということばがもちいられています。これはうえの「金溝(キンコウ)」のところでも引用した箇所であります。

 「あるいは下ろして玉理(ギョクリ)をもたげ、上げて金溝(キンコウ)を衝きます。そのありさまは、まるで石を割って美しい玉を尋ねるようです。これがありさまの二であります」。

 ペニスを下ろして、ペニスでもって「玉理」をもちあげます。またペニスを上げて「金溝(キンコウ)」を衝きます。そのありさまはまるで、石を割って、美しい玉を尋ねるようだといっています。
 「石」が盛り上がった両方の「大陰唇」のふくらみをさしているのでしょう。「美しい玉」というのは、「クリトリス」をさしているのでしょう。
 「スジ」のある部位でありますから、ワギナではないでしょう。そして、下のほうですから、やはり「会陰」ととってよいように思われます。

11.丹穴(タンケツ)

 『大漢和』の記載によれば、「丹穴(タンケツ)」というのは、「丹砂(たんしゃ)のが出る穴」をいうそうです。
 そして、「丹砂(たんしゃ)」は、「水銀と硫黄との化合物で、多くは土状となっていて、濃紅色または赤褐色です。水銀をとる原料にします。また、精製して顔料(がんりょう)、薬剤にももちいる」とのことです。
 神社などの鳥居や柱などが赤く塗られているのは、たしかこれからとったものを塗っているからだったように思います。おそらく、「ワギナ(膣)」から月経がでるので、このようなたとえをもちいたのでしょう。


 「丹穴(タンケツ)」ということばは、あちらこちらでもちいられています。たとえば、うえの「幽泉(ユウセン)」のところでも引用しました箇所です。これは、第4章の「和志(わし)」、「心の融合」のなかにあります。 

 「弧鋒(こほう)のような漢(おとこ;男性のペニス)をはなれて臨めば、女性は陽の気を感じます。そして丹穴(タンケツ;ワギナ)に津(シン;愛液)が流れます。その状態は、おちるように下り、幽泉(ユウセン;ものしずかないずみ)が吐いて、深谷(シンコク;奥深い谷)をゆくようであります」。

 くり返しになりますが、説明してみます。
 峰がそびえ立つようなペニスを女性が見やれば、女性は「陽」の気を感じて、「丹穴」に愛液を流します。愛液のありさまは、落ちるように下って、物静かな泉がその水を吐きだして、それが深い谷を流れゆくようであります。
 「丹穴(タンケツ)」は、「ワギナ(膣)」のことでしょう。ただ、他の箇所でもそのように思われますが、「ワギナ(膣)」の入り口そのものは、「玉門(ギョクモン)」といっているようです。そして、「ワギナ(膣)」の入り口からその穴をひっくるめてさすときに、「丹穴」ということばがもちいられているようです。

12.麦歯(バクシ)

 「麦歯(バクシ)」ということばは、『医心方』のあちらこちらでもちいられています。このことばそのものは、『大漢和』には記載がありません。
 しかし、「麦」には、『大漢和』によれば、「小さい」という意味もあるようです。ひょっとしたら、「麦歯」は、「小さい歯」という意味かもしれません。


 小さいころ、私の家では麦飯を食べていました。親は栄養があるからといっていましたが、貧しかったからのようにも思います。このときに米飯にはいっていた「麦」は、いわゆる「押し麦」というものでした。米はやや透きとおった白色をしています。それよりもすこし濁った白色の3〜4ミリ程度の平たい円盤で、たいてい真ん中に茶色のスジがはいっていました。
 最近になって、むしろそれを売りにしている定食屋で麦飯を食べたことがあります。これは「押し麦」ではなく、米とおなじような形をした麦がはいっていました。しかしそれでも、麦粒の端に黄色から茶色の胚芽のような部分がありました。麦粒自体の色も米よりはやや濁った白色でした。
 このことから考えて、ひょっとすると、「麦歯」というのは、「濁った白色の歯」というような意味かもしれません。
 先日、おおきなスーパーで、ビニール袋入りの麦を見ました。「押し麦」もありましたが、ふつうの「麦」もありました。ふつうの「麦」のほうは、粒の先のほうの横にやや黄色の胚芽のあとのようなものが見られました。やや濁った白色の粒に黄色の斑点があるという感じでした。ひょっとすると、「麦歯」というのは、「黄色の混じったにごった歯」という意味、あるいはもっと簡単に「黄色い歯」という意味かもしれません。


 まず目にふれたところでは、第12章の『九法(きゅうほう)』という「九つの技法」についてのべられた章にあります。これは『玄女経(げんじょきょう)』からの引用です。そのなかの第9番目の「鶴交頸(かくこうけい)」という技法をのべたところで、「麦歯」ということばが使われています。

 「第九番目の技法を『鶴交頸(かくこうけい)』ともうします。
 男性は正しくあぐらをかいて坐ります。女性はその男性の股に跨(またが)ります。そして手で男性の頸(くび)を抱きます。男性は玉茎(ギョクケイ:ペニス)をいれて、麦歯(バクシ)を刺して、務(つと)めて女性の実(ジツ)に中(あ)てます」。

 第9番目の技法を「鶴交頸」といいます。男性はあぐらをかいてすわります。女性は男性の股の上にまたがり、手で男性の首を抱きかかえます。男性はペニスを「ワギナ(膣)」にいれ、「麦歯」を刺します。そして、できるだけ女性の「実(ジツ)」に命中させます。とのことです。
 このあと、すこし記述がありますが、いまはこのくらいでひかえさせていただきます。それはもっとのちの「Stage」でのべたく存じます。
 問題は、ここで「麦歯」がなにをさしているかということと、「実(ジツ)」がなにをさしているかということであります。槇氏によりますと、「実」はすぐあとでのべます「穀実(コクジツ)」のことだそうです。
 この記述からしますと、「麦歯」は「ワギナ(膣)」にはいっていすぐのところで、「実」すなわち「穀実」はもっと深いところだということがわかるかと存じます。


 つぎの引用は、第19章『施写(せしゃ)』という「射精について」かかれた箇所です。これは『洞玄子(とうげんし)』からの引用です。

 「凡(およ)そ、精液を洩(も)らそうとおもった時は、必ずぜひとも女性が快感にたっするのをうかがいます。そして、男性が精液を与えるのは、女性と一時に同じく洩 (も)らすべきであります。男性はぜひとも浅くします。抜いて琴絃(キンゲン)と麦歯(バクシ)の間で遊びなさい」。

 およそ射精したいと欲したときには、かならず女性が快感に達するのをうかがいます。そして、男性が射精するのは、女性とおなじ時に射精すべきです。
 『医心方』の記述からしますと、古代中国では、女性も射精すると考えられていました。愛液をもらすことを、男性とおなじように射精すると考えたのでしょう。
 しかし、ここで「射精せよ」といっているのではないようです。といいますのは、このあとに、いろいろと身体を調整すれば、10分の2か3の射精ですむとかかれているからです。『医心方』では、あくまで「接して洩らさず」の精神のようです。ただ、射精するときは、男性も女性もいっしょに射精すべきであるといっているだけのようです。
 そして、ペニスを浅くして、抜いて、「琴絃(キンゲン)」と「麦歯(バクシ)」のあいだで遊びなさいといっています。ここで「抜く」といっていますのは、ペニスを「ワギナ(膣)」の外に抜いてしまうのではけっしてありません。「引いて」という意味です。
 「琴絃」についてはすぐあとでふれます。が、この記述からしますと、ペニスを「ワギナ(膣)」にいれたばあいに、「琴絃」も「麦歯」も「ワギナ(膣)」の浅いところにあるようであります。


 第20章『治傷(ちしょう)』という「セックスによる損傷の治療法」、つまり「体を損なったときのセックスによる治療のしかた」についてかかれたところに、つぎのような記述があります。これは『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用です。

 「五臓を調(ととの)え、食べたものを消化し、百病を療する道は、射精に臨(のぞ)んだときには、腹を張って意識して気を内にいれ、後(あと)で縮めて、精を還(かえ)して散らせて百脈に帰します。九浅一深して、琴絃、麦歯の間に至りなさい」。

 からだを悪くしてしまったとき、セックスのしかたであります。五臓、つまり肺臓、心臓、脾臓、肝臓、腎臓の機能をととのえて、食べたものの消化をよくし、あらゆる病気の治療する方法は、つぎのようなものであります。射精しそうになったら、お腹を張って意識的に気を内にいれるようにし、そのあと、お腹を縮めて、精液を戻します。そしてそれを散らせて体中の脈に帰します。それから九浅一深(きゅうせんいっしん)の方法をおこない、ペニスを「琴絃」と「麦歯」のあいだに至らせなさい。とのことです。
 これも、うえでのべましたように、射精をできるだけひかえるという考えです。「接して洩らさず」の精神です。もらさないで、「琴絃」と「麦歯」のあいだでペニスを、「九浅一深(きゅうせんいっしん)」させなさいといっています。


 そのすこしあとには、つぎのような記述があります。『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用のつづきです。
 長い引用になってしまいますし、途中、槇氏の翻訳によりましても、中国医学を理解していないため、ずいぶんとわからないところがありますが、お許しください。
 それにもかかわらず、あえてここで引用いたしましたのは、女性生殖器の内部の名称に重要な手がかりをあたえてくれるからであります。

 「それ、陰陽の道は、精液を珍重(ちんちょう)して、すなわち、よくこれを愛(いつく)しんで、性命(せいめい)を保つべきです。およそ射精した後は、当(まさ)に女性の気を取りいれ、自(みずか)らを補うべきです。また九を建てるというのは、息を九つ内にいれることです。精液をだすのを厭(いと)う一つのやりかたは、左手でもってペニスの下にやり射精を殺せば、精液を還(かえ)して精液を復(ふく)します。気を取るというのは、九浅一深のことです。口でもって相手の口に当てて、息をはくときは口でもっておこない、微(かす)かに吸って、二(ふた)たび吸って、これを咽(のど)にいれてはなりません。射精の気に致(いたる)ことがあったら、意識的に下げます。精液を腹に至らせるのは、陰を助けて陰の力とするためです」。

 そもそも男性と女性の性の道では、精液を珍重します。それを大事にして、本性と命を保つべきです。
 射精したのちには、女性の気を取りいれて、男性は自分の気を補わないといけません。
 「九を建てる」というのは、息を九つ体内にいれるということです、とのことですが、このあたりよくわかりません。
 精液をだすのを抑えるやりかたのひとつに、左手でペニスの下側を押さえ、射精するのを押し殺せば、精液がもどって復帰します。
 「気を取る」というのも、九浅一深のやりかたでおこなうということです。
 口を相手の女性の口に当てて、息をはくときは口からはきます。すこし息を吸って、もういちど吸って、この息をのみこんで咽(のど)にいれてはいけません。
 射精の気分にいたったならば、意識的に気分を下げます。
 精液を腹にいたらせるのは、陰を助けて陰の力とするためです。槇氏によりますと、「陰」というのは「陽気(ようき)」に対するもので、機能に対する物質をいうそうです。精液という物質である「陰」を腹にいたらせて、「陰」の力とするということでしょうか。


 ここのところも、「接して洩(も)らさず」の精神といえるでしょう。これほどにまで、射精することを抑制するのはなぜか考えてみました。
 われわれとちがって、古代中国の王侯貴族が対象の書物ですから、いざとなれば、一日何回もセックスするのではないでしょうか。射精ばかりしていると、だんだんと精液が減ってきて、体力が衰えるということを嫌ったように思われます。
 タンパク質を今日ほど多量にとれない時代に、精液にふくまれるタンパク質がどんどん体内から放出されるのを避けようとしたのかもしれません。しかし、セックスの快感はのがさずという考えのようにも思われます。


 私の経験では、サプリメントの「亜鉛(あえん)」も精力増強によく効きます。そして、「亜鉛」もさることながら、ほかのページでもお勧めしましたように、「プロテイン」は私の感じでは精力を増します。精液の量があきらかに増えます。
 「エビオス」によって精液量が増えると、一部で話題となっております。その成分を薬局で見ました。「エビオス」の本体はビール酵母のようです。それがからだによいのは、体内でタンパク質の原料となるアミノ酸として吸収されるからのようです。
 「プロテイン」で精液量が増えるのと、「エビオス」で精液量が増えるのとは、おなじ理由のように思われます。


 さて、引用の目的でありますそのつづきにいきます。

 「この如(ごと)く、三回反復して、ペニスを浅くして九浅一深を九九、八十一回し、陽数を満たします。玉茎(ギョクケイ;ペニス)を堅くして、これを出します。弱くなったら、いれます。これを弱入強出といいます。陰陽の和は、琴絃(キンゲン)、麦歯(バクシ)の間に在(あ)ります。男性は昆石(コンセキ)の下で困ってしまいます。女性は麦歯の間に困ってしまいますが、浅ければ、それで気を得ます。遠ければ、それで気を散じてしまいます。一たび穀実(コクジツ)至れば、肝臓を傷(いた)めます。風を見れば涙が出て、排尿後に残尿感があります。臭鼠(シュウソ)に至れば、腸や肺を傷(いた)めます。咳きこんだり、腰、背が痛みます。昆石(コンセキ)に至れば、脾臓(ひぞう)を傷(いた)めます。腹が膨満し、息が腥(なまぐさ)くなります。時々、下痢をしたり、両股が疼(うず)きます。百病は、昆石(コンセキ)において生じます。ゆえに、交接(こうせつ)を傷(いた)めます。交合する時は、遠いところに及ぶのを欲してはいけません」。

 このようにして、三回、これを反復します。
 ペニスを浅くいれるようにして、九浅一深の方法で、九かける九、すなわち、八十一回、おこないます。陽の数の最高の数、九を満たします、槇氏によりますと、このようなことです。
 ペニスを堅くします。そしてそうなったら、「ワギナ(膣)」から出します。ペニスが弱くなったら、「ワギナ(膣)」に入れます。これを「弱入強出(じゃくにゅうきょうしゅつ)」といいます。
 男性と女性の性の和は、「琴絃」と「麦歯」のあいだにあります。
 男性は、ペニスが「昆石(コンセキ)」のもとにあると、つかれて困りはてます。
 女性はペニスが「麦歯」のあいだにあるときには困りはてますが、そのときにはペニスは浅いので、男性はそのことで気を得ます。
 ペニスを深く遠くいれてしまいますと、男性の気が散ってしまいます。
 ひとたび、ペニスが「穀実(コクジツ)」に至りますと、肝臓を傷(きず)つけます。そのため、風が目にはいると涙が出て、「溺(ゆばり)」に「余瀝(よれき)」があるようになります。槇氏によれば、「溺(ゆばり)」というのが「排尿後」ということで、「余瀝(よれき)」というのが「残尿感」だそうです。したがって、排尿後に残尿感がでるということになります。
 ペニスが「臭鼠(シュウソ)」に至りますと、腸や肺を傷つけます。咳きこんだり、腰や背中が痛みます。
 ペニスが「昆石(コンセキ)」に至りますと、脾臓(ひぞう)を傷つけます。腹が膨満して、息が生臭くなります。ときどき下痢をしたり、両股が痛んだりします。
 もろもろの病気は「昆石」において生じます。そのため男女が交わることを傷つけます。男女が交合するときには、深く遠くにまで及ぶことを欲してはいけません。


 この引用部分はからだを損なっているときに、それをセックスでもって治すしかたについてのべています。いろいろとかかれています戒(いまし)めはとりあえずここでは考慮にいれないで、女性生殖器の部分名称のみに注目してみます。

 この文脈からして、ペニスを「ワギナ(膣)」にいれたとき、浅い部分に「琴絃(キンゲン)」と「麦歯(バクシ)」があります。
 とくにペニスが浅くなって、「麦歯」にあると、女性が困りはてるといっています。逆に、このときにはペニスが浅いので、男性は助かって、気を得ることができるといいます。
 そのまえの文に、ペニスが「昆石(コンセキ)」のもとにあると、男性が困りはてるとあります。あとの文脈からも、「昆石」というのは深いところにあると考えられます。
 これらの文章は、「深い」と「浅い」の対比をおこなっているように思われます。男性は深すぎると困りはて、女性は浅すぎると困りはてるというようにです。
 そして、ペニスが「麦歯」のあいだにあるというのは、ペニスが浅すぎて、女性が感じることができにくくなって、困りはてるといっているように思われます。したがって、「琴絃」と「麦歯」では、「麦歯」のほうが浅いと考えられます。

 「麦歯」と「琴絃」のあとの名称は、たぶん、浅いところから深いところへ順にのべているのでしょう。
 「麦歯」、「琴絃」のつぎは「穀実(コクジツ)」、そして「臭鼠(シュウソ)」、そのつぎに「昆石(コンセキ)」です。


 このまえにもいくつかあるのですが、これらの注意のあとに、つぎの文章が続きます。おなじく『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用です。

  「黄帝(こうてい)がいわれました。このような禁を犯したなら、治療する方法はどのようなものであるか、と。
 子都(しと)はいいました。当(まさ)に女性でもって、これを治療して、回復すべきであります。
 その方法は、女性をして正しくあおむけにねかせ、両股を相はなれること九寸にして、男性はすすんで女性を従えます。先だって玉漿(ぎょくしょう)を飲みことをながながとして、鴻泉(こうせん)を弄(もてあそ)びます。それから徐(おもむ)に玉茎(ギョクケイ);ペニス)をいれます。手でもってこれを節(せっ)します。すなわち、わずかに琴絃(キンゲン)、麦歯(バクシ)の間に至りますと、敵なる女性は、淫乱(いんらん)に躍(おど)ります」。

 「黄帝(こうてい)」というのは、古代中国の伝説上の帝王で、むかしから、暦法(れきほう)、算術、音楽などのさまざまなものの多くは、「黄帝」のときにつくられたといわれているそうです。
 その「黄帝」が、このような禁止を犯したなら、どうして治療したらよいのか、「子都(しと)」に尋ねられました。「子都」というのは、そのまえの『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』の文章にもでてきている「巫子都(ふしと)」のことと考えられます。
 「巫女(みこ)」のはじめの文字でもある「巫(ふ)」は、槇氏によりますと、「神通力のあるひと」という意味らしいです。また、「子都(しと)」というのは、歴史上の幾人かのひとの字(あざな)でもあり、また「有徳(ゆうとく)の士」とか、「美丈夫(びじょうふ)」、つまり「顔の美しい若者」という意味もあるそうです。いずれにせよ、『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』の登場人物のひとりです。
 「子都」は答えました。女性によって治療し回復すればよいです。
 その方法は、女性をあお向けにせかせて、両股を九寸、約27センチ、開けて離し、男性は女性をリードして従えます。まず、「玉漿(ぎょくしょう)」をながなが飲みます。
 「玉漿(ぎょくしょう)」というのは、『大漢和』によれば、「玉の汁。これを飲めば、不老長生(ふろうちょうせい)するといわれている。それから転じて、美しい飲料をいう」とのとこです。槇氏によりますと、「淫水(いんすい)」とのことです。要するに、女性の外陰部をなめることによって出てくる愛液のことと思われます。
 そして「鴻泉(こうせん)」をもてあそびます。「鴻泉」は『大漢和』にはでていませんでした。ただ、「鴻」には「大水」の意味があり、「鴻水」は「おおみず。洪水」という意味があるようです。槇氏は「女陰」と注をつけられています。「大きな泉」というような意味でしょうか。
 それからゆっくりとペニスを入れます。そして、手でペニスを調節します。すこし入れて、「琴絃(キンゲン)」と「麦歯(バクシ)」のあいだに至りますと、女性は淫乱(いんらん)に躍(おど)ります。とのことです。
 ここでも、「琴絃(キンゲン)」と「麦歯(バクシ)」のあいだがよいと書かれています。


 つぎに引用しますのは、第21章『求子(きゅうし)』という「子どもがほしいとき」のセックスのしかたについてかかれた章からです。これも『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用です。

「素女(そじょ)がいっています。
 子を求める方法は、自(おの)ずから一定のきまりがあります。体を清めて、心を遠くにし、慮(おもんばか)ることを安(やす)らかにします。衿袍(きんほう)をととのえて、虚(むな)しくなろうとして斎戒(さいかい)します。婦人の月経後の三日、夜半の後、鶏鳴(けいめい)の前でもって、嬉(うれ)しく戯(たわむ)れて、女性をして盛(さか)んに動じさせます。すなわち往(い)ってこれに従えば、その道理に適(かな)います。その快楽を同じくして、身を却(しりぞ)けて射精します。遠くに至っても麦歯(バクシ)を過ぎてはいけません。遠ければ、すなわち子門(しもん)を過ぎて、子戸(しこ)に入りません。」

 「素女(そじょ)」というのは、槇氏によりますと、「房内術につうじた女仙」とのことです。女性の仙人です。
 その「素女」がいいますには、子どもがほしいときにするセックスには、おのずから一定のきまりがあります。
 からだを清めて、心に距離をおいて、心配事をやめて心を安らかにします。「衿(きん)」というのは、訓読みでは「えり」です。「袍(ほう)」は、訓読みでは「わたいれ」です。槇氏によりますと、「衿(きん)」は「小帯」で、「袍(ほう)」は「長い下着」とのことです。それらをととのえて、心を虚(むな)しくして無念無想にちかづけます。そして「斎戒(さいかい)」します。
 「斎戒」というのは、「物忌(ものい)みすること」で、「ある期間、飲食、行為をつつしみ、沐浴(もくよく)などして心身を清め、不浄を避けて家にこもっていること」だそうです。いずれにせよ、心も体も清めるということでしょう。

 女性の月経のあと、3日してということですが、これは荻野(おぎの)学説からすれば、まちがっています。月経が28日周期だったとしますと、その真ん中で、排卵がおこります。月経開始の14日目です。月経期間が、たとえば3日だったとしますと、月経直後は、排卵まで、14日−3日=11日で、まだ11日あります。そして、月経後、3日では、11日−3日=8日で、まだまだ排卵がおこっていません。排卵とほぼおなじ時期に精子にであわないと受精しませんから、これでは妊娠できません。

 それはさておいて、夜半ののち、鶏(にわとり)が鳴く前に、うれしく楽しく戯(たわむ)れます。女性をおおいに乱れさせます。このままいってそれにしたがえば、道理にかないます。つまり、男女おなじく快楽をともにして、からだを引いて射精します。
 射精については、引いて遠くといっても、「麦歯(バクシ)」をこえてはいけません。このように遠ければ、「子門(しもん)」を過ぎてしまって、「子戸(しこ)」にははいりません。このようにいっています。


 ここでは「麦歯」がなにをさしているかということが問題です。
 「子門(しもん)」というのは、『大漢和』によれば、「くぐり門」とのことです。手元の国語辞典では、「くぐり門」とは、「くぐって出入りする小さい門」とのことです。槇氏は「玉門(ギョクモン)」におなじと書かれています。「子門」は「ワギナ(膣)」の入り口の門のことでしょう。
 「子戸(しこ)」というのは、『大漢和』によれば、「子宮」とのことです。
 したがって、射精するときに、引きすぎて「麦歯」をこえてはいけません。そんなに遠いと、「子門」、すなわち「ワギナ(膣)」の門をすぎてしまって、精液が「子戸」つまり「ウテルス(子宮)」に入りません。
 「麦歯(バクシ)」をこえてしまうと、精液が「ワギナ(膣)」の外に行ってしまって、「ウテルス(子宮)」にはいることがない。そのようにいっていると考えられます。
 そうしますと、「麦歯」は「ワギナ(膣)」の門とほぼおなじ箇所と考えてもまちがいではないでしょう。


 いろいろと引用してまいりましたが、「麦歯(バクシ)」は、「ワギナ(膣)」の門とほぼおなじ箇所にあるもので、「小さい歯」、あるいは、「濁った白い歯」のようなものということになります。
 これにあたるものは、だたひとつしかありません。それは「処女膜(しょじょまく)」です。しかし、これらの引用されている部分でのべられている女性たちは「処女」ではありません。といいますのは、「処女膜」が完全に残っている女性についてのセックスは、第29章の『少女痛(しょうじょつう)』であつかわれているからです。もっとも、初めてのセックスが、かならずしも痛みをともなうということはありませんが。
 したがって、「麦歯(バクシ)」は、いったん破れた「処女膜」、「破綻処女膜(はたんしょじょまく)」ということになります。


 解剖学の本によりますと、「処女膜」もかなり個人差があるようです。「破綻処女膜」を、いくつかの裏DVDであらためてたしかめてみました。
 「葉山リカ」ちゃんのは、「ワギナ(膣)」の入口をかなり閉じるくらいのものでした。はじめのほうにかかげた図は、好みの美人でかわいい「芹沢樹梨」ちゃんのものを参考に描いてみました。

13.琴絃(キンゲン)

 『大漢和』には、「琴絃(キンゲン)」は「琴(こと)のいと」とかかれています。今日でもおなじ意味です。しかし、ここでは女性の生殖器の内部をさすことばとして使われています。
 槇氏は、「琴の弦(げん)をつまびけば鳴るように反応する性感帯のことか」といっていおられます。


 すでに、うえの「麦歯(バクシ)」について引用した箇所で、たびたび「琴絃」は「麦歯」とともにでてきました。それらは、第19章『施写(せしゃ)』の記述以外はすべて、第20章『治傷(ちしょう)』、「セックスでからだを悪くしたときのセックスについて」かかれた部分からの引用です。そして、ペニスを「琴絃」と「麦歯」のあいだにおいて、セックスしなさいという教えのなかでした。
 くり返しになりますが、簡単にもういちどのべます。 

 まず、第19章『施写(せしゃ)』(射精について)かかれた箇所です。『洞玄子(とうげんし)』からの引用です。

 「凡(およ)そ、精液を洩(も)らそうとおもった時は、必ずぜひとも女性が快感にたっするのをうかがいます。そして、男性が精液を与えるのは、女性と一時に同じく洩 (も)らすべきであります。男性はぜひとも浅くします。抜いて琴絃(キンゲン)と麦歯(バクシ)の間で遊びなさい」。

 およそ射精したいと欲したときには、かならず女性が快感に達するのをうかがいます。そして、男性が射精するのは、女性とおなじ時に射精すべきです。
 そして、ペニスを浅くして、抜いて、「琴絃(キンゲン)」と「麦歯(バクシ)」のあいだで遊びなさい。


 以下の「『琴絃』と『麦歯』のあいだでおこなえ」というのはすべて、第20章、『治傷(ちしょう)』という「セックスで体を損なったときのセックスによる治療のしかた」についてかかれたところからです。もとの引用先は『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』です。

 「五臓を調(ととの)え、食べたものを消化し、百病を療する道は、射精に臨(のぞ)んだときには、腹を張って意識して気を内にいれ、後(あと)で縮めて、精を還(かえ)して散らせて百脈に帰します。九浅一深して、琴絃、麦歯の間に至りなさい」。

 五臓(肺臓、心臓、脾臓(ひぞう)、肝臓、腎臓)の機能をととのえて、食べたものの消化をよくし、あらゆる病気の治療する方法は、射精しそうになったら、お腹を張って意識的に気を内にいれ、そのあと、お腹を縮めて、精液を戻し、散らせて体中の脈に帰します。九浅一深(きゅうせんいっしん)の方法をおこない、ペニスを琴絃(キンゲン)と麦歯(バクシ)のあいだに至らせなさい。

 もらさないで、「琴絃」と「麦歯」のあいだでペニスを、「九浅一深」させなさいといっています。


 そのすこしあとの『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用のつづきです。

 「この如(ごと)く、三回反復して、ペニスを浅くして九浅一深を九九、八十一回し、陽数を満たします。玉茎(ギョクケイ;ペニス)を堅くして、これを出します。弱くなったら、いれます。これを弱入強出といいます。陰陽の和は、琴絃(キンゲン)、麦歯(バクシ)の間に在(あ)ります」。

 このようにして、三回、反復し、ペニスを浅くして、九浅一深を、九九、八十一回して、陽の数を満たします。
 ペニスを堅くし、「ワギナ(膣)」から出します。ペニスが弱くなったら、「ワギナ(膣)」に入れます。これを「弱入強出(じゃくにゅうきょうしゅつ)」といいます。
 男女の和は、「琴絃」と「麦歯」のあいだにあります。

 男女の和の秘訣は「琴絃」と「麦歯」のあいだにあるといっています。


 そのしばらくあとに、おなじく『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用があります。

  「黄帝(こうてい)がいわれました。このような禁を犯したなら、治療する方法はどのようなものであるか、と。
 子都(しと)はいいました。当(まさ)に女性でもって、これを治療して、回復すべきであります。
 その方法は、女性をして正しくあおむけにねかせ、両股を相はなれること九寸にして、男性はすすんで女性を従えます。先だって玉漿(ぎょくしょう)を飲みことをながながとして、鴻泉(こうせん)を弄(もてあそ)びます。それから徐(おもむ)に玉茎(ギョクケイ);ペニス)をいれます。手でもってこれを節(せっ)します。すなわち、わずかに琴絃(キンゲン)、麦歯(バクシ)の間に至りますと、敵なる女性は、淫乱に躍(おど)ります」。

 「黄帝」がいわれました。このような禁止を犯したなら、どうして治療したらよいのか、と。
 「子都」は答えました。まさに女性とのセックスでもって、治療し回復すべきです。
 その方法は、女性をあお向けにせかせて、両股を相開けて離すこと、九寸(約27センチ)にして、男性はすすんで女性を従えます。
 まず、「玉漿(ぎょくしょう)」を飲むことをながながとして、「鴻泉(こうせん)」をもてあそびます。それからおもむろにペニスを入れます。手でペニスを節します。つまり、すこし入れて、「琴絃」と「麦歯」のあいだに至りますと、女性は淫乱に躍ります。

 ここでも、「琴絃」と「麦歯」のあいだに至らせなさいと書かれています。


 つぎに、「『琴絃』」と『麦歯』のあいだ」というきまり文句のなかでではなく、「琴絃」とのみかかれている箇所をみてみます。
 これは第5章『臨御(りんぎょ)』の最後の部分です。これは、うえでのべたようなからだをこわしているときのセックスではなく、ふつうのセックスについていっています。『素女経(そじょきょう)』からの引用です。

 「玉茎(ギョクケイ:ペニス)が玉門(ギョクモン:ワギナ(膣))に入れば、自然に熱を生じて、かつ急に変化します。婦人の身は当(まさ)に自(おの)ずから動いて揺り上げ、男性とぴったり気が合います。しかる後(のち)に、これ(ペニス)を深くすれば、男女の百病が消滅します。
 浅く琴絃(キンゲン)を刺して、そして三寸半入れて、当(まさ)に口を閉ざして、これ(ペニス)を、一、二、三、四、五、六、七、八、九、刺します。そうしてこれ(ペニス)を深くして、昆石(コンセキ)の傍(かたわ)らに至ります。往来(おうらい)して、口は婦人の口に当(あ)てて、そして気を吸って九九(くく)の道を行います」。

 ペニスをワギナ(膣)にいれますと、ワギナ(膣)は自然に熱を生じてきて、中が急に変化してきます。槇氏は「締まってくる」と訳されています。女性はからだを自分から動かせて揺り上げてきます。そして男性とぴったりと気が合うようになります。そうしたのちに、ペニスを深くいれます。そうしますと、男女ともに、あらゆる病気がなくなります。
 今度は、浅く「琴絃(キンゲン)」を刺します。そしてさらに3寸半、いれます。

 このあとは「気」についてかかれていると思われ、よくわかりません。口を閉めて、ペニスを1、2、3、4、5、6、7、8、9回刺します。「9」という数字がよいようです。そのあと、ペニスを深くいれて、「昆石(コンセキ)」のそばにもっていきます。ペニスを行き来させます。口を女性の口にあてて、気を吸います。九九の道をおこないます。
 槇氏は「九九の道」は「九浅一深(きゅうせんいっしん)」の方法のことだろうといっておられます。うえの『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用でものべましたような、「九浅一深」、九九、81回、おこなうという方法のことでしょう。


 ここで参考になりますのは、「琴絃」が「ワギナ(膣)」の浅いところだということです。そして、そのあと、3寸半いれるということなので、「琴絃」は3寸半より浅いのは確実です。
 さらにまた、あとでのべます「昆石(コンセキ)」は、3寸半より深いということです。また、「昆石」のかたわらでは、ペニスを行き来させることができるということです。


 第12章『九法(きゅうほう)』という「九つの技法」についてのべられた章に、「琴絃(キンゲン)」ということばがつかわれている箇所があります。『玄女経(げんじょきょう)』からの引用です。第7番目の「兎吭毫(とこうごう)」という技法をのべたところです。

 「第七は『兎吭毫(とこうごう)』ともうします。男性は、正(ただ)しく、反対にねます。まっ直(す)ぐに脚を伸ばし、女性はその上に跨(またが)って、膝を外の辺(あた)りにします。女性は頭を背にして足に向かい、敷物(しきもの)に拠(よ)りかかって頭を俛(うつむ)けます。
 そうして、玉茎(ギョクケイ:ペニス)をいれて、その琴絃(キンゲン)を刺します。女性は快くなり、精液を流出するのが泉のようであります。欣喜(きんき)して、和(なご)んで楽しみ、その精神と肉体を動かします。女性は快くなって、止まります。百病が生じません」。

 第7番目の体位は「兎吭毫(とこうごう)」ともうします。男性はちゃんと逆向きにねて、脚を真っ直ぐに伸ばします。女性は男性の頭を背にして、男性の足のほうを向いて、男性の上にまたがって、膝を外側にやります。そして、敷物によりかかって頭をうつむけにします。
 そうして、ペニスを「ワギナ(膣)」にいれて、その「琴絃」を刺します。女性は快くなり、愛液を泉のように流します。大喜びして、和んで、楽しんで、精神も肉体を動きまわります。女性は快感がピークになり、動きが止まります。こうすると、あらゆる病気が生じません。

 この引用箇所は、「琴絃(キンゲン)」が女性の快感をもたらすということがわかりますが、女性生殖器のなかで位置について、あまり参考になりません。


 第13章『三十法(さんじっぽう)』(三十の体位)のなか、第9番目の体位、『翡翠交(ひすいこう)』に「琴絃(キンゲン)」ということばがつかわれています。これは『洞玄子(とうげんし)』からの引用です。

 「第九、『翡翠交(ひすいこう)』。
 女性をして、仰(あお)むけにねかせ、足を挙げさせます。男性は、胡跪(こき)し、脚をくっ着(つ)けて開けて、女性の股の中に坐ります。両手でもって女性の腰を抱(いだ)いて、玉茎(ギョクケイ:ペニス)琴絃(キンゲン)中(ちゅう)に遣(や)ります」。

 第9番目の体位を「翡翠交(ひすいこう)」といいます。
 女性を仰向(あおむ)けにねかせて、足を挙げさせます。男性は、胡人(こじん)、中国北方の蛮人(ばんじん)のようにひざまづきます。
 この「胡跪(こき)」を、槇氏は「『胡人(こじん)』(北方の蛮人)のように跪(ひざまず)く」と解釈され、「片膝をたててひざまずく」という意味ではないかといわれています。
 そうしますと、この体位はつぎのようになるでしょう。

 まず、あお向けにねた女性の両足をあげさせます。男性は片膝を立ててひざまずき、女性の片方の足を、男性の曲げている方の足にのせるようにくっつけます。そして、男性の立てている方の足を、女性のもう一方の足にくっつけます。女性のからだは斜めになります。女性のお尻を、片膝を立ててひざまずいている男性の腰にのせるという感じでしょうか。
 女性の股の中へすわります。この「股の中へ坐る」というのも、疑問があります。ひょっとすると、「松葉くずし」のように交差させるのかもしれません。けれどもそのあとに、「両手でもって女性の腰を抱きかかえます」とあります。もしも、男女の脚を交差させたなら、腰を抱きかかえることができにくいでしょうから、たぶん、交差させないのでしょう。
 男性の曲げた足と腰の上に、女性のお尻をすこしのせているという感じなら、女性の腰を抱きかかえることはできるでしょう。

 そして、ペニスを「琴絃(キンゲン)」のなかにやります。

 この引用箇所も、女性生殖器のなかでの位置について参考になりません。


 つぎに引用いたしますのは、うえでふれました「白行簡(はくこうかん)」による『天地陰陽交歓大楽賦(てんちいんようこうかんだいらくふ)』(福田和彦編著:エロティシズムの美術史@ 【中国T】 中国春宮画の魅惑、ブックマン社、1993)という書物からです。

 「玉茎(ギョクケイ:ペニス)を、すなわち上下に来たり去ったりさせ、左右にこすってつきます。陽鋒(ヨウホウ:ペニス)を直(ただ)ちに入れ邂逅(かいこう)して、琴絃(キンゲン)を過ぎ、陰幹(インカン:ペニス)を斜めに衝(つ)けば、まじって交差(こうさ)して穀実(コクジツ)を磨(みが)きます〔原注、交接経(こうせつきょう)でいっています。男陰(ダンイン:ペニス)は、頭峯(トウホウ)また陰幹(インカン:ペニス)といいますと。また、素女(そじょ)がいっています。女人(にょにん)の陰は、深さ一寸を琴絃(キンゲン)といい、五寸を穀実(コクジツ)といいます。実(じつ:穀実のこと)を過ぎますと、すなわち死にますと。〕」。

 ペニスを上下に行ったり来たりさせ、左右にこすってついたりします。そして、ペニスを入れて、男女の性器がであい、「琴絃(キンゲン)」を過ぎて、ペニスを斜めに衝きますと、男女の性器がまじって交差し、「穀実(コクジツ)」を磨くことになります。

 ここで、「原注」があるのですが、これはどうも「白行簡(はくこうかん)」が書きいれたものでも、校訂(こうてい)した「葉(しょう)」氏が書きいれたものでもないようです。この「敦煌(とんこう)」で見つかった写本を書き写した人が書きいれたか、その元の本に書きこまれていたものでしょう。
 「交接経(こうせつきょう)」でいっていますとあります。この「交接経」というのは、『医心方』にもでてきません。たぶん、日本に来なかった性にかんする書物がほかにもあったのでしょう。

 ペニスは「頭峯(トウホウ)」とも、「陰幹(インカン)」ともいいます。
 つぎの「素女がいっています」というのは、「素女経(そじょきょう)」がいっているのか、それとも「交接経」のなかの登場人物である「素女」がいっているのかよくわかりません。なんとなく、後者のような気がします。もし、「素女経」に記載があるのなら、丹波康頼が『医心方』のなかでこの文を引用したように思えるからです。

 女性の性器は、深さ一寸を「琴絃(キンゲン)」といい、深さ五寸を「穀実(コクジツ)」といいます。ペニスが「穀実」を過ぎてなかへはいると、女性は快感が絶頂になり死ぬくらいになります。

 この引用でわかりますのは、「琴絃」が「ワギナ(膣)」の入口から1寸、約3センチの深さのところにあるといっているということです。


 いろいろと引用してまいりましたが、「ワギナ(膣)」の入口から浅いところにあり、3センチくらいで、槇氏がおっしゃるように「琴の弦をつまびけば鳴るように反応する性感帯」といえば、ひとつしかありません。それは「Gスポット」です。


 「Gスポット」はしたの図のように、ちょっと指を曲げて上側にもっていけば、ふれることができます。


  「Stage 1.5 女性の性反応について」でものべましたが、「Gスポット」はしたの図でしめしましたように、ワギナ(膣)の上側の「尿道隆起(にょうどうりゅうき)」のなかに尿道があり、それが敏感なために、セックスのさいも感じるのだと思われます。


 「Gスポット」、「尿道隆起(にょうどうりゅうき)」を指でさわったときに、女性によっては、ひも状のものをワギナ(膣)の入口にむかってふれることがあります。
 舌の下側から下へあごの方にむかって、ちょうどおなじように、ひも状のものがあります。「舌小帯(ぜつしょうたい)」というそうです。
 「ワギナ(膣)」のなかにも「舌小帯」に似たものがあります。ここのひも状のものをつまびくと、「鳴る」、つまり「女性が泣く」というところから、「琴のいと」、「琴絃(キンゲン)」となづけられたのではないでしょうか。

14.子宮(シキュウ)

 『医心方』のなかで「子宮(シキュウ)」ということばをつかっている箇所がいくつかあります。漢文でも「子宮」というのは、私たちがつかっているのとおなじ意味です。『大漢和』をしらべても、「子宮」は「胎児のやどるところ、こぶくろ、子宮」となっています。


 すでに「Stage 8 『医心方』におけるウテルスセックス」で「子宮」ということばがつかわれていることについてのべました。『医心方』のなかの第5章『臨御(りんぎょ)』にあります。これは『洞玄子(とうげんし)』からの引用です。

 「女性はまさに婬津(インシン;愛液)を丹穴(タンケツ;丹砂、硫化水銀のような濃紅色のものが出る穴、ワギナ)に湛(たた)えるでしょう。
 そして陽鋒(ヨウホウ;ペニス)でもって子宮(シキュウ;胎児のやどるところ、こぶくろ、ウテルス(子宮))に投入します」。


 「Stage 8 『医心方』におけるウテルスセックス」でものべましたので、説明を要しないかと存じます。この文章のすこしあとに、うえの「シン〔石+參〕勒(シンロク)」についてのべた箇所がきます。

 「女性が快い気持ちを得たならば、男性ははやくつき急に刺すと、シン〔石+參〕勒(シンロク)を高く擡(もた)げる」。

 ここではすでにペニスは「ワギナ(膣)」にいれています。ペニスを縦にしたり、横にしたり、緩やかにしたり、速くしたり、深くしたり、浅くしたりしますと、女性は気持ちよくなって、「小陰唇」を高く膨張させてくるということだと思われます。 


 それにつづいて、つぎの記述がきます。

 「女性の動揺を候(うかが)って、その緩急(かんきゅう)を取ります。それから陽鋒(ヨウホウ:ペニス)をもって、その穀実(コクジツ)を攻(せ)め、子宮(シキュウ)に投入し、左右を研磨(けんま)します」。

 女性の動揺をうかがって、ペニスの緩急を調節します。それから、ペニスで「穀実(コクジツ)」を攻めます。
 「穀実」もこれまでにでてきました。くわしくはつぎのところでのべます。
 「穀実」を攻めて、それから「子宮」にペニスを投入します。興味深いのは、「子宮」に投入したあと、その左右を研磨するといっていることです。「子宮」の内面の左右の壁を、ペニスでもって研(と)ぎ磨(みが)くといっています。


 「ウテルス(子宮)」のなか、内腔(ないくう)は平たい扇型になっています。
 ペニスを「ウテルス(子宮)」のなかにいれてすぐは、平たい扇形の「ウテルス(子宮)」の内腔はそのようには感じられません。ただ、狭いところにペニスがはいっただけのように感じられます。
 さらに、ペニスを右側で前後、左側で前後させたりしていますと、「ウテルス(子宮)」の内腔はだんだんと開いてきます。ポッカリと扇形の内腔がペニスの先でわかるようになってきます。
 こうなりますと、女性の「ウテルス(子宮)」のおおきさにもよりますが、ペニスの亀頭全体がスッポリと「ウテルス(子宮)」にくわえこまれた感じになります。ペニスの亀頭の根元が、「ウテルス(子宮)」の頚部で、唇で固くくわえこまれたようになります。ペニスの亀頭部分が、まるで「ウテルス(子宮)」でフェラチオされたようになります。


 つぎに、「子宮」ということばがつかわれている第13章『三十法(さんじっぽう)』(三十の体位)のなか、第17番目の体位、「海鴎翔(かいおうしょう)」を引用します。これも『洞玄子(とうげんし)』からの引用です。

 「第十七、『海鴎翔(かいおうしょう)』。
 男性はベッドの辺(べ)に臨(のぞ)み、女性の脚をもって挙(あ)げさせます。男性は玉茎(ギョクケイ:ペニス)をもって子宮の中に入れます」。

 第17番目の体位を「海鴎翔(かいおうしょう)」といいます。
 男性はベッドのへりにあって、女性に立ち向かいます。女性の脚をあげさせます。
 このようにいっているところからみますと、女性をベッドにあおむけに寝かせて、お尻をベッドの縁(ふち)にもってこさせます。そして、脚をあげさせるということだと思われます。
 そして、男性はペニスを「子宮」の中に入れます、といっています。
 体位からもうしまして、女性が脚を高くあげ、そして腰もあげ、男性がその腰をかかえるようにして、ペニスを水平にしていれれば、「ウテルスセックス」となるでしょう。ほぼ、「まえの式屈曲位」とおなじ角度となります。


 おなじく、第13章『三十法(さんじっぽう)』のなかの第19番目の体位、「驥騁足(きていそく)」を引用します。

 「第十九、『驥騁足(きていそく)』。
 女性をして、仰(あお)むけにねかせます。男性は蹲(うずくま)ります。左手で女性の項(うなじ)を捧(ささ)げます。右手で女性の脚をはらいます。そして玉茎(ギョクケイ:ペニス)でもって内にし、もって子宮中に入れます」。

 第19番目の体位を「驥騁足(きていそく)」といいます。
 女性を仰向けにねかせます。男性はうずくまります。そのあとの体位からいって、男性は女性の両脚のあいだにすわって、そしてからだを曲げて、すこし女性にかぶさるようにします。
 つぎに、左手を女性の首のうしろ、うなじにやって、ささげ持つようにします。
 右手で、女性の両脚をはらい分けます。
 そして、ペニスを「ワギナ(膣)」の内にいれ、それでもってさらに「子宮」の中に入れます。
 この体位は、角度からいって、簡単には「ウテルスセックス」にはなりません。しかし、ペニスを「ウテルス(子宮)」にいれる感覚がつかめていれば、けっして不可能ではないでしょう。


 第13章『三十法(さんじっぽう)』のなかの第二十一番目の体位、「白虎騰(びゃっことう)」を引用します。

 「第二十一、『白虎騰(びゃっことう)』。
 女性をして、面(つら)を伏(ふ)せて跪膝(きしつ)させます。男性は女性の後(うしろ)に跪(ひざまず)きます。両手で女性の腰を抱(いだ)き、玉茎(ギョクケイ:ペニス)を子宮中に内(い)れます」。

 第21番目の体位を「白虎騰(びゃっことう)」といいます。
 女性の顔を下に伏せて膝をついてひざまずかせます。男性は女性の後ろにゆき、ひざまずきます。
 これは、あきらかにバックの体位です。
 そして、両手で女性の腰を抱きながら、ペニスを子宮の中にいれます。
 この「ウテルスセックス」の体位は、「Stage 6 バックでのウテルスセックス」とおなじものです。


 目にふれた範囲で、『医心方』のなかで、「子宮」ということばがでてきた箇所を引用してまいりました。このように、『医心方』では、「ウテルスセックス」は当然のことのようにのべられているのが、おわかりになっていただけるかと存じます。

15.穀実(コクジツ)

 この「穀実(コクジツ)」ということばは、『大漢和』には、「穀物の実」とかかれています。これは今日でもおなじ意味であります。
 しかし、「穀実」は「ウテルスセックス」にとってかなり重要のように思われます。
 これまでにも、「穀実」はでてきました。まず、それをふたたびのべます。


 「麦歯(ばくし)」について説明しましたところで、第20章『治傷(ちしょう)』という「セックスによる損傷の治療法」、つまり「体を損なったときのセックスによる治療のしかた」から引用いたしました。これは『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からのものです。

 「陰陽の和は、琴絃、麦歯の間に在(あ)ります。男性は昆石(コンセキ)の下で困ってしまいます。女性は麦歯の間に困ってしまいますが、浅ければ、それで気を得ます。遠ければ、それで気を散じてしまいます。一たび穀実(コクジツ)至れば、肝臓を傷(いた)めます。風を見れば涙が出て、排尿後に残尿感があります」。

 陰陽の和は「琴絃(キンゲン)」と「麦歯(バクシ)」のあいだにあります。男性は「昆石(コンセキ)」のもとでは、だめになります。
 「昆石」については、のちにのべさせていただきます。
 女性は「麦歯」のあいだでは、だめになってしまいます。しかし、ペニスは浅いので、射精することなく、男性は気を得ることができます。遠く深くはいってしまいますと、男性の快感が増して射精したりしてしまい、気が散じてしまいます。
 ひとたび、「穀実」にいたってしまいましたら、肝臓をいためます。風を見れば涙が出て、排尿後には残尿感がでてきます。
 とのことです。

 これは、あくまで「セックスしすぎて、からだを損なったときのセックスによる治療のしかた」のことで、通常のときのセックスのいましめではありません。
 「穀実」が深いところにあることがわかります。


 うえで「琴絃」について説明いたしましたところにも、「穀実」がでてきました。
 「白行簡(はくこうかん)」による『天地陰陽交歓大楽賦(てんちいんようこうかんだいらくふ)』(福田和彦編著:エロティシズムの美術史@ 【中国T】 中国春宮画の魅惑、ブックマン社、1993)からです。

 「玉茎(ギョクケイ:ペニス)を、すなわち上下に来たり去ったりさせ、左右にこすってつきます。陽鋒(ヨウホウ:ペニス)を直(ただ)ちに入れ邂逅(かいこう)して、琴絃(キンゲン)を過ぎ、陰幹(インカン:ペニス)を斜めに衝(つ)けば、まじって交差(こうさ)して穀実(コクジツ)を磨(みが)きます〔原注、交接経(こうせつきょう)でいっています。男陰(ダンイン:ペニス)は、頭峯(トウホウ)また陰幹(インカン:ペニス)といいますと。また、素女(そじょ)がいっています。女人(にょにん)の陰は、深さ一寸を琴絃(キンゲン)といい、五寸を穀実(コクジツ)といいます。実(じつ:穀実のこと)を過ぎますと、すなわち死にますと。〕」。

 ペニスを上下に行き来させ、左右にこすってつきます。ペニスを入れて、「琴絃」を過ぎて、ペニスを斜めに衝けば、男女の性器がまじって交差し、「穀実」を磨くことになります。
 「原注」、「交接経(こうせつきょう)」でいっています。ペニスは「頭峯(トウホウ)」とも「陰幹(インカン)」ともいいます。
 「素女」がいっています。女性の性器は、深さ一寸を「琴絃」といい、深さ五寸を「穀実」といいます。ペニスが「穀実」を過ぎると、女性は死ぬくらいになります。

 ここでわかりますのは、「琴絃」が「ワギナ(膣)」の入口から1寸、約3センチの深さのところにあり、「穀実」が5寸、約15センチだとといっているということです。

 ここで、「穀実」が深さ、15センチだといっているのは問題があります。オーバーすぎます。あとで、そうではないということをのべます。しかし、深いところにあるということはおわかりになっていただけるかとは存じます。


 また、「穀実」ということばは、第12章『九法(きゅうほう)』という「九つの技法」についてのべられた章にもあります。これはうえでも「麦歯(バクシ)」についてのべたところでも引用しました。『玄女経(げんじょきょう)』からです。第9番目「鶴交頸(かくこうけい)」という技法です。

 「第九番目の技法を『鶴交頸(かくこうけい)』ともうします。
 男性は正しくあぐらをかいて坐ります。女性はその男性の股に跨(またが)ります。そして手で男性の頸(くび)を抱きます。男性は玉茎(ギョクケイ:ペニス)をいれて、麦歯(バクシ)を刺して、務(つと)めて女性の実(ジツ)に中(あ)てます」。

 第9番目の技法を「鶴交頸」といいます。男性はあぐらをかいてすわります。女性は男性の股の上にまたがり、手で男性の首を抱きかかえます。男性はペニスをワギナにいれ、「麦歯」を刺します。そして、できるだけ女性の「実(ジツ)」に命中させます。
 槇氏によりますと、「実」は「穀実(コクジツ)」のことです。
 さきにのべましたように、「麦歯(バクシ)」は「ワギナ(膣)」の入口にある「破綻処女膜(はたんしょじょまく)」です。
 「実」すなわち「穀実」はそれより深いところです。そして、「穀実」に命中させます、ということです。


 うえでものべましたように、第5章『臨御(りんぎょ)』につぎのような記述があります。

 「女性の動揺を候(うかが)って、その緩急(かんきゅう)を取ります。それから陽鋒(ヨウホウ:ペニス)をもって、その穀実(コクジツ)を攻(せ)め、子宮(シキュウ)に投入し、左右を研磨(けんま)します」。

 女性の動揺をうかがって、ペニスの緩急を調節します。それから、ペニスで「穀実(コクジツ)」を攻めます。
 「穀実」を攻めて、それから「子宮」にペニスを投入するといっています。
 これからもおわかりになっていただけるかと存じますが、「穀実」は「ウテルス(子宮)」にはいる直前にあるということです。


 第2章『養陽(ようよう)』(男性のための房内術)でいっています。『玉房指要(ぎょくぼうしよう)』からの引用です。

 「彭祖(ほうそ)がいっています。
 交接(こうせつ)の道は、また他(ほか)とかわっているということはありません。ただ、まさに縦容(しょうよう)と安らいで、徐(おもむろ)に和することを、貴(とうと)いこととします。その丹田(たんでん)を玩(もてあそ)び、その口を求め、実(ジツ)を深く按(お)して、小さく揺(ゆ)すって、もってその気を致(いた)させます。女子が、陽気(ようき)を感じれば、その徴候(ちょうこう)があります」。

 「彭祖(ほうそ)」というのは、「尭帝(ぎょうてい)」の家臣で、古代中国の「尭(ぎょう)」、「夏(か)」、「殷(いん)」の時代、約700年に渡って生きたといわれている仙人だそうです。
 その「彭祖」がいっています。
 男女の交接の道は、ほかとくらべてとくにかわっているということはありません。ただ、まさにゆったりと落ち着いて安らいで、ゆっくりと和することを、貴いこととします。
 女性の丹田、下腹部をもてあそびます。また、女性の口を求めます。さらに、「実(ジツ)」、すなわち、「穀実(コクジツ)」を深く、おさえ、なで、もみます。

 この「実」を「穀実」ではなく、「穀物の実のようなもの」ということで、「クリトリス」をさしているという考えもあるでしょう。
 しかし、そのあと、「深く按(お)し」となっています。「クリトリス」はあまり深くありません。槇氏は「子宮」と訳されておられます。ほかの引用箇所にもありますように、ここでは、「穀実」の「実」と考えることにしておきます。

 そして、この「穀実」を「按(お)します」。訓読みで「おす」となっていますが、これは「按摩(あんま)」の「按」です。「おす」という意味だけでなく、「なでる」とか「もむ」という意味もあります。
 ペニスはまだ「ワギナ(膣)」はいっていません。したがって、指で「おさえたり、なでたり、もんだりする」のでしょう。さらに、「穀実」を指で「小さく揺すります」。
 このことからわかっていただけるかと存じますが、「穀実」は指で届く範囲にあるということであります。指の長さから、せいぜい、深さ8センチから9センチ、おおきく見積もっても、10センチ以内でしょう。

 うえでのべましたが、『天地陰陽交歓大楽賦(てんちいんようこうかんだいらくふ)』では、「5寸」となっていましたが、約15センチとなると、いくら指が長いひとでも、とうてい届きません。したがって、「5寸」はオーバーすぎると思われます。
 そうすることで、女性の気持ちを最高潮に至らせます。女性が、男性の気を感じれば、その徴候がでてきます。とのことです。


 そのほかに、「穀実」ということばは、第12章『九法(きゅうほう)』、「九つの技法」についてのべられた章に2箇所でてきます。『玄女経(げんじょきょう)』からです。第1番目「龍翻(りゅうほん)」という技法です。

 「九法の第一を龍翻(りゅうほん)ともうします。
 女性を正しく上を向けて偃臥(えんが)させます。男性はその股の隠(ほと)の上に伏(ふ)します。床(とこ)で女性は、その陰(いん)を挙(あ)げます。もって玉茎(ギョクケイ)を受けます。その穀実(コクジツ)を刺します。また、その上を攻めます」。

 九法の第一番目の技法を、龍翻(りゅうほん)ともうします。
 女性をちゃんと上を向けて、あおむけにねさせます。男性は女性の股の陰部のうえにかぶさります。床(とこ)で女性は陰部を挙げます。それでもって、ペニスを受けいれます。女性の「穀実」を刺します。そしてまた、その上を攻めます。とのことです。
 このあとにも記述があります。解釈のむずかしいところもあります。すこしあとのStageでふたたび、くわしく説明したく存じます。
 とりあえず、ここではあきらかに、「穀実を刺す」とのべられています。したがって、「穀実」は刺せるものであるということがわかります。また、その上をも攻めることができるようです。


 第12章『九法(きゅうほう)』、「九つの技法」のなかに、さらに一箇所「実(じつ)」ということばがでてきます。第5番目「亀謄(きとう)」という技法についてのべられたところです。おなじく、『玄女経(げんじょきょう)』からです。

 「第五を亀謄(きとう)ともうします。
 女性を正臥(せいが)させます。その両膝を屈(かが)めさせます。男性は、すなわちこれを推(お)し、その足を乳に至らせます。深く玉茎(ギョクケイ)をいれて嬰女(エイジョ)を刺します。深浅(しんせん)、度(ど)をもってします。その実(ジツ)に中(あた)らせますと、女性はすなわち感じ悦(よろこ)び、躯(からだ)を自(みずか)ら挙げて揺らします」。

 第五番目の技法を、亀謄(きとう)ともうします。
 女性をちゃんとねさせます。女性の両膝をまげさせます。男性は、両膝をおして、女性の足を乳にまでもっていきます。そして、深くペニスをいれて、「嬰女(エイジョ)」を刺します。
 ここで「嬰女」といっています。これについてはすぐあとでのべます。これも「穀実」とおなじように、ペニスで刺せるものだということがわかります。
 深い浅いを度合をみはからいます。そして、女性の「穀実」に命中させます。すると、女性は感じて悦んで、からだをみずから挙げて揺らします。とのことです。
 おなじように、ペニスで刺すものとして、「穀実」と「嬰女」があります。「嬰女」が入口で、「穀実」はその先で命中させるものだということがわかります。


 ここでもいろいろとのべてまいりました。「ワギナ(膣)」の入口からはいって、5寸というのはオーバーすぎますが、指で届くところにあるものです。せいぜい、10センチ以内でしょう。それを指で、あんましたり、ちいさく揺すったりすることができます。
 また、ペニスを命中させることができ、そのあと「子宮」に投入することができます。そして、「穀実」の上も攻めることができます。
 このようにのべてまいりますと、「穀実」は「ポルチオ(子宮膣部)」以外に、考えることができないということが、わかっていただけるかと存じます。
 そして、つぎにのべます「嬰女」は「穀実」の手前の入口であります。


 すぐうえでのべましたところに注目したく存じます。

 「実(ジツ)を深く按(お)して、小さく揺(ゆ)すって、……」。

 とあります。「穀実(コクジツ)」、つまり「ポルチオ(子宮膣部)」をおして、小さく揺すります。この「捺(お)す」というのも、「おす」だけでなく、「なでる」とか「もむ」という意味があります。
 このごろ、「Gスポット」から、さらに「Pスポット」とかいわれています。この「Pスポット」の「P」というのは、「ポルチオ(子宮膣部)」のことのようです。
 「琴絃(キンゲン)」でのべましたところから、わかっていただけるかと存じますが、どうも古代中国では、すでに、性感帯として、「Gスポット」は自明のことであったようです。

 ところが、さらに、ここでのべましたように、「Pスポット」も前技として、知られているところとなっていたようです。
 このような『医心方』の記述は、どう考えればよいのでしょう。「古代中国、恐るべし」です。「ウテルスセックス」だけではありません。われわれがやっといまになって知るようになった「Gスポット」、さらに「Pスポット」が、すくなくとも、千年以上まえから知られていたのです。それだけではありません。遅く見積もっても、平安時代には日本に伝わっていたのです。

 「丹波康頼(たんばやすより)」は、高齢になって、中国の書物を編纂(へんさん)して、漢方や鍼灸など、当時の医学全般をふくめた『医心方』を天皇に献上しました。あくまで手書きの一冊です。そのなかに、『房内篇』がありました。まわりのひとがそれを書き写したかもしれませんが、一般のひとびとに公開したのではありません。
 それは、『源氏物語(げんじものがたり)』や『枕草子(まくらのそうし)』が書かれたころです。『房内篇』やその元となっている中国の本にある性のテクニックは、高貴なひとたちだけが知るところだったでしょう。『源氏物語』の主人公、「光源氏(ひかるげんじ)」も、このようなテクニックを駆使(くし)していたという前提だったかもしれません。あるいは、当時の宮中の女性たちは、高貴な男性のこころをつかみつづけるために、「ウテルスセックス」などのテクニックを習得していたかもしれません。

 ひょっとすると、私が無知なだけである可能性もあります。中国や日本のどこかで、秘伝として密かに伝わりつづけているのかもしれません。が、聞きおよぶかぎりでは、中国でも、日本でも、このようなテクニックは、歴史から消えてしまっています。
 なぜ、そうなったかはわかりません。「ウテルスセックス」については、ときどき、まえの師や高木氏、あるいは「ウテルスセックスについて」のページで引用させていただきましたお二人のように、偶然に、発見するひとたちがあるようです。それも、まえの師や高木氏のように、本にお書きにならなければ、そのひとだけのテクニックで、一代かぎりで消えてしまっているように思われます。

 どうも、個人的な感じですが、伝わらない理由があるように思えてなりません。
 まえの師でさえ、あまり、テクニックの詳細を書いておられません。ずいぶんと大盤ぶるまいで、「まえの式屈曲位」をのべられました。そのおかげで、私のようなものでさえ、「ウテルスセックス」の恩恵に浴することができました。
 まえの師も、この本は「何百万円の値打ちがある」と書かれていたように思います。ほかのひとに、簡単には教えたくないのです。こういう「性のテクニック」を自分だけのものにしておいて、すてきな女性を自分だけに引きとめたいのです。「おれがどれだけすごいかわかったか。おまえは、おれから離れられない」と思わせたいのです。
 ほかの男性も自分とおなじように、このようなテクニックが使えるようになったなら、性技において同等になってしまいます。自分だけが優位にたつということができなくなってしまいます。偶然に知ったひとでさえ、あまりひとには教えたくないために、歴史からそのつど、消えているのではないでしょうか。

 以前に、インターネットのあるところで、不倫関係の女性がペニスをいれてから、クッと腰を揺すり、カポッとはめることで、「ウテルスセックス」らしいことをしたというのを読んだことがあります。
 たぶん、その女性も偶然に「ウテルスセックス」を発見したのでしょう。それを書いていた男性は、たしか二度ほど、その女性と関係をもったとありました。しかし、それからはつきあえなくなったようでした。その男性は自分からは、「ウテルスセックス」をすることができませんでした。その女性の特別なことのように書かれてありました。文面から、かなり、その女性に快感ゆえに執着があったようにうかがえました。
 男性だけでなく、女性も「ウテルスセックス」のテクニックを使って、男性を意のままに自分のとりこにしていたのかもしれません。

16.嬰女(エイジョ)

 「嬰女(エイジョ)」は、『大漢和』には、「女のちのみご」とかかれています。


 『医心方』のなかで、「嬰女(エイジョ)」ということばは、探せた範囲で一箇所しかでてきません。それをわざわざとりあげるのもどうかとも思われますが、「嬰女」に似た表現が、「白行簡(はくこうかん)」によります『天地陰陽交歓大楽賦(てんちいんようこうかんだいらくふ)』(福田和彦編著:エロティシズムの美術史@ 【中国T】 中国春宮画の魅惑、ブックマン社、1993)にもでてきます。
 「ウテルスセックス」をおこなっていて、なるほどと思われることもあり、とりあげたく存じます。


 まず、『医心方』のなかでは、すぐうえの「穀実(コクジツ)」のところでふれました第12章『九法(きゅうほう)』、「九つの技法」の第5番目「亀謄(きとう)」という技法にあります。くり返しになりますが、引用します。『玄女経(げんじょきょう)』からのものです。

 「第五を亀謄(きとう)ともうします。
 女性を正臥(せいが)させます。その両膝を屈(かが)めさせます。男性は、すなわちこれを推(お)し、その足を乳に至らせます。深く玉茎(ギョクケイ)をいれて嬰女(エイジョ)を刺します。深浅(しんせん)、度(ど)をもってします。その実(ジツ)に中(あた)らせますと、女性はすなわち感じ悦(よろこ)び、躯(からだ)を自(みずか)ら挙げて揺らします」。

 第五番目の技法を、亀謄(きとう)ともうします。
 女性をちゃんとねさせます。その両膝をまげさせ、男性は、両膝をおして、その足を乳にまでもっていきます。深くペニスをいれて、「嬰女(エイジョ)」を刺します。深い浅いを度合をみはからいます。その「穀実」に命中させます。すると、女性は感じて悦んで、からだをみずから挙げて揺らします。


 この記述から、「嬰女」が深いところにあり、刺せるものであり、深くしたり浅くしたりできるものであり、「穀実」の手前にあり、その入口だということがわかります。
 「穀実」のところでのべましたように、「穀実」は「ポルチオ(子宮膣部)」であります。その手前の刺せるところといえば、「子宮口(しきゅうこう)」しかありません。


 「白行簡(はくこうかん)」によります『天地陰陽交歓大楽賦(てんちいんようこうかんだいらくふ)』には、つぎのような記述がでてきます。「琴絃」や「穀実」で引用いたしました箇所のつづきです。
 話の流れがありますので、前半はくり返しになりますが、引用させていただきます。

 「玉茎(ギョクケイ:ペニス)を、すなわち上下に来たり去ったりさせ、左右にこすってつきます。陽鋒(ヨウホウ:ペニス)を直(ただ)ちに入れ邂逅(かいこう)して、琴絃(キンゲン)を過ぎ、陰幹(インカン:ペニス)を斜めに衝(つ)けば、まじって交差(こうさ)して穀実(コクジツ)を磨(みが)きます。
 上にえぐ[兆+刀]り、下に刺し、側(がわ)に拗(ねじ)り、傍(かたわ)らを揩(ぬぐ)わないでおくことはありません。
 臀(しり)は、揺(ゆ)すること、振(ふる)るえることに似ています。
 へのこ[尸+蓋]が入るのは、埋もれるが如(ごと)くであります。
 暖かく滑(なめ)らかで、
うすぐらく[火+享]、□□(原文で二字欠如とのことです)、深深(ふかぶか)としています。
 あるいは、急に抽(ひ)きます。あるいは、慢(ゆる)くつ[石+聿]きます。
 浅く挿(はさ)むのは、嬰児(えいじ)が乳を含むが如(ごと)くです。
 深く刺すのは、凍(い)てつくへび[虫+也]の窟(いわや)に入るのに似ています」。

 ペニスを上下に行き来させ、左右にこすってつきます。ペニスを入れて、「琴絃」を過ぎて、ペニスを斜めに衝けば、男女の性器がまじって交差し、「穀実」を磨くことになります。
 ペニスを上にえぐります。下に刺します。外側にねじります。そばをぬぐいます。そういうことをせずにおくことはありません。
 おしりを揺するのは、むしろふるえるのに似ています。
 ペニスがはいるのは、まるで埋もれていくようであります。
 暖かく、なめらかで、うす暗く、深々(ふかぶか)としています。
 あるときは急にひきます。あるときはゆっくりとつきます。
 ペニスを浅くはさんでいるのは、まるで、ちのみごが乳を含んでいるかのようであります。
 ペニスを深く刺すのは、まるで、こおりつくようなヘビのほらあなに入るのに似ています。


 ペニスを上下させ、左右にこすり、「琴絃」を過ぎて、 斜めに衝いて、「穀実」をこすります。
 さらに、「ポルチオ(子宮膣部)」を攻めまくります。ペニスでもって、「穀実」の上にえぐります。これは、「Stage 1.5 女性の性反応について」でのべました「前膣円蓋(ぜんちつえんがい)」のところを攻めるということでしょう。「ポルチオ(子宮膣部)」は、ペニスの下側にきます。
 「穀実」の下を刺します。これは、「後膣円蓋(こうちつえんがい)」をペニスで攻めるということでしょう。「ポルチオ(子宮膣部)」はペニスの上側にきます。
 「穀実」を外側にねじります。これは、ペニスでもって、「ポルチオ(子宮膣部)」を、横側へねじって刺激するということでしょう。
 「穀実」の横をペニスでぬぐいます。これは、ペニスでもって、「ポルチオ(子宮膣部)」の側面をこすって刺激するということでしょう。
 こうしていると、女性は「ポルチオ(子宮膣部)」でもって感じて、お尻を揺するというよりは、むしろふるえさせます。興奮でもって、お尻をふるわせるということでしょう。
 ここまでは、ペニスは「ウテルス(子宮)」にはいっていません。つぎのところです。

 つぎの文字、[尸+蓋]は、福田氏は「へのこ」と訳されています。この文字は『大漢和』にも載っていません。しかし、文脈からして、ペニスであることはまちがいないでしょう。
 いよいよ、ペニスを「ウテルス(子宮)」にいれます。ペニスが入るのは、まるで埋もれていくかのようであると書かれています。ズブズブッと「ウテルス(子宮)」のなかに、埋もれてゆきます。
 そして、「ウテルス(子宮)」にはいったペニスは、暖かさを感じ、なめらかさを感じます。ペニスの先で、「ウテルス(子宮)」の生暖かさを感じ、「ウテルス(子宮)」のなかの粘液ですべるときになめらかさを感じるということであります。
 そして、うす暗いです。もちろん、見えないわけですから、なんともいえないのですが、このように表現したのでしょう。

 つぎは文字か欠如しているとのことです。

 「ウテルス(子宮)」のなかは、深々(ふかぶか)としています。
 ときに、急にペニスをひきます。また、ときに、ペニスをゆっくりとつきます。問題はつぎの箇所であります。

 ペニスを浅く挿んでいるのは、まるで、「乳飲み子」が乳を含んでいるかのようであるとの記述です。
 このことについては、まえのStageでものべましたことがあります。ペニスを「ポルチオ(子宮膣部)」にはいったすぐのところで、前後させると、「ポルチオ(子宮膣部)」が、あたかも堅く閉じた唇のようになって、ペニスがそれでもってフェラチオされているかのようだとお伝えいたしました。
 このことを、「乳飲み子」が乳を含んでいるかのようであるといっているのだと思われます。『天地陰陽交歓大楽賦(てんちいんようこうかんだいらくふ)』では「嬰児(えいじ)」となっていますが、『玄女経(げんじょきょう)』では、この部分を「嬰女(エイジョ)」となづけたと考えられます。

 そのあとに、「浅く」に対応して、「深く」刺すと、「氷つくようなヘビの洞穴(ほらあな)にはいる」のに似ていると書かれています。「ウテルス(子宮)」の内腔(ないくう)を、「ヘビの洞穴」にたとえたのでしょう。
 ここでいっています「氷つくようなヘビの洞穴」の「氷つく」というのは、「ヘビ」にかかっています。「氷つくようなヘビ」であります。あくまで、「洞穴」は、そのうえでも書かれていますように、「暖かく、なめらか」であります。

17.臭鼠(シュウソ)

 「臭鼠(シュウソ)」については、『大漢和』に記載がありません。「臭」には、「くさい」という意味以外に、「くさる」という意味があると、書かれています。
 「臭」を「腐」におきかえた「腐鼠(フソ)」は、「くさったねずみ。転じて、軽く賤(いや)しいものの意」とあります。
 槇氏は、ペニスのことを「臭鼠(シュウソ)」または「腐鼠(フソ)」といったと、記されています。

 インターネットで調べましたら、台湾などでは「臭鼠(シュウソ)」というのは、「ジャコウネズミ」をさしているようであります。

 「ジャコウネズミ」は、ネズミとはいっていますが、モグラの仲間のようです。体長が12から16cmで、尾の長さが6から8cmくらいで、体重は45から80gだそうです。腹側や体側に匂(にお)いを出す分泌腺をもっていることから、「ジャコウネズミ」と呼ばれているようです。
 台湾だけでなく、九州や沖縄にもいて、昆虫などを食べているようです。夜の浜辺をときどきエサを探してヨチヨチと歩いている、鼻がとんがったネズミという感じだそうです。親ネズミを先頭に、子ネズミが尻尾をくわえて一列の列車のようになって歩いていることもあって、その様子はとてもかわいいらしいです。


 このStageで、これまでにも「臭鼠」ということばがでてきました。うえで「麦歯(バクシ)」についてのべた箇所です。
 それは、第20章『治傷(ちしょう)』という「セックスによる損傷の治療法」、つまり「体を損なったときのセックスによる治療のしかた」についてかかれたところにあったものです。くり返しになりますが、もういちど引用いたします。『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用です。

 「陰陽の和は、琴絃(キンゲン)、麦歯(バクシ)の間に在(あ)ります。男性は昆石(コンセキ)の下で困ってしまいます。女性は麦歯の間に困ってしまいますが、浅ければ、それで気を得ます。遠ければ、それで気を散じてしまいます。一たび穀実(コクジツ)至れば、肝臓を傷(いた)めます。風を見れば涙が出て、排尿後に残尿感があります。臭鼠(シュウソ)に至れば、腸や肺を傷(いた)めます。咳きこんだり、腰、背が痛みます。昆石(コンセキ)に至れば、脾臓(ひぞう)を傷(いた)めます。腹が膨満し、息が腥(なまぐさ)くなります。時々、下痢をしたり、両股が疼(うず)きます。百病は、昆石(コンセキ)において生じます。ゆえに、交接(こうせつ)を傷(いた)めます。交合する時は、遠いところに及ぶのを欲してはいけません」。

 男女の和は、「琴絃」と「麦歯」のあいだにあります。
 男性は、ペニスが「昆石(コンセキ)」のもとにあると、つかれて困りはてます。
 女性はペニスが「麦歯」のあいだにあるときには困りはてますが、そのときにはペニスは浅いので、男性はそのことで気を得ます。
 ペニスを深く遠くいれてしまいますと、男性の気が散ってしまいます。
 ひとたび、ペニスが「穀実(コクジツ)」に至りますと、肝臓を傷(きず)つけます。そのため、風が目にはいると涙が出て、排尿後に残尿感がでます。
 ペニスが「臭鼠(シュウソ)」に至りますと、腸や肺を傷つけます。咳きこんだり、腰や背中が痛みます。
 ペニスが「昆石(コンセキ)」に至りますと、脾臓(ひぞう)を傷つけます。腹が膨満して、息が生臭くなります。ときどき下痢をしたり、両股が痛んだりします。
 もろもろの病気は「昆石」において生じます。そのため男女が交わることを傷つけます。男女が交合するときには、深く遠くにまで及ぶことを欲してはいけません。


 この引用部分はからだを損なっているときに、それをセックスでもって治すしかたについてのべています。

 まえにものべましたように、この引用箇所が興味深いのは、女性生殖器の内部の名称がわかるからであります。
 もっとも浅いところは、「麦歯(バクシ)」です。これはさきにものべましたように、「処女膜痕(しょじょまくこん)」のことであります。
 それからすこしはいったところが、「琴絃(キンゲン)」です。これは、「Gスポット」のことであります。
 もうすこしはいったところが、「穀実(コクジツ)」です。これは、「ポルチオ(子宮膣部)」のことであります。
 そのすこしはいったところが、「臭鼠(シュウソ)」ということになります。もちろん、ここでのセックスは「ウテルスセックス」であります。
 いちばん深くはいったところが、「昆石(コンセキ)」であります。
 「麦歯」、「琴絃」のつぎは「穀実(コクジツ)」、そして「臭鼠(シュウソ)」、そのつぎに「昆石(コンセキ)」です。
 したがって、「昆石(コンセキ)」は、「ウテルス(子宮)」のもっとも深いところをさしていると考えられます。

 そして、「臭鼠(シュウソ)」は、そのすこし手前ということになるかと存じます。


 ほかに『医心方』のなかで「臭鼠(シュウソ)」は、第12章『九法(きゅうほう)』、「九つの技法」の第3番目「猿搏(えんぱく)」という技法を説明したところにでてきます。これは『玄女経(げんじょきょう)』からのものです。

 「第三を猿搏(えんぱく)ともうします。
 女性を偃臥(えんが)させます。男性はその股を担(にな)って、膝をまといます。胸を過ぎ、尻、背、倶(とも)に挙げます。そこで玉茎(ギョクケイ)をいれて、その臭鼠(シュウソ)を刺します。女性は煩(みだ)れ、揺り動かして、精液が雨の如(ごと)くであります。男性は、深くこれを按(お)しますと、壮(そう)が極(きわ)まり、かつ、怒(ど)します。女性は快(こころよ)いと、止まります。百病が自(おのず)から癒(い)えるのであります」。

 第三番目の技法を「猿搏(えんぱく)」ともうします。
 女性をあおむけにねさせます。男性は女性の股を担(かつ)ぎ、さらに女性の膝をからませます。女性の膝は男性の胸を過ぎるところまでもってゆき、女性の尻、背中、両方とも男性は手で挙げます。
 そこでペニスをワギナ(膣)にいれます。そしてさらに女性の「臭鼠(シュウソ)」を刺します。
 女性は乱れて、からだを揺り動かします。女性は愛液を雨のように流します。
 男性は、深く「臭鼠(シュウソ)」をおしたりもんだりします。すると、男性の壮(さか)んなことが極(きわ)まります。そしてまた、そのペニスは怒張(どちょう)します。
 女性は気持ちよくなりますと、動くのをとめます。
 こうすれば、もろもろの病気が自然と癒(い)えてゆくのであります。 


 この箇所でのべられております「臭鼠(シュウソ)」は、ことさらに「ウテルス(子宮)」の細かい部位をさしているのではないように思われます。ただ、「ウテルス(子宮)」というかわりに、「臭鼠」といっているだけのようにも思われます。
 これらの両方の記述から、「臭鼠(シュウソ)」というのは、「ウテルス(子宮)」とか、「ウテルス(子宮)」のボディの部分、本体をさすことばのように考えられます。

18.昆石(コンセキ)

 『大漢和』には、ある人物の字(あざな)としか記載がありません。
 槇氏は「昆石(コンセキ)」について、「出征(しゅっせい)する夫を貞婦(ていふ)が湖北省の山で見送って立ちつくし、そのまま石と化したという故事(こじ)から転じ、夫を待ち望む女陰(にょいん)をいう」と記されています。
 しかし、漠然と「女陰」、つまり女性の生殖器をさしている以上の意味があると考えられます。


 前項の「臭鼠(シュウソ)」のところでもふれました第20章『治傷(ちしょう)』のなかの引用箇所に、「昆石(コンセキ)」ということばがでてきました。
 もういちど引用いたします。『玉房秘決(ぎょくぼうひけつ)』からの引用です。

 「陰陽の和は、琴絃(キンゲン)、麦歯(バクシ)の間に在(あ)ります。男性は昆石(コンセキ)の下で困ってしまいます。女性は麦歯の間に困ってしまいますが、浅ければ、それで気を得ます。遠ければ、それで気を散じてしまいます。一たび穀実(コクジツ)至れば、肝臓を傷(いた)めます。風を見れば涙が出て、排尿後に残尿感があります。臭鼠(シュウソ)に至れば、腸や肺を傷(いた)めます。咳きこんだり、腰、背が痛みます。昆石(コンセキ)に至れば、脾臓(ひぞう)を傷(いた)めます。腹が膨満し、息が腥(なまぐさ)くなります。時々、下痢をしたり、両股が疼(うず)きます。百病は、昆石(コンセキ)において生じます。ゆえに、交接(こうせつ)を傷(いた)めます。交合する時は、遠いところに及ぶのを欲してはいけません」。

 男女の和は、「琴絃」と「麦歯」のあいだにあります。
 男性は、ペニスが「昆石(コンセキ)」のもとにあると、つかれて困りはてます。
 女性はペニスが「麦歯」のあいだにあるときには困りはてますが、そのときにはペニスは浅いので、男性はそのことで気を得ます。
 ペニスを深く遠くいれてしまいますと、男性の気が散ってしまいます。
 ひとたび、ペニスが「穀実(コクジツ)」に至りますと、肝臓を傷(きず)つけます。そのため、風が目にはいると涙が出て、排尿後に残尿感がでます。
 ペニスが「臭鼠(シュウソ)」に至りますと、腸や肺を傷つけます。咳きこんだり、腰や背中が痛みます。
 ペニスが「昆石(コンセキ)」に至りますと、脾臓(ひぞう)を傷つけます。腹が膨満して、息が生臭くなります。ときどき下痢をしたり、両股が痛んだりします。
 もろもろの病気は「昆石」において生じます。そのため男女が交わることを傷つけます。男女が交合するときには、深く遠くにまで及ぶことを欲してはいけません。


 なんどももうしあげますが、これはセックスでからだを損なったときに、それをセックスでもって治すしかたについてのべています。

 もっとも浅いところは、「麦歯(バクシ)」で、「処女膜痕(しょじょまくこん)」です。
 すこしはいって、「琴絃(キンゲン)」で、「Gスポット」です。
 もうすこしはいって、「穀実(コクジツ)」で、「ポルチオ(子宮膣部)」です。
 さらにすこしはいって、「臭鼠(シュウソ)」で、「ウテルス(子宮)」の本体です。
 そして、いちばん深くはいったところに、「昆石(コンセキ)」があります。
 「昆石(コンセキ)」は、「ウテルス(子宮)」のもっとも深いところをさしていると考えられます。

 「ウテルス(子宮)」のなかで、「昆石(コンセキ)」以上に深いところがないとすると、「昆石」は、「ウテルス(子宮)の底」だと考えられます。


 つぎのものは、すでに「琴絃(キンゲン)」のところでふれました。くり返しになりますが、ふたたび引用いたします。
 第5章『臨御(りんぎょ)』の最後の部分です。『素女経(そじょきょう)』からです。

 「玉茎(ギョクケイ:ペニス)が玉門(ギョクモン:ワギナ(膣))に入れば、自然に熱を生じて、かつ急に変化します。婦人の身は当(まさ)に自(おの)ずから動いて揺り上げ、男性とぴったり気が合います。しかる後(のち)に、これ(ペニス)を深くすれば、男女の百病が消滅します。
 浅く琴絃(キンゲン)を刺して、そして三寸半入れて、当(まさ)に口を閉ざして、これ(ペニス)を、一、二、三、四、五、六、七、八、九、刺します。そうしてこれ(ペニス)を深くして、昆石(コンセキ)の傍(かたわ)らに至ります。往来(おうらい)して、口は婦人の口に当(あ)てて、そして気を吸って九九(くく)の道を行います」。

 ペニスをワギナ(膣)にいれますと、ワギナ(膣)は自然に熱を生じてきて、中が急に変化してきます。女性はからだを自分から動かせて揺り上げてきます。そして男性とぴったりと気が合うようになります。そうしたのちに、ペニスを深くいれます。そうしますと、男女ともに、あらゆる病気がなくなります。
 今度は、浅く「琴絃(キンゲン)」を刺します。そしてさらに3寸半いれます。
 口を閉じて、ペニスを1、2、3、4、5、6、7、8、9回刺します。「9」という数字がよいようです。そうして、ペニスを深くいれますと、「昆石(コンセキ)」のそばにいたります。ペニスを行き来します。口を女性の口にあてて、気を吸います。九九の道をおこないます。


 ここでのセックスは「ウテルスセックス」ではありません。「ウテルス(子宮)」に「いれる」とか、「刺す」などという表現はでてきません。
 ペニスを3寸半いれて、そうして深くして、「昆石(コンセキ)」のかたわらにいたるといっています。そして、その箇所で、ペニスを行き来させるといっています。

 うえでものべましたように、「昆石(コンセキ)」は「ウテルス(子宮)の底」と考えられます。その「かたわら」ということになると、体位からもうしあげて、「ウテルス(子宮)」の上側から、「ウテルス(子宮)の底」のそばにもっていくということになるでしょう。
 このばあい、ペニスと「ウテルス(子宮)」との位置関係を図でしめしますと、おそらく、したのようになるでしょう。


 もうひとつ、「昆石(コンセキ)」ということばがつかわれている箇所が、『医心方』にあります。
 第12章『九法(きゅうほう)』、「九つの技法」の第6番目「鳳翔(ほうしょう)」という技法を説明したところです。『玄女経(げんじょきょう)』からの引用です。

 「第六を鳳翔(ほうしょう)ともうします。
 女性を正臥(せいが)させます。自(みずか)らその脚を挙(あ)げさせます。男性は、その股間(こかん)に跪(ひざまず)きます。両手を席(しきもの)に授(さず)けます。深く玉茎(ギョクケイ)をいれて、その昆石(コンセキ)を刺します。堅(かた)く熱したものを牽(ひ)きいれます。女性を動作(どうさ)させます。三、八の数を行(おこな)いますと、尻が急に相(あい)薄(せま)って、女陰(にょいん)が開舒(かいじょ)し、自(みずか)ら精液を吐きます。女性は、快(こころよ)ければ、すなわち、止(や)みます。百病を銷(け)します」。

 第六番目の技法を「鳳翔(ほうしょう)」ともうします。
 女性をあおむけにねさせます。女性みずから、女性の脚をあげさせます。男性は女性の股のあいだにひざまずきます。
 男性は、両手を敷物(しきもの)におきます。
 そして、深くペニスをワギナ(膣)にいれて、女性の「昆石」を刺します。
 男性は、堅(かた)く熱したものを、ひきいれます。女性を動作させます。
 三かける八、二十四回、おこないます。すると、男性と女性の尻が、急に相(あい)せまってきて、女性の性器が開きゆるみます。そして、愛液を吐きだします。
 女性は気持ちよくなりますと、動くのをとめます。
 こうすれば、もろもろの病気をけします。 


 ここの記述はとても興味深いです。
 女性の脚をあげさせて、男性がそのあいだにひざまずきます。両手を床につけます。
 そして、ペニスを深くいれます。「昆石」をさすといっているところをみますと、いきなり、「ウテルスセックス」をして、「ウテルス(子宮)」の底にまで、ペニスをいれるということなのでしょう。
 問題はつぎであります。

 「堅く熱したもの」を「牽きいれる」とあります。この「堅く熱したもの」がなにをさしているかであります。ペニスをさしているのでしたら、むしろ、押しいれるとか、刺しいれるとなるでしょう。「牽きいれる」というのですから、その相手ということになるでしょう。したがって、これは、「ウテルス(子宮)」をことをいっていると考えられます。
 これまでも、なんどももうしあげましたが、「ウテルス(子宮)」は、興奮してくると、堅くなります。「堅く熱したウテルス(子宮)」をこのように表現しているのでしょう。
 そして、「堅く熱したウテルス(子宮)」を「牽きいれる」とあります。ここには書いてありませんが、こうするには、女性の腰のあたりをもって、腰を引きいれるようにするということになるでしょう。

 女性を動作させます。女性みずから、自分で腰を動かせるのでしょう。24回、動かせます。

 すると、お尻同士が、「急に相迫ってくる」とあります。お尻を迫らせるのでしたら、すでに、「引きいれる」ところでおこなっています。ここであらためて、「急に相迫ってくる」というのは、そのこととは別の事態をさしていると考えられます。流れから、おそらく、「ウテルス(子宮)」が興奮して、下に降りてきて、そのことによって、「相迫る」といっているような気がいたします。

 つぎに、「女陰(にょいん)が開舒(かいじょ)する」とあります。「舒(じょ)」には、「のびる。のんびりする。のばす。ゆるめる。ひらく」などの意味があると、手元の漢和辞典に書いています。したがって、「女性の性器が開いてゆるみます」というような意味になるでしょう。
 ペニスははいっていますので、すでにワギナ(膣)は開いています。ここでさらに、開くといっているのですから、たぶん、「ウテルス(子宮)」が「開いてゆるむ」ということをいっているのでしょう。

 女性は愛液を吐きだします。
 女性は絶頂に達して、動くのをとめます。
 このようにすれば、もろもろの病気がなくなります、とのことであります。

19.「天下至道談(てんかしどうだん)」について

 1970年代の前半に、中国の湖南省(こなんしょう)の「長沙(ちょうさ)」で、墓が発掘されました。「馬王堆(まおうたい)」漢墓(かんぼ)といわれています。
 全部で3つの墓が発掘されました。第1番目の墓からは、女性のミイラがでてきて、その皮膚にも弾力が残っていたということで有名であります。前漢(紀元前206年−(紀元後)8年)の紀元前168年ころに埋葬されたということで、2000年以上まえのミイラということになります。
 これらの墓から、「帛書(はくしょ)」とよばれる絹に書かれた文書、「木簡(もくかん)」とよばれる木片に書かれた文書、「竹簡(ちくかん)」とよばれる竹片に書かれた文書などがたくさん出てきたようです。

 そのなかに、「天下至道談(てんかしどうだん)」があります。セックスのしかたについてかかれています。『医心方(いしんほう)』と共通する名称の体位もでてきます。両者には、1000年くらいの年月の隔たりがありますので、驚くばかりです。
 なかでも、ここでとりあげますのは、女性生殖器の部位の名称を並べた箇所があるからです。単語を並べているだけで、いっさい、説明がありません。


 読み方がまちがっているかもしれませんが、山田慶兒(やまだけいじ)編『新發現中國(しんはつげんちゅうごく)科學史資料の研究(かがくししりょうのけんきゅう)譯注篇(やくちゅうへん)』(京都大学人文科学研究所、1985年)をもとに、引用いたします。

 「第一は笄光(けいこう)、第二は封紀(ふうき)、第三はラン〔言+間〕瓠(らんこ)、第四は鼠婦(そふ)、第五は穀實(こくじつ)、第六は麥齒(ばくし)、第七は嬰女(えいじょ)、第八は反去(はんきょ)、第九は何冥(かめい)、第十は赤スウ〔糸+數〕(せきすう)、第十一は去シ〔豆+支〕(きょし)、第十二はソウ〔石+〔躁−足〕〕石(そうせき)」。

 これらの単語のなかで、一部は、これまでのべてまいりました『医心方(いしんほう)』での名称と共通しております。
 また、一部、かなり似ているものがあります。


 「穀実(コクジツ)」、「麦歯(バクシ)」、「嬰女(エイジョ)」は、一部の文字が旧字体でありますが、まったく共通しております。

 引用元でありますうえであげました本の注にも記されていますように、「赤スウ〔糸+數〕(せきすう)」は、クリトリスをさしていると思われます「赤珠(セキシュ)」と似ております。
 また、「鼠婦(そふ)」は、「ウテルス(子宮)」の本体をさすと思われます「臭鼠(シュウソ)」に似ております。
 そして、ひょっとすると、「ソウ〔石+〔躁−足〕〕石(そうせき)」は、「ウテルス(子宮)」の底をさすと思われます「昆石(コンセキ)」をいっているのかもしれません。


 説明がなく、よくわかりません。しかし、「天下至道談」から約1000年後くらいの書物を引用した『医心方』にあります「穀実(コクジツ)」とか、「嬰女(エイジョ)」という名称は、ウテルスセックスを前提としたものであります。
 これらの名称がでてくるあたり、中国では前漢の時代(紀元前206年−(紀元後)8年)から、すでに「ウテルスセックス」がおこなわれていたのかもしれません。

 

by 健康胞子

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