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[ 基礎知識 5-b ]

タイ国への旅
2008.2.11 - 15


タイ国の 上座部仏教

 タイ国の仏教は、仏教の分類上の一つ「上座部仏教」(じょうざぶ-ぶっきょう)で、日本の仏教「大乗仏教」(だいじょう-ぶっきょう)とは多少異なる。
 上座部仏教は、上座仏教、テーラワーダ仏教などと表記されることがある。また、時には、南伝仏教、小乗仏教などと呼ばれることもある。

 小乗という言葉は、内部分裂の際に相手を侮蔑した時の言葉なので、今は使われるべきではない。

上座部仏教

 釈迦は、生前に、重要でない戒律は、サンガの同意によって変更してよいとしていた。
 釈迦の死後、仏教がインド北部に伝播すると、食慣習の違う北部インドでは正午以前に托鉢を済ませることは不可能だった。このことで、戒律の修正を指示する大衆派と、反対する戒律保守の上座部との根本分裂を経て枝葉分裂が起り、部派仏教の時代に入った。


[ 部派仏教の時代 ]

 部派仏教の時代には、上座部から、さらに分派した説一切有部が大きな勢力を誇った。新興の大乗仏教が主な論敵としたのは、この説一切有部だった。
 大乗仏教側は、説一切有部を論難するに際して、(自己の修行により自己一人のみが救われる)説一切有部を侮蔑して「小乗仏教」(しょうじょうぶっきょう; ヒーナヤーナ hiinayaana )と呼んだとされている。

大乗仏教

 大乗仏教は、北インドから東アジアに広がった。その後、大乗仏教がほかの部派仏教の吸収する形で広まるが、それに対抗し、スリランカに残存していた説一切有部の分派である Vibhajjavada 宗のスリランカの一派が、再度、「上座部」の名前を使い始めたことにより、部派仏教が終了した。
 これによって、仏教は、大乗仏教と上座部仏教に分かれた。

上座部仏教

 上座部仏教は、マウリア朝アショーカ王の時代に、インドから主に南方のスリランカ(セイロン島)、ビルマ、タイなど東南アジア方面に伝播した。このため、上座部仏教は、南伝仏教とも呼ばれる。
 現在では、上座部仏教は、スリランカ、タイ、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジアの各国で、多数宗教を占める。また、ベトナム南部に多くの信徒を抱え、インド、バングラデシュにも少数派のコミュニティが存在する。


[ 上座部仏教の特徴 ]

 インド北部に大乗仏教が起こって、ほかの部派仏教の宗派が衰退した時、インドの南部やスリランカに残存していた上座部の系統を引く部派仏教の一派が、大乗仏教に対抗する意味で、「上座部」という言葉を再度使い始めた。
 現在の上座部仏教は、これを起源としている。したがって、現在の上座部と根本分裂した頃の上座部とは、当然異なる。

 上座部仏教では、出家者の戒律「具足戒」を守る比丘サンガと、彼らを支える在家信徒の努力によって、初期仏教教団(釈迦の教え)を純粋な形で保存してきたとされる。
 だが、仏教学者の間では、現在の上座部は、部派仏教時代の一宗派の教えを保存したものとされている。これは、大乗仏教の経典に残る部派仏教の教えや、さらに、近年パキスタンで発見された別の部派仏教の教典と上座部のパーリ教典の相違点の比較からも確認されているという。


[ 上座部仏教の教義 ]

 教義では、次のようにされている。
 限りない輪廻を繰り返す生は、「苦しみ」(dukkha)である。この苦しみの原因は、こころの執着(貪瞋癡)である。そして、こころの執着を断ち、輪廻を解脱するための最も効果的な方法は、教典の学習、戒律の厳守、瞑想の修行である。

 大乗仏教では、部派仏教の形式主義を批判し、釈尊の真精神を発揮するとの立場から、数あまたの如来・諸菩薩が活躍する大乗経典を生み出し、中観・唯識に代表される思想的展開が図られていった。

 それに対して、上座部仏教では、釈迦によって定められた戒律と教え、悟りへ至る智慧と慈悲の実践を純粋に守り伝える姿勢を根幹に据えてきた。古代インドの俗語起源のパーリ語で記録された共通の三蔵(tipitaka)に依拠し、教義面でもスリランカ大寺派の系統に統一されている。


[ 比丘尼(尼僧)サンガ ]

 上座部においては、古代スリランカにおける戦乱の時代に、比丘と比丘尼(尼僧)のサンガの両方が、共に滅亡した。

 仏教では、ゴーダマ・ブッダ(釈迦)を師と仰いだ出家者たちを総称して「サンガ」と呼んでいる。現在のタイ国では、これを「カナ・ソン」(Khana song)と訳している。カナ・ソンは、正規の構成員「プラ」(Phra)と準構成員「ネーン」(Nen)で構成されている。
 プラは227戒を、ネーンは10戒を守り、いずれも男子の出家者で、女子の出家者「メー・チー」はサンガの成員とはみなされない。この点、ビクニやサーマネーリが存在したインドの初期のサンガとは異なり、完全に男性世界となっている。


 比丘のサンガは、ビルマに伝播していたために復興が叶ったが、比丘尼のサンガは、これによって消滅した。チベットには、インドから比丘尼のサンガが伝播せず、その後にインド仏教が滅んだため、仏教で比丘尼のサンガが存在するのは中国系の仏教だけという状態だった。

 上座部で、尼僧というと、比丘でも戒律を授けることができる見習比丘尼をさす。正式な比丘尼の戒律を授けるには、複数の比丘尼が必要となるからである。
 たが、近年、台湾に残存する中国仏教の比丘尼の系統を使って上座部の比丘尼のサンガの復興が図られている。しかし、その地位は、上座部が大乗を異端とみなしているということもあいまって、教義的に問題視されている。



[ 西欧諸国による 上座部仏教の研究 ]

 アジアの上座部仏教圏のほとんどは、西欧列強の植民地支配を受けた。また、宗主国で、支配地の文化の研究が植民地政策の補助として奨励されたため、仏教、ヒンズー教、イスラム教の経典・教典の文献学的研究が、イギリス(スリランカとミャンマーの旧宗主国)を中心に欧州で早くから進んだ。

 ロンドンの Pali Text Society から刊行されたパーリ三蔵(PTS版)は、過去の仏教研究者のもっとも重要な地位を占めた。その後、イギリスは、植民地の宗主国としての地位を喪失し、大学でも、日本のようにインド哲学科が設置されることもなく、サンスクリット語の研究もオクッスフォード大学で細々と行われているに過ぎない。

 Pali Text Society の翻訳は、仏教の基本教義に無知なサンスクリット語の専門の学者が訳した場合が多く、正確ではないと指摘されている。
 一方で、欧米人の中から上座部の比丘になる者や、スリランカでは英語が公用語であることから、特にスリランカ出身で英語の堪能な大学卒の比丘などが中心になって、大学外でのパーリ三蔵の翻訳を活発に行っている。

 一方で、イギリスの旧植民地のスリランカやビルマ、また、タイから移民や難民がアングロサクソン系のイギリス、カナダ、アメリカ、オーストラリアに大規模に流入した関係で、欧米への布教伝道も旺盛に行われている。
 欧米には、チベット密教系や東アジアの禅宗系と並んで、あるいは、それ以上に数多くの上座部仏教の寺院や団体がある。


[ 日本との関係 ]

 中国仏教では、部派仏教全体を指して小乗仏教と呼び、日本もそれを受け継いだが、「小乗」とは「大乗」に対して「劣った教え」という意味で付けられた蔑称で、上座部仏教側が自称することはない。

 世界仏教徒の交流が深まった近代以降には、相互尊重の立場から批判が強まり、小乗仏教という言葉は徐々に使われなくなった。1950年6月、日本の伝統仏教各派も加盟する世界仏教徒会議(WFB)第一回世界大会がコロンボで開催された際、小乗仏教という呼称は使わないことが決議された。

 仏教伝来以来、長く大乗相応の地とされてきた日本では、明治時代にスリランカに留学した日本人僧である釈興然(グナラタナ)によって、上座部仏教の移植が試みられた。
 また、日本は、明治以降に欧米に留学した仏教学者によって、北伝仏教の国としてはもっとも早く「南伝大蔵経」の翻訳と研究が進めた国だった。しかし、伝統的な仏教勢力が存続する中で、上座部仏教はなかなか社会に根付かなかった。

 上座部仏教に由来する瞑想法「ヴィパッサナー瞑想」が、1970年代頃から世界的に広まったが、日本での普及は遅れた。だが、90年代頃から、スマナサーラ長老の布教活動を中心にして、上座部仏教は、ヴィパッサナー瞑想と共に本格的に社会に浸透しつつある。
 現在は、タイ、ミャンマー、スリランカ出身の僧侶を中心とした複数の寺院や団体を通じて布教伝道活動がなされており、戒壇も作られ、日本人出家者(比丘)も誕生している。

 なお、日本に在住する「僧侶」は、上座部仏教の立場から見れば、具足戒を受けていないため、「出家者」とは認められない。



タイ国の 僧

 朝、暁の寺(ワット・ポー)やエメラルド宮殿へ向かう途中、食事を乞う僧たちを何人も見た。中には草履を履いている僧もいたが、多くは裸足だった。
 タイの僧は、自分が食べる食事をすべて一般市民のお布施に頼っている。タイの人たちの仏教に対する信仰心は、それほどまでに厚い。

 お布施をする人は、僧の前で、まず履物を脱ぎ、僧が手に持っている鉢(バート)の中に食事を差し入れる。その後、地面にひざまづいて僧に向かって祈りを捧げる。こういう光景も、実際に目にすることができた。


托鉢をする僧と お布施をする人

ブアン マーライ (花数珠)

 花数珠「ブアン・マーライ」は、寺院の仏前や祠の供花として、また、お祝いやお守り、お見舞い、贈答用として用いられる。
 マーケットや寺院の門前通りの屋台などで糸を通して輪の形に作りながら売っていることが多い。ジャスミンの花房をベースにして、マリーゴールドやバラ、センニチコウなどが用いられていて、よい香りがほのかにする。ビニールの袋に入れ、水をかけておくと長持ちする。
 このピーという花輪は、精霊にに捧げられるもので、決して値切って買わない方がいい。

 寺院の仏前やあちこちにある祠(日本の地蔵や稲荷のようなもの)にも供えられている。また、タクシーに乗ると、よく吊ってある。



マーライ店

ツアーバスのマーライ

マリーゴールドのマーライ

店先で作りながら売られるマーライ


店先に並んだマーライ

祠に供えられたマーライ

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