
またまた韓国に行ってきました
ソウルの秋は焼き栗の香り。数珠や香炉、画材、民族服などが軒先にあふれる仁寺洞(インサドン)を歩けば、不思議な郷愁にとらわれる。それは、遥かな昔、大陸を旅した先人たちの記憶かもしれない。ぱちん、と栗のはぜる音で我に返る。2004年十月半ば、私は今年三度目のソウルにいた。
ピースボートの船旅とパレスチナでの活動から、早いものでもう一年になる。船上で出会った人たちとの同窓会のためのソウル入り、出発地が東京や沖縄とみんなバラバラなので、現地集合となったのだ。仁寺洞の一角で再会。ピースボートに韓国ゲストとして乗船していた、NGO「平和市民連帯」代表カン・ジェスクさんの案内で、近くのお寺に向かった。今夜ここで、ダンスフェスティバルがあるという。お寺の境内でダンス?と思ったけれど、珍しいことではないらしい。境内には野外コンサート会場のようにライトアップされたステージが組まれ、その下に飾ってあるのは造花の蓮の花だ。かがり火の横では、ボランティアの方たちが暖かいなつめ茶をふるまってくれる。「ごはん食べに行きましょう」と促されて、お寺の食堂に行くと、大釜から山のような「ジャンジャン飯(ミソ味のカレー?)」をよそってくれた。韓国では、催しの度にお寺がこんなふうに食事をふるまうのだという。「早朝に登山すると、山のお寺が朝食をごちそうしてくれます」とカンさん。韓国の食事風景は、大なべや大皿の料理をみんなでつっつく、長崎でいう「しっぽく」「直箸」式。ウェルカムなのだ。そういえばパレスチナでもそうだった。食卓を囲んで家族が和気あいあいと語らう。そのぬくもりが、占領下の抑圧に耐える力となっていたように思う。韓国とパレスチナ。状況は違うけれど、韓国の人々が、理不尽な政策に対してきちんと声をあげ、闘い続けているのは、「一人じゃない」ことを知っているから。あちこちから伸びてくるお箸のように、誰かが一緒に闘ってくれることを経験しているからではないか、そんな気がした。
まっすぐに伸びた線路の上を、私たちは歩いていた。今はもう使われていない線路は、草花のよりどころとなり、人々の生活路となっている。
向こうから荷物を抱えたおばあさんがやってきて、私たちとすれ違う。青空の下で会釈をかわせば、韓国人とか日本人というワクなんて、空の青さに砕かれていく。ただ、連綿と続く道の上を歩く、そんな単純なことが、たまらなく心地よかった。
ソウル郊外にある「聖公会(せいこうかい)大学」を訪れた帰り道である。神学院に端を発する聖公会大学は、70〜80年代に韓国民主化運動の担い手だった学生たちが、その後教師となって大勢教壇に立っている大学だ。運動の精神は今も健在で、アジアで唯一という大学院「NGO学科」を持つ。大学のホームページにはこう紹介されている。「国家および政府、市場、企業をけん制する市民社会とNGOの強化を唱え、NGO指導者を養成しようとしている」。校内には、イラク戦争反対集会のポスターが至る所に貼られている。度肝を抜かれたのは、民主化闘争の歴史を描いた絵、新聞記事、学生の遺体の写真までもが、階段の壁にずらりと常設展示されていることだ。地下でガリ版を刷る学生たちの上に、勝利を知らせる光が降り注ぐ版画。「韓国は民主化闘争で勝利したから、誇りを持っているのです」とカンさんが語る。入口に掲げられた銅版には、こう彫られてあった。
「歴史とは過去のことではない。歴史とは今を生きる人々が生還することである」
「日本では、清公会大学みたいな大学なんて考えられないよ」。一人の言葉に、カンさんはこう答えてくれた。「どんな希望を持って生きていくかをイメージしたらいいと思うんです。労働が国を越えるように、私たちは、民族を尊重しながら国家のワクを越えていけることを」。
その夜、市場の一角にテーブルを並べた食堂で韓国の友人たちと旧交を暖めあった。巨大な豚足の料理法は沖縄と同じだという。言葉は、それぞれカタコトの日本語と韓国語と英語。それでも心は確かに通い合っている。もしかしたら百年、千年前も、人々はこうして大陸を旅してきたのではないか。「一夜の宿を」とお寺の門を叩く。そんなの物語の中だけだと思っていた。でもここでは、その文化が脈々と息づいていた。お昼に通った線路沿いの道。漢江(ハンガン)から吹く風がコスモスの淡い紅を揺らすあの道に、国境線は存在しなかった。
いつか年月が過ぎ、こうやって再び線路の上を歩く時がきたら、私たちは笑いながらこう言えるだろうか。
「あのときはまだ、国境があったんだよね」と。
戻る