韓国レポート

2004年6月12〜14日、長崎のアツい平和活動家の人たちとソウルを訪れました。

(1)女中生2周期追悼大会

 ソウルの北、仁寺洞(インサドン)は、通りを埋めた群集の熱気であふれていた。2年前、韓国に駐留する米軍の戦車に、韓国人の女子中学生2人がひき殺されるという痛ましい事件が起こり、私たちはその追悼集会に参加したのだった。道路の真ん中には、プロテクターをつけたおびただしい数の機動隊が並び、夕闇が濃くなるにつれて、群集はだんだん膨らんでいく。長さ1kmくらいあるだろうか、ほとんどが大学生で、道路に座りこ、思い思いの旗やプラカードを振る。トラックの荷台を使ったステージでは、韓国の牧師や市民運動家がマイクを握り、人気歌手が歌う「ロック調アリラン」に合わせて若者が声をはりあげる。
「懐かしかねえ」。一緒に行った仲間の一人がつぶやいた。日本が燃えていた、学生運動やエンタープライズ入港反対運動の頃を私は知らない。でも、あの頃はきっと、眼前のような風景が広がっていたんだろうな。韓国語なのでよく分からないけれど、「イラク攻撃反対!」や「韓米地位協定の見直しを!」といった絶叫スピーチにあわせて、紙コップにさしたろうそくが、光のウェーブを描いていく。そこにあるのは、体制や理不尽な暴力に対する「怒り」だ。不謹慎かもしれないけれど、心が高揚してくる。人は本来、喜怒哀楽を鮮明にして生きるものなのに、あからさまな感情表現を敬遠する今の風潮の中で無意識に押し込めていた感情が、この熱気に呼応してほとばしったみたいだ。闘うこと、感情をあらわにすることは恥ずかしいことではないのだよと、目の前の熱気が教えてくれる。夕方6時から始まった集会は9時をすぎても終わる気配すらなかった。参加した人々の顔は、ろうそくのゆらめきに照らされて輝いていた。

夕方6時から始まった集会は9時をすぎても終わる気配すらなかった。参加した人々の顔は、ろうそくのゆらめきに照らされて輝いていた。そろそろ移動しようと道路から腰をあげて
歩き出すと、向かいから応援で呼ばれたらしい機動隊が数十人走ってきて、私たちとすれ違う。あどけない顔をした若者たち、まだ十代だろう。よく見ると、ヘルメットの下で、集会の音楽にあわせて唇を動かしたりしてる。アメリカ大使館の近くで、待機部隊の若者3人が、石段に腰掛けてコンビニ弁当をほおばっていた「キムチ入ってる?」私たちの問いに「入ってる入ってる」彼らはそう言って、笑った。

(2)韓国の食文化 

そもそも、今回の旅は韓国のどぶろく酒「マッカリ」を飲みに行こうという話から始まった。私が
3月にソウルを訪ねたときに連れて行ってもらった裏通りの怪し気な居酒屋で呑んだマッカリが最高においしかった、という話を数人にしたら、あれよあれよと参加者が増えて結局18人。基本的に、地元の人たちが行くお店は安い。たらふく飲んで食べても千円かからない。韓国といえばキムチやプルコギが浮かぶけれど、素材を大切にした食文化の豊かさには驚くばかり。松の葉の粉を混ぜたマッカリ酒や、たにしのスープ、カボチャの葉に味噌とご飯をくるんだものや手作り豆腐など身体にやさしいものばかりで、まさに「医食同源」だと実感させられる。 さて、目的のマッカリ。ソウルの裏通りにある名前もない居酒屋は、相変わらず低い天井の、闇市のようなスペース。200人ほどの客がひしめく壁にはびっしりとハングルの落書き。80年代の独裁政権時代から、マスコミや平和活動家が集う場所だという。肩をぶつけながら座ると、金だらいになみなみと入ったマッカリと焼いたホッケがやってきた。語らいながら、洗面器のようなたらいから、乳白色のマッカリを茶碗でガボッとついで飲むと、口の中に深い甘さと酸っぱさが広がった。やさしい、お日様のような味。壁を見たら、「恒笑」と書かれた掛け軸がかかっていた。大切な人たちと一緒に、大地の恵みをいただく時、そこには笑いが生まれる。健全な食文化や人のつながりがある場所に、いさかいは起こらないのかもしれない。そこには、いのちへの尊敬があるから。蛍光灯に照らされて、茶碗のマッカリにみんなの笑顔が映っていた。これ以上の美酒が他にあるだろうか。なんだか泣きそうになったので、私はあわててマッカリをあおった。 

(3)怒りと感動

 今回、ソウルを案内してくれたのは、ピースボートで出会った平和活動家のカン・ジェスクさん。彼女のガイドで、旧日本軍が韓国の政治犯を収容していた「西大門刑務所歴史館」や、伊藤博文を暗殺した「安重根」の記念館、さらに軍事独裁時代、解雇された記者たちが「真実を伝える新聞を発刊しよう」と、6万人の市民出資者を集めて設立した新聞社「ハンギョレ新聞(一つの民族、という意味)を見学した。発行部数60万部。モットーは「怒りと感動」で、政府から圧力をかけられても動じず、朝鮮日報や東亜日報に続いて韓国で第三位の地位を確立している。学生運動などで投獄された年数が長いほどキャリアアップにつながるという話にはふっとんだ。編集局長の金氏は、流暢な日本語で語る。「イラク攻撃は大儀のない一方的な戦争であり、間違っています」「日本の新聞は政府発表をそのまま無批判に伝えていますね」「東アジアの平和のために、日本が貢献することはもっと他にあるはずです。危機の盛り上げに夢中になっている政府や保守派の流れに対抗する社会の力が弱まっています。健全な市民社会が力をあわせてがんばってほしい」韓国は、闘って政権を変えてきた歴史を持つ。だから民衆は自身を持ち、特に「三八六世代」(現在30代で、80年代に学生運動を展開し、60年代の生まれ)は今の韓国の原動力となっている。 
日本に帰る日、空港のあちこちに「ヨン様」のポスターを見かけた。韓国ドラマに「大切なものを思い出した」という人が多いという。ストレートな感情表現、食文化、年長者への敬意、家族の絆・・日本が、昭和に落としてきた大切なものが、韓国にはある。衝撃的な事件が続き、閉塞しつつある日本社会のよどみを清流に導く鍵もきっと、韓国にあると思う。 韓国に行こう。私たちは太古の昔から、こうやって交わりあってきたのだから

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