
「ニューヨークで平和絵画展を開きたい!」
そう思いついたのは、2002年1月3日のことだった。
世界を震撼させた、2001.9.11の同時多発テロ。アメリカによるアフガニスタンへの「報復」攻撃。
時代を逆行しているかのような潮流に、被爆地ナガサキから何かできることはないか。考え続けていたある日、そのアイデアは突然降ってきた。
「2002年の9月11日頃、長崎の子どもたちの絵をニューヨークに持っていって、平和の大切さを訴える絵画展ができないか・・」
決して声高でなく、誰でも「平和の尊さ」を感じられる形で。
そうだセントラルパークで、道ゆく人々の似顔絵を描こう。
そして、その絵には「You are PEACE maker」と書き添えよう。
パレスチナでは、イスラエル軍の侵攻、虐殺が続いていた。
「テロリスト国家イスラエル」への非難決議に、拒否権を発動し続けるアメリカ。そのアメリカを変えるには、アメリカの市民を変えること、たとえ一人であっても、ナガサキからのピースメッセージを伝えることから始めたい。2002年、9月11日に。
そのために、まず「現場」に立ってみることから始めようと思った。
2002年5月18日、ユナイテッド航空800便は、成田を発ってニューヨークへ向かっていた。
ニューヨークは大平洋の先、12時間の彼方。
機内で、入国カードと関税申告書が配られた。
・・ガイドブックに書いてあるのと違う・・
「滞在先のホテル名と住所」。えっホテルの住所とかも書くの?
えーとどれだっけ。悪戦苦闘してると、隣の席の太ったおじさん(アメリカ人?)が、「これ参考にするといいよ」と、日本語で書いてあるマニュアルを差し出して下さった。感謝ー。
でも字が小さすぎて読めない・・日本人のスチュワーデスさんに聞くのもおじさんに悪いし。
で、おじさんがお手洗いに発った隙に、スチュワーデスさんの所に走って「これでいいですかっ!?」「ああ、完璧ですよ」
ほっ。
・・しかしそうぢゃなかった・・
私が書いたのは、ビザを持っている人用の白い入国カード。パスポートのみで入る旅行者は緑の入国カード。そんなこと誰も言わんかったぞー!結局、JFK空港の入国審査で「はい書き直しね」とひっかかり、記入カウンターに行ってみたら、しっかり日本語の入国カードが積んであった。
・・機内での私の努力って一体・・
空港から、マンハッタンの中心部、グランド・セントラル駅に向かうシャトルバスに乗り込んだ。
さ、寒い・・
電光掲示板を見たらなんと8度。一週間前は半袖って話だったのにい。
グランド・セントラル駅で今度は、各ホテルへの無料送迎バスに乗り換え。ふと隣を見たら、たわわな黒髪に、切れ長の瞳をたたえた、オノ・ヨーコさんそっくりの日本人女性がっ!?
「イマジン」のビデオに出てくるオノ・ヨーコさんに酷似してるけど、でも彼女は今ショートヘアでサングラスかけてて、もうお年のはず。しししかし!
「・・あのう、ひょっとしてオノ・ヨーコさんですか?」
・・もちろん、そんなワケがないのであった。
19時を回ったマンハッタンは渋滞の波。ようやくホテルに入れたのは、到着から3時間を過ぎていた。
16階のホテルの窓からは、ぞっとするほど美しい摩天楼の夜景がまたたいていた。不夜城の輝きは、誰かの犠牲の上に成り立つ搾取の象徴でもある。貧困、飢餓、紛争に瀕する人々の目には、憎しみやコンプレックスの塊として映るのだろうか。
あの日、ビルに突っ込んだテロリストたちも、この夜景を一度は目にしたに違いない。
「キレイだったから」突っ込んだのかもしれない・・そんな思いが頭をよぎった。