5月20日の朝、私は、各国の旗がひるがえる国連本部の前に立っていた。

赤外線セキュリティチェックのあと、ロビーへ入ると、南米の伝統文化、織物、
写真などの展示が目に入る。デザイン協会が、国連の委託を受けて展示してある
らしい。

 8ドルを払って、国連内を見て回るガイド・ツアーに参加。6.7人のミニグルー
プに、それぞれガイドさんがついてくれる。

 私達のグループガイドは、インド人のソフィアさん。流暢な英語で自己紹介を
促され、それぞれが国と名前を紹介する。

「ロシア」「ハンガリー」「アメリカ」と様々。

 国連本部は「総会ビル」「会議場ビル」とテレビでよく出る高層ビルの「事務
局ビル」、「国連図書館」の4つからなっていて、一般の見学者が入れるのは、
総会ビルの地下と、1.2階部分のみ。

ソフィアさんの案内で歩いていくと、壁には「ユニセフ」や「PKO」「国連の予
算の使われ方」「地雷の除去」など様々なプロジェクト紹介のパネルがあり、
その前で立ち止まって説明を聞く。

 リアルタイムでの会議場風景がスクリーンに写し出されていた。聞けば、東ティ
モール独立に伴う病院や学校、インフラ整備についてフランス代表が話をしている
ところだという。(音声は聞こえなかった)

 ソフィアさんに「どこから来ましたか」と尋ねられ、

「From Nagasaki.Do you know Nagasaki?」
と答えたら
「Yes of cource」と言われてなんだか嬉しくなる。

 ほどなくして着いたのは、なんとヒロシマ・ナガサキのコーナー。5m四方の広いスペースに、被爆当時の風景、被爆者の写真が展示してあり、広島の原爆瓦がガラスケースに入っている。そして、驚くことに中央には浦上天主堂の被爆天使の像が、誰でも手を触れられるようにたたずんでいた。

 海を越え、こんな遠くで、懐かしい旧友と再会したような気がして、去りがたい思いでいると、ソフィアさんが「彼女はナガサキから来たんですよ」とグループの方たちに紹介してくれる。我に返って、ナガサキや日本の色々な団体が、平和のアクションを行っているとつっかえながら語った。

 ツアーは約50分で終了。グループを売店入口まで見送ってくれたソフィアさんが、「またぜひ国連に来て下さい」と、堅く手を握ってくれた。

 国連を出て、どこかでお昼でも食べようとハンバーガーショップへ。
その量の多さにたじろぎながら、結局3分の1くらいしか食べられないまま店を出た。

 国連を出てイースト・リバー沿いを歩く間、ずっと誰かの「視線」を感じる。特定の誰かでなく、そこら中で見られているような感じ。黒人の若者グループやビジネスマン、太った中年男性の視線が痛い。

 通りを小走りで北へ急ぐ。「ルーズヴェルト島」へのケーブルカーへ乗るためだ。 実は、長崎を発つ前、お世話になっている長崎平和研究所の先生から、「ニューヨークに被爆者の方が住んでいるから連絡取ってみたら」と紹介していただき、一度日本から電話をしていた。

もう70歳を越える女性とのこと。最近、足の指を骨折したのであまり遠出ができない。とにかくニューヨークについたら電話してちょうだい、といわれ、ホテルから電話を入れたら

「じゃあ、今日いらっしゃい。私、島に住んでいるのよね」
・・しま・・???

 ルーズヴェルト島。
マンハッタンの西に浮かぶ小さな島で、59丁目からケーブルカーが出ているという。とにかくそれに乗ろうと、42丁目の国連本部からせっせと歩いているわけなのだった。

 北上するにつれて、昼間だというのに人通りが少なくなってきた。
橋の下にたむろっている若者が、射るような視線でこっちを見ている。こわいよー
こわいよー。なんで人がいないのー!?

紙くずが舞う通りを小走りで駆け抜け、やっとケーブルカー乗り場に着いた。なんだか、お化けでもでそうな古い2階立ての建物。壁には赤ペンキで落書きがしてある。

 往復3ドルのチケットを買って、中へ。ケーブルカーと言っても、ちょうどロープウェーのような感じで、上から吊ってある。上から・・? これって川を越えるんだよね・・?

 ガクン!と大きく振動して、ケーブルカーが動き出した。

うっひゃああああ!!たっ高い!しかもビルすれすれの所を通る。川のこっちと対岸に、高い鉄塔が2本あり、それで吊り上げて移動する仕組みだった。川の上空約200mを、ぐおーんと揺れながらケーブルカーは行く。ジェットコースターよりこわいぞー!!

 あっ、ひょっとしてこのケーブルカー、映画「スパイダーマン」で、悪者によって落とされそうになるケーブルカーだ!!おお、映画の現場に遭遇してしまった。

 少し慣れてきたので、こわごわ外を覗いた。

ルーズヴェルトの全景が見える。横が約200mくらいの縦に細長い島だ。

島の3分の2くらいは、古びた高層住宅が連なり、上空から見たらまるでワニが寝そべっているように見える。かつて石炭産業の栄華を誇った、長崎の「軍艦島」もこうだったのだろうか。

 実際、乗っている時間は5分くらいだったのだが、けっこう長く感じたぞー・・

 ケーブルカーを降りると、無料の赤いシャトルバスが待っていた。それに乗って2つ目で降りる。待ち合わせ時間まで30分以上あったので、ヨーロッパ風の古い石づくりの教会の横のベンチでひと休みすることにした。

 実は、島に着いたとたん、あれっと思った。
空気が違う。
いつ撃たれてもおかしくないような、びりびりとした空気に覆われているマンハッタンと、川を隔てて100メートルしか離れていないのに、ここは、空気がやわらかい。

 川ぞいを、子どもが縦笛を吹きながら歩いていく。近くでは、車椅子に乗ったご夫婦が談笑していて、コミュニティセンターらしい建物には、「今日はシニアの日」とたれ幕がかかっている。

 後で、ここにはハンディキャップを持つ人が多く住んでいると聞いた。

のびやかな鳥の声を聞きながら、久しぶりに深呼吸をする。緊張していると人間、あくびも出ないんだ。

 雲のすきまから太陽が顔をのぞかせていた。さやさやと揺れる木々の音が心地良い。

 きっと人生には、スタンプラリーのように、通過しなければならないポイントというものがあるのだろう。それが今回の旅だったのかな、なんて考えているうちに、約束の4時。

 アパートのドアマンの方にお願いして、その被爆者の方-----高木良子さんを呼んでいただいた。

 いくらもたたないうちに、軽快な音とともに、エレベーターのドアが開いた。