眩しい朝日で目が覚めた。ニューヨーク2日目の朝7時。

今日はワールド・トレード・センター跡に行こう。ホテルの前にあるミニスーパーで
暖めてもらったベーグルパンの朝食もそこそこに、タクシーに乗り込んだ。

「The mark of World trade center(ワールドトレードセンター跡へ)」

「ンン?」
「The mark of World trade center」
「ンン?」
「グランドゼロ!」
「OK」
「グランドゼロ」って「爆心地」という意味だから使いたくなかったのに、ここでは
もうこの言い方でしか通じないのだ。
 30歳くらいのドライバーの運転で、車は軽やかに走り出す。

 途中、「どこから来たの?」と聞かれたので、答えて

「From NAGASAKI.Do you know NAGASAKI?.NAGASAKI was
attaked Atomic Bomb」
そしたら
「same here!ハハハハハ」
(ここも同じさ)だってえええ!!??違うぞーーー!!!
アメリカの、核に対する認識はそんなものなのか、とがくぜん。

 ワールド・トレードセンター跡の1ブロック手前に着く。

ここから現場までは、約100メートルの簡易展望台が伸びているのだが、入るための
チケット(無料)は、11時にならないと配らないという。展望台入り口の隣には教会があって、周りにはり巡らされた柵には、おびただしい数の写真、メッセージ、看板、キャンドル、国旗がゆわえてあった。

上の写真はほんの一角。実際は近隣の建物の周り数百メートルにわたって、同じように
メッセージなどがかけられていた。書いてあったメッセージは

God bress NY.

I don’t forget you. Thank you.
End the War!
We will overcome.
America was terrorizing long before.
Peace of Earth. ・・などなど。

 一週間前、ここを訪れたナガサキの被爆者は「原爆の後と同じ匂いがする」と言って
涙を流したという。

匂いこそわからなかったが、そこに書かれた多くの想い・・言葉たちに、胸がきりきりと
痛んだ。

 11時まで時間があるので、教会の裏にあるスターバックスで暖を取った。
日曜の朝8時すぎ。早いためか人もまばらだ。ワールド・トレードセンターに職を持って
いた人々も、ここでコーヒーをすすり、談笑したのだろうか。がらんとした店内が寂しかった。

 けたたましいサイレンを鳴らしながら、外を消防車が走ってゆく。

あの日は、ジュリアーニ市長の采配で、近隣の州から相当数の消防車、救急車が駆け付けたという。一台でも、子どもが泣くくらいの音量。耳をつんざくサイレンがビルの谷間にこだまするさまは、人々にどれほどの恐怖を与えたことだろう。

 展望台へのチケットを渡すチケットポートは、教会から歩いて5分ほどのハドソン河沿いにあった。そこに至る300メートルほどの道には、10いくつの露店が、9.11の現場を写した絵葉書、写真集、帽子、Tシャツを売っていて、人だかりができていた。自由の女神が剣と盾を持って、武装している絵葉書まである。

 陽気そうなおばさんの店で、いくつかの絵葉書を買い求めた。

「あの日は、この通りをみんなが逃げていったのよ」とおばさんが足元を指差す。お金を払ったら、「グラシアス!」と言われたので、あれっと思い、「Are you アルゼンチーナ?」と訪ねたら、「No.ペルー!」と答えが返ってきた。

 11時前に行ったのに、チケットポートはすでに長蛇の列。もらえたのは12時半入場のチケット。仕方ないので、河ぞいのベンチに腰掛けて、朝の残りのベーグルをかじる。・・めちゃ堅・・冷えるとこんなんなるんだ〜。ま、まずい・・

 12時半に展望台前に行くと、そこも200人くらいの列。いかにも観光客といった人々が目立つ。

 展望台は、100メートルほどのゆるやかな木の坂をのぼり、5メートル四方の空間からまた坂道をおりてくるという簡単なものだが、その手すりといわず壁といわず、びっしりとメッセージが書いてある。

私も、小さく書き添えてきた。「No more war from NAGASAKI」。

 この展望台が、今、もっとも現場に近付ける場所。
そこからは、ビルの谷間に、がらんと開いた空、そして「工事現場」が広がっていた。

行き交うトラック、鉄骨、事務所らしいプレハブ。がれきはなく、匂いもなく、あの日の衝撃的な光景を思い出すのは難しい。
それでも「ここ」で、あの歴史的な大事件が起きたのだ・・
 写真を撮った後、しばらく目を閉じて手をあわせた。
入場整理をしていた黒人の女性が、小さく「Thank you」とつぶやくのが聞こえた。