
第1回ながさき女性国際平和会議
1st Nagasaki Woman's international Peace Conference
2000年2月5日(日) 長崎ブリックホ−ル
思えば、最初に集まった時から只事ではすみそうもない空気が漂っていたのです。長崎で「何かやらんば」とアンテナを張っていた女性27名と男性2名のパワ−は長崎市民を巻き込む大きなうねりとなって、本番へなだれこんでいきました。
喜怒哀楽、切磋琢磨、無我夢中。3ヶ月の間には出会いと感情がぎっしりと詰め込まれ、まるで宝石箱の中のよう。誰かと平和への思いを語りたくて、地球一周にまで出かけたけれど、灯台もと暗しとはこのことで、ちゃあんとアツく語れる場はあったのでした。「仲間」と呼ばせて頂けるならば、一生をかけて出会えるかどうかという仲間に出会わせてくれたこの会議と、長崎という街に今、感謝の気持ちで一杯です。
企画運営委員公募
それは、知人が持ってきた1枚のチラシから始まりました。「これ行ってみたら」と差し出したその紙には「第1回ながさき女性国際平和会議 企画運営委員募集」の文字が。面白そう、行ってみようかな。そんなちょっとした好奇心でのぞいてみた第1回の集まり。ドアを開けたとたん、明らかにパワ−に満ちた空気が肌に伝わってきました。公募に応えて集まった29名の女性、男性たちは殆どが初対面だったけれど、そんなことはものともせずいきなり「平和」についてのディスカッションが始まりました。長いことこんな語らいを持ちたいと願いつつ、なかなか遭遇できなかった場が今、目の前で展開している。誰一人臆することなく、水を得た魚のように。のちに、皆が声を揃えてこう語っていました。「私が求めていたのはこれだ!と思った」と。
充実したプログラム
2回目の会合。あろうことか、運営委員長の大役を仰せつかってしまいました。なぜ私のような若輩者が・・と青くなったりプレッシャ−に悩んだり。
この会議は、男女共同参画宣言都市奨励事業の一環として総理府、長崎市などの主催で開催されるものです。国際平和都市ナガサキにふさわしいテ−マをと、第1回のテ−マは「女性と戦争」に決まっていました。3ヶ月の準備期間内に、テ−マに則した内容、講師を決め、印刷物作りや広報にかからなければなりません。やることは山ほどありました。ひるむ間もなくどんどん取材や連絡が入ってきます。報道のカメラを前に趣旨を語ることもしばしば。そのうちにふと気付きました。「人が立場を作るのでなく、立場が人をつくることもある。若輩者なのに、じゃなく若輩者だからこそ先輩方は、私を指名して下さったんだ」と。
運営委員の行動力と人脈は並々ならぬものがありました。それは会を重ねるほどに増幅され、これ以上はないという位の充実したプログラムが構成されたのです。
○第1分科会「英語で話そう!いろんなこと」
○第2分科会「女性への暴力と沖縄」ゲストスピ−カ−;那覇市議 高里鈴代さん
○第3分科会「ハ−グ市民平和会議に行った男女たち大集合!」コ−ディネイタ−;鎌田信子さん
○第4分科会「平和への継承、ナガサキの少年少女たち」
ゲストスピ−カ−;下平作江さん、中村照美さん、松谷英子さん
○第5分科会「今、東ティモ−ルで!〜紛争下での女性の人権〜」
ゲストスピ−カ−;佐伯奈津子さん、ジ−ン・イングリスさん
基調講演 「平和なくして女性の人権はない」フォト・ジャ−ナリスト 吉田ルイ子さん
シンポジウム「私が地球のためにできることは?」
平和井戸端会議
本番一週間前に行った街頭パネル展も好評を博し、配布資料作りや人員チェックなど慌ただしく準備に追われる私たちのもとに、ニュ−スが飛び込んできました。
「アメリカが明日未明、臨界前核実験を行うらしい」。
「なにそれ。こんな時に!」女性会議としての対応を尋ねる報道からの電話も入ってきます。臨界前核実験のニュ−スは今まで度々耳にしたことはあっても、こんなに怒りを感じたのは始めてのことでした。緊急反対声明を出したいのは山々だったけれども、一晩頭を冷やして考え、出した結論はこうでした。
「この会議は、今まで平和活動に携わったことのない普通の主婦や若者達が作ってきた、いわば”平和井戸端会議”。参加者のみなさんに”身近な所からはじめましょう”と伝えるための。ここで核実験反対声明を出したら、そのイメ−ジだけが先走りしてしまいかねない。今回は”平和への入口”に徹しよう。そして裾野を広げていこう」
私の考えに、運営委員の皆さんもうなづいてくれました。人と人とのいさかいが起こした最悪の結果が核なら、家族や友人など身近なつながりから暖めてゆくことも、ひとつの、そして誰もがなしうる平和活動の形だと思うのです。
本番大成功!
毎日0時すぎまで準備にあたり、どとうのようになだれこんだ2月5日本番の日。雨の予報も吹きとばして薄日が差すホ−ルの入口には、早くから長蛇の列。朝10時半から16時までの長丁場だったにもかかわらず、何と1200人もの参加者が足を運んで下さったのです。国際会議場は満場の人、人。立ち見まで出るくらいの熱気に一番驚いていたのは、当の委員さんたちだったかもしれません。行政と民間とが一体になる、とはこういうことを言うのでしょう。「絶対成功させるんだ!」という熱意と頑張りが画期的な参加者を集めた「大成功!」の瞬間でした。

「私が地球のためにできることは?」
会議中、最も頭を悩ませたのがシンポジウムのコ−ディネ−タ−でした。何しろ生まれて始めての上に、パネラ−も吉田ルイ子さんをはじめそうそうたる方ばかり。原稿を何度も練り直し、毎日明け方までパソコンに向かう毎日だったけれども、いざ始まってみると何の心配もいらなかったのです。力強く分かりやすく、文字どおり「歴史に残る」素晴しいシンポジウムが展開されていきました。「一人でなく沢山の仲間と一緒に解決していく場を持とう!」「沈黙は暴力の保管につながる。国益って何?問うことからはじめたい」「人間が作ったものは、その意志があればなくせる。まず、隣の人との垣根を取り払っていこう」「過去を知り現代を見つめ、核兵器のない社会を作っていってほしい」「おかしいと思ったら声をあげなきゃいけない。必ず賛同者は現れる」。そして吉田ルイ子さんが「ナガサキを最後の被爆地にするために、世界中の人々が動き始めています。ナガサキは悲劇を乗り越えた平和の街。ネガティブな体験をポジティブな世界平和の柱にしていくために長崎の皆さん頑張って下さい」としめくくられました。
最後に、会場の高校生からこんなスピ−チがありました。「周りに平和について語る場がない。だからこんな会議をずっと続けて下さい」。余談になりますが、この高校生が中心となってその数ヵ月後、若者の国際交流シンポジウムが開かれました。世界から見ると知名度100%のナガサキ。その場所から若者たちが声をあげていくことは、世界的にも大きな意義があるのではないでしょうか。

平和のレシピ
当初、1回きりの開催予定であったこの会議に、私たちは長崎に根づくようにとの願いをこめて「第1回」の文字を加えました。そして、次の4つを「平和のレシピ」として会場の皆さんに発表したのです。
「知ること」「様々な価値観を認めること」「知らせること」「行動すること」。
その人にできる、自分サイズの行動の積み重ねがいつか少しずつ世界を平和にしていくのだと、私たちは信じています。
会議のフィナ−レ。テンポ良い音楽に乗って、会場の方達も、パネラ−も、委員も立ち上がってのダンス、ダンス!皆が手を取って笑顔で踊るその光景は、かつてハ−グで見た光景と寸分違いませんでした。私も皆に混じって体を動かしながら、ハ−グでのツツ大司教の言葉を思い出していました。「私たちが20世紀において学んだのは、人間はひどいものであると同時に、人間は素晴しいものであるということです。私たちには、戦争を終わらせ、核を廃絶する力と能力があります。
We love the Peace!」