〝核兵器廃絶平和都市宣言25周年・平和と文化のつどいin四街道〞開催

                           2008年(平成20年)12月21日



 私は、これまで市に対し、核兵器廃絶平和都市宣言25周年の平和記念事業を市として取り組むべきと要望し続けてきましたが、前市長(高橋操氏)は後ろ向きでした。
 
10月20日就任の小池市長は、『核兵器廃絶平和都市宣言「平和と文化のつどいin四街道」』の共催を即決!
これにより、市と教育委員会と実行委員会との協働事業となったことで、実行委員を元気づけ、後援団体も83団体の多くを数えるなど、市民の間に輪が拡がっていきました。さらに、市職員の協力が得られ、市民のできること、行政のできることを役割分担しながら連携して準備をすすめました。
 そして、当日、文化センター大ホールはほぼ満席となり、他市町村の方からも〝四街道はすごい!〞と賞賛の声が寄せられています。実行委員の一人として関わった私にとっても、平和を願う市民や職員の思いと熱意が結集し、約1200名の市民の参加が得られたとても有意義なつどいであったと感慨もひとしおです。





平和のアピール

 今日、私たちは四街道市核兵器廃絶平和都市宣言25周年を記念して「平和と文化のつどい」を開きました。

 式典にあたり「ヒロシマ」「ナガサキ」の両市長から、四街道市民宛の丁重なメッセージを頂きました。その中で長崎市長は、「世界には、今なお2万7千発とも言われる核兵器が存在」「悲惨な被爆の経験がこのまま忘れ去られたら、いかなる深刻な事態を招くことになるか」という危惧を語っております。

その上で、「あらゆる機会をとらえ、悲惨な被爆の実相を世界の人々に伝え、核兵器廃絶のため力を尽くしてまいりたい」と決意を表明し、四街道市民に「ご支援と協力を」と訴えています。

  今日のこのつどいの中で、私たちはさまざまのことを学びました。このつどいを、老若男女、思想信条の違いを超えて核兵器廃絶、戦争に反対し平和を守る新たな第一歩にしたいと思います。ここに皆さんと共につどいの名においてアピールするものです。


平和アピール

一  ヒロシマ、ナガサキから学び、四街道市核兵器廃絶平和都市宣言の精神を受けつぎ発展させましょう。


一  身近な人、愛する人と原爆や戦争について話し合い、戦争と原爆の悲惨さ、平和の大切さを若い世代に受け継ぎましょう。

一  戦争と核兵器がない世界の実現のため、四街道市民、日本及び世界の人々とともに、核兵器廃絶・世界平和をあらゆる機会に訴えましょう。

一  市民と市が協力して、子どもたちの広島・長崎訪問など、未来を生きる子どもたちが平和な世の中で成長するためのさまざまな事業を推し進めましょう。

2008年(平成20年)12月21日


   四街道市核兵器廃絶平和都市宣言25周年記念     『平和と文化のつどいin 四街道』

 








寄せられたメッセージ

 四街道市が「核兵器廃絶平和都市宣言」を行って25年。1983年に生まれた子どもはもう25歳。「平和な世界を実現しよう」との宣言は、その子どもたちへのメッセージだったことでしょう。25歳になった子どもたちが、今度は自分の子どもに平和の大事さを、核兵器の恐ろしさを伝える番です。1945年、ヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされてから63年。被爆者は次々と世を去り、歳をとり、語り部は減っています。

 すべての日本人が語り部となって、被爆者やその家族の思いを、世界に向けて語り継いでいかなければなりません。核兵器の廃絶を訴えていかなければなりません。「核兵器廃絶平和都市宣言25周年四街道・平和と文化のつどい」は子どもも大人も、男も女も、高らかに平和を願う集い。私も皆さまと思いを同じくしています。

                                 千葉県知事  堂本 暁子



「核兵器廃絶平和都市宣言25周年四街道・平和と文化のつどい」が開催されるに当たり、メッセージをお送りいたします。ヒロシマは、63年前の被爆体験を原点に、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてきました。しかし、今なお地球上には膨大な量の核兵器が備蓄・配備されており、核兵器の新たな拡散や使用の可能性さえ高まっています。

 原爆体験の悲劇と苦悩の中から生まれた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理が示すように、核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務をすべての国家が負うことを明言しているのです。

 今や、世界の多数派が核兵器の廃絶を求めています。この多数派の意志である核兵器の廃絶を実現するため、広島市では、世界の2,400を超える都市が加盟する平和市長会議とともに「2020ビジョンキャンペーン」を世界的に展開しており、その一環として、本年4月、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。この議定書は、核保有国による核兵器の取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為禁止の2015年までの法制化など、核兵器廃絶のための道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、私たちに必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

 クラスター弾や地球温暖化などへの対応が示すように、21世紀は都市や市民の力で人類的な課題を解決できる時代です。そうした意味から、平和を願う「核兵器廃絶平和都市宣言25周年四街道・平和と文化のつどい」が開催されますことは誠に意義深く、その取り組みに対し深く敬意を表します。今後とも、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現のため、私たちとともにちからを尽くし、行動してくださることを心から期待いたします。

 終わりに、「核兵器廃絶平和都市宣言25周年四街道・平和と文化のつどい」の御成功と御参加の皆様の今後ますますの御健勝と御多幸をお祈りいたします。

   平成20年12月21日                  広島市長 秋葉 忠利




 本日ここに「核兵器廃絶平和都市宣言25周年四街道・平和と文化のつどい」が執り行われるにあたり、被爆地長崎の市民を代表して一言ご挨拶申し上げます。

 昭和20年8月9日午前11時2分、私たちのまち長崎に一発の原子爆弾が投下されました。凄まじい熱線、爆風、そして恐るべき放射線により、まちは一瞬にして廃墟と化し、7万3000余の尊い生命が奪われました。かろうじて一命を取り留めた人々も、心と身体に生涯癒えることのない深い傷を負いました。

 あの日から半世紀以上過ぎた今もなお、被爆者は原子爆弾特有の後障害に苦しみ続けています。

 長崎が、原子爆弾による廃墟の中から立ち上がり、国際平和文化都市として復興を遂げた歴史は、被爆地からの平和を訴えてきた歴史でもあります。長崎市民は、二度とこのような悲惨な体験を繰り返させてはならないとの強い思いから、平和への努力を重ねてきました。

 しかしながら、世界には、今なお2万7先発とも言われる核兵器が存在しています、悲惨な被爆の経験がこのまま忘れ去られたら、いかなる深刻な事態を招くことになるか、私たちは考えなければなりません。被爆から60年以上が経過し、被爆者の方々は高齢化し、被爆の記憶も薄れつつあるなか、長崎では若い世代が主体となって被爆の継承や平和の発信に熱心に取り組んでいます。

 核兵器のない未来の実現のためには、平和を希求する皆様との連帯が必要です。これからも、あらゆる機会をとらえ、悲惨な被爆の実相を世界の人々に伝え、核兵器廃絶のため力を尽くしてまいりたいと考えておりますので、ご参加の皆様におかれましては、今後とも、ご支援とご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 最後に「核兵器廃絶平和都市宣言25周年四街道・平和と文化のつどい」のご成功と、ご参加の皆様のご健勝、ご活躍を心から祈念申し上げまして、メッセージといたします。

      平成20年12月21日                   長崎市長 田上 富久






         会場で受付をしました。